風そよぐ部屋

ウォーキングと映画の無味感想ノート

ニュージーランドの旅。総集編・クライストチャーチへ

2017年12月29日 | 2017ニュージーランド旅行

クライストチャーチ大聖堂

カードボード・カセドラル
12月4日、クライストチャーチはとりあえず1泊です。12月16日に戻って来ます。
ウエリントン10:05発の飛行機です。30分前までにはチェックインが必要ですが、万一のアクシデントなどを考えて、
7:30にホテルを出ました。
エアポート・フライヤーのバスは、セントラルではどのバス停でも乗ることができる便利さです。
7:48にバスが来て9$でした。20分ほどで空港に着きました。
広い空港ではありませんが、ほとんど街中にあるので驚きました。
私は、国際線のチェックインカウンターのようなものはありません。すべて機械による自動チェックインです。
私が、少し戸惑っていると、スタッフが来て、さっさとやってくれました。日本語でできます。
預ける手荷物は、コンベアの前で職員に渡すだけです。重量チェックもセキュリティチェックも一切なしです。
機内持ち込み荷物のセキュリティチェックも何も無いのにはもっと驚きました。飲み物もOKです。
つまり、チェックインはあっという間の出来事なのでした。
すっかり拍子抜けの感じですが、離陸まで時間がありすぎ、その上、約1時間ほど離陸が遅れました。
私は、日本では国内線にほとんど乗らないので、日本の搭乗手続きシステムがどうなっているのかわかりませんが、
ここでは、搭乗手続き開始のアナウンスが一度あるだけ、電光掲示板に確かLast Callと掲示されるだけでした。
80人ほどの定員で満席でした。フライトは1時間ですのでこちらもアッという間でした。
地上の景色がよく見えました。砂漠みたいな乾燥地帯もかなりありました。
手荷物ピックアップもすぐでした。
iSITEがあったので、セントラルステーション行きのバス停を聞くと、9番出口を出て#29のバスで、8:50$でした。
クライストチャートは、これまでと違って真夏の感じでした。気温が高いだけでなく、日差しが痛いです。
20分ほどで、セントラルステーションに着きました。巨大なバスターミナルです。
 
ターミナルの中                  空港で
 
全体の地図が呑み込めないので、はじめはずいぶん迷いました。地図上では、ホテルはそこからすぐなのに
それらしきものが全くありません。私は、仕方なく男性に聞きました。スマホで住所を入力し、地図検索してくれました。
私は、なんと反対側をうろうろしていたのでした。
ホテルの壁画です。                 両サイドがホテルで、私のは左です。
 
建物の中                      
 
反対側入り口                   ホテル、広く快適です。
 
 
ローケーション、設備と言い申し分ありません。洗濯機の説明が親切で、全自動で乾燥までしてくれました。
13:30頃でしたがチェックインできました。部屋で少し一休みし、明日のスケジュールを復習しました。
明日は、トランズアルペン鉄道でグレイマウスに向かいます。
この列車、オープンデッキやニュージーランドアルプスの峠越えのユニークな鉄道ですが、一日1往復しかありません。
クライストチャート発は、8:15でその20分前に搭乗手続き=手荷物預けと言った飛行機並みの手続きが必要な上に、
鉄道の駅はセントラルから4kmほど離れ、バスの便もよくなさそうのです。私は、思い切ってタクシーを7:30に予約しました。
軽装に着替えて、近くを散策しました。
お腹も空き、探すのも面倒だなと思っていると「弁当」の看板が目に入り、11.9$の唐揚げ弁当を買って木陰のベンチで食べました。
 
大地震で破壊されたカセドラルは想像以上、痛々しいです。
 
 
 
    2008年ピースボートで私が訪れた時の大聖堂
     
大聖堂前広場
 
 
広場のチェスは健在です。
  
復興の工事が至る所で行われている一方、壊れたままの痛ましい建物もたくさん残っています。
 
 
その建物に入れないように、また建物の補強に鉄道のコンテナが積み重ねられたりしています。
 
ジョン・ロバート・ゴーデルの銅像
  
また、復興のメッセージが、壁の絵や彫刻など、シティアートが市内各所にあります。
ベルリンの壁の「落書き」よりはるかにメッセージ性と深みがあるように感じました。
 
 
 
 
しばらく散策して、スーパーがあったので今日の夕飯と明日の朝食を買ってホテルん戻りました。
便意を催したり、水を忘れてきたからです。
それから、私が是非訪れたかった、日本人建築家の板茂さんがクライストチャーチの復興を願って設計建築した
カードボードカテドラル(段ボールで作った)に行きました。
 
 
 
 
 
 
 
屋根と壁は特殊のプラスティックのような透明の紙で、柱は特殊強化した段ボールで作られています。
痛々しい大地震の傷跡と復興を願うカードボードカセドラルとシティアートが対比的に存在しています。
警察、消防署、裁判所などはすでに再構築されて立派になっていました。  追憶の橋
 
コンテナなどで作られたお店
 
明日は、早いので早めに戻りました。クライストチャーチには約10日後にもう一度戻って来ます。 【12月4日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・ウエリントン/ボタニック(植物園)公園

2017年12月28日 | 2017ニュージーランド旅行

ウエリントン/ボタニック(植物園)公園
12月3日
ウエリントン最後となりました。午前中、ウエリントンボタニックガーデン(植物園)に行きました。
ほとんど市の中心に、25haの広大な公園・植物園があります。
まず、ケーブルカーで、山の上に行きました。片道4ドル。10分で到着です。ボタニックガーデンに入れます。
乗り場は、市の真ん中です。
 
 
                          ケーブルカー博物館
 
Dominion Observatory(旧天文台)            現在の天文台(カーター天文台)
 
 
ケーブルカー博物館の脇から、ガーデンに入れます。 無料です。
 
 
 
 
 
 
  
ビジターセンター
 
 
 
 

 

 
裸足で歩く人がたくさんいます。           これは、クライストチャーチで撮ったものですが。
 
 
ベンチを寄付した人の名が記されています。 メイン正面入り口とCentennial(百年ごとの)入口二つあります。
 
公園内のローズガーデン               ベゴニアハウス
 
ベゴニアハウスの中で
 
 
 
 
 
                         ローズガーデンの前の滝
 
帰りはケーブルカーにならずに歩いて帰りました。
リチャード・セドン首相のモニュメント        Bolton Street 墓地
 
 
キャサリン・マンスフィールドの生家         ウエリントン女子大学
 
キャサリン・マンスフィールドの生家は高速道路脇にあり、場所がわからず苦労しました。
国立公文書館                   港に装甲車が見えました。
 
遠くにウエストパックスタジアムが見えたので、行きました。遠かったです。
 
港の木材集積場                  埠頭のクライミングウォール
 
港に戻って来ました。                障害者のイベントが行われていました。 手話通訳
 
 
このような障害者用車椅子もあるのですね。       昨日女性が飛び込んだ飛び込み台
 
公園では若者がベンチなどを飛び越える遊びに興じていたり、こちらはコスプレのグループでしょうか。 
 
橋の上                       壁の落書き
  
ウエリントンセントラルバプティスト教会      キューバ通り
                           
英国国教会
 
                           落書き
 
明日は、飛行機でクライストチャーチへ移動、早めにホテルに戻りました。
ウエリントンは、さすが首都という感じでした。人の数も多く、人の歩き方も速いです。勾配のきつい坂も多いです。
国立博物館は、見応えのある立派な施設でした。多くの博物館が無料なのも素敵です。 【12月3日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・ウエリントン3日目/ジーランディア、ウエリントン博物館

