5月16日(木) ストックホルム(スウェーデン)
私はいつもカーテンを開けたまま寝ているのですが、今朝は4時過ぎピンク色の朝焼けでした。
ストックホルム入港まではまだ2時間以上もあるのでベッドでうとうとしました。
フランスのルアーブルを過ぎてから、洋上は強く、冷たい風が吹き、時々雨、まるで真冬のようでした。
一変して、ストックホルムは、暖かく穏やかでした。
2週間前まで雪が残っていたのですが、一挙に草花が芽吹き、木々が緑を取り戻したそうです。
人々はこの春の到来を一日千秋の思いで待っているそうです。
寒さよりどんよりした暗さが堪え、イヤだそうです。
人々は争うようにして陽を求め、外へ出るそうです。
私は、ツアーを申し込みましたが、自由行動の方が良かったというのは後の祭りでした。
9:30、ストックホルム郊外・世界遺産のドロットニングホルム宮殿にバスで向かいました。
庭園(ミニヴェルサイユ宮殿の庭園という感じでしょうか)
黒海に面するフィエルガタン展望台、旧市街地などを一望できます。
ガムラスタン旧市街地を散策しました。
大聖堂(4ユーロでした)
王宮
ノーベル博物館
ヴァーサ号博物館(17世紀、処女航海で沈没した船。1961年に引き上げられ展示されています。)
ツアーでは仕方ないことですが、この博物館に1時間半以上も費やしました。
おいおいもっとましな知恵は無いのかよ、って感じでした。
ガイドは高齢社会がもたらす福祉国家の「金属疲労」を簡明に紹介してくれました(これについては帰国後に書きましょう)。
特に、地方の過疎と人口の減少、移民の増加に伴う小犯罪の増加、
その両者に関わる都市へへの人口の集中と住宅・仕事不足はかなり深刻のようです。
フランス・イタリア、スペインと比べると町の通りは、段違いにきれいです。
ゴミはほとんど落ちていません。動物の落とし物はありますが少ないです。
でも私は、なぜかパリやローマやマドリッドの猥雑さの方が親近感を覚え好きです。
ストックホルムの旧市街地は広くは無いので、特別に郊外の観光地に行かないのなら、
2泊もすればゆっくり町歩きを楽しめるかもしれません。
【番外編】
一時下船して行っていた小旅行も終わり、ピースボートに合流します。
船内は、WEBの高い料金と通信事情が良くないので、ここでピースボートの船内を少し紹介しましょう。
キャビンのベッドルームは約3メートル弱の四角形で、概ね日本のビジネスホテルのツインより少し広いくらいでしょう。
この広さの中に、窓付き・窓なし、ツイン、ダブル、2段ベッド2組(4忍部屋)があるようです。
シャワールームは結構広いです。洗面台。 タンスとクローゼット
4階のメインレストラン 8階のリドデッキレストラン
最上階デッキ 他
レセプション 5階キャビン廊下
売店 バー・カサブランカ
イベント・ダンスや映画や説明会などが行われます。確か3つほどあります。
中央プール ジム(とても狭く設備は貧弱です)
8階オープンスペース(ソファが沢山置かれています)には食事のメニューや海外情報やニュースが掲示されます。供用パソコン(有料)
また、8階中央には、ピースボート事務局やかなり広いオープンスペースと畳もあります。その他麻雀・囲碁・将棋など。
さて、大まかな一日のタイムスケジュール
6:30~7:00 モーニング・コーヒー
7:00~朝食、4階メインレストラン=和食、9階リドレストラン=洋食(ともにバッフェスタイル)
11:30~4・9階とも同じメニュー(バッフェスタイル)
15:00~15:30アフタヌーンティ
17:30~メインレストラン早番夕食(セットメニュー)、リドレストランは別メニューのバッフェスタイル
19:30~メインレストラン遅番夕食(セットメニュー)
