風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

映画/Get Out

2018年04月29日 | 映画


おもしろいです。
ジャンルは、ホラーとサスペンスの中間です。社会派の要素も。
さて物語は、
白人女性・ローズは、恋人クリスが黒人であることを家族に隠したまま彼を実家に連れて行きます。
彼女の実家は、ニューヨーク郊外の高級住宅街で広大な敷地を持つ豪邸でした。
母は、心理学者で催眠術を操り、父親は脳外科医、息子も医者です。
家族はオバマ三選があれば彼を支持すると言うのに、黒人の庭師とメイドの使用人がいるのです。
ローズの家族は、二人につきあい始めてどのくらいかと聞きます。
すぐ「おかしい」と思います。家族に恋人のことを全く話していないなんて…。
半年ほどと二人は答えます。
映画は、以後も、二人がつきあい始めた経緯などは全く触れません。
しかし、実は、家族は彼のことを詳細に知っていたのです。
夫は、妻に催眠術をかけられ禁煙させられたと自慢気に話します。
こうして、はじめから彼に催眠術をかける様々な暗示をかけているのです。

彼女は、クリスが気がつかないうちに催眠術をかけ、彼の深層を探り出します。
私は、実は家族は黒人に偏見を持っていて、術策を弄して二人の中を割くのが目的と思い始めました。
翌日、彼に黙って準備した家族の知人の集まり・パーティが開かれます。
皆胡散臭そうで怪しげで金持ちの白人ばかりです。
一人だけいた若い黒人男性の脇には彼の倍以上の年配の白人女性がしだれかかっていました。
別の初老の女性は、「たくましいのね」とクリスの体をなめ回すようにさわるのでした。
こんな怪しい空気なのに、ローズは帰ろうとは言いません。
このあとの展開は、サスペンスですから………。
何度も催眠術をかけられ、恐怖に襲われ始めたクリスは、ふと紙箱を目にします。
そこには、ローズが、二人の黒人使用人をはじめ何人もの黒人と二人で写っている写真が
何枚も入っていました。
最後はあっと驚く結末です。
この映画は、いろいろな読み方が出来る映画と思います。
やはり根本は、アメリカ社会に今なお根付く白人の黒人への強い偏見・差別があります。
そして、裕福なアメリカの「上流」階級のもつ傲慢さと恐ろしさです。
蛇足ですが、監督のジョーダンはクリスが射殺されるところで映画の終わりを考えていたそうですが、
トランプの大統領の当選で、それをやめて彼を生還させることにしたそうです。  【4月23日】




映画/Eternite「永遠の花たちへ」

2018年04月24日 | 映画


何とも退屈な映画でした。
舞台は19世紀末というのですが、ほとんど現代の感じ、貴族ブルジョアの家の女性達の物語。
ストリーと言えるものは無く、ただ結婚し、子どもを産み、死んでいくのを情緒的に綴るだけです。
貴族ブルジョアですから、家事などは召使い、生産的なことと言えば子どもを産むだけ、
それを「愛と悲しみの珠玉の人生賛歌」とは、なんと空々しい。
最後は、現代のパリ、エッフェル塔の見える橋で抱き合う男女、大なる蛇足でした。
邦題も原題(永遠)も、大げさで陳腐。
オドレイ・トトゥ主演だけが楽しみというだけの映画でした。
グレイの髪の彼女がすこしだけ登場しましたが、老婆姿の映像はなしでした。
 【4月16日】


映画/婚約者の友人[FRANTZ]

2018年04月20日 | 映画

面白かったです。ミステリーですが、謎解きより、人間への深い共感を感じました。
時代は、第一次世界大戦後のドイツとフランス、長い間争いをして来た両国民は相互に憎しみ合って来ました。
ストーリーはそんなに複雑ではありません。時々色彩が入りますが、ほとんどモノクロで、
この質素な感じの映像がサスペンスを醸します。
アンナ役のパウラ・ベーアは超美人とも言えませんが、吸い込まれるように美しく、魅力的です。
一方、彼女の婚約者・FRANTZを戦場で殺したことで深く心に傷を負い、精神を病んでいるアドリアン
の危うさははらはらです。
彼の後悔、出口のない苦悩、虚無の気持ちが共感と恐ろしさを与えます。

