団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

ドライ・アイの為、涙はほとんど出ないのですが。

2014-01-25 16:28:33 | 日記
今日は3月ぐらいの陽気です。

一昨日眼科に行ったのですが、先生が涙液層破壊時間(BUT)の検査をされました。
これは目の表面を覆っている涙が、どのくらいの時間で乾燥し始めるかを調べる検査です。
私はなんと一秒で乾燥してしまいました。
まばたきを止めて、真っすぐ正面を見ていると、しだいに目の表面が乾いて色素が消える部分が出現します。この時間をBUT(Tear Break Up Time)と呼び、10秒以上が正常、5秒以下ならドライアイの可能性が高いようです。
私は完璧にドライ・アイのようです。
以前シルマー試験を受けたことがあります。
シルマー試験とは、涙の量を調べる検査のことで、規格に合った細い濾紙を下眼瞼(まぶた)の中央と耳側1/3位置の中間に引っ掛けて、5分間で濾紙がぬれる長さを測定します。濾紙をひっかけるのが少し手間取りました。目が小さいせいでしょうか?(笑)
10mm以上が正常、5mm以下はドライアイの可能性が強いようです。
これも片目は2mmで、もうひとつの方はなんと0mmでした。
ドライ・アイのため、涙が出ないようです。(苦笑)

今朝 NHKの朝ドラ「ごちそうさん」を視ました。
西門家のお父さん正藏(近藤正臣)が、朝方亡くなっているシーンを放映しました。
奥さんお静が「お父さんが明日の食事は何だろうな?と、楽しみにされていた」と言われた時、
私の目から涙が溢れてきました。
かみさんも横で視ていましたのでかみさんにわからないように、そっと机にあるティッシュで涙を拭きました。
こんなシーンは、ドライ・アイの私も涙が溢れるんですね。
ドラマの死のシーンでは泣けるんですが、実際の両親の死では泣いていません。
これから準備しなくてはいけない葬儀のことが頭を占め、泣いている余裕などないからかもしれません。



「愛とは決して後悔しないこと」という名セリフで当時の若者達の心を揺さぶりました。(笑)Andy Williams -(Where Do I Begin?) Love Story (1971) ある愛の詩
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「木乃伊」、何のことかさっぱり分かりませんでした。(苦笑)

2014-01-24 17:10:17 | 日記
今朝は宿直明けでした。氷点下だったようで、玄関先の窓ガラスに霜がいっぱいおりていました。
車のフロント・ガラスが凍って見えないと夜勤のナースさんやワーカーさんが言われたので、ランドリーで湯をバケツいっぱいに汲み、車のフロント・ガラスめがけて力いっぱいかけてやりました。
みるみるフロント・ガラスの氷が解けました。
力いっぱいフロント・ガラスに湯をかけると、なんだか気持ちがすっきりしますね!

読まれた方はスルーしていただきたいのですが、先日の中日新聞(東京新聞)の夕刊に大学院教授のコラムが載っていました。
その一部から。

 ある編集長の失敗談。
「木乃伊」の文字を登場人物の名字と勘違いして、「キノイ氏の動きが足りない」と作家を批判した話だが、
正直言って、私には笑えなかった。私も「木乃伊」を「ミイラ」と読むことを知らなかったからだ。