セットメニューだけで足りない人は、リドレストランとの両方を取ることが出来ます。
以上は、全て無料です。
また、缶ビールやドリンクの自動販売機もあり、それほど高くはありません。
飲み水やお湯氷はバーやレストランでもらうことが出来ます。
公的な行事(参加した方が良い)は、不定期に行われる進路説明会と寄港地・ツアー説明会があります。
その他、個人の全く自由な参加の色々なイベント・行事も行われています。
ラジオ体操とか、ダンス講習会、また水先案内人と言われる講師の講演や映画会などです。
キャビンには、テレビがあり、その日放映のビデオ映画を見ることが出来ます。
また、個人が自主的に開いている卓球や碁の集いなどが随時行われています。
その他、有料の英語・スペイン語講座、無料の英語・スペイン語講座があります。
もちろん、いずれも参加・不参加は全くの自由です。4
毎日、夜8時に、船内新聞が発行されます。これには、翌日の全てのタイムテーブルが載っています。
洗濯は、コインランドリーはなく、ホテルランドリーサービスに似ています。
料金は、大きな袋に入るだけ上限は確か50アイテムまでで7ドルです。
シャワー室で自分で洗濯する人も多いようですが、たらいとは難しいが、少し大きめのバケツが便利です。
私は、基本はランドリーサービスを利用していますが、時々自分でも洗います。
私は、100円ショップで、洗濯板と400円ほどのバケツを買って来ました。これは便利です。
物干し綱より、洗濯ばさみがぶら下がっている洗濯物干しが良いようです。
ウォーキング出来る甲板は9階・10階ですが、いずれもその長さは長くはありません。
1周200メートルは無いでしょう。船上での一番大事なのは、運動特にウォーキングと思って私はせっせと歩いています。
5月18日サンクトペテルブルグ(ロシア)
ペテルブルグでは、何かしらのツアーに参加しないで、個人で自由に外出することは、ピースボートでは許されませんでした。
その理由の説明は全くありませんでした。
9時過ぎ、ツアー[エルミタージュ美術館とサンクトペテルブルグ]に出発しました。
223人がバス6台に分乗し、車内はほぼ満席です。
サンクトペテルブルグは、人工的都市だそうだ。
ロシア・ピョウトル大帝は、湿地だったこの地にヨーロッパに負けない都市を築くことにしたそうです。
ちょうどベネチアのように、土台に太い杭を沢山埋めて地盤を作ったそうです。
イサク聖堂
イサク教会はロシア教会でしたが、ロシア革命後、博物館に転用されたそうです。
ロシア正教会では、入り口は西側に向けられ、祭壇は反対側の東に設置されるのがルールだそうです。
聖人を祀る教会では、真ん中の右側一番目はキリストのイコン、その右側は祀る聖人のイコンと決まっているそうです。
この教会の聖人はイサクでそのイコン画には、この教会の絵が描かれた絵を持っています。
直径2mもあろうかという巨大な大理石の柱は、重さ約100トンで一枚岩だそうです。
この巨大な柱を立てるには、たったの43分しか、かからなかったそうです。
エルミタージュ美術館は12:45~15:15とたっぷりでした。
ガイドのナターシャさんは、東洋学部の大学を卒業してほぼ完璧な日本語の上、
エルミタージュを心から愛しているのが良くわかる素敵で美人のガイドでした。
ダ・ヴィンチとラファエロの部屋には幸運なことに、ほとんど人がいませんでした。
こんなことは本当に珍しいことだそうです。
マチス、セザンヌ、ゴーギャンなどの多くの作品が収蔵・展示され、圧巻です。
それにしても権力者とは恐ろしいものです。
大衆から収奪したお金で、人類の至宝を買いあさるのですから。
美術館は立派ですが、ルーブルも大英博物館もそしてエルミタージュも結局の所は、権力者のエゴ丸出しの感じです。