アンナとアドリアンは最後には、お互いを理解し和解します。
アンナは、婚約者・フランツの呪縛から自己を解き放ち、フランスに留まり、自立します。
いくつかの映画評は、この映画を「嘘」で論じていますが、私は、そうは思いませんでした。
どこまでが真実、嘘なのかの謎解きは関係ありません。
私は、この二人をフランスとドイツに置き換えました。
戦争直後、両国国民はお互いを憎しみ、愛国心に支配されます。
フランツの父親は言います。若者を戦争に送ったのは、我々親世代だ、と。
一時、独・仏は和解しますが、その後の第二次世界大戦でまたもや殺戮し合います。
ヨーロッパは有史以来、争い・侵略・殺戮・戦争の繰り返しの歴史です。
そして、今やっとEUで両国は一つのヨーロッパに行き着きましたが、「移民」問題で亀裂、憎悪、
排外主義的ナショナリズムという「妖怪」が徘徊し始めています。
自殺を試みたアンナとアドリアンは、ルーブルのマネの絵・「自殺」で生きる希望をもらったと言います。

この絵に、衝撃的ですがそんな力・意味があるのか私はわかりません。
制作者は、そのことにどんなメッセージを込めているのでしょう。 【4月16日】

映画/蝶の眠り

2018年04月16日 | 映画

2018年4月12日舞台挨拶付きプレミア試写会券が当たり見に行きました。
場所は、新宿4丁目にある角川シネマ新宿・シネマ1、座席数は400とのことですが65%ほどの入りでした。
上映前、中山美穂、勝村政信、永瀬正敏、チョン・ジェウン監督らの挨拶などが30分ほどありました。
 引用
スチール撮影のものすごいフラッシュに驚きました。光が強すぎて、公表されたスチール写真の出来は良くないです。
出演者の舞台挨拶を見るのは初めてでしたが、華やかさは感じませんでした。
わたしの好きな永瀬正敏さんの服装が良くなく残念でした。
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第22回(2018年)釜山国際映画祭正式出品作品だそうです。
在日マオリのパフォーマンスグループNga Hau E Whaが、4月24日釜山国際短編映画祭の
オープニングでパフォーマンスをするそうです。
さて、映画は、若年性アルツハイマーとなった売れっ子美人女性小説家が、「美しい記憶」を残すために
若い子恋人から身を引くと言うだけの話。
チョン・ジェウン監督は韓国で人気のある中山美穂を意識して制作したとのことですが、
彼女は確かに美しく魅力的顔立ちですがそれだけで観客が呼べるでしょうか?
一番の難点は、ストーリーにリアリティがなく、主題がさっぱりわからないことです。
また、中山美穂はお世辞にも演技・台詞が上手いとは言えません。
それ以上に台詞の音が大きすぎる音声の悪さです。
若年性アルツハイマーの迫り来る「不安・恐れ・絶望」感をまるで描いていません。
これをテーマにしっとり描けば彼女の魅力が何倍も広がったと思います。
ディテールも気になりました。
いかに売れっ子の美人作家であっても15cmもあろうかというハイヒールはおかしいです。
居酒屋で落とした愛用の万年筆を居酒屋のアルバイト店員が自宅に届けるなんて、変です。
どうして住所がわかるのでしょう、さらにほとんど初対面のそんな彼に愛犬の散歩を頼んだり、
彼に小説のアシスタントみたいなことを頼んだり、してしまうんです。
学生のレポートを「下らない」とシュッレダーしてしまうなんて開いた口がふさがりません。
「出会いはいつも偶然」なんて台詞も陳腐です。
万年筆派の彼女にペンだこがまるで無い指先の映像を平気で映すんです。
しかし、自分の病を明かす時の彼女の表情は、印象的で実に美しかったです。

