ピースボート・地球一周の船29
オークランド/ニュージーランド島・後編 [12/25~12/29]
フォックス氷河
南島の原生林
12/27
翡翠街道を通ってウエスト・コーストへ向かう。

原生林の中を延々と走る。
苔むしたブナ林や巨大なシダが密生する様は人跡未踏の密林である。
おそらくイギリス人はこの原生林を伐採し、開拓して牧草地にしたのだろう。
どこまでも同じ風景なのだが私にはこの旅の中で一番のんびりと開放された気分で心地よかった。
ハット自然公園[きれいな無料トイレがあった]

ハースト峠は激しい雨のため、バスを下車しないで通過、しばらく行くと
“knight's point”と言う絶景ポイントとその前の道路の苔とシダ
途中、マスを養殖しているレストランで昼食を取り、いよいよ氷河へ。
フォックス氷河[雨が降っている]

フォックス氷河は眼前とは言えない距離でその迫力は直接伝わってこなかったが、
氷河が削ったであろう岩肌を見るとその力を感じた。

フランツジョセフ氷河

実は、この川の手前に進入禁止のロープがあるのだが、外人は無視して騒いでいた。
シーニック・サークル・フランツジョセフ・グレーシャーホテル宿泊
12/28
陸路、グレイマウス市へ[3時間30分]
マポウッカ湖とその前の道路・シダの群生

ホリキチカ市のホリキチカ川河口とその海岸
激しい偏西風で樹木は陸側に曲がり、海岸には流木が流れ着く。

グレイマウス市内

お店の看板と公共トイレ

トランツ・アルパイン山岳列車鉄道[グレイマウス~クライストチャーチ、4時間30分]
1日1往復、30分遅れで出発、おそらく15以上の連結車両だろう、かなりの乗客数である。
グレイマウス駅

アーサーズ駅[アーサーズ峠=標高737m]、数分間停車する、構内のトイレ

その車窓風景・壁のない展望車両がある

車窓からの風景は特別の美観でとはいえ無いが、窓のない展望車両は風を感じ、楽しい。
村人一人の村

クライストチャーチについたのは夕方7時前であった。
ホリディ・イン・シティ・センター・クライストチャーチ宿泊
12/29
クライストチャーチ空港、朝7時発の飛行機であった。
朝食も取らずに真っ暗な4:45にホテルを出発、飛行機内食であった。
約2時間のフライトなのだが一時間の時差のためオーストラリアのシドニーに着いたのは8時であった。
午前中、シドニー市内をバスで観光し、午後、モナリザ号に合流した。
船に荷物を置いて、シドニー市内を一人でぶらついた。
シドニー観光は次にゆずる。
ニュージーランドはこれまで寄った国・寄港地とは全く風景・たたずまいが異なっていた。
一番の印象は、街、道路が本当にきれいで、ゴミ一つ落ちていない、クリーンさであった。
それ以上に驚いたのは公衆トイレの完備と清潔さであった。
どんな小さい街でも、きれいな公共トイレが町中にあった。
鉄道の駅にもきれいなトイレがあった。
ニュージーランドの国土の広さは日本の4分の3ほど、人口は横浜市・静岡県と同じ位。
今回は南島だけであった。平地・牧草地を何時間も走っても、車・人・家にほとんど巡り会わなかった。
牧草地は家畜がたくさんとのイメージであったが、家畜にもめったに会わなかった。
また、家畜がいても密集という感じではなかった。
着いた日がクリスマスで、ほとんどの店が閉まっていた。
日本では真冬だが、クリスマス・新年の夏休みで、気候はとても穏やかだった。
不思議なことは、白夜ならぬ日の入りがとても遅く、夜8時9時まで明るい。
日の出が遅いと言うことではない緯度は日本とほとんど同じ。
どうも、地球の地軸が傾いているためではないかと思う。
このツアーはほとんど移動に時間が取られたが、不満ではなかった。
特に、ブナなどの原生林の中や牧草地を中を何時間も走るのは楽しかった。
ただ、市民と話す機会がなかったのは残念であった。
バスの運転手はマオリの人であった。
ツアー中、これは珍しいことだが一緒のテーブルで食事をとった。
他の人は英語が話せないのかは知らないが、誰も彼に話しかけず、話したのは私だけだった。
日本食・日本文化が大好きで、ニュージランドでは和食はヘルシーで人気だという。
ほんの少しでも英語が出来るというのはやはり良いことである。
我々が鉄道で移動した日、彼は一人でバスを運転して来て我々に合流したのだが
電車が遅れたため、勤務時間を超えてしまったのだが、サービスしてくれたり、
また、最後の日は、早朝出発のため休憩時間が足りないので連日勤務は出来ないと違う運転手が来た。
イギリスの影響で車は左側通行のため違和感が無く、ほとんどが日本車であった。
特におもしろかったのは、橋である。
二車線作るとお金がかかるという理由で、車一車線の幅しかないのである。
橋の手前に信号はない、優先順位の標識があるだけだ。
見通しがよいし、車の数が少ないので、これで十分なのだという。不思議な光景だった。
高速道路ではなく、一般道路なのに制限速度が80~100km、にも驚いた。
オークランド/ニュージーランド島・後編 [12/25~12/29]