ランチは、スピルガノフの料理を発明したスピルガノフ家の見える有名なホテルのレストランでした。
でも、気取っているだけで料理は決しておいしくはありませんでした。
その上、グラスビールが8ユーロ、ワイングラスが10ユーロ、それを頼む客もいるのですから驚きとしか言いようがありませんが。
地の上の救世主教会
アレクサンドル王が暗殺された地に建てられた教会で、教会内じゅうモザイクのイコンで埋め尽くされています。
その後、外国旅行客相手の土産店に45分もです。
私はすぐ抜け出し付近を歩いたのですが、この周辺は面白いことはありませんでした。
ペテルブルグは、ロシア革命発端の地、レーニンらが立てこもって指令を発したスモリヌイ女学院や、
懐かしい名前が沢山残っているのですが、それらはほとんど歴史のくずかごに捨てられ、
専制君主のピョートル大帝が大評価されているのですから何をか言わんや、の気分でした。
私は、かつて人々の希望であったロシア革命がかくも地に落ちた歴史の意味を考えざるを得ませんでした。
今日のペテルブルグは、きれいでしたが、建物や道路がやたら大きくおおざっぱ過ぎるように感じました。
私が垣間見たロシア、ペテルブルグはこの国のごくごくの一部でしか無いので、軽々な感想は危険ですが。
5月19日、ヘルシンキ(フィンランド)
ツアーを申し込んでいたのですが、キャンセルして自由行動としました。
当初の案内では、港から市の中心までは約4キロなので、タクシー利用を考えていたのですが、
港を出たところがフェリーの発着ターミナルで、トラムがありました。
自動販売機だと2.2ユーロ、車内販売だと2.8ユーロでした。
国立博物館(シニア6か8ユーロでした)
国立博物館は、昔は教会だったように思えます。
塔に十字架が無いので何の建物かと思いまた、もっと遠いと思っていたので、通行人に聞くと「あれです」と言う返事でした。
テンペリアウキオ教会
海の乙女像
ウスペンスキー寺院(入れませんでした)
ヘルシンキ大聖堂
だいぶ疲れたので、3時頃には帰りました。
この日の反省は、自由行動の場合は、一度船に戻って、船のランチを取り、昼寝をして再び出かける方が、
疲れが取れ、結局多くの時間を歩くことが出来る、ということでした。
日曜で、カフェやレストランも休みが多く、どうしようも無くマクドナルドに入りました。
レシートのナンバーを入力するとトイレに入れるのでした。
5月20日、タリン(エストニア)
のっぽのヘルマン
旧市庁舎
一度船に戻り、船のランチを食べ、昼寝を1時間ほどして、2時半頃再び出かけました。
キリスト変容教会
この教会は目立たない教会でしたが、中はとてもきれいでした。
修道女の塔(1.2ユーロ) 急な螺旋階段を昇って、城壁の上を少し歩くことが出来ます。
大ギルドの会館、エストニア歴史博物館
脇の通路には、年代譜のプレートがありました。
「氷河期の終わり」から始まり、確かエストニア独立400年記念(未来)のプレートで終わっていました。
カタリーナの通路 このエリア一帯は昔ドミニコ修道院の敷地だったようです。
沢山歩いたのですが、昼寝をしたせいでしょうか、疲れはあまり感じませんでした。
港のスーパーマーケットでリンゴを買って、クルーへのお土産にしたのですが、しなびていて新鮮ではありませんでした。
6時半頃船に戻りました。
5月22日(水) リガ(ラトビア)
7時着岸しました。
ダウガヴァ川の川幅は広く深いようで、大型客船がかなり陸地まで入ることができるます。
リガ港は、ダウガヴァ川の河口をかなり入った所にあるようで、目の前が旧市街地です。
9時過ぎに船を下りて歩き出しました。
午前中は、ピルセタス運河を渡ったエリアを歩くことにしました。
