少し遠出をして、群馬県高崎市西側を歩いた。[3月5日]

高崎は、浦和駅から電車でほぼ1時間30分。
JR駅高崎駅から市内を巡る期間設定コース『ぶらり中山道高崎宿』が、作12月から3月までの間、行われている。
これは、JRの『駅からハイキング』の一つで、高崎駅のビレッジセンターで受付すると、マップと缶バッジがもらえる。
通常の『駅からハイキング』は、JRの各駅主催で一日だけ行われるイベントで、
1000人、2000人ほどのたくさんの人々が、道路いっぱい歩行・交通信号無視の傍若無人で、とても耐えられないもので、
私は久しく参加していないが、期間設定コースはこのイベントはちょっと違うので良いかなと思った。
ビレッジセンターの受付簿ではこの日の参加者は二人だけであった。
以前、高崎市内は歩いたことがあるが、この「駅からハイキング」に私好みのお寺散策を加味したと言うわけ。
高崎市内は、土曜日のせいか人通りは少なかった。
高崎駅 延養寺

興禅寺 このお寺の境内は変わっていて、右の門をくぐると、すぐ道路・公園でその先に本堂のある境内となる。

向雲寺 永代供養塔・さら 生類供養塔

光明寺

竜広寺 豊川稲荷

元ロシア兵士の墓[日露戦争でロシアの捕虜500名が高崎市内の所々に抑留され、内3名が病気で亡くなったという]

高崎市内に陸軍の駐屯地があった。
頼政神社 内村鑑三の碑 高崎観音[利根川の支流烏川の先の丘陵に]

高崎出身とは言え、キリスト教徒の内村鑑三の碑が神社の境内にあった。面白いので写してきた。
「上州無智亦無才 剛毅木訥易被欺 唯以正直接萬人 至誠依神期勝利」
高崎公園 白モクレンの木

旧高崎城堀 将軍の孫の像[後ろは高崎市役所] ハープの泉

諏訪神社 高崎城乾櫓

群馬音楽センター 洒落た電話ボックス

玉田寺 高崎神社[右の赤い屋根は美保大国神社]

惠徳禅寺 三途川婆(しょうづかばあ)さん石仏[口・鼻・のど・胸などの病気に効くと言われ、すり減っている]

長松寺[高崎高校発祥の地]

茶の古豪商・水村園 街角の猿田彦大神

成田山光徳寺

寝具の金澤屋

法華寺 何かのお店か

正法寺 法輪寺

本元寺 善念寺

糀屋[漬け物やこうじを使う店]

大信寺 徳川三代将軍家光の弟・忠長の墓[乱行があり、自刃させられたが、相続争いの説もある]

安国寺

高崎市には昔、高崎藩・高崎城があった。
江戸時代広大な敷地であった城地の多くは、大日本帝国の軍隊がその地を引き継いだ。
高崎城も同様で、高崎市は軍都と呼ばれ、太平洋戦争末期には米軍の空襲を受けて、町の多くが焼け出された。
今日の町は、碁盤目状で古い町並みはあまり残っていない様に感じた。
人口は30万人ほどで、今日歩いた線路の反対側にも街並みはあるが、日本では決して大都市、広いとは言えない。
城下町であったためか、曹洞宗のお寺が多かったが、松平忠長の墓がある大信寺は浄土宗のお寺であった。
高崎市役所の建物はあまりも高層・巨大でまるで城の天守閣の様で異様で、町を圧迫している様だった。


高崎は、浦和駅から電車でほぼ1時間30分。
JR駅高崎駅から市内を巡る期間設定コース『ぶらり中山道高崎宿』が、作12月から3月までの間、行われている。
これは、JRの『駅からハイキング』の一つで、高崎駅のビレッジセンターで受付すると、マップと缶バッジがもらえる。
通常の『駅からハイキング』は、JRの各駅主催で一日だけ行われるイベントで、
1000人、2000人ほどのたくさんの人々が、道路いっぱい歩行・交通信号無視の傍若無人で、とても耐えられないもので、
私は久しく参加していないが、期間設定コースはこのイベントはちょっと違うので良いかなと思った。
ビレッジセンターの受付簿ではこの日の参加者は二人だけであった。
以前、高崎市内は歩いたことがあるが、この「駅からハイキング」に私好みのお寺散策を加味したと言うわけ。
高崎市内は、土曜日のせいか人通りは少なかった。
高崎駅 延養寺


興禅寺 このお寺の境内は変わっていて、右の門をくぐると、すぐ道路・公園でその先に本堂のある境内となる。



向雲寺 永代供養塔・さら 生類供養塔



光明寺


竜広寺 豊川稲荷


元ロシア兵士の墓[日露戦争でロシアの捕虜500名が高崎市内の所々に抑留され、内3名が病気で亡くなったという]


高崎市内に陸軍の駐屯地があった。
頼政神社 内村鑑三の碑 高崎観音[利根川の支流烏川の先の丘陵に]



高崎出身とは言え、キリスト教徒の内村鑑三の碑が神社の境内にあった。面白いので写してきた。
「上州無智亦無才 剛毅木訥易被欺 唯以正直接萬人 至誠依神期勝利」
高崎公園 白モクレンの木


旧高崎城堀 将軍の孫の像[後ろは高崎市役所] ハープの泉



諏訪神社 高崎城乾櫓


群馬音楽センター 洒落た電話ボックス


玉田寺 高崎神社[右の赤い屋根は美保大国神社]


惠徳禅寺 三途川婆(しょうづかばあ)さん石仏[口・鼻・のど・胸などの病気に効くと言われ、すり減っている]



長松寺[高崎高校発祥の地]


茶の古豪商・水村園 街角の猿田彦大神


成田山光徳寺


寝具の金澤屋



法華寺 何かのお店か


正法寺 法輪寺


本元寺 善念寺



糀屋[漬け物やこうじを使う店]


大信寺 徳川三代将軍家光の弟・忠長の墓[乱行があり、自刃させられたが、相続争いの説もある]


安国寺

高崎市には昔、高崎藩・高崎城があった。
江戸時代広大な敷地であった城地の多くは、大日本帝国の軍隊がその地を引き継いだ。
高崎城も同様で、高崎市は軍都と呼ばれ、太平洋戦争末期には米軍の空襲を受けて、町の多くが焼け出された。
今日の町は、碁盤目状で古い町並みはあまり残っていない様に感じた。
人口は30万人ほどで、今日歩いた線路の反対側にも街並みはあるが、日本では決して大都市、広いとは言えない。
城下町であったためか、曹洞宗のお寺が多かったが、松平忠長の墓がある大信寺は浄土宗のお寺であった。
高崎市役所の建物はあまりも高層・巨大でまるで城の天守閣の様で異様で、町を圧迫している様だった。
