団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

正義はある日、突然逆転する

2014-10-16 12:39:00 | 日記
先日も やなせたかしさんのことを書きましたが、今日も先週日曜日の中日新聞に特集された やなせさんの記事について書きます。

「正義はある日、突然逆転する」

 アンパンマンの原点は、やなせさんの戦争体験だ。
22歳で入隊し、やがて日中戦争のため暗号班として中国へ。
「正義の戦い」と教えられたが、終戦後は
「日本軍は中国民衆を苛めた」といわれ、
「正義はある日、突然逆転する」と悟る。


弟の死にちなんだイラスト




やなせさんの特攻隊員だった弟さんは、戦地に向う途中、輸送船ごと撃沈されて戦死したという


海彦・山彦

<前略>

ぼくは今でも
海をみるたびに
かなしみとなつかしさのいりまじった
心になる
海彦
千尋
おとうとがそこにいる
つぶらな眸をして
いくぶんまぶしそうに
はにかみながら
おとうとがそこにいる
ぼくはいまだに生きながらえているが
海に指をひたせば
その海の中に
おとうとがいる
海彦


   「やなせたかし おとうとものがたり」
           (フルーベル館)より





絶望のとなり

絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
  誰ですか」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
  希望です」

 
   「希望の歌」(フルーベル館)より

父の病死、母との別れ、育ての親の伯父の死、弟の戦死_ _ _ 。
幼いころから、幾度となく肉親との別れを経験したやなせさん。
 5歳の時、単身赴任中の父が病死。以前からの約束で弟は伯父の養子に。
やがて母の再婚により、やなせさんも7歳で伯父さんに引き取られる。
養子だった弟は奥の部屋で伯父夫婦と川の字で眠り、やなせさんは
玄関横の書生部屋で寝起きしていたという。
その弟も戦争で若くして亡くなる。



「顔をあげるアンパンマン」

 ひもじい人に自分の顔を食べさせ、力が出なくなってしまうアンパンマン。
きわめて異色のヒーローといえる。


<飢えることが一番ツライ>


兵隊時代には食糧が乏しくなると、
タンポポなどの野草を食べていた。
「人間にとって最もつらいのは飢え」。
そして「逆転しない正義とは何か」を考え続け、
「ひもじい人にパンをさしだす」という答えに
たどりつく。






<奇跡の一本松への思い>

 大切な人との別れは幼少期だけではない。
94歳で天寿を全うするまでに、同世代の仲間たちは次々に世を去り、長年連れ添った妻にも
先立たれてしまう。
そんな境遇が、東日本大震災でたった1本残った岩手県陸前高田市の
「奇跡の一本松」へと特別な思いを寄せるきっかけとなる。



「人生は喜ばせごっこ」

ぼくは
人が笑うのを見るのが好きだ
馬も犬も笑っているようにみえる時もあるが
人間のように
声をたてて
涙をこぼして笑わない
人がいちばん人らしいのは
笑う時だ
だからぼくは人が人らしく
うれしそうに笑う声が好きだ
<以下略>


「わたしが正義について語るなら」
       (ポプラ社)より


 やなせイズムの中核は、人を喜ばせ、笑顔にすること。
アンパンマンが大ヒットしたのは70歳代。
34歳でフリーになった後、器用で仕事の速いやなせさんの元には
さまざまな依頼が舞い込み、「困ったときのやなせさん」と頼りにされた。
舞台美術、ステージ構成、作詞、放送作家、シナリオライターなどなんでも引き受けた。




<てのひらを太陽に>

 なかなかヒット作に恵まれなかったフリー時代。
たいして仕事がなくても見栄で徹夜していた。
ふと仕事机のそばの懐中電灯に手をあてると、
血の色が透けて見えて、この詩が生まれたという。









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コメント (6)
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