フォックス氷河

12/27
翡翠街道を通ってウエスト・コーストへ向かう。




原生林の中を延々と走る。
苔むしたブナ林や巨大なシダが密生する様は人跡未踏の密林である。
おそらくイギリス人はこの原生林を伐採し、開拓して牧草地にしたのだろう。
どこまでも同じ風景なのだが私にはこの旅の中で一番のんびりと開放された気分で心地よかった。
ハット自然公園[きれいな無料トイレがあった]


ハースト峠は激しい雨のため、バスを下車しないで通過、しばらく行くと
“knight's point”と言う絶景ポイントとその前の道路の苔とシダ


途中、マスを養殖しているレストランで昼食を取り、いよいよ氷河へ。
フォックス氷河[雨が降っている]


フォックス氷河は眼前とは言えない距離でその迫力は直接伝わってこなかったが、
氷河が削ったであろう岩肌を見るとその力を感じた。

フランツジョセフ氷河


実は、この川の手前に進入禁止のロープがあるのだが、外人は無視して騒いでいた。
シーニック・サークル・フランツジョセフ・グレーシャーホテル宿泊
12/28
陸路、グレイマウス市へ[3時間30分]
マポウッカ湖とその前の道路・シダの群生



ホリキチカ市のホリキチカ川河口とその海岸
激しい偏西風で樹木は陸側に曲がり、海岸には流木が流れ着く。


グレイマウス市内


お店の看板と公共トイレ


トランツ・アルパイン山岳列車鉄道[グレイマウス~クライストチャーチ、4時間30分]
1日1往復、30分遅れで出発、おそらく15以上の連結車両だろう、かなりの乗客数である。
グレイマウス駅


アーサーズ駅[アーサーズ峠=標高737m]、数分間停車する、構内のトイレ



その車窓風景・壁のない展望車両がある


車窓からの風景は特別の美観でとはいえ無いが、窓のない展望車両は風を感じ、楽しい。
村人一人の村



クライストチャーチについたのは夕方7時前であった。
ホリディ・イン・シティ・センター・クライストチャーチ宿泊
12/29
クライストチャーチ空港、朝7時発の飛行機であった。
朝食も取らずに真っ暗な4:45にホテルを出発、飛行機内食であった。
約2時間のフライトなのだが一時間の時差のためオーストラリアのシドニーに着いたのは8時であった。
午前中、シドニー市内をバスで観光し、午後、モナリザ号に合流した。
船に荷物を置いて、シドニー市内を一人でぶらついた。
シドニー観光は次にゆずる。
ニュージーランドはこれまで寄った国・寄港地とは全く風景・たたずまいが異なっていた。
一番の印象は、街、道路が本当にきれいで、ゴミ一つ落ちていない、クリーンさであった。
それ以上に驚いたのは公衆トイレの完備と清潔さであった。
どんな小さい街でも、きれいな公共トイレが町中にあった。
鉄道の駅にもきれいなトイレがあった。
ニュージーランドの国土の広さは日本の4分の3ほど、人口は横浜市・静岡県と同じ位。
今回は南島だけであった。平地・牧草地を何時間も走っても、車・人・家にほとんど巡り会わなかった。
牧草地は家畜がたくさんとのイメージであったが、家畜にもめったに会わなかった。
また、家畜がいても密集という感じではなかった。
着いた日がクリスマスで、ほとんどの店が閉まっていた。
日本では真冬だが、クリスマス・新年の夏休みで、気候はとても穏やかだった。
不思議なことは、白夜ならぬ日の入りがとても遅く、夜8時9時まで明るい。
日の出が遅いと言うことではない緯度は日本とほとんど同じ。
どうも、地球の地軸が傾いているためではないかと思う。
このツアーはほとんど移動に時間が取られたが、不満ではなかった。
特に、ブナなどの原生林の中や牧草地を中を何時間も走るのは楽しかった。
ただ、市民と話す機会がなかったのは残念であった。
バスの運転手はマオリの人であった。
ツアー中、これは珍しいことだが一緒のテーブルで食事をとった。
他の人は英語が話せないのかは知らないが、誰も彼に話しかけず、話したのは私だけだった。
日本食・日本文化が大好きで、ニュージランドでは和食はヘルシーで人気だという。
ほんの少しでも英語が出来るというのはやはり良いことである。
我々が鉄道で移動した日、彼は一人でバスを運転して来て我々に合流したのだが
電車が遅れたため、勤務時間を超えてしまったのだが、サービスしてくれたり、
また、最後の日は、早朝出発のため休憩時間が足りないので連日勤務は出来ないと違う運転手が来た。
イギリスの影響で車は左側通行のため違和感が無く、ほとんどが日本車であった。
特におもしろかったのは、橋である。
二車線作るとお金がかかるという理由で、車一車線の幅しかないのである。
橋の手前に信号はない、優先順位の標識があるだけだ。
見通しがよいし、車の数が少ないので、これで十分なのだという。不思議な光景だった。
高速道路ではなく、一般道路なのに制限速度が80~100km、にも驚いた。