ユーゲントシュティール建築群(アールヌーヴォ地区)
救世主生誕大聖堂
自由記念碑
船に戻って、ランチを食べ、小1時間ほど昼寝をして再び出かけました。
中央市場でバナナを買いました。5ユーロ札を出すと、山ほどのバナナでした。
半分だけもらい、おつりを現地通貨でもらいました。
聖ペテロ教会
火薬塔・ラトビア軍事博物館
リガ大聖堂
船に帰ったのは6時過ぎでした。
歩数計は、一日で3万5千歩を超えていました。
カードは使えるのですが、ユーロコイン通貨は使えません。
そこで困るのは、トイレです。ホテルを使いました。大きいホテルほど、使いやすいです。
5月24日(金) コペンハーゲン(デンマーク)
午前中は、国立美術館(無料)などを見ました。
明日は早朝からオーバーランドツアーなので、写真の整理と日記を作成する時間がありませんでしたので、以下曖昧です。
国立美術館 ピカソとモジリアニ
ムンクの作品があると言うことですがわかりませんでした。
昼前に船に戻り、ランチを頂き、昼寝をして、1時半過ぎに再度出発しました。
国立オペラ座
古い漁師町(名前を忘れました)
Believe It or Not!博物館 とても面白い美術館でした。(12ユーロ) 「失礼」と言ったら、人形でした。
時間が無かったので、ゆっくり遊べませんでした。
近くにチボリ公園(遊園地)がありますが、入りませんでした。
忘れました。
人魚姫の像とアンデルセン像
コペンハーゲンは自転車の町です。いろんな形の自転車があります。
自転車専用道路がたくさんあり、車並みのもの凄いスピードです。市内各所に駐輪場があります。
鉄道駅前の駐輪場
すっかり時間がかかり、国立博物館などは入ることが出来ませんでした。
3万歩以上歩きました。
国会議事堂でトイレを借りました。二つ返事で入れてくれましたが、日本なら貸してくれないだろうな。
5月25日(日) オスロ(ノルウェー)
10:20コペンハーゲン発飛行機~オスロ11:30着。
空港で、トイレチップ用10ドルをクローネに両替しました。
ほんのわずかでしたが。
その他はクレジットカードが使えます。
オスロ市内をバスで王宮やオスロ市庁舎などを観光しました。
王宮
市内にある、一人の彫刻家の作品が多数陳列されているフログ公園を散策しました。 怒りん坊像
ノルウェーでは日本の成年式のような堅信式の行事を行なうそうです。
15歳になると大人扱いされるということで、民族衣装を着て、市庁舎や教会でお祝いして、
その後家族、親戚でお祝いし合うそうです。
5時前にホテルに着き、1時間ほど自由散策しました。
オペラハウス(屋根の上を歩けるそうです。)
オスロ市庁舎
オスロ大聖堂
ノルウェーでは水道水(軟水)を飲むことが出来るのですが、空のペットボトルを持ってくるのを忘れたので、
セブンイレブンで買いました。日本円で約500円ほどでした。物価は驚くほど高いです。
久しぶりにホテルの泊まったので、早速、あらかじめ作成してきたブログの更新とメールをチェックしました。
サーバーが良いのか、WEB通信速度は速いです。
メールは不要な物が多く、削除に手間取りました。
明日も、早朝から列車で、フロム駅に行き、「フィヨルド列車」に乗るので、夜10時には寝ました。
5月26日(日) フロム郊外(ノルウェー)
8:05オスロ発の列車でミュールダールに向かいました。約5時間です。
ミュールダール駅で、フィヨルド列車に乗り換えてフロムに向かいました。
両方とも座席指定ですが、一定の人数の団体ツアーでは車両一台が割り当てられます。
フィヨルド列車は広軌列車で一列2×3の5座席のゆったり車両でした。
絶景ポイントに来ると列車は、停車し写真を撮らせてくれます。