唯一光を放っていたのは、私の好きな永瀬正敏さんのとぼけた味でした。

ストーリーの結末は、記しません。
神楽坂にある赤城神社や新宿中央公園などおなじみの映像もあります。
でも、久し振りに訪れた新宿の地理はまるでわからず、でした。
沢山の人が行き交い、多くの外国人も目につきました。
華やかなお店が林立しています。どんな人が利用するのだろう?私には無縁だな、でした。
伊勢丹でトイレを借りました。1階化粧品売り場は、客より店員のほうがはるかに多く、
店員の服がみな真っ黒で不気味でした。                  【4月12日鑑賞】

映画/ドリーム[Hidden Figures]

2018年04月13日 | 映画


映画はかなりよく出来ていますが、アカデミー賞は取れないでしょう。
邦題のドリームは陳腐ですが、原題の「隠れた人物・数字」もピントきません。
figure には、人物、数字という二つの意味があるようです。
ストーリーは、三人の黒人女性の素敵なお話しです。
1960年代初頭、米ソ冷戦下、宇宙開発でソ連に後れを取ったアメリカは世界と宇宙の覇権を求めてがむしゃらな競争に打って出ます。
数学の天才であるキャサリン達三人の黒人女性は、NASAに計算係として採用されます。
しかし、アメリカでは黒人は、専用トイレ、専用水飲み場、専用バスシートしか使えない時代でした。
加えて、彼女たちには、女性蔑視・差別も重くのしかかっていました。
男性優位の職場で、女性・黒人は一人とかごく少数でした。
ハイヒール着用、ネックレスは真珠のみとか、スカート丈は膝下という「日本の校則」のような下らない規則もありました。
他方、マーチンルーサーキング牧師達の黒人解放運動の歩みも徐々に進んで来た時代でした。
彼女たちは、そうした運動とのコミットはありませんでしたが、その有能さを遺憾なく発揮し始めます。
キャサリンは、700メートル離れた黒人専用トイレに行くしかありません。
なぜ長い時間職場を空けるのかと問い糾された彼女は、この映画唯一と言って良い差別を糾弾する「情熱的アジ演説」を行うのでした。
そのことを、知った上司(ボス)は、トイレは誰もが使用できるようにし、コーヒーポットも「白・黒」の区別を無くします。
しかし、それは、彼が「反人種差別主義者」だったからでは決してありません。
彼女がトイレに行く時間がただ惜しかったからです。
しかし、この事件を契機に、彼女たちへの「蔑視・偏見」は少しずつ溶解して行きました。

   「単純計算係」不要をみこし、コンピューターのプログラミングを学んだ女性達が新しい職場に向かう場面
黒人差別を扱った映画はこれまでもかなりの数作られました。正面から差別問題を取り上げたものから、
やんわりと訴えた作品などたくさんあります。
この映画は、楽しいのですが、感動は残りません。その訳は、社会派的映画では無く、かなりきれい事の
サクセスストーリーだけの映画だからです。
主人公達の内面の怒りや葛藤、いろんなことへの強い思いなどが描かれていませんし、彼女たちを取り巻く
白人男性の差別や偏見の描き方もきわめて平面的で、彼らの意識が次第に融解していく内面などは
ほとんど描かれていないからです。
もっともそれらはこの映画制作の目的ではありませんが…。
題材は、きわめて魅力的なのに、結局普通作で残念でした。
この映画は、ごくごく一部のエリート黒人達のサクセスストーリーです。
アメリカ社会は、黒人エリート達のこうした活動や公民権運動、過激なブラックパンサー運動やマルコムXさん達の運動などの
多様な活動が少しずつ風穴を開け、ついにオバマ黒人大統領を生み出しましたが、今なおアメリカ社会には根強い人種差別が
依然としてあり、トランプレイシスト大統領を生み出してもいます。    【4月2日鑑賞】

