「鳥の仏教」という仏教経典があることを、同名の中沢新一の本(新潮社、2008年11月30日初版)で初めて知りました。
あの中国に制圧されたチベット人がインドに逃れた際に、仏教の伝統を守り、若い世代に仏教思想を分かりやすく説くためにも使われたそうです。
1時間程度で読むことができますので、「鳥の仏教」とは何か、興味のある方はページを開くことをお勧めします。
筆者も、ダルマという言葉の意味が、皆目分かりませんでしたが、これを読んで理解が深まりました。
8世紀の中頃のチベットでは、インドの仏教の高度な教えを求める旅に出た、ヴァイローチャナという若者が、ある時シュリーセンハという師に巡り会い、この師から「無為自然のままに存在の真理を知る」教えを学びました。
そして、ヴィローチャナが「知恵のカッコウ」という題名の小さな本を著しております。
8世紀の中頃に、以下のような高度な形而上学的な想念にまで高められた宗教があったことは驚きでした。
「世界の実相は二元論を超えており、個体は心がつくる概念構成から自由である。世界に確定したものなどはないが、すべての現象はそれ自体善である。存在は自ずと完成しているから、努力して何かを得ようとする病を絶って、無努力のままに止まるのが、わたしの教えである。」
アニミズムをベースとして持つ「ボン教」を第1層にして、現世否定の思想を第2層にセットした「鳥の仏教」は、例えば次のように教えます。
・この輪廻する世に本質はない。真実のない幻である。偽りの幻影としてつくられている。
・本質は空であり、生まれることもなく、滅びることもなく、とどまることもない。
・心をどこかに求めても見出すことはできず、探しても得ることはできない。
鳥の仏教の思想が少しでもこの現世に浸透していれば、今とは全く違った世になっていることでしょう。
あの中国に制圧されたチベット人がインドに逃れた際に、仏教の伝統を守り、若い世代に仏教思想を分かりやすく説くためにも使われたそうです。
1時間程度で読むことができますので、「鳥の仏教」とは何か、興味のある方はページを開くことをお勧めします。
筆者も、ダルマという言葉の意味が、皆目分かりませんでしたが、これを読んで理解が深まりました。
8世紀の中頃のチベットでは、インドの仏教の高度な教えを求める旅に出た、ヴァイローチャナという若者が、ある時シュリーセンハという師に巡り会い、この師から「無為自然のままに存在の真理を知る」教えを学びました。
そして、ヴィローチャナが「知恵のカッコウ」という題名の小さな本を著しております。
8世紀の中頃に、以下のような高度な形而上学的な想念にまで高められた宗教があったことは驚きでした。
「世界の実相は二元論を超えており、個体は心がつくる概念構成から自由である。世界に確定したものなどはないが、すべての現象はそれ自体善である。存在は自ずと完成しているから、努力して何かを得ようとする病を絶って、無努力のままに止まるのが、わたしの教えである。」
アニミズムをベースとして持つ「ボン教」を第1層にして、現世否定の思想を第2層にセットした「鳥の仏教」は、例えば次のように教えます。
・この輪廻する世に本質はない。真実のない幻である。偽りの幻影としてつくられている。
・本質は空であり、生まれることもなく、滅びることもなく、とどまることもない。
・心をどこかに求めても見出すことはできず、探しても得ることはできない。
鳥の仏教の思想が少しでもこの現世に浸透していれば、今とは全く違った世になっていることでしょう。