2017年12月28日 | 2017ニュージーランド旅行
ジーランディア
12月2日
今日は、午前中は、原生林を再生させ、絶滅の危機にある鳥類を保護している施設・ジーランディアに行きました。
2.25平方kmの敷地に30km以上のトレイルが張り巡らされていると言います。
観光案内所iSITE前から出ている9:30発の無料のシャトルバスに乗りました。15分ほどで着きました。
入場料は19$90セントでした。帰りのバスの時間は、毎時50分です。
 
藪の中でがさごそと音がしたので見ると、20cmほどの大きなトカゲでした。水場と餌場には鳥たちが集まっていました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ダムのトップがあります。
 
                         ここでちょうど1時間かかりました。吊り橋がありました。
 
帰りは、下りが多いので、十分バスの時間までに戻れそうです。
 
 
 
帰りの3分の2程来たところで残り30分、脇道を行っても帰れそうだと思い入りました。
すると、洞窟があり、年輩の女性職員がいて、「怖くないわよ」と言って、ヘルメットと懐中電灯を貸してくれました。
 
しばらくして、水たまりがありサンダルが濡れて今しました。ヘルメットは絶対必要で、高さが低いので何度も頭をぶつけました。
奥まで行かず戻りました。彼女にビジターセンターまでどの位かかるかと聞くと急いで30分と言うので、元の道に戻りました。
15分ほどでセンターに戻りました。展示室があります。
 
バスを待っていると、並んでいる私を無視して我先にと割り込むのにはびっくりしました。
私は、定員オーバーで乗れませんでした。10分後に来るからと言うので待つことにしました。
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iSITEに12時ちょっと過ぎに着きました。ここから、海岸、港はすぐ近くなので、用意して行ったお弁当を食べました。
冷たい海風が強く吹いていました。その海岸に飛び込み台があります。
若い女性のグループが、服を脱いで、水着になり飛び込み、びっくりしました。
コンテナショップと近くの公園でラクビーのラインアウトの彫刻がありました。
 
ヤシの木をモチーフにした柱のビル    アンダーグラウンドマーケット、公園の地下にマーケットがあります。
 
 
子ども向けのミニ自動車乗り、5分5ドルはちょっ高いかな

次は、今日の午後の目的の一つ、ウエリントン博物館 無料です。

保税倉庫の跡地だけに海洋倉庫や海洋関係の展示と海の民・マオリ関係の展示がされています。
 
原子力反対のウエリントン、ニュージーランドは原発を持っていません。
 
ポートレートギャラリー 肖像画だけを集めたユニークな美術館、無料ですが、撮影はできません。
 
 
オールドフェリーターミナル(今は使われていません。)  ウォーターロービル 
 
通り名は、ナポレオンが負けたウォーターローの戦いにちなんだ大げさな名がついています。
Turnbull Hause(人名か?意味は不明、現在はレストランでした。)  パブリックトラストビル
 
路上パフォーマー                  道路上で
 
大きなバス停にある電光掲示板           消防車が緊急出動
 
ウエリントン消防署  ジ・エンバシー(古い映画館)、「ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還」の世界初上映館だそうです。
  
St.Gerard'sカトリック教会              港から見えたSt.Gerard'sカトリック教会
 
港が見えます。
  
帰り道、昨日のたい焼き、Taiya Kiwiとは傑作です。
 
今日の気象、朝晩は少し涼しい、日中は19~22度ほどで、暑くもなし、寒くもなし。Tシャツに7分のワイシャツ、
メッシュベストで汗をかきません。海岸や風が強い時は薄手のウインドブレーカーです。 【12月2日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・ウエリントン/ニュージーランド国立博物館=テパパ・トンガレワ

2017年12月27日 | 2017ニュージーランド旅行
 ウエリントン博物館
11月30日 ロトルアからウエリントンへの移動です。8:50発、ウエリントン17:00着のバスの長旅です。
このバスの料金、1$+予約料金4$という不可思議さでした。私は、不思議に思いメールなどで問い合わせると、
すべてがそうではなく、数ヶ月に一度、早割とシニア(65歳以上)の「ラッキィーチケット」が、あるらしいのでした。
実は、ニュージーランドのバス移動の車窓は、こんな風景が延々と続く単調です。
 
家畜はいつも見られるのではなく、ごくたまに見ることができる程度です。
しかし、乗り合いバスですから、いくつかの町や村を巡り、その変化は楽しいです。
タウポ、パーマストン・ノースなどの大都市を経て、ウエリントン近郊で海が見えたときは、ひそかに感動しました。
 
途中線路も荒れ地も見えました。1時頃、場所はわかりませんが、キャンプ場を併設した施設でランチタイムがありました。 
 
お弁当を用意していって大正解でした。食事メニューはありませんでしたから。
ひどいなと思ったのは、タウポでトイレ休憩に行ったとき、座席の確保にガイドブックを置いていったのに、
戻ってみると、若い女の子二人連れがその本を勝手に移動し、窓際の良い席に平然と座っているのです。
私は、多くの外国を訪れていますが、こんな経験は、初めてで、驚くやらあきれるやら、大胆と言うか、
でも文句言っても大人気ないかなと思って抗議しませんでした。バスは常に満員でした。降りた人数だけまた乗ります。
トイレは付いていませんが、おおむね1時間ほどで、バス停に着きますので、問題ありません。
でも、面白かったのは、4人家族のお父さんがトイレに行っているのにバスが出発してしまったのです。
家族は、大声でストップ、ストップと叫んでいました。
ウエリントンは予想していたよりはるかに大きい町でした。
そして人々が多いです。そして、人の歩く速度がこれまでと違ってとても速いのです。さすが首都でしょうか。
ホテルは、テラス通りにあります。その名の通り、坂の上です。それもかなり急な坂道です。
ウエリントンの町はとにかく坂が多いです。そして道が碁盤目状にできてなく、急坂ですので道路が複雑の入り組み、
下に降りるには、はるかな道を通らなければならいのです。
今度のホテルの施設は、快適です。冷蔵庫、洗濯機、ミニキッチン、鍋やフライパン、食器そして便利な電子レンジ、
湯沸かしポット、アイロン等が完備され、部屋も広いです。
  
 
 