ここでは、5分間停車し、車両から降りることができます。 岩のあちこちに「妖精」が現れます。
なかなか見所の多い列車でした。
フロム駅には2時過ぎに着き、3時にホテルに入ることが出来ました。
フロム駅は、標高2mです。つまり、ここはフィヨルドの"海"なのです。
こんな大きな船が、フィヨルドの海を通って、こんな「山奥」に来ることが出来るのです。
とても不思議な光景です。
ホテルは、フロム駅の目の前で、20分ほど周辺の写真を撮って、バスタブにつかりました。
フロム駅です。ホテルの私の部屋からの写真です。
明日は、フェリーで「フィヨルド遊覧」です。その後、バスでベルゲンに向かい、ベルゲン市内を観光します。
夕方、ベルゲンで船に合流します。
船からは、ブログの更新は出来ません。次のオーバーランドはベネズエラのカナイマ国立公園です。
おそらくここではWEB事情は良くないので、やはりブログ更新は出来ないと思います。
出来るとすれば、おそらく6月15日のパナマ市と思うのですが、わかりません。
期待しないでお待ちくださいね。では。
5月30日(木)ベルファスト(北アイルランド)
ベルファスト着岸は、11時過ぎでした。
私は、「奇景の世界遺産、ジャイアンツ・コーズウェイ」を訪れるツアーに参加しました。
出発は午後2時過ぎでした。
途中「ブッシュミルズ・ウィスキー蒸留所」に、トイレ休憩と称するショッピングのために立ち寄りました。
出かける前は、ワイシャツでも暑かったのですが、コーズウェイに近づくにつれ、
曇り空になり、風も強くなってきました。
コーズウェイに着いたときは寒いくらいでした。
私は、オーバーズボンをはき、ウインドブレーカーの上にレインコートを着、手袋、マフラーという異様さでした。
私は、行きはシャトルバスを使い、普通コース+ほんの一部難コースを歩いたのですが、
1時間以上かかり、帰りは急ぎ足となり汗をかきました。
ダンスール城
ガリバーの作者、スイフトは北アイルランドの出身、ガリバーの顔に似ているとか。
結論的には、奇景ですが、このためだけでは、北アイルランドにはわざわざ来ないと言う程度です。
6月11日(火) ラグアイラ市内観光
ラグアイラ野町の風景、貧しい感じです。
「ベネズエラの美術と文化に触れる」ツアーに参加しました。
8:45バスでカラカス市内に向かいました。
1時間ほど走った、カラカス市まであとわずかな所エンジンがストップ。
1時間後代車が到着しました。
国立美術館 お世辞にも立派とは言えませんでした。
ピカソの絵が2点ありましたが、収蔵品が少なく30分ほどで見終わってしまいます。
歩いて、現代美術館 国立美術館よりだいぶ立派でした。
ピカソ作品が2点、その他ミロとシャガールの作品がそれぞれ一点ずつありました。
ミロの作品
圧巻は、ピカソ室でした。神話を題材にした一連の作品集です。
いずれも小作品でモノクロで習作のような作品集です。
その数はとても多いです。ピカソファンには垂涎でしょうか。
13:50の遅いランチでした。
コンビーフのような牛肉と塩味の小豆の煮物とライスという典型的な中南米のランチでした。
米ドルが使えるのでグラスビールを飲みました。
世界無形文化遺産「ディアブロ・ダンサンテ(悪魔の踊り子たち)」[テレサ・カレーニョ劇場]を見ました。
私達のために特別に設けられたショーだそうで、30分ほどでした。
バスで船に戻りました。
夜は、ベネズエラ政府と地元の州政府主催の歓迎イベントが行われました。
シャトルバスで10分ほどの所ですが、バスの本数が少なくまた道路が混んでいて、行くのに1時間以上かかりました。
私は翌日オーバーランドツアーがあるので30分ほどで引き上げました。
6月12日(水) ラグアイラ「カナイマ国立公園観光4日間」