映画/Dunkirk

2018年04月04日 | 映画



制作の意図がよくわからない映画でした。
戦闘のリアルさ、個々のエピーソードのおもしろさ、スケールの大きさなど特筆することはありません。
戦争の悲惨さ、無意味さ、愚かさを描くのでもありません。
映画の最後のコピー、「チャーチルは偉大だった、イギリスは負けない」という「尊大な英国」を言いたい、
のでしょうか?     【4.2】


映画/幼な子われらに生まれ

2018年03月30日 | 映画


第91回キネマ旬報ベストテン日本映画第四位だそうです。
重松清原作で、少し期待したのですが、映画のできは残念で、普通作でした。
バツイチ同士の男女が再婚した家族の騒動の話。
新たな家庭で妻が妊娠し、大騒ぎになります。
信は、前妻が妊娠を望んでいないのに避妊せず、妻は妊娠、妻は一人で堕胎します。
信は、怒り出し、妻から離婚されます。
他方、暴力男と結婚し離婚し、信と再婚した奈苗が妊娠します。
奈苗の長女は、思春期を迎え、赤ん坊の誕生に際し、情緒不安定になり父親・信を避けます。
元暴力夫も、かなり常識人になり、結末は、悪人はおらず、全て丸く収まりメデタシ、
こんなのあり、ですか?  【3.12】


映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ

2018年03月16日 | 映画


第91回キネマ旬報ベストテン日本映画第一位だったそうです。
えっ、この作品が第一位?、賞とはよくわかりません。
美香は、「人はなぜ恋愛に夢中なの?」ととてもニヒリストです。
母が、自死したことがその根因のようです。
慎二は左目が見えません。彼女は、慎二に向かって、「世の中が半分しか見えないの」などと
とんちんかんな台詞を二度も言います。
両目が見える私は彼ほど世間が見れていないと言いたいのでしょうか、「偏見」の表現です。
そんな二人がふと出会いつきあうというたわいも無い話です。
詰まらないありふれたお話でした。
この映画の最悪は、ほぼ全てのシーンでの喫煙です。
その訳が全く理解できないばかりで無く、気持ち悪いです。
慎二は建築現場で片付けなどをする雑工です。彼の仲間達のあふれるペーソスとヒューマニズム、
自虐とはかない希望に混沌する彼らがこの映画の真の主人公でした。           【3月5日】

映画/あさがくるまえに

2018年03月08日 | 映画


心臓移植を扱った映画、出来事を迎える人々の心の内をしっとりと描いていますが、
すこし情緒過ぎという感じ、わざわざ映画館に足を運ぶほどではありません。
手術シーンの過剰な映像は不要で、興ざめです。
手術を受ける女性がかつての同性愛の女性に会いに行くお話はとってつけたような無理筋でした。
原題は、「生活の修復」のような意味のようです。邦題は、奇妙にひらがなだけ。
漢字ではすでに使われているのでそれを避けたようですが、もっと工夫してほしいですね。
舞台は、ル・アーブルの海岸地方のようです。     【2月5日】



