団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

何度も振り返り手を振る二人の姿がありました。

2019-02-26 03:41:57 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に60歳の女性が「両親の後ろ姿」というタイトルで投稿されていました。


 20年前の12月、私は突然、夫を亡くしました。
子どもはなく、想像もしていなかった一人の生活は、
美しいものを見ても美しいとは思えず、悲しいニュースを聞いても悲しいとは思えず、
何の感情もないままに時間だけが流れていきました。

 外に出れば、華やかなクリスマスイルミネーションの中、幸せそうに買い物をする家族ばかりに目が行き、
逃げるように帰りました。

 誰とも会いたくなく、引きこもりがちになった私を静かに見守り、そっと助けてくれたのは実家の両親でした。

 ある寒い日、父の自転車に母の手作りおでんを載せ、二人で届けてくれました。
実家から私のマンションまで歩くと片道約1時間。
おでんの他に果物もあり、すでに70歳を超えていた父には重い荷物だったはずです。

 「体に気を付けて」とだけ言い残し、自転車を引きながら帰る両親をベランダから見送りました。
何度も振り返り手を振る二人の姿がありました。
親に心配をかける自分に涙が止まりませんでした。

 あれから20年。
主人がいない生活は相変わらず心細く、寂しさが消えることはありません。
でも、ベランダから見た後ろ姿は、今の、そしてこれからの私を強くしてくれるのです。


以上です。



>美しいものを見ても美しいとは思えず、悲しいニュースを聞いても悲しいとは思えず、
何の感情もないままに時間だけが流れていきました。

 最愛の連れ合いを亡くすということは、人間にとって最大のストレスのようです。
心が死んでしまうという状態もわかるような気がします。


>「体に気を付けて」とだけ言い残し、自転車を引きながら帰る両親をベランダから見送りました。
何度も振り返り手を振る二人の姿がありました。

 幾つになっても、親はありがたいものですね。
私も椎間板ヘルニアで半年近く入院していた時に、目が不自由な母親がお見舞いにきてくれました。
まもなく50を迎えようとしていましたが、母に心配かけて申し訳ない気持ちと
ありがたい気持ちがいっぱいでした。
母親の無償の愛を感じました。








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コメント (6)
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