中山道を歩く/浦和~上尾 2009.3.24 中山道69次を歩くの第3回

クラブツーリズムの『短期完歩シリーズ/中山道69次を歩く第3回』に参加した。
この日は、前日とうって変わって寒かった。ツアーでなければ歩かないのだが。
JR浦和駅前8時半集合出発。
玉蔵院 そして、その桜

9時に開門とのことで中に入れなかった。
星野本陣跡を通って、二七市場跡[豊臣秀吉この地に市を認めたという]、奥は慈恵稲荷

成就院

廓信寺

与野駅前の大ケヤキ

火の玉不動尊[左]、お女郎地蔵

さいたま新都心駅前、この一帯は灌漑用水の高台橋があった。
さいたま新都心駅を過ぎしばらく行くと、武蔵国一宮[氷川神社]石柱・一の鳥居

塩地蔵、右は子育て地蔵

涙橋跡(高台橋付近には形状があり、この橋付近までは見送りが許されたという)/第四銀行大宮支店の敷地内

大宮本陣跡[今は、居酒屋]

台座に獅子が彫られた灯籠

氷川神社門・拝殿[右]

東光寺

安政7年の道しるべ

東大成庚申塔

加茂神社・本殿壁の彫刻

南方神社

庚申塔=道しるべ、左は川越に行く道、この右に中山道がある

庚申塔岩槻から来た道、川越に行く道が付近にある、右奥は愛宕神社

井上脇本陣の瓦屋根

鍬神社、入ってすぐ右に浅間神社、その先に聖徳太子像碑

民家の屋根の上に鍾馗[しょうき]

家の前の屋根に鬼瓦があると、商売が繁盛しないというので、鬼に勝つ“鍾馗像”を置いたという。
鍾馗に勝つのは、笑いの「お多福」だとか。
落語の人情話に、左甚五郎を題材にした、ネズミに勝つ猫の話がある。
今では、浦和・大宮・上尾は大きな町だが、江戸時代は蕨宿より小さな宿だったようで、
浦和:1200人、大宮は1500人、上尾は800人ほどの人口だったという。
氷川神社は、大きな神社ではあるが、この他には街道沿いに特に大きな神社・寺院はない。
歩いたのは、16~20km位だろうか。
大宮で昼食となり、解散は4時半であった。
最近は、漢字検定などで漢字表記の正偽にうるさいが元々はかなりいい加減というか、要は通じる・分かる事が大事で、
時代とともに表現はいろいろ変化したらしい。
例えば、中山道は山が正しいと言われるが、仙でも間違いではなく、JRなどは今も仙を使うというし、
“栄”が付く地名の元々の意味は「境」から転じたという、
“久保”は「窪」、“浦”は「裏」などの地形上から付き、転じたそうだ。
また、稲荷神社には狐が祭られているが、それは稲の敵にネズミがおりそのネズミを食べるのが狐だからと言う。
狐の好物はイナリと言われ、その理由に諸説あるそうだが、狐は天ぷらが好きだったというと言う説が有力らしい。
とまれ、狐は玉・巻物・鍵の三つを持って、神社を守る。
さて、このシリーズ7回まであり、その後は2泊3日となるようだが、私は今回でおわりとする。
本シリーズはもう少し街道からそれて観光もするそうだが、日帰り短期シリーズは、歩くことだけが目的かのように、
大急ぎで歩き、時には小走り、信号ではかけ足、皆が集まりきらないのにガイドは説明を始めるし、
2列3列歩き・左側通行・道路をふさいでの説明はお構いなし、楽しみ方は色々だが、私は今回で止めることとした。


クラブツーリズムの『短期完歩シリーズ/中山道69次を歩く第3回』に参加した。
この日は、前日とうって変わって寒かった。ツアーでなければ歩かないのだが。
JR浦和駅前8時半集合出発。
玉蔵院 そして、その桜


9時に開門とのことで中に入れなかった。
星野本陣跡を通って、二七市場跡[豊臣秀吉この地に市を認めたという]、奥は慈恵稲荷

成就院

廓信寺

与野駅前の大ケヤキ

火の玉不動尊[左]、お女郎地蔵

さいたま新都心駅前、この一帯は灌漑用水の高台橋があった。
さいたま新都心駅を過ぎしばらく行くと、武蔵国一宮[氷川神社]石柱・一の鳥居

塩地蔵、右は子育て地蔵

涙橋跡(高台橋付近には形状があり、この橋付近までは見送りが許されたという)/第四銀行大宮支店の敷地内

大宮本陣跡[今は、居酒屋]

台座に獅子が彫られた灯籠

氷川神社門・拝殿[右]


東光寺

安政7年の道しるべ

東大成庚申塔

加茂神社・本殿壁の彫刻


南方神社

庚申塔=道しるべ、左は川越に行く道、この右に中山道がある

庚申塔岩槻から来た道、川越に行く道が付近にある、右奥は愛宕神社

井上脇本陣の瓦屋根

鍬神社、入ってすぐ右に浅間神社、その先に聖徳太子像碑



民家の屋根の上に鍾馗[しょうき]

家の前の屋根に鬼瓦があると、商売が繁盛しないというので、鬼に勝つ“鍾馗像”を置いたという。
鍾馗に勝つのは、笑いの「お多福」だとか。
落語の人情話に、左甚五郎を題材にした、ネズミに勝つ猫の話がある。
今では、浦和・大宮・上尾は大きな町だが、江戸時代は蕨宿より小さな宿だったようで、
浦和:1200人、大宮は1500人、上尾は800人ほどの人口だったという。
氷川神社は、大きな神社ではあるが、この他には街道沿いに特に大きな神社・寺院はない。
歩いたのは、16~20km位だろうか。
大宮で昼食となり、解散は4時半であった。
最近は、漢字検定などで漢字表記の正偽にうるさいが元々はかなりいい加減というか、要は通じる・分かる事が大事で、
時代とともに表現はいろいろ変化したらしい。
例えば、中山道は山が正しいと言われるが、仙でも間違いではなく、JRなどは今も仙を使うというし、
“栄”が付く地名の元々の意味は「境」から転じたという、
“久保”は「窪」、“浦”は「裏」などの地形上から付き、転じたそうだ。
また、稲荷神社には狐が祭られているが、それは稲の敵にネズミがおりそのネズミを食べるのが狐だからと言う。
狐の好物はイナリと言われ、その理由に諸説あるそうだが、狐は天ぷらが好きだったというと言う説が有力らしい。
とまれ、狐は玉・巻物・鍵の三つを持って、神社を守る。
さて、このシリーズ7回まであり、その後は2泊3日となるようだが、私は今回でおわりとする。
本シリーズはもう少し街道からそれて観光もするそうだが、日帰り短期シリーズは、歩くことだけが目的かのように、
大急ぎで歩き、時には小走り、信号ではかけ足、皆が集まりきらないのにガイドは説明を始めるし、
2列3列歩き・左側通行・道路をふさいでの説明はお構いなし、楽しみ方は色々だが、私は今回で止めることとした。