団塊世代おじさんの日常生活

夏 日本で二番目に気温が高く、陶器と虎渓山と修道院で知られる多治見市の出身です。

真っ先に逃げなくてはいけないことを悟りました。

2025-01-17 02:52:27 | 日記
 中日新聞の読者投稿欄に「地震 経験から得た教訓」というタイトルで、90歳の男性が投稿されていました。

 戦時中の1944年12月7日午後の昭和東南海地震のとき、私は今でいう小学校4年生でした。

 現三重県いなべ市の学校にいて教室が突然揺れました。

 休み時間だったため級長の私は先生の指示をもらおうと思い1人で職員室に向かって教室を飛び出しました。

 廊下に出たら船が大波で揺れるかのように床が左右に傾いていました。

 歩くのがやっとで何とかたどり着いた職員室は無人。

 窓越しに先生らが校庭に避難しているのが見えました。

 そこで私が教室の皆に避難するように伝えようとして教室に戻ったら、既に避難した後でした。

 私は慌てて校舎の外に出ましたが、揺れはまだ続いていました。

 これが私の地震への恐怖を覚えた原体験。

 真っ先に逃げなくてはいけないことを悟りました。

 以上です。

 級長という責任感から先生に指示をもらおうと考えられたようですが、先生たちも避難されていて、教室に戻ったら教室の皆も避難していた。

 投稿者さんが、一番逃げ遅れたんですね。

 それでも無事で良かったですね。

 まずは先生の指示を受けようと思わずに、級友たちと一目散に校庭へ逃げるのが大事でしたね。

 投稿者さんもこの原体験で、真っ先に逃げなくてはいけないことを学ばれたようです。

 それからは地震が来れば、真っ先に安全な場所に逃げられたと思います。

 指示待ちは、手遅れになりますね。

 東北大震災で先生方がどこへ逃げようかと校庭で30分も話し合っているうちに、津波が襲い亡くなった生徒さんたちが大勢いらっしゃいました。

 その中でも先生の指示を待たず、山に登り助かった生徒さんたちもいらっしゃったようです。

 生徒でも緊急の場合は指示を待つのではなく、自分で判断し安全な場所に逃げるのが大切ですね。

 私がここの小学校の生徒だったら、恐らく逃げ遅れたでしょう。

 先生の指示を待っていたでしょうから。

 今でも頭が堅い傾向がありますが、小学校の時はより頭が堅く融通が利きませんでしたので。




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コメント (2)
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