映画/女神の見えざる手

2018年03月01日 | 映画


サスペンス映画です。面白かったです。
ついこの前、マイアミ郊外の高校で銃乱射事件でたくさんの死傷者が出ました。
映画は、アメリカ上院での銃規制派と反対派のロビイストの話です。
アメリカには3万人のロビイストがいると言われています。
この映画は、銃規制が必要か不要か、どちらに正義があるかを巡る論争、理屈ではありません。
ロビイスト達にとってそれはどうでもいいことです。彼らは、自分たちの理念のためでは無く
クライアントの要望実現のために作を立て、実行するのです。
そのためには虚々実々の駆け引き、違法紙一重の行動を取ります。
「アメリカの恥部をえぐる、政治のひずみをただす」などという見解もあるようですが、そうではありません。
スローンは手段を選ばぬ、冷徹敏腕ロビイストです。
彼女は銃規制派から要請を受けます。
その時、「報酬のメモ」が渡されます。しかし、その内容は観客には明かされません。
サスペンスですから、驚きの四転六転、そしてどんでん返しが待っています。
まだ、見ていない人も多いと思うのでそのプロットと結末は?としておきます。
この映画の面白さはもちろんそのプロットにあるのですが、ちゃんと落ち着くところに
落ち着く穏やかさを用意していました。
彼女の信念は、クライアントの要望が良いとか、正しいとかではなく、不正や正しくないことでも
要望に応え、キャリアを積み、成功のステップを上ることです。
しかし、それは彼女の心底にある心や感情との折り合いは必ずしもつきません。
こうして彼女は、自らの健康と命を削っています。彼女の精神はほとんど病んでいます。
彼女は、報酬ゼロ円のこの仕事を引き受け、「肉を切らして骨を削る」で、5年の有事判決を受けます。
しかし、そのおかげで彼女は自らの健康を回復します。
うがった見方をすれば、彼女はこの結末を実は深淵に準備していたのです。
更にうがった見方をすれば、それも表向きの理由、実はこの事件で新たなキャリアを得、
自らをより高く売ることができるようにするためとも言えます。
この映画の最大の難点は、セリフが多く早すぎること、しかもプロットの展開が早すぎ、
考えていると展開に追い付けないことです。
それにしても、邦題の大仰なこと、私の解釈が正しいなら、「彼女はすべてを得た」です。
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マイケル・ムーアは、 1999年4月20日に発生したコロンバイン高校銃乱射事件を
扱ったドキュメンタリー映画 Bowling for Columbineを2002年発表しました。
以降、アメリカは少しは進歩したのでしょうか?
アメリカ社会は、民主主義の成熟した社会と言われますが、私は決してそうは思いません。
市民社会の発達が未成熟で、他民族・他人種や古い先人達の文化を尊重しない野蛮社会です。
かつても今もアメリカファーストの国で、恥じ知らずの国です。
アメリカが自分たちよりはるか昔に築いたメソポタミア文明・西アジア、アジア、
中南米に少しでも尊敬の念があればあれほどの破壊と略奪はあり得ません。
アメリカネイティブ、黒人に対して心からの感謝と謝罪があるでしょうか。
自分の命を守るために銃は不可欠、自国の利益のためには核と軍事力で他国を脅す、はとんでもないです。
スローン達はそんなアメリカでうごめいているのです。   【2月26日】

映画/パターソン

2018年02月22日 | 映画


予告編を見て期待したのですが、独りよがりの駄作でした。
題名は、いつも同じことをするワンパターンの男と言うシャレかと思ったら、パターソンはPaterson、
ワンパターンのパターンはptternでした。
主人公のバスの運転手の俳優の名前が、アダム・ドライバーとこれまたシャレっぽいのは素敵です。
彼の妻は彼とは真逆のかなり「飛んで」いて、どうもイスラム圏系の異邦人のようです。
彼女のデザインは、アラビック模様のようでもあり、草間弥生の水玉のようでもありますが、
欧米人の東方「異邦」へのコンプレックスに感じました。
舞台はニューヨークから25kmほど、そう遠くないニュージャージー州の実在の町です。
かなりの田舎町ですが、他人種が行き交う町のようです。
町には、落差23メートル、豊かな水量を誇る町のシンボル・グレートフォールズあり、
この滝のエネルギーを利用して産業が繁栄したそうです。 写真は引用

映画の最後、日曜日のエピソードに永瀬正敏演じる日本人が全く唐突に登場します。
パターソンは飼っている犬に自分の詩作ノートを食いちぎられ意気消沈して、
グレートフォールズの公園のベンチで呆然としています。