                          中庭があります。
 
NZのホテル、アパートではボディソープ、シャンプー、コンデショナーはありますが、歯ブラシなしが普通のようです。
朝食は、オプションですが、なんとミルク、ジュース、ヨーグルト、シリアルで12ドルなので申し込みませんでした。
スーパーで簡単な食材を買ってきて、電子レンジで調理すればいいのです。
スーパーが、ホテルから徒歩10分ほどのところにありました。
ワイン、サラダ、果物、チキン、サケ、ミルク、チーズ、ヨーグルト、バナナ、リンゴ、キウイ、トマトなどを買ってきました。
冷たい風が吹き、長袖シャツとウインドブレーカーが必要でした。
バス移動だったのお腹は空いていませんが、サラダ、チキンそしてボトル半分のワインを飲みながら、ブログを書きました。
カトリック教会
 
 【11月30日終わり】
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12月1日
ウエリントン市内を歩きました。国会議事堂方向に向かいました。
セントアンドリュース教会             女性が一人ピアノを弾いていました。
 
 
裁判所                      ウエリントン駅
 
駅前にガンジーさんの銅像がありました。     
 
旧政府公邸 中を無料で見ることが出来ます。一部屋だけ模型が置かれ、他は貸事務所になっていました。
 
国会議事堂 ガイドブックでは個人でも見学できると言うことでしたが、ツアーに参加するよう言われました。
11時からで、10:45に集合とのことでした。
まだ時間があったので先にセントポール教会(ウエリントンカセドレル)などを見に行くことにしました。
 
立派なパイプオルガン
 
職員が、十字架を掃除していました。
 
国会前のモニュメント
 
国会議事堂(中は撮影不可です。)            パーラメントハウス
 
説明はほとんど分かりませんでしたが、世界初めて女性参政権を獲得したこと、マオリ語が公用語に認められたこと、
現在の首相は若い女性であることなどが紹介されました。
国会議事堂、パーラメントハウス、国会図書館などが案内され、国会図書館のマオリの部屋に案内されました。
また、地下に作られている耐震構造を紹介してくれました。少し話がくどいようで、1時間は長すぎでした。
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リチャード・ジョン・セドンの像            国会図書館(ツアーで中を見ました。)
 
国立図書館                    ラグビーハウス、中は入れませんでした。
 
オールド・セント・ポール教会 中は古いです。
 
 
年輩の女性が、どこから来ましたかと聞き、日本語のパンフレットをくれました。
そして現在はキャシードルではないが、大事にされてますと説明してくれました。内部はなかなか味わいのある教会でした。
道路の日よけの影です。ニュージーランドのシンボルの一つであるシダが刻まれ、影を作っています。
 
タウンホール
 
午後は、まず海岸に出ました。
 
 
 
そして、今日の大きな目的地の一つニュージーランド国立博物館=テパパ・トンガレワ。無料です。
 
日本語のパンフレットはあるのですが、館内の地図の案内が無いのは不思議でした。
最初の「自然分野」は、私は余り興味がないので早足です。
 
 
 
 
ガリポリと言う国民から見た第一次世界大戦のコーナーは素敵でした。
8人の個人の兵士に焦点を当て、彼の生い立ちや手紙や活動を資料で説明しています。 巨大な像です。
 
 
マオリコーナーは圧巻を越えて垂涎ものです。マオリの文化、歴史、芸術を展示しています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マオリ語と英語で表記されています。
 
素敵な詩です。
 
キューバ通りの水のモニュメント
 
そして路地裏にこんなお店が
当初の予定では、この後、ウエリントン博物館に行く予定でしたが、国立博物館ですっかり時間がかかってしまったので、
今日はここで終わりにしました。     【12月1日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・ロトルア3日目/ワイオタプ、ワイマング火山渓谷

2017年12月27日 | 2017ニュージーランド旅行

11月29日 今日は、日本の旅行代理店を経ないで現地のツアー会社に直接申し込んだ現地ツアーに参加しました。
ワイオタプ・サーマル・ワンダーランドとワイマング火山渓谷を巡る豪華ツアーです。
169ドルと高めでしたが申し込みました。個人で行くのは難しいと思ったからです。
ゆっくり朝食を済ませ、お弁当も作りました。8:00ホテルでピックアップで安心です。
総勢10人ほどで、オーストラリア、アメリカ人、中国人、英国人と様々で、日本人は私一人でした。
ドライバーが、私が日付の変更をしたとき「OK」のメールをくれたトーマスと言う人で、安心しました。
ワイオ・タプWAI-O-TAPUとは聖なる水という意味のようです。
10時に着きました。
 
  
  
  
 
その後、ワイオタブ・サーマル・ワンダーランドに行きました。 入り口
 
様々な色彩のクレーターがあります。コースは30分、40分、75分の三コースがあり、自分で選びます。
人工の間欠泉=Lady Knox Goyserに行く都合でしょうか、10:45集合なので30分コースを勧められました。
それぞれユニークな名前が付いていますが、写真と一致しないかもしれないので、名称は省きます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
人口の間欠泉=Lady Knox Goyser
 
石鹸を加えると、泡が出始め、間欠泉が吹き上がります。
 
 
その後、ワンダーランドに再度戻りました。集合時間は1時、もう一度75分コースで回って、食事する時間があります。
私は、近くに川が温泉になっていて、橋があって入ることができる所にまず行きました。
 
 
半日ツアーのグループは、ここで帰り、次のワイマング火山渓谷に行く1日ツアーは3人でした。
入口で、「湖まで歩きそこで3:40分の湖クルーズに乗り、4:35のシャトルバスに乗り、4:50にこの入口に戻れ」との説明でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ロトマハナ湖
 
出発したのは13:10、湖までは2時間の普通コースを選びました。ゆっくり歩いたのですが、湖に着いたのは14:45でした。
なかなかよくできたウォーキングコースで、変化に富む火山の景色は雄大かつ色彩にあふれ、充分堪能しました。
クルーズ船からの景色
クルーズ乗船は二人だけでした。初めの景色はどおってことなかったのですが、温泉が噴き出したり、
水蒸気が上がっている様は不思議でした。
 
 
 
 
 
 
クルーズは、40分ほどで戻り、待っていた4:35のシャトルバスで入口に戻りました。
後で調べて見ると、ツアーでなくて個人でも充分にいけそうでしたが、私はツアーで良かったと思います。
そこからロトルアのセンターまでは40分ほどでした。車からの景色
 
夕食を作り、食べながらブログを書いていると、激しい降りではありませんが窓の外で雨音が。初めての雨でした。
明日は、バスでウエリントンに向かいます。8:50発~16:45着の長旅です。    【11月29日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・ロトルア2日目/レッドフォレスト、オムヌムツ・マオリ村

2017年12月26日 | 2017ニュージーランド旅行
レッド・フォレスト
11月28日
外は明るいのに3時半、おかしいと思いながらうとうとしていました。4時半になって、腕時計を見ると8時半でした。
今日は、出発の時間が決まっていないのであわてる必要はありませんが…。
私の目覚まし時計は自動受信で時間を修正してしまいます。日本時間になっていたのです。その止め方は忘れました。
あわただしく朝食を作って、済ませました。そして、こういう時こそあわててはいけないと出かける手荷物点検し、
部屋の整理を済ませ出発したのはちょうど9時半でした。
レッドフォレスト行きの3番のバスは9:45分でした。30分毎ですから、ラッキィーとしか言いようがありません。
バスは少し遅れてきました。2.70ドルでした。バスに乗る時、ライバーに「レッドフォレスト」と声を出して聞きました。
バス停が近づいたとき、後ろに座っていた、年配のマオリの女性が「レッドフォレスト?」と声をかけてくれました。
バス停からレッドフォレストの入り口にあるインフォメーションまでちょうど1kmもあります。
レッドウッド・ファカレワレワ・フォレスト
 
