団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

「今はハゲて、昔の面影がない」と言いました。

2025-01-15 03:39:16 | 日記
 中日新聞の「くらしの作文」に「年賀状が繋いでくれた友情」というタイトルで、57歳の女性が投稿されていました。

 なっちゃん、私たち49年ぶりにようやく再会できたね。

 なっちゃんは、小学校の同級生。

 小学2年生の途中で、浜松へ引っ越しました。

 小学生の頃は、1年に何度も手紙を書きましたが、だんだん回数が減り、ついに年賀状だけになってしまいました。

 それでも、なっちゃんの年賀状は、必ず元旦に届き、一筆添えられた温かい年賀状です。

 年賀状だけの繋がり。

 年齢を重ねるうちに、会いたい気持ちが増してきました。

 このまま会えずに終わってしまうのは、心残り。

 もし、なっちゃんも同じ気持ちなら、連絡くれるかもしれない。

 そんな想いをしたためて、数年前、私は年賀状に携帯番号を書きました。

 そして昨年の11月、携帯番号を使ったメールが届きました。

 「会いませんか?」と。

 嬉しくてすぐに会う約束をしました。

 再会の日。

 「なっちゃん?」

 「みきちゃん?」。

 まるで大切にしまっておいた宝箱を開けたような瞬間でした。

 なっちゃんの笑顔は小学2年生の時から変わっていません。

 遠い昔の思い出話をし、タイムスリップした私たち。

 帰るころには、随分若返っていました。

 これから小学生の時以上に仲良くなれそうです。

 私たちを繋いでくれた年賀状に感謝です。

 以上です。

 今年貰った年賀状の中に、会社時代いつも寄り添ってくれた親友から年賀状仕舞いが届きました。

 いつもなら綺麗な字で一言書かれているのに。

 3年前の年賀状には「1度会いたいね」と、書かれていたのに。

 何か身体を悪くしたかなと思い、彼の電話番号を調べ電話しました。

 最初娘さんらしい方が出たので、取り次いでもらいました。

 彼の元気な声が届きました。

 何も体調は悪くなく、今でも嘱託として4日働いていると言いました。

 74歳になっても働かせてもらえるなんて、会社から信頼されているんだなと思いました。

 「どうして、年賀状仕舞いをするんだ」と、言ったところ、去年N先輩から年賀状仕舞いが着た。

 「俺もそろそろと思い、年賀状仕舞いをした」と、言いました。

 私は今年も会社時代のN先輩に年賀状を出しています。

 電話の後で年賀状を探してみると、N先輩から去年も一昨年も着ていませんでした。

 年賀状仕舞いが着ていないので、今年もN先輩に年賀状を出しました。

 N先輩に電話したら「3年前心筋梗塞で死にそうになり、年賀状仕舞いを出した」と、言われました。

 「僕には届いていない」と、言いました。

 今は車椅子状態で、ディ・サービスに3日行かれているそうです。

 また日を改めて電話しようと思いました。

 話は元に戻して「一度会おうよ」と、言ったところ「いいよ、でも俺の事分からないよ」と、言いました。

 「今はハゲて、昔の面影がない」と言いました。

 彼の若い頃、長身で髪は長めのカッコいい男で、女の子にモテモテでした。

 本人もモテると自覚していたようです。😄

 私も顔は昔の面影がありますが、歩く姿は年寄りそのものです。

 まあ、私は分かるでしょう。

 彼の会社時代の友人も呼んで、春頃一度会いたいと思います。

 彼とは会わなくなって、30年近くになります。

 暇な私が音頭を取らねばと思っています。



ザ・スパイダース 『あの時君は若かった』 1968年
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 孫の指摘で、靴の空き箱が整... | トップ | 次の記事へ »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事