公園にいるのは二人だけ、ベンチもたくさんあるのにパターソンの座っているベンチに見知らぬ
アジア人が「同席して良いか」と唐突に聞いて座るなんて、
不自然を通り越してこの奇異な演出って何、ってすっかり興ざめでした。
しかも彼がパターソンを慰め、白紙の詩作ノートを渡し、パターソンが生き返るというのですから…。
彼の相づちは人を小馬鹿にしたような強いアクセントの「アッ、ハァン」です。
私は、英語をなまじ知った日本人がネイティブらしく相づちをうつのを小馬鹿にしているように感じました。
最後に二人は握手して別れるのですが、日本人の右手の指二本は絆創膏が貼られていました。
この演出の意味は何なのでしょう?私はさっぱりわかりませんでした。
ちなみにパターソンが飼う犬は、第69回カンヌ国際映画祭のパルム・ドッグ賞(優秀な演技を披露した
犬に与えられる賞)を受賞したそうです。
何をか況んや、やっぱりカンヌは下らないですね。その犬は映画完成後死んだそうです。
パターソンが、道ばたにいる少女に話しかけるシーンなどパターソンは不審者そのものですし、
行きつけのバーで、失恋男がかつての恋人ににおもちゃの銃を突きつけるシーンなど笑えません。
この映画には、5、6組の双子が登場します。
深い意味があるのでしょうが私にはわかりませんでした。
映画の冒頭、二人は、双子がほしい、そして二人の個性に合わせて育てるのなどと言います。
二人は、毎日こんな狭いベッドで寝て、こんな風に目覚めます。

まるでツインのようです。しかしシンメトリックではなく、二人で一人のように。
一人の人間には、パターソンとその妻のようにシンメトリックで無い二人が混在して
一人の人間を作っているとでも言いたのでしょうか。
かように映画は屁理屈をちりばめますが、わたしにはさっぱり言いたいことはわかりません。
哲学さをさりげなく言いたいふりをした薄っぺら見え見えです。
2017年のキネマ旬報賞を受けたそうですが、私は「?」です。   【2018年2月19日】

映画/ボブという名の猫

2018年02月14日 | 映画



可も無く不可も無く、です。
動物ものが好きで無い私には好みの題材ではありません。
ストーリーは至って単純、くすり中毒のストリートミュージシャンが、野良猫を拾います。
この猫は、すっかり彼の守り神、彼の「幸福度」がうなぎ登り、恋人も出来、幸せになるお話。
わざわざ映画館で見る映画では無いです。           


映画/ブランカとギター弾き

2018年02月10日 | 映画


この映画は、ベネチア・ビエンナーレ、ベネチア国際映画祭が出資して制作されたそうです。
そうした映画は日本では初めてで、長谷井宏紀さんのこれまた初監督長編映画でした
イタリア映画、言語はフィリピンのタガログ語です。
フィリピン・マニラ近郊のスラム街近くにあるゴミ置き場で、金になるゴミを拾って生活する子ども達の
支援や教育については、これまでもたびたび映像化され、紹介されてきました。 
この映画は、マニラのスラム街で盗みや物乞いで暮らす孤児のブランカとその回りの人々の映画です。
ブランカは、盲目ギター弾きのピーターと出会い、歌とギターで生活費を稼ごうとします。
二人の魅力的人が登場します。一人は、性別不明のちょっと年がいったストリートガールと
チンピラのパシリをしているセバスチャンという少年です。 右がセバスチャン

彼らは、何かと、ブランカを助けます。
盗みや物乞いを止めたセバスチャンがほほえみながら煙草を売っている場面で映画は終わります。
なお、ピーターを演じたピーター・ミラリさんは映画完成後病で亡くなったそうです。  【1月29日】