 私も66年間知りませんでした。(笑)
「木乃伊」を「ミイラ」と読むんですね!
ネットで由来を調べますと、

ミイラを漢字で書くと「木乃伊」。語源は諸説ありますが、もっとも有力な説はポルトガル語の“mirra”から来ているというもの。これは北アフリカ原産のカンラン科の潅木からとれるゴム樹脂のことで、古代エジプトのミイラ作りの際にも利用されていました。また、瀝青(アスファルトのようなもの)を指すアラビア語「ムンミヤ」から来たという説もあり、こちらはミイラの顔の色が瀝青を塗った色に似ていることから、ということからきたとする説です。ちなみに、古代エジプトでは「崇高なる者、威厳ある者」という意味の「サアエフ」と呼ばれていました。
さて、漢字の「ミイラ」の由来ですが、上記の記述を読むとすぐに分かってしまうぐらい、単純な意訳的な当て字です。つまり「木乃伊=木の人」という意味。「木」は例のmirra樹脂の原料となる木のこと。「伊」のつくりの「尹」は、手に杖を持った様子を表した象形文字のことで、本来は杖を手にした部族の長を表していました。その後、社会の拡大により、特別な技能や管理能力のある人のことをさす様になりました。たしかに、エジプトのミイラといえば、手に杖を持った支配者、というイメージがありますね。

ようするに当て字なんですね!
当て字としては、あまり出来のよくない当て字のように私は思いますが。(笑)



空よ  トワ・エ・モア
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失礼ですが、どうしても明治生まれとは思えませんでした。

2014-01-22 13:17:24 | 日記
一昨日 税務署へ確定申告に行きました。
混み合っているとのことで、控え室に通されました。
控え室で用紙を渡され、名前、住所、生年月日、医療費の計を記入して順番を待っていましたら、
見た目80代そこそこの男性が控え室に入ってこられました。
受付の女性に用紙を渡されると、「よく目が見えないが」と、言われました。
受付の女性が「お名前と住所なんですが」と、言うと
「名前ぐらいなら書ける」と言われて、メガネを外し書き始められました。
メガネを外すということは、老眼かも知れません。
老人が受付の女性に「明治がないのだが」
生年月日の欄に明・大・昭・平が印刷されていていますので、該当するところに◯をうつのですが、
印刷された明治の明の字が小さくて見えなかったようです。

明治,明治45年生まれとしても102歳、そんな筈がない!と心の内で思いました。
もし102歳の方でしたら、仮に確定申告に来られたとしても、誰かが付き添うだろう。
杖なしで一人で来られるほどですので、この男性 生年月日を間違えているのでは?と思いました。
名前を呼ばれて、確定申告の部屋に行き、相談員とのやりとりが始まれば、まずは生年月日がほんとうに正しいのか聞かれると思いました。
失礼ですが、どうしても明治生まれとは思えませんでした。




「イルカ 雨の物語」 静岡に長期出張している時に、よく聴いた覚えがあります。私は東海地方に愛着がありますので、静岡の関東重視の姿勢が気にいりませんでした。(苦笑) 特に野球の放送はジャイアンツ一本槍ですので、それも馴染めませんでした。(笑)
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自宅で死ぬのも考えものです。

2014-01-21 05:55:45 | 日記
昨日は宿直明けでしたので夜の9時すぎには眠りましたが、あまり早く寝るのも考えもので、夜中に何度も目が覚めてぐっすり眠ることができませんでした。
若い頃は次の日が休みという時は翌日の昼頃までは平気で眠っていましたが、今は無理です、眠るって体力もいりますし。(笑)
年寄りが朝早く起きてしまうのが、分かるようになりました。(苦笑)

この前の日曜日は、特別擁護老人ホームの宿直でした。
日曜日は何か問題が起きなければ職員さんも早く帰られるので、今夜は早く眠ることができるかなぁと思っていました。
ところが入居されていたご婦人が心臓停止で亡くなってしまわれたのです。老衰によるものでした。
最近は寒さが厳しいので館内は暖房が効いていますが、亡くなられる方が多いです。
病院で亡くなる場合はよいですが、施設で亡くなると事故があったかどうか警察が事情徴収にやってきます。
この日も二人警察官がやってきて、担当したワーカーさんや責任者に事情徴収されました。

以前 息子の嫁さんの実家でおばあさんが亡くなられた時も、警察官がやってきてお父さんが事情徴収されたようです。
おばあさんは90歳を越えられていましたが、あれこれ長い間質問されたようです。
警察官は何かあったかも知れないと疑うようです。
年寄りになると自宅で死にたいと思う人が多いですが、自宅で死なれると家族が警察にいろいろ聞かれて大変だなぁと思ってしまいます。
私の母は病院で亡くなりましたので、当然警察官から事情徴収を受けることもなくすみました。



