先日も やなせたかしさんのことを書きましたが、今日も先週日曜日の中日新聞に特集された やなせさんの記事について書きます。
「正義はある日、突然逆転する」
アンパンマンの原点は、やなせさんの戦争体験だ。
22歳で入隊し、やがて日中戦争のため暗号班として中国へ。
「正義の戦い」と教えられたが、終戦後は
「日本軍は中国民衆を苛めた」といわれ、
「正義はある日、突然逆転する」と悟る。
弟の死にちなんだイラスト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d2/b9df5c0823f6b154124bef97dd1c527a.jpg)
やなせさんの特攻隊員だった弟さんは、戦地に向う途中、輸送船ごと撃沈されて戦死したという
海彦・山彦
<前略>
ぼくは今でも
海をみるたびに
かなしみとなつかしさのいりまじった
心になる
海彦
千尋
おとうとがそこにいる
つぶらな眸をして
いくぶんまぶしそうに
はにかみながら
おとうとがそこにいる
ぼくはいまだに生きながらえているが
海に指をひたせば
その海の中に
おとうとがいる
海彦
「やなせたかし おとうとものがたり」
(フルーベル館)より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b2/2d47668ecc3c7ca2551c897096c40f6d.jpg)
絶望のとなり
絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
誰ですか」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」
「希望の歌」(フルーベル館)より
父の病死、母との別れ、育ての親の伯父の死、弟の戦死_ _ _ 。
幼いころから、幾度となく肉親との別れを経験したやなせさん。
5歳の時、単身赴任中の父が病死。以前からの約束で弟は伯父の養子に。
やがて母の再婚により、やなせさんも7歳で伯父さんに引き取られる。
養子だった弟は奥の部屋で伯父夫婦と川の字で眠り、やなせさんは
玄関横の書生部屋で寝起きしていたという。
その弟も戦争で若くして亡くなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/66/dca8eed20c815fd9f51f82382deadbad.jpg)
「顔をあげるアンパンマン」
ひもじい人に自分の顔を食べさせ、力が出なくなってしまうアンパンマン。
きわめて異色のヒーローといえる。
<飢えることが一番ツライ>
兵隊時代には食糧が乏しくなると、
タンポポなどの野草を食べていた。
「人間にとって最もつらいのは飢え」。
そして「逆転しない正義とは何か」を考え続け、
「ひもじい人にパンをさしだす」という答えに
たどりつく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/9a/c97628bb3dc4e11036211959060d71c1.jpg)
<奇跡の一本松への思い>
大切な人との別れは幼少期だけではない。
94歳で天寿を全うするまでに、同世代の仲間たちは次々に世を去り、長年連れ添った妻にも
先立たれてしまう。
そんな境遇が、東日本大震災でたった1本残った岩手県陸前高田市の
「奇跡の一本松」へと特別な思いを寄せるきっかけとなる。
「人生は喜ばせごっこ」
ぼくは
人が笑うのを見るのが好きだ
馬も犬も笑っているようにみえる時もあるが
人間のように
声をたてて
涙をこぼして笑わない
人がいちばん人らしいのは
笑う時だ
だからぼくは人が人らしく
うれしそうに笑う声が好きだ
<以下略>
「わたしが正義について語るなら」
(ポプラ社)より
やなせイズムの中核は、人を喜ばせ、笑顔にすること。
アンパンマンが大ヒットしたのは70歳代。
34歳でフリーになった後、器用で仕事の速いやなせさんの元には
さまざまな依頼が舞い込み、「困ったときのやなせさん」と頼りにされた。
舞台美術、ステージ構成、作詞、放送作家、シナリオライターなどなんでも引き受けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e5/1f4b8a0eea15b15ab96a462c8cb25e0c.jpg)
<てのひらを太陽に>
なかなかヒット作に恵まれなかったフリー時代。
たいして仕事がなくても見栄で徹夜していた。
ふと仕事机のそばの懐中電灯に手をあてると、