映画/セールスマン

2018年02月03日 | 映画




新年2回目の映画は、サスペンスでした。セールスマンとELLEの2本です。
セールスマンは、イラン・フランス合作映画です。
前半の前半は序章と言え、だらだらして退屈でした。
妻のラナが自宅で見知らぬ男に殴打された事件を契機に二人の間には
感情の微妙なすれ違いが生じます。
夫婦は、イラン警察に訴えても解決できないと言います。夫のエマッドは、単身、犯人捜しを始めます。
男は、自動車とその鍵、携帯を忘れるアホぶりで、意外に簡単に犯人に行き着きます。
「目には目を」と言われるイスラム社会、殺伐とした結末を予想していたのですが、
妻のラマは、その男を「許す」と言います。
もし彼女が強姦されたり、殺された場合にラマは同じように寛容になれたでしょうか。
私は、この終わり方に少し心が安らぎました。最初のダラダラが無ければもっと良かったです。
イスラム社会の映画、一切のセックスシーンも、暴力シーンもありません。
そうしたシーンは無い方が私は好きですし、それでも物事を伝えることは充分出来ます。
二人は仕事を持ちながら劇団員でもある彼らは、劇中で舞台劇「セールスマンの死」を演じるシーンが何度も
描かれますが、これは煩雑過ぎました。
主演したタラネ・アリドゥスティさんが出演した「彼女の消えた浜辺」の私の感想
アスガー・ファルハディが監督した「ある過去の行方」の私の感想

映画/エル[ELLE]

2018年01月26日 | 映画


かなり倒錯した性を描いていますが、けっして「過激」ではありません。
イザベル・ユベール(65歳)は、多くの女優が断ったこのミシェルの役を逆オファーしたそうです。
彼女を含め、登場人物がセックスを欲求だけで「処理」している感じです。
ゲーム会社の社長をしているミシェルはすごい大金持ちです。
彼女がどのようにして成功したのか映画は触れません。
彼女は、同僚で仲の良い女性の夫と性的関係を持っています。
80歳を越えている彼女の母親は、ツバメと結婚を考えています。
息子は、幼稚です。
別れた夫は若い女と関係を持っています。
そんなある日、彼女は覆面をした男に自宅でレイプされます。
超高級セレブなのに家にセキュリティが無いのですから変な話です。
しかも、「警察は信用できない」と、鍵を取り替えただけ、セキュリティを導入するわけでも無く、
何事も無かったように平然と生活します。
ミシェルは、隣の家の若い男・パトリックに性的関心を抱き、パーティに招待し、
足で彼の股間を愛撫したり、双眼鏡で彼の姿を見てオナニーしたりします。
ミシェルは、彼とのレイププレイを期待します。
彼女は、それまで拒否していた父親に面会に行きます。
その知らせを受けた彼は、自死します。
彼女は、彼の自死を予想、期待したのでしょうか?それとも…、私にはわかりませんでした。
映画をどのようにして終わらせるのかが非常に興味深くなりますが、単純でした。
夫が関係を持たれた同僚の女性と共同生活を始めるところで終わります。
セックスシーンは過激ではありませんが、たくさん描かれます。
そもそも私は、映画で、セックスシーンを生々しく見せる必要があるとは思いません。
実は、彼女の父親は多くの住民・少女を性的異常をもって殺戮し、終身刑で服役中しています。
彼女は、父親が殺した人々の衣服などを燃やす手伝いをしました。
その「異常」経験=トラウマは、彼女の倒錯した性欲や精神に影響を与えているのでしょうか?
それとも、彼女の性癖は、性的マイノリティの一種で、「異常」でもなんでも無い、とでも言うのでしょうか?
あれこれ屁理屈は想像できますが、さて、この映画、いったい何を言いたいのでしょう、
私にはさっぱりわかりませんでした。
訳がわからない映画を評価する癖の第69回カンヌ映画祭ではやはり高い評価を受けたそうです。
ちなみに、原題のELLE はフランス語で「彼女」だそうです。
ユベールの映画の私のブログは、 「未来よこんにちは」、そしてアスファルト です。  【1月22日】