インフォメーションで地図をもらいました。乳母車コース、乗馬コースなどもあり、たくさんのコースがあります。
 
私は、本格的トレッキングが目的ではなく雰囲気を味わえればいいのですから、1時間ほどのコースを選びました。
人声は時々しかしませんし、人とすれ違うことはまれです。
分かれ道でコースごとに色分けされていて進行方向を教えてくれます。
 
 
途中からかなり険しい上り坂になり、暑くなり汗も出ました。ちょっぴり不安になりましたが45分進んでも登りが続くなら
引き返せばいいと思って少し頑張っていると、ちょうど平坦になり、一安心しました。
 
 
 
出口まで5分という所の分かれ道で他を選ぶか迷いましたが、出口を選びました。
入口に、木の上5mほどの所に通路のあるアクティビティがありましたが28ドルもするので止めました。  トイレ
 
コース表
 
出口のバス停まで歩いたのですが、バスがなかなか来ません。6kmだから歩くかと雑念しましたが、のんびり待ちました。
シティセンターに着いたのは12時過ぎだったので、ホテルに戻って用意しておいたランチを食べ、少し休んで出ました。
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ロトルア湖と戦争記念公園、 第二次大戦で亡くなった人々の名が刻まれていました。
 
 
ここからしばらく行くと、オムヌムツ・マオリ村があります。
 
特別家並みに特徴があるわけではありませんが、バスの乗り入れはできず、湯煙が激しく湧き、温泉のにおいも強く、
何か特別な雰囲気とゆったりした感じがします。
英国国教会 教会ですが、独特の雰囲気を感じます。
 
 
墓地
 
マラエ(集会所)
 
あちこち至る所で火山活動の温泉が湧き出ていて、湯煙と蒸気が上がっています。
 
村の中
 
 
 
 
いつの時代からマオリの人々が、この温泉が沸く、大きな湖の畔に来て、集落を作り、どんな生活をしたのだろうかと
思うと感慨がひとしおです。疑いもなく、温泉の恵みは非常に大きかったと思います。
ここからちょっと先の小高い所に大きなレイクランド・ヘルス病院があり、ここでは温泉療養がされているとのこと、最もです。
今日、集落は自由に散策できますが、ちょっとさびれているそうで、ガイドやツアーはないそうです。

私の今日の計画は、ここまででしたが、時間があったので、ガイドブックを紐解きロトルア・スカイラインに行くことにしました。
センターから、シティバス#1です。
チケット売り場で、シニアと言ったら15ドルでした。外人は28ドルなのですが、私がどうも貧しい人に見えたのでしょう、
或いは、実際は、彼女は市民か外人か色々聞いたのでしょうが私が正しく答えられなかったので「まっ、いいか」だったのかも。
スカイスイングと言うアクティビティは人気でした。大きなブランコです。私はもちろんしませんでしたが。
 
 
ここまで自転車で来る人には脱帽です。マウンテンバイクで難路を走り抜けるコースもあるようです。
 
確か、岐阜から桜の苗木がここに送られたそうで、今では人気だそうです。

センターに向かうバスはどれもスーパーマーケットを通るようで、私は、スーパーのバス停で降りて、買い物をしました。
電子レンジがあるのでハンバーグ、ミニトマト、サラダ(ブリッコリーなど豊富)、ミルク、果物、ワインなどを買いました。
お買い得の2ドルのパン(6コ入り)を見つけて、買う余裕もできました。
 明日は、ロトルア火山地帯を巡るツアーを申し込んでいます。
朝8時にホテルでのピックアップなので安心ですが、今朝のような目覚ましの間違いがないよう日本時間でセットしました。
実は、このツアーの申し込みを日本でしたのですが、私は大きなミスをしていました。
11月29日のところを12月29日で申し込んでいたのです。申し込んでしばらく後、チェックして気が付いたのです。
あわてて訂正のメールを送り、変更できました。私は、疑いもなくケアレスミスが大きなっています。
これが老いなのでしょうが、こんなことは大したことじゃないの心持で行きましょう。  【11月28日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・地熱とマオリのロトルアへ

2017年12月26日 | 2017ニュージーランド旅行

ロトルアの中心、観光案内所・iSITE
11月27日
ロトルアは、古くからマオリの人口が多いエリアです。また、大地熱地帯で、町の中に白い湯煙が上がっています。
碁盤目状の通りに、高層住宅のない、落ち着いた街の印象です。
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6時半に目が覚めたので、起きました。ゆっくり朝食を作り、と言っても、スーパーで買ってきた袋入り野菜と
トマトでサラダを作り、チーズとハムのサンドイッチを作り、キウイ・バナナ・リンゴ入りのヨーグルト、
ミルクを温めただけですが…。
食事をしながら、メールでもチェックしようとしたのですが、インターネットがつながりません。
食事後、小一時間奮闘したのですが、結局つながらないのであきらめました。
昨日まで上手くいっていたのに不思議でなりません。
仕方なく荷物をゆっくり整理しました。冬物のコートとカーデガンがかさばります。
ホテルを出ようとすると、ズボンにアクシデント、膝の所にチャックがあって半ズボンに出来るズボンの
チャックがはずれてしまったのです。あわてて、スーツケースを開けて、ズボンを変えました。
オークランド・長距離バスターミナル(スカイタワー横)9:30発(9:15集合)、 乗客は20名ほどでした。
並ぶ習慣が無いのか、行列を無視です。私は最後の方に乗ったのですが、ドライバーの後ろの席が空いていました。
しばらくして、アジア系の若い女性が隣に座りました。おかしいなと思ったのですが、その疑問はすぐ払拭されました。
途中何カ所もバス停があり、3つ目ほどでほぼ満員となったからです。
ハミルトンなどの大きな所では、15分ほどのトイレ休憩がありました。
ニュージーランドの高速道路は、無料です。一般道の途中から高速道路になり、また一般道になる感じです。
道路はすいているので、余裕があります。町中にはいると時速制限が50、60kmになりますが、皆スピードをきちんと
スピードを落としていました。
車窓の風景は撮りませんでした、緑豊かなのんびりした風景でした。人工の森林もかなりありました。
牧場は家畜が密集しているのではなく、時々ポツンポツンといる感じです。
ずうっと農村風景ではなく、途中に小さなちいさな村があるので飽きません。
ロトルアには5分遅れの1:35に着きました。
隣の女性はまだまだ先のようでしたので、別れの挨拶をすると、日本人と話すのがうれしいようで少し話しました。
市内には入る時、ホテルの前を通ったのですっかり安心しました。
天気予報では、晴れ時々雨ですが、雨は全く降らず、午後は快晴でした。
ロトルアの街は、ほのかに硫黄の香りがします。
マオリの人が多く住む町で、私が地図を確かめていると「どこ?」と初老のご婦人が声を掛けてきました。
更に先に行く人は、2時までのランチタイムでした。私は、用意していったサンドイッチを町のベンチで食べました。
ホテルは、オークランドのそれと比べるととても貧弱でした。場末のモーテルという感じでしょうか。
 
