相撲部屋巡り3 2007/10/11
JR総武線で、亀戸→新小岩
鏡山部屋の前は、境川。
写真真ん中の白い建物が鏡山部屋。
細い川だがけっこう流れは急で、両側は木立・日陰で遊歩道が整備されている。
地図の七差路のところで小さな滝があった、発電してるようだった。
総武線の跨線橋、何車線あるのだろう、跨線橋の数は少ない、
線路で街はすっかり分断されている。
跨線橋を渡り終えると、
建物の右半分はマンションで、部屋は左半分のようだ。
JR総武線・小岩駅→山手線・日暮里駅へ
外国人の親子が部屋から出てきた。
相撲部屋にはたくさんの自転車。
以前、西日暮里に住んでいたことがあるのに日暮里駅前を歩くのは初めてだ。
日暮里駅前は変わっている。
駅は高架で、急な階段の脇が消防署で、そこを降りると駅前広場は無く、狭い道路。
狭い路地が入り組んでいて、地図と現場[方向]が一致しない。
駅前から、この旗が町中至る所に。
この旗を掲げた布地、洋服、革のお店があちこち軒を連ねている。
街は、ただ安売り、問屋街といったバタ臭さだけではなく、
落ち着いた感じの店と煩雑とした下町が共存している、ちょっと不思議な感じ。
そして、ハングルの看板もちらほら見かける。
武蔵川部屋はそんな町中にある。
武蔵川親方は元横綱三重ノ海で韓国出身あるいは在日と聞いたことがある[間違いかもしれないが]
もしそうであって、部屋がこの地に作られたのはそのことが関係していているのかな、とか
武蔵丸などの外国人力士を育成したことも関係あるのかな、
などと考えながら歩いた。
この部屋も、今暴力が問題になっているが。
番外
湊部屋[川口市]
午前中見に行った。稽古を窓の外から見た。
湊冨士[立田川]が指導していた。湊冨士はすっかりスリムになっていた。
稽古はもっと激しいと想像していた。
確かにどんなに鍛えているからと言っても、生の体と体がぶつかり押し合うのだから、
そんなに激しく続けることはできないはずだ。
ハアハア息していると「何息上がっているんだ」と立田川親方の声がかかり、
その力士が、途端に静かな息になってしばらくして、
苦笑が起き、緊張していた稽古場が和み、再びピーンとした。
境川部屋 [江戸川区舎人]
江戸川区だが、鳩ヶ谷市に隣接しているので自転車で行った。
玄関入って左が土俵、稽古が終わり食事中であった。部屋の前は川でふんどしが干してあった。
境川部屋の最寄り駅は東武伊勢崎線の竹の塚のようだ。
境川部屋近くに舎人神社があった、1830年代築の古いもので、社殿一面に彫刻が施されていた。
[保存のため被われ写真が無理、鳩ヶ谷八幡木神社の彫刻でその雰囲気を]
同じく近くに入谷氷川神社があった。
入間川部屋[さいたま市]
新築のよう、南側に回ると庭のフェンスなどもまだで、ふんどしが干してあった。
周りには畑がかなりあった。大宮バイパスの近くで電車だと遠く、自転車で行った。
近くに、珍しい足の神社・大国社があった。とても小さい。
両国周辺の相撲部屋巡りも今回でひとまず終わり。
両国周辺にもまだ複数の部屋があるようだが、それぞれかなり離れているので。
JR総武線で、亀戸→新小岩
鏡山部屋の前は、境川。
写真真ん中の白い建物が鏡山部屋。
細い川だがけっこう流れは急で、両側は木立・日陰で遊歩道が整備されている。
地図の七差路のところで小さな滝があった、発電してるようだった。
総武線の跨線橋、何車線あるのだろう、跨線橋の数は少ない、
線路で街はすっかり分断されている。
跨線橋を渡り終えると、
建物の右半分はマンションで、部屋は左半分のようだ。
JR総武線・小岩駅→山手線・日暮里駅へ
外国人の親子が部屋から出てきた。
相撲部屋にはたくさんの自転車。
以前、西日暮里に住んでいたことがあるのに日暮里駅前を歩くのは初めてだ。
日暮里駅前は変わっている。
駅は高架で、急な階段の脇が消防署で、そこを降りると駅前広場は無く、狭い道路。
狭い路地が入り組んでいて、地図と現場[方向]が一致しない。
駅前から、この旗が町中至る所に。
この旗を掲げた布地、洋服、革のお店があちこち軒を連ねている。
街は、ただ安売り、問屋街といったバタ臭さだけではなく、
落ち着いた感じの店と煩雑とした下町が共存している、ちょっと不思議な感じ。
そして、ハングルの看板もちらほら見かける。
武蔵川部屋はそんな町中にある。
武蔵川親方は元横綱三重ノ海で韓国出身あるいは在日と聞いたことがある[間違いかもしれないが]
もしそうであって、部屋がこの地に作られたのはそのことが関係していているのかな、とか
武蔵丸などの外国人力士を育成したことも関係あるのかな、
などと考えながら歩いた。
この部屋も、今暴力が問題になっているが。
番外
湊部屋[川口市]
午前中見に行った。稽古を窓の外から見た。
湊冨士[立田川]が指導していた。湊冨士はすっかりスリムになっていた。
稽古はもっと激しいと想像していた。
確かにどんなに鍛えているからと言っても、生の体と体がぶつかり押し合うのだから、
そんなに激しく続けることはできないはずだ。
ハアハア息していると「何息上がっているんだ」と立田川親方の声がかかり、
その力士が、途端に静かな息になってしばらくして、
苦笑が起き、緊張していた稽古場が和み、再びピーンとした。
境川部屋 [江戸川区舎人]
江戸川区だが、鳩ヶ谷市に隣接しているので自転車で行った。
玄関入って左が土俵、稽古が終わり食事中であった。部屋の前は川でふんどしが干してあった。
境川部屋の最寄り駅は東武伊勢崎線の竹の塚のようだ。
境川部屋近くに舎人神社があった、1830年代築の古いもので、社殿一面に彫刻が施されていた。
[保存のため被われ写真が無理、鳩ヶ谷八幡木神社の彫刻でその雰囲気を]
同じく近くに入谷氷川神社があった。
入間川部屋[さいたま市]
新築のよう、南側に回ると庭のフェンスなどもまだで、ふんどしが干してあった。
周りには畑がかなりあった。大宮バイパスの近くで電車だと遠く、自転車で行った。
近くに、珍しい足の神社・大国社があった。とても小さい。
両国周辺の相撲部屋巡りも今回でひとまず終わり。
両国周辺にもまだ複数の部屋があるようだが、それぞれかなり離れているので。