由紀さおり/生きがい (1970)
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まさかノーベル賞を受賞した憲法九条を簡単には改憲出来ないでしょう。

2014-01-19 09:38:11 | 日記
昨日の中日新聞に「9条にノーベル賞を」というタイトルで神奈川県の女性が紹介されていました。

 「憲法九条に平和賞」のアイデアを思いついたのは、神奈川県座間市の主婦 鷹巣直美さん(37)。
一昨年、欧州連合(EU)が「地域の統合により、国家の和解と平和を進めた」として平和賞に選ばれたことから、
「戦後七十年近くも日本に戦争をさせなかった九条にも資格がある」とひらめいた。
安倍政権が改憲への動きを活発化する中、「受賞すれば九条を守れる」と思ったことも大きかった。
 「社会問題に無関心な学生」だった鷹巣さんを変えたのが、留学先のオーストラリアで出会った各国の難民だった。
戦火や暴力で心身共に深く傷つき、それでも立ち上がろうとする姿。
 「戦争に巻き込まれずにすんでいるのは平和憲法のおかげだ」と実感した。
 七歳の長女と一歳の長男の子育ての傍ら、昨年一月からネット上で「九条にノーベル平和賞を」という
キャンペーンを始めた。
集めた署名は、ノルウェーのノーベル委員会に随時送った。しかし、委員会からはメールで「個人か団体に授与するもので
憲法のように抽象的なものは候補になれない」との返信があった。
九一年に「第九条の会」を米国で立ち上げたオハイオ大名誉教授のチャールズ・オーバービー氏(87)が過去に
推薦しようとしたが、鷹巣さんと同じ理由で委員会から断られていた。
 鷹巣さんは諦めなかった。思案の末、「九条を保持している日本国民」という枠組みを考えつく。
鷹巣さんが地元の団体に話したところ、賛同する市民らによる実行委員会が昨年八月に発足した。
石垣義昭共同代表(72)と、メンバーの岡田えり子さん(53)は「最初は受賞なんてできるのかと感じたが、
署名を集めるうちに、それだけの価値が十分にあると確信するようになった」と口をそろえる。

 ノーベル平和賞のノミネートには、推薦人が必要となる。資格があるのは各国の国会議員や閣僚、大学の学長、
社会科学や歴史学など一定分野が専門の教授。
平和や外交政策の研究所長、国際裁判所裁判官、過去の受賞者やノーベル委員会の関係者も有資格者だ。
 「実現性はある」と大学教授らに協力を呼びかけると、推薦人が集まり始めた。
その一人、、勝村弘也・神戸松陰女子学院大教授(聖書学)は「戦争に直接関わらない国は世界で珍しい。
それを改憲で崩そうとする動きに、若い人の関心が希薄すぎると感じる。
こうした活動は日本社会がよって立つ土台を見直す機会になる」と評価する。
 ノーベル平和賞の推薦締め切りは二月一日。昨年は二百五十九の個人・団体がノミネートされた。
多くの推薦人が多様な理由で推薦することと、賛同する人の署名が多いほど、委員会へのアピールになるという。
詳しくは「「憲法9条にノーベル平和賞を』実行委員会」の署名サイト(http://chn,ge/1bNX7Hb)へ。


この鷹巣さんって、頭がいいですね!
第九条が安倍内閣によって改憲されようとしているにもかかわらず、何も打つ手がないと思っていました。
が、「憲法九条がノーベル賞」受賞となれば、安倍内閣もちょっと困ったことになると思います。
まさかノーベル賞を受賞した憲法九条を簡単には改憲出来ないでしょう。
私も署名しようと思います。






池上線 西島三重子 1996 詞:佐藤順英 曲・西島三重子 昭和51年1976
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