 
3畳ほどの部屋のシングルベッドが二つ、シャワー、トイレ、それでも冷蔵庫、電子レンジとちょっとした食器がありますが、
テーブルが無いのがおもしろいです。しかし、WiFIは無料でアクセスが簡単で助かりました。

交差点に私の泊まるモーテルの名が表示されていました。
 
荷物を置いて、早速周辺を調査をかねて散策しました。道路は広く、通り名が記されているので分かりやすいのですが、
方向がいまいちつかめず、初めはウロウロしましたがしばらくして慣れました。
ガバメント・ガーデン
 
ロトルア博物館の立派な建物があるのですが、地震の影響で閉館でした。 以下、公園内の風景
 
 
冒頭のiSITE(インファメーション)は立派で、道に迷った時のランドマーク的でした。
長距離バス発着所と市内バス(シティライド)乗り場が隣接しています。
ロトルアの市内は無料の公共トイレをいくつも見ました。
 
家の塀にペインティングされていたり、交差点にはマオリゆかりの飾り物などがあったりゆったりした感じです。
 
いろんなファストフード店の様なレストランがあります、どうもいまいちです。
歩いて、10分ほどの所にショッピングモール様のスーパーマーケットと別のスーパーマーケットがあり、助かりました。
大きい普通のスーパーで、食材は豊富でした。サラダ、ワイン、チーズ、ハム、ヨーグルト、チキンの惣菜、量り売りのリンゴ、
キウイ、バナナ、トマト、パプリカなどを買いました。
街を歩いていると、装甲車のような車水陸両用車で、川や池や山道を走り回る観光客用の車だそうです。
明日は午前中はレッドウッド・ファカレワレワの森を散策し、
午後は、オヒネムツ・マオリ村を訪れる予定です。天気予報は曇り時々雨ですが、降られませんように。【11月27日】


ニュージーランドの旅。総集編・オークランド4日目/オークランド美術館・ホーリー・トリニティ大聖堂

2017年12月26日 | 2017ニュージーランド旅行

ホーリー・トリニティ大聖堂
11月26日、オークランド4日目
午前中はオークランド美術館、午後はホテル周辺の散策の計画でしたが、美術館は、10時開館なので、予定を変更して、
もう一度ホーリー・トリニティ大聖堂に行ってステンドガラスの撮影に変更しました。
ブリトマート駅でATカードを10ドルチャージし、先日乗ったバス停に行くと、
日曜日は市の中心部にはバスが入れ無いので、このバス停はクローズと電光掲示板に案内されていました。
ブリトマート駅に戻り、インフォに聞くと別の所に変わるのだというのですが、その場所がさっぱり分かりません。
ATの職員に聞くと、彼女も分からず、わかる男性を呼んでくれました。ここから2分の7071乗り場だというのです。
歩いて探したのですが、結局分かりませんでした。通りがかりの人に聞くと、スマホで場所を検索してくれました。
そこは、戦争博物館に行くときに使ったメトロバスのバス停でした。ここにやっと案内人がいました。 ATカード
 
大聖堂に着くと日曜礼拝中で写真はだめでした。
私は、プロテスタントの礼拝は参加したことが無いのでしばらく参加しました。
1時間くらいで終わると思ったのですが、渡されたリーフレットを見るとたっぷり2時間はかかりそうでしたので、
40分ほど礼拝に参加した後にバスで市内に戻りました。
オークランドのメインストリートでは、今日はクリスマスの特別パレードが行われていました。
道の両側は、立錐の余地もないほどの人々が座席を確保していました。
 
各市民団体が工夫を凝らしてパレードするようです。
 
私は、それを少し見て、その後、人混みをかき分けオークランド美術館に向かいました。
オークランド美術館
入り口                        横から見たところ
 
きれいな立派な美術館で、特別展示を除くと無料です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
展示作品は、特別に有名な画家の作品は少なく、展示数もそれほど多くないです。
私は知りませんが、ニュージーランド人の作品がたくさん展示されていました。
美術館からホテルまでは歩いてもわずかなので、ホテルに戻り、ランチを食べました。
2時近くになったのですが、やはりホーリー・トリニティ大聖堂のユニークなステンドグラスを見たいので出かけました。
3度目のホーリー・トリニティ大聖堂、やっと西洋とマオリ文化の融合と言われるステンドグラスにまみえることができました。
 
 
 3度目の正直でした。美しいです。
帰りのバスは、アウターインク路線、日曜日なのでバスは市内には入れず、終点はスカイタワーのはるか南側でした。
そのおかげで、アオテアスクエアに立ち寄り、行われている一大イベントを見ることができました。ものすごい人混みでした。
 
  
セントポール教会                 マオリの集会所
 
 
英国国教会
 
セントパトリック教会
 
明日は、ロトルアへ移動です。ロトルアへのバス乗り場は、長距離バス発着場・インターシティバスのターミナルで、
スカイタワー横にありました。夕飯は、スーパーでサケの切り身を買ってきてフライパンで焼きました。
ドタバタした一日でした。、難しい場所ではないので、私としてはこのハプニングを少し楽しんだ気分です。
日曜には、バスが市の中心には入れないのには驚きました。
何人かに道を聞きました。多くの人がスマホで検索し、教えてくれるのには、すっかり時代の変化を感じました。
私は、スマホもタブロイドも持っていませんし、私の携帯はウエブは使用できません。
道を尋ねた人の中に、日本語が少し分かるおもしろい中国人がいました。彼もスマホで検索してくれました。
私が出かける前にパソコンでニュージーランド版乗り換え案内でバス停などを検索しなかったのが失敗でした。
翌朝、外が騒がしいので見ると、
 
