団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

隣のおやじは吹き飛ばされて電柱に食い込んだ。

2016-07-25 04:39:12 | 日記
最近の涼しさは異常です、とても7月後半の気温と思えません。
これじゃ、夏風邪もひきますよね。(苦笑)


1昨日の中日新聞に中日新聞編集局長が「惜しまれる人たち」という題でコラムを書かれています。

 <子供 叱るな/来た道だもの
  年寄 笑うな/行く道だもの>

 この言葉を、どこかで耳にしたことはありませんか。
優しく含蓄のある名文句です。

 もともとは愛知県犬山市の街角にある掲示板のビラに、
たどたどしい文字で書かれていました。
それに目を留めたのが永六輔さんです。
自著の「無名人名語録」(1987年)の冒頭で紹介したことから、
知られるようになりました。

この本の中で永さんはこんなことを語っています。
有名人の名語録はいくらでもあろうが、巷に生きる無名の人々の
言葉は記録されない。
「しかし旅暮らしのなかで僕の耳に入ってきた無名人の言葉の重みは、
有名人のそれと少しも変わらない」

  その永さんの訃報が伝えられました。
テレビから流れる「上を向いて歩こう」に小さく声を合わせた人もいることでしょう。
そしてこれで三人とも逝ってしまったとさびしさを覚えます。
永さん、野坂昭如さん、小沢昭一さんというかっての「中年御三家」です。

 個性豊かな三人はいずれも昭和一桁の生まれで、戦争を体験しました。
永さんは長野県に疎開し、野坂さんは空襲に遭いました。
二人は最後まで不戦を訴え、憲法の行方を気にかけていました。

 小沢さんも晩年、「戦争を語っておきたい」と言っていました。
 「隣のおやじは吹き飛ばされて電柱に食い込んだ。
戦争なんて人殺しでしかないってことを、具体的に知ってるものが、
話しといた方がいいかなと思ってね」

 三人は、巷に生きる人を楽しませ、励まし、巷の人の心で
平和を大事にしていたのでしょう。
永さんを敬愛し、やはり平和の行方を案じた大橋巨泉さんも永眠しました。

こんな時代だから一層惜しまれる人の旅立ちが続きます。


 私は40代の時に半年近く椎間板ヘルニアで入院していました。
ラジオの永さんの「誰かとどこかで」とか、小沢昭一さんの「小沢昭一的こころ」は、
いつも聴いていました。

「戦争なんて人殺しでしかないってことを、具体的に知ってるものが、
話しといた方がいいかなと思ってね」と、小沢さんが語っておられたようです。

私は戦後生まれですので、この三人の方のような戦争体験がありません。
それは幸せなことだと思いますが、戦争の悲惨さを身をもって体験していないので、
戦争の恐ろしさや悲惨さを息子や娘、孫たちに伝えることができません。

この三人の方プラス大橋巨泉さんが亡くなってしまったということは、戦争の悲惨さを伝えることができる
方を失くしてしまったということです。
日本にとって、大きな損失だと思います。





青春2 松山千春
コメント (10)
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