血の色が透けて見えて、この詩が生まれたという。
桑田佳祐 - 明日晴れるかな
「正義はある日、突然逆転する」
アンパンマンの原点は、やなせさんの戦争体験だ。
22歳で入隊し、やがて日中戦争のため暗号班として中国へ。
「正義の戦い」と教えられたが、終戦後は
「日本軍は中国民衆を苛めた」といわれ、
「正義はある日、突然逆転する」と悟る。
弟の死にちなんだイラスト
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/d2/b9df5c0823f6b154124bef97dd1c527a.jpg)
やなせさんの特攻隊員だった弟さんは、戦地に向う途中、輸送船ごと撃沈されて戦死したという
海彦・山彦
<前略>
ぼくは今でも
海をみるたびに
かなしみとなつかしさのいりまじった
心になる
海彦
千尋
おとうとがそこにいる
つぶらな眸をして
いくぶんまぶしそうに
はにかみながら
おとうとがそこにいる
ぼくはいまだに生きながらえているが
海に指をひたせば
その海の中に
おとうとがいる
海彦
「やなせたかし おとうとものがたり」
(フルーベル館)より
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/43/b2/2d47668ecc3c7ca2551c897096c40f6d.jpg)
絶望のとなり
絶望のとなりに
だれかが
そっと腰かけた
絶望は
となりのひとに聞いた
「あなたはいったい
誰ですか」
となりのひとは
ほほえんだ
「私の名前は
希望です」
「希望の歌」(フルーベル館)より
父の病死、母との別れ、育ての親の伯父の死、弟の戦死_ _ _ 。
幼いころから、幾度となく肉親との別れを経験したやなせさん。
5歳の時、単身赴任中の父が病死。以前からの約束で弟は伯父の養子に。
やがて母の再婚により、やなせさんも7歳で伯父さんに引き取られる。
養子だった弟は奥の部屋で伯父夫婦と川の字で眠り、やなせさんは
玄関横の書生部屋で寝起きしていたという。
その弟も戦争で若くして亡くなる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/13/66/dca8eed20c815fd9f51f82382deadbad.jpg)
「顔をあげるアンパンマン」
ひもじい人に自分の顔を食べさせ、力が出なくなってしまうアンパンマン。
きわめて異色のヒーローといえる。
<飢えることが一番ツライ>
兵隊時代には食糧が乏しくなると、
タンポポなどの野草を食べていた。
「人間にとって最もつらいのは飢え」。
そして「逆転しない正義とは何か」を考え続け、
「ひもじい人にパンをさしだす」という答えに
たどりつく。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/9a/c97628bb3dc4e11036211959060d71c1.jpg)
<奇跡の一本松への思い>
大切な人との別れは幼少期だけではない。
94歳で天寿を全うするまでに、同世代の仲間たちは次々に世を去り、長年連れ添った妻にも
先立たれてしまう。
そんな境遇が、東日本大震災でたった1本残った岩手県陸前高田市の
「奇跡の一本松」へと特別な思いを寄せるきっかけとなる。
「人生は喜ばせごっこ」
ぼくは
人が笑うのを見るのが好きだ
馬も犬も笑っているようにみえる時もあるが
人間のように
声をたてて
涙をこぼして笑わない
人がいちばん人らしいのは
笑う時だ
だからぼくは人が人らしく
うれしそうに笑う声が好きだ
<以下略>
「わたしが正義について語るなら」
(ポプラ社)より
やなせイズムの中核は、人を喜ばせ、笑顔にすること。
アンパンマンが大ヒットしたのは70歳代。
34歳でフリーになった後、器用で仕事の速いやなせさんの元には
さまざまな依頼が舞い込み、「困ったときのやなせさん」と頼りにされた。
舞台美術、ステージ構成、作詞、放送作家、シナリオライターなどなんでも引き受けた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/e5/1f4b8a0eea15b15ab96a462c8cb25e0c.jpg)
<てのひらを太陽に>
なかなかヒット作に恵まれなかったフリー時代。
たいして仕事がなくても見栄で徹夜していた。
ふと仕事机のそばの懐中電灯に手をあてると、
血の色が透けて見えて、この詩が生まれたという。
桑田佳祐 - 明日晴れるかな