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オークランドは3泊しましたが、2泊でも良いかもしれません。
ニュージーランドの街歩きで一番感じたのは、体格の良い人が多いことです。
特に目に付くのは、女性のバストの大きさです。自信があるのでしょう胸元を大きく空けて、乳房が丸見えで、
目のやり場に困ります。また、ホットパンツも多いです。足下はビーチサンダルが多いです。喫煙者は少ないです。
男女ともカントリーカラーの黒が圧倒的に多いです。ニュージーランドの現在は、日本の初夏という感じで、
気温は20度前後、朝晩は涼しく長袖が良いです。これから真夏、光を吸収する黒は暑くないのでしょうか?
ホームレスというか物乞いは多いです。しかし、しつこくないので気にはなりません。
泊まったホテルは、スカイタワーの真ん前です。繁華街、夜中、酔っぱらいも多く人々が結構騒いでいます。
ゴミを捨てる人は少なく、路上はきれいです。
公共交通機関がバスだけのせいか、歩く人も多いように思います。しかし、坂が多いせいか自転車は少ないです。
その代わり、スケートボードが多いです。傑作は、モーター付きスケボーでした。撮影できませんでした。
ニュージーランドは移民の国とも言われるように、いろんな人種の人が多いです。
そのせいでしょう、いろんな国の料理店があります。日本の寿司屋もとても多いです。
しかし、アフリカ系が少ないように感じました。
バスの路線は複雑すぎて私にはほとんど理解できませんでした。バス停は、名称がなく#00でわかりづらいです。
適当な路線図のリーフレットも手に入りませんでした。手に入っても使いこなせ無かったと思いますが…。
路線検索のアプリをパソコンで何回か利用しましたが、私には使い勝手は良くありませんでした。
バスはかなり頻繁に走っているせいか、どのバスも混んではいないように感じました。
車内でスマホを操作する人はわずかでした。
それは、バスは停留所名のコールや電光掲示板など一切無いので、降りるバス停に注意しなければならないことと
関係しているのかもしれません。
ネイティブの英語は早いです。普通の会話では、私はほとんど聞き取れませんでした。
従って、私の口癖は、「私は英語が上手ではありません」となり、途端ににっこりしてゆっくり話してくれます。
そして、最後に「あなたの英語はグー」とお世辞を言ってくれます。
今回利用したホテルは、日本で言うとおそらくウィークリーマンションのような感じかもしれません。
冷蔵庫、洗濯機、電子レンジ、豊富な調理・食器類、トースター、掃除機、アイロン、電気ポットなどがそろっています。
今回の利用したホテルのロケーションは良く、空港からのバス、長距離バスの発着所もすぐ近くですし、
ニュージーランド最大のスーパーマーケットである「カウントダウン」もすく近くでした。
スーパーは、朝7時から夜11時まで開店しています。
日本のスーパーと違うなと感じたのは、野菜や果物は量り売りで1個でも買えます。
反面、惣菜や弁当などが少ないこと、物価は日本の1割り増しの感じです。
レジは、セルフ式とキャッシャー式との割合は12:1の感じでした。
支払いは、スーパーのみならずほとんどの店(ファストフード店でも)でカードで支払いできます。
ただ、日本ではカードを店員に渡しますが、NZでは自分で操作します。
支払い方法の選択、カードの挿入方法、使用するカードの種類なども操作するので、はじめは戸惑いました。
しかし、スタッフが近くにいて、ウロウロ迷っていると近寄ってきてアシストしてくれます。
ミケランジェロの「最後の審判」の落書き 【11月26日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・オークランド3日目/デボンポート島・動物園

2017年12月25日 | 2017ニュージーランド旅行

25日 オークランド3日目
今日は、午前中はフェリーでデボンポート島に渡り、午後はオークランド動物園に行きました。
町中でバンジーが行われていました。   マオリの人にとって特別のイベントがあるようで、身動きできない混みようでした。
 
クィーンズワープふ頭、10:00のフェリーでした。乗客は150人ほどでしょうか。
10分であっという間に着いてしまいました。
かなり古い町のようで、リタイアした人々が過ごすようなちょっと豪華な家並みでした。 デボンポート島の乗り場 
 
しかし、小学校もあり、埠頭から400mほどのところにマウントビクトリアと言う小高い丘があります。
結構厳しい坂道で息が切れました。頂上には、オークランド港に入る船を監視した大砲がありました。
   
また、トーチカもありました。
 

デボンポート博物館の場所はよくわかりませんでした。
ニュージーランドの有名な作家・ミハエル・キングのセンター     教会
 
 
海軍博物館
 
この日は、土曜日、クリケットを楽しむ人々
 
公園のトイレです。
 
マウントビクトリアの丘が見えました。
 
帰りのフェリーから見るデボンポート島

11:45のフェリーに間に合い、お昼にはオークランドに着いたので、ホテルでランチを食べました。
スカイタワーとバンジージャンプ           ビルのガラス窓に映るスカイタワー
 
午後は、オークランド動物園に行きました。バスは、スカイタワー脇、ホテルから2分ほどのバス停から出ます。
動物園を通る路線は複数あるようです、どれが適当なのか、ネットで検索しましたが、よくわかりません。
ATカードの残金が不足でした。残りの5ドルを現金で払いました。
チャージ(現地では、TopUpというようですが)できるそうだが、どこでするのかまた方法もよくわかりません。
20分くらいすると、ドライバーがここだと教えてくれましたが、動物園の入り口がさっぱりわかりません。
聞いてやっとわかりました。バス停から500mほども離れていました。
オークランド動物園            トラム
 
入場料はシニア25ドルでした。
日本の上野動物園よりは狭く、規模や酒類なども少ないように感じました。
 
 
 
 
 
 
 
象園では、ちょうど食事時で、食材の置き方を工夫したり、木にハチミツなどを塗っていました。
 
 
 
 
 
赤いティシャツを着たボランティアスタッフがたくさんいて、教えてくれます。
私は、ニュージーランドコーナーの場所がわからなかったので聞くと、地図の向きを変えるとわかると教えてくれました。
3時半過ぎのバスで帰りました。現金で5.5ドルでした。
夜8時半を過ぎても明るいです。
   【11月25日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・オークランド2日目/イーデン山、戦争博物館など

2017年12月25日 | 2017ニュージーランド旅行
 戦争博物館
11月24日
朝食が食べられる店を探したのですが、適当なのがなく、近くの大型スーパーで買うことにしました。
すると、なんとここで、3極式プラグからの変換プラグがあったのです。15ドルでした。
心はすっかり軽やかになり、朝食をゆっくりいただきました。
スカイタワー地下にある「iSITE」(インフォメーション)に行き、バスの路線図などをもらいました。
私は、まず歩いてブリトマート駅に行き、日本のスイカカードのような「ATカード」を買いました。10ドルです。
10ドルをプラスチャージしました。
私は、はじめ鉄道でマウントイーデン駅まで行きそこから歩く予定でした。
チケット売り場の職員に鉄道かバスどちらがお薦めですかと聞くと「バス」というのでバスにしました。
10時発でした。先刻買ったATカードを早速使いました。
私はドライバーに「Mt.Edenのトップ」、そのバス停が来たら教えてくれと頼みました。
ドライバーは、「ここだ」と言い、少し戻ったところを行けと言いました。
しばらく行くとその道は行き止まりになり、藪の中の獣道のような小道となりました。
私は少し不安になりましたが、その山道を進むと、大きい道路のガードレールにぶつかりました。
なんと、普通の道ではなく近道なのでした。
イーデンの名がつくバス停はいくつかあり、この脇道が一番山頂に近い道でした。
イーデン山は、噴火口跡にできた196mほどの小さい山です。
オークランド市内が一望できるポイントです。
 
イーデン山火口                   山頂の記念碑
 
ワン・トゥリー・ヒル(オークランド市の創始者。・ジョン・ローガン・キャンベルさんがマオリへの敬意を表して建てた塔)
の頂上に碑が見えます。               ハーバー・ブリッジ 
 
