団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

何か寒々とした思いです。

2016-07-23 05:43:01 | 日記
 昨日の中日新聞に大橋巨泉さん「遺言」という題で先日亡くなった大橋巨泉さんを取り上げられていました。


 巨泉さんは最終回で自らの症状と薬で体調を崩したことを説明し、1994年に「内遊外歓」という題で
始まったこのコラムを続けるのが困難になったと報告した。
「今も恐ろしい事や情けない事、恥知らずな事が連日報道されている。
書きたい事は山ほどあるのだが、許して下さい」と読者に謝罪。
「しかしこのまま死んでも死にきれないので、最後の遺言として一つだけは書いておきたい」
として「安倍晋三(首相)の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に
一泡吹かせてください。七月の参院選挙、野党に投票して下さい。
最後のお願いです」と記した。

 この「遺言」をどう読むか。
週刊現代編集部は「読者の皆さんにお任せしたい」とだけ話す。

 「巨泉さんの世代は戦後、二度と戦争を起こしてはならないという強い思いから出発した。
彼らにとって現行憲法は心のよりどころとすべき規範なのに、今、安倍政権によって
急激に崩されつつある。
その憤りが最も激しい形で表現されている」と受け止めるのは、
月刊誌「創」の篠田博之編集長。
改憲勢力が三分の二を占めることになった今回の選挙結果を巨泉さんが知り得たか不明だが、
篠田さんは「さぞ無念だろう。永六輔さんなど戦争を知る世代が次々と亡くなる中、
本当にこれでいいのか。遺言は今の世代に対する警鐘だ」と語る。

 親交があった旧民主党の元衆院議員の手塚仁雄氏は巨泉さんについて
「『安倍首相は日本をどこへ連れていくつもりなのか』と危惧されていた」
と振り返る。
巨泉さんは2001年7月の参院選で旧民主党から出馬して当選したが、
安保政策で党執行部と対立して半年で辞職した。
それを批判する人もいたが、手塚氏は「平和憲法を守ろうとする強い思いから筋を通したのでしょう」
と巨泉さんを擁護する。

 かっての人気テレビ番組「11PM」の元プロデューサーで05年に結成された護憲派組織
「マスコミ9条の会」メンバーの仲築間卓蔵さん(84)は「巨泉さんは積極的に(会の)
呼びかけに加わってくれた」と振り返る。
「NHKは言うに及ばず、権力を批判するはずの民放でも、政権に批判的な報道番組の
キャスターを降板させた。「何をやってるんだ」との思いが強かったのではないか」
と巨泉さんの心中をおもんばかり「視聴者を楽しませつつ、社会性のあるトークができる
人はもう出てこないのでは」と残念がる。

 元放送作家の今村庸一・駿河台大教授(映像メディア論)は
「1980年代後半『ニュースステーション』など民放で新しいテレビジャーナリズムを
作る機運が生まれ、若手の論客が何人も登場した。
彼らはテレビで有名になると政治の世界に参入したが、何の成果も残さなかった」と指摘する。
巨泉さんもその一人として「参院議員として何もできなかった自分自身を、
誰よりも自覚していたのではないか」と分析し「遺言」をこう読み解く。

 「世界的に政治状況が複雑化し、民主主義が危機にひんしている。
だが、日本のテレビはいまだに娯楽と広告の呪縛から抜け出せず、政治・社会的に
必要な仕事をしていない・・・。
テレビの効果と限界を最もよく知る巨泉さんは、そう痛かったのではないか」


 以上です。


 私が大橋巨泉さんに一番感化されたのは、56歳でセミリタイアされたことです。
新しい生き方を提案されたことです。

「4月から5月は日本で過ごしている。ただし最近、5月はヨーロッパ旅行をすることが多くなった。
毎年とまで言わないが、3年に2回くらいである。その場合、春の日本は5月の連休までいて、
ゴールデンウィーク明けから、6月の10日くらいまでヨーロッパを旅することとなる。

6月から9月の半ばまでは、カナダで過ごす。夏のカナダは、とにかくすばらしい。飽きることがない。

そして、秋になると日本へ戻ってくる。といっても、9月の半ばから10月いっぱいまでだ。

11月には4週間ほどオーストラリアへ行き、12月から3月の初めまではニュージーランドの夏を満喫する。
3月にはまた3週間ほどオーストラリアへ行く。

そして春の訪れとともに日本へ戻ってくる。そうやって、一年が回っていく。
と記述されています。」


 いつも体に良い気候の場所で過ごす。
まさに優雅な生活です。
早めにセミリタイアをして人生を楽しむ。
これを最初に実践されたのは大橋巨泉さんなのでは。
真似できませんでしたが、真似したかったです。(笑)

 若い頃、日曜日の朝 大橋巨泉さんと今の奥様 浅野寿々子さんの音楽番組を
ラジオで放送していました。
毎週楽しみに聴いていました。

ところがこのおじさん、35歳の巨泉さんが当時21歳の奥様を誘惑して結婚してしまうんですね。(苦笑)
とんでもないおっさんだと思いました。(笑)
結婚47年、後3年で金婚式を迎えることができなかったのは残念だったでしょうね。


 永六輔さん、大橋巨泉さんと次から次へと護憲派の有名人が亡くなっています。
何か寒々とした思いです。







松山千春「恋」「旅立ち」「銀の雨」「季節の中で」「人生の空から」
コメント (6)
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