歩いて、オークランド博物館に行きたかったのですが、道がわからないのでバスでブリトマート駅に戻り、
バスで行きました。
ニューマーケット行きのバスが止まっているのが見えたので、ドライバーに「博物館?」と聞くと、そうだと頷きました。
後ろの老夫婦が「博物館は次の停留所だ」と教えてくれました。ドライバーとのやり取りを聞いていたのでしょう。
オークランド戦争記念博物館             裏側
 
ピースボートで訪れたときは、時間が無く入館できませんでした。
今回は、たっぷり時間があるので入りました。市民は無料ですが、外国人は25ドルです。
地上階は、マオリコーナーです。素晴らしいの一言に付きます。良く残されたと思います。
一つ一つの造作がとても頑丈・立派で芸術的です。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
マオリ語と英語で表記されています。
  
廊下から、正面入り口です。
 
一階、2階の展示はお世辞にも立派とは言えません。日本文化の紹介は、陶器と極少の仏像です。
 
また、日本に関する戦争に関する展示物も、日本刀などきわめて限定的で、東条英機と被爆者の写真と
日の丸以外は目に付きませんでした。
……………………………………………………………………………………………………………………………………
ウインターガーデン(温室植物園)、 博物館近くにあります。無料で中庭を挟んで二つの温室からなっています。  
 
びっしり咲き乱れた花々は手入れが行き届いて、むせんばかりの香りに包まれています。
 
 
 

 
ウインター・ガーデンに隣接して広大なオークランド・ドメイン公園 とにかく巨木です。
 
 
クリスマスツリーと言われるポフツカワの花はまだちらちらでした。
 
ここから、降りたバス停まで戻り、ホーリー・トリニティ大聖堂に向かったのですが、道を間違えました。
おかしいなと気づき、通りかかかった男性に聞くと、なんと日本語で「ここをずっとまっすぐ行くと」と
流ちょうな日本語で答えてくれました。
ホーリー・トリニティ大聖堂             左側から
 
大聖堂は、大きい劇場のようでこの日は音楽バンドが借り切ってリハーサルのようで入ることができませんでした。
隣にあるセント・メリー教会にどうぞ、とあったので参拝しました。
 
帰りがけに入口の高齢の女性が「どこからですか?」と声をかけてくれました。
これで今日計画していた予定は終わったので、バスで帰ることもできたのですが、下り坂なので歩いて帰ることにしました。
以下名前はわかりません。
 
 
アルバート公園を経て、ホテルに入りました。4時ちょっと前だったと思います。しばらく写真の整理などをしました。
夕飯は、昨日の残りのサラダとスーパーで買ったチーズとリンゴとトルコ料理屋で買ったチキンとワインでした。
夕飯後は、洗濯機で洗濯しながら、昨日までのブログの発信と今日のブログ用メモを作成しました。
ニュージーランドでは、ほとんどの買い物がカードでできます。
日本では、カードをスタッフに渡してやってもらいますが、ここでは自分で操作します。
挿入方法を間違えたり、操作をミスしても、店員は馬鹿にしないで何度でも親切に教えてくれました。
スーパーでは、セルフサービスのレジもあるのですが、パンの種類などは多すぎてよくわからなかったり、
果物や野菜などは測り売りで私には難しいのでセルフより多く並びますが、スタッフのいるレジに頼みました。
夕方遅くは、レジは長蛇の列です。日本では「3人でも並ばせない、です」、が30人ほどは並んでいますが、客も平然としています。
今日は、問題なしでした。【11月24日終わり】

ニュージーランドの旅。総集編・出国/オークランドへ

2017年12月24日 | 2017ニュージーランド旅行



11月22日~12月23日の一ヶ月のニュージーランドの旅を終えて、大過なく帰国し、その旅の記録を総集編として書きます。
冒頭の、写真を何にするか考えた末、上の二つにしました。
マウントクックの朝焼けとニュージーランドの人々です。裸足やタトゥーではありません。
今回の旅で、私が一番感銘を受けたのは、ニュージーランドの人々のとてつもない優しさでした。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ニュージーランドは、日本の3/4の面積に、静岡県の人口と同じ位(440万人)の人々が住んでいます。
面積は狭くはありませんが、決して大国ではありません。
ニュージーランドは、世界で初めて女性参政権(1893年)を認めました。
先住民で少数民族(15%)のマオリ語を公用語にしています。
また、同様に手話も公用語です(ちなみに韓国もそうです)。
以上三点でだけでもニュージーランドは世界の尊敬を受けるに値する国と私は思います。
2011年の地震で大被害を受けたクライストチャーチの復興は進んでいますが、その被害の爪痕はまだまだ大きく残っていて、
あちことで復興の槌音が響いていました。
ニュージーランドは、19世紀金鉱ラッシュや食物の冷凍保存が進んだ時期、鉄道が建設され、鉄道輸送が栄えたそうですが、
現在はほとんど鉄道網は発達していません。
それも、もっともな話で、広い国土の割に人口が少ないですから、建設しても採算が取れないからだと思います。
バスも、一日一往復の路線も少なくありません。それに半比例して、地方都市にも飛行場がかなりあって、
飛行機がかなり使われているように感じました。
また、ニュージーランドは、歴史が浅く、遺跡や歴史的建造物などが少なく、大都市も少ないので、1ケ所に数日とどまって、
市内を散策するという私のスタイルは今回は少なく、その分都市を移動することが多くなりました。
その分、移動もゆっくり楽しみたいと思っています。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
前置きが、少し長くなりますが、お許し下さい。今回の旅で、飛行機の予約が少し混乱しました。
私は、旅を計画する時、おおざっぱな日程を決めた後、飛行機をまず予約し、その後、Booking.comで宿を予約します。
Booking.comの良いところは、現地決済のところが多く、多くは1週間前までのキャンセルが無料なことです。
しかし、それは諸刃の刃で、「とりあえず予約しておこう」も多いようで、空きがない場合があるのです。
私の選択の基準は、市のセンターに近く、高くないところです。
楽天トラベルの、成田発のフライトが安く、時間的にも良かったので、まずそれにしました。
しかし、7月に羽田発オークランド直行便が開設されました。
私は、成田より羽田の方が断然良いので、楽天トラベルチケットをキャンセル料払って、解約し、
羽田発のフライトに変更、予約しました。
ところが、確か9月頃になって、羽田発の時間が大幅に変更になり、一日ずれることになりました。
すると、ホテルの予約、バスの予約、ツアーの予約などの大幅な変更が必要になってしまいます。
フライトの日程の変更は、NZ航空の方で、私の要望にそって変更してくれることになりました。
私の変更は、11月22日発は変わらないのですが、一日早くオークランドに着くフライトにしました。
そうすると1泊だけ多くホテルを予約すればいいだけですから。
しかし、成田発で羽田着となりました。私としては、かなり不本意でしたが、そうしました。
スカイライナーを予約していました。午前中、電車トラブルで遅延が出ているとのことで気が気ではありませんでした。
昼過ぎには平常に戻ったようですが、念のため予定より30分も早い電車で出かけました。
飛行機の搭乗手続きはすごく簡単でした。
19時出発、ニュージーランドには翌日の9時到着でした。
ニュージーランド航空は、8万円追加すると、スカイコートと言って3席分を確保し、横になる席があります。
ちょっともったいないとは思いましたが、奮発しました。
足を完全に伸ばすことはできませんが、ひざを曲げると横になれるのでとてもよかったです。
ぐっすり寝ることはできませんでしたが、1席とは雲泥の差でした。
長旅の始まりに、寝られず疲れるのがイヤだからです。
でも、ビジネスクラスや、ファーストクラスは高すぎて手が出ません。スカイコートなら何とかできる金額です。
……………………………………………………………………………………………………………………………………
事前の調査では、薬や菓子類の持ち込みなどは厳しいと言われていました。
薬は、医師の処方箋が必要で、市販の薬は、未開封のママということでした。
私は、痛風の薬は絶対必要ですので、医師に英語の処方箋を作成してもらいました。
また、うがい薬や、抗アレルギーの薬は未開封のものを準備しました。
しかし、実際は、入国審査で、検査官の質問に答えるだけで拍子抜けの簡単さでした。
入国審査の書類に薬、のど飴などを持っていることを正直に記すことが必要で、
記載しないで、万一調べられて、薬が発見されるとそれは違法で問題だと言うことです。
常識の範囲内であれば、ほとんど問題ないと言うことですが、正直に申告することが大事だと私は思います。
さて、ずいぶんと前置きが長くなりました。
……………………………………………………………………………………………………………………………………
スカイコーチのおかげで、ぐっすりとは行きませんが、かなり寝ることができました。
空港から、市内まではスカイバスが簡単で安いです。空港を出て、インフォでチケット売り場と乗り場を教えてくれます。
ホテル事務所は、すぐわかりました。
チェックインタイムは14:30以降なので、荷物を預けて付近を歩きました。
日本を発つときは、冬服なので、夏モードに着替えたり、パソコンをスーツケースにしまったり、
地図一式そろえて街歩きに出かけました。
聖パトリック聖堂
 
港の海洋博物館
 
フェリーターミナル駅
 
ブリトマート駅、旧駅舎で今は使われていません。
 
 
 
市民劇場                     市民交響楽ホール
 
アオテア・スクエア                 映画館
 
寿司屋や日本食堂はたくさんあります。
 
確か、ダイソー(3$)

英国国教会
 
バプテスト教会
 
大手デパート

などホテル周辺から海岸、港付近をのんびり歩き、ホテルに戻ることにしました。
ところが、ホテル事務所からたった徒歩3分のアパートメントホテルの場所がわかりませんでした。
今回のホテルは、ホテル事務所とホテルは、違う場所にあるのです。いわゆるレセプションもありません。
事前に調べた地図とはちょっと違っていて、しかも独立したホテルの建物ではないのです。
いわば複合ホテルで事務所や一般の住居(アパート)なども入っていて看板らしきものがないのです。
仕方なく、事務所に再度戻って聞きました。なんと若い女性職員が案内してくれました。
すると、ホテルはスカイタワーの真ん前でした。
次の問題は、ビルの入り口がロックされていて入れません。
日本のマンションのように、セキュリティー窓にカギをかざす必要があるのでした。
こうしてなんとか苦労してやっと部屋に入ると、広く、日本のワンルームマンションのようで、冷蔵庫、洗濯機、乾燥機、
ミニキッチンと食器類そして電子レンジがそろっていました。
 
 
インターネット事情をチェックすると、無料ではなく、1日5$、1週間10$だったと思います。
申し込み、アクセスできたのですが、ニュージーランドのプラグはユーロタイプのC型プラグではなく、3極式プラグ(後者)なのです。

このままでは、私の電気製品は使い物になりません。
私は慌ててホテルを出て、電気屋をずいぶん長い時間探しましたが、まったく見当たりませんでした。
仕方なく、明日、ホテルの事務所か、近くの「地球の歩き方」事務所で、売っている店などを紹介してもらおうと思い、
この二つの出来事と、やはり夜の飛行機でしたので、どっと疲れが出てきました。
夕食は、近くのスーパーでサンドイッチとワインなどを買って夕飯としました。 
ホテルの窓から、夜のスカイタワー
   
9時頃寝、翌朝7時半に起床しました。  【11月22日、23日終わり】

オークランドの港を歩き、その後帰国しました。

2017年12月23日 | 2017ニュージーランド旅行

ヨットハーバーからヨットが出る時、橋が開閉します。
ヨットハーバー

クイーンズ・ワーフ

オークランド大学の時計塔

夜11:05発、翌朝6時着の飛行機で帰国しました。
ひやひやすることもたくさんありましたが、充分楽しんだニュージーランドの旅でした。
負け惜しみではありませんが、そうした失敗は、ツアーでは経験できない楽しさでもあります。
明日から、ぼちぼちとニュージーランド記を書いていくこととします。 【12月22~23日終わり】



ダニーデンからオークランドに移動

2017年12月21日 | 2017ニュージーランド旅行

ダニーデン空港です。
冬のダニーデンから、初夏のオークランドへ、飛行機で移動しました。
ホテルのチェックイン場所がわからないで苦労しました。
この苦労話は、帰国後に認めます。
今日は写真を3枚しか撮りませんでした。
ホテルにやっとチェックインし、ポールとメールのやり取りをして、
明日の午後3時に会う約束をしました。
人との縁を感じます。
おまけ
ダニーデン空港に、こんなお店がありました。丼物でした。
  【12月21日終わり】

不思議な岩のモエラキ・ボルダー、世界一きつい坂ボルドウィン・ストリート

2017年12月20日 | 2017ニュージーランド旅行

この岩をわざわざ見にオアマルに行ったと言っても過言ではありません。
そこまでの価値があるかはわかりませんが…。
オアマルから車で30分ほどのところにあります。

これまたギネスブックにも登録されている世界一きつい坂だそうです。



ダニーデンに行ったのもこの坂を見、登ってみるためです。
明日、オークランドに飛行機で戻り、1泊し、その翌日、深夜の飛行機で帰国します。【12月20日終わり】

オアマルを訪れました。

2017年12月19日 | 2017ニュージーランド旅行

オアマルは、19世紀後半、冷凍肉の輸出や石材の港町として栄えた歴史的な街だそうです。
現在は、ペンギンのコロニーがあり、観察できるそうです。
上の写真は、そんな倉庫街の通り、現在も一部は倉庫で使われているようですが、
洒落たカフェやショップに新装なっているところも多いようです。

私が泊まったホテルです。でも、部屋は3.5畳ほど、ベッドだけです。
トイレやシャワーや台所などは供用で、75$です。
昔の木賃宿はきっとこんな感じだったのでしょうね。

少し高台から俯瞰したオアマルの一部です。


オアマルは、冷たい海風が強く吹き、とても夏とは思えません。
しかし、住民は半ズボンにTシャツの薄着が多く、旅行者は冬のコートを着ています。【12月19日終わり】