9:30バスでカラカス空港へ
カラカス空港からプエルトオルダス空港へ
12:00発の予定が1時間30分以上遅れて出発となりました。
カナイマ空港までは約1時間 途中大湿地・湖沼地帯を越えて行きます。
テーブルマウンテンが近づく頃になると、大雨となり、エンジェルフォールもテーブルマウンテンも見ることは出来ませんでした。
カナイマ空港からトラックに座席を付けた車でロッジに向かいました。
ロッジに着いたのは、4時を過ぎていました。
昼食はロッジですることになっているのでおなかはぺこぺこでした。
慌ただしいランチを食べて、サポ滝観光に向かいました。
水着に着替え、上半身は裸、ビニールのレインコートを羽織りました。
レインコートは雨や滝から濡れるのを避けるためでは無く寒さ対策です。
サポ滝まではボートで行くのですが、途中にいくつかの滝があるのですが、雨のため写真は全く撮れませんでした。
雨季のため、サポ滝に水量はすごい勢いでした。
カメラをぬらさないように注意したのですが、途中でレンズの窓が開かなくなり、手で開けました。
帰る頃にはすっかり暗くなっていました。
6月13日(木) 二日目
今日は、このオーバーランドのメインイベント・エンジェルフォールが見える地点まで、
ジャングルを片道2時間半以上歩く大変な強行軍です。
ホテル出発がなんと朝の5時です。
4:20分にドアをたたく音がしてモーニングコールでした。
クラッカーとコーヒーでおなかを少し満たし、5時にロッジを出ました。
天気は、雨。
私は、昨日と同様、下は水泳パンツ・上はTシャツとヤッケとビニールカッパ、足下は紐付きサンダルにしました。
ジープでボート乗り場に、小一時間ほどボートでオルキデア島に行きました。
そこで、チーズとハムのサンドイッチとミカン、ジュースとコーヒーの朝食を取りました。
再び30分ほどボートに乗って、30分ほど歩きました。川が浅瀬で急流になるのでボートでは無理なのです。
そこから更に1時間ほどボートに乗って、いよいよジャングルトレッキングです。
天気はいぜんと大雨です。ここはジャングル、トイレは無いので野外のトイレを使いました。
ジャングルトレッキングはかなりハードでした。
下は、木の根っこが蔓延んだり、水たまりだったり、滑りやすい岩だったり、でした。
約1時間ほど歩くと今度はかなりの急勾配が30分続きました。
目の前にエンジェルフォールが飛び込んできました。
約1キロを下った水はまさに雨状態で降り注ぎます。
天候の雨と重なり風もあるので、写真をゆっくり撮るゆとりはありませんし、
岩場の先は絶壁です。
おそらくこの場には5分ほどしかいなかったのでは無いでしょうか。
しかし、たったこの5分間のために私たちは大変な苦労と努力をしたのでした。
帰り道は、下りでしたのでとても楽でした。
私は、外聞を捨て、滑らないように四つん這いになって降りました。
ベースキャンプに戻るときれいなエンジェルフォールが私たちを迎えてくれました。
雄大でした。「来て良かった」は正直な気持ちです。
時間は2時を過ぎていたのでは無いでしょうか。
ここで遅いランチを頂きました。
胡椒と塩が効いたチキンはおいしかったです。
ロッジに戻ったのは6時半を過ぎていたのでは無いでしょうか。
雨が降っているので、時間などをゆっくりメモするゆとりはありませんでした。
夕食は19時半で、たっぷり高いワインを頂きました。
部屋に戻り、更にウイスキーを少し飲んで寝ました。
6月14日(金) 今日は、パナマシティへの移動日です。
天気は晴れ、しかしこの先想像を絶する事態が起きることを私たちは誰も思いもしませんでした。
7時のモーニングコールでゆっくり起床し、朝食もゆっくりたっぷり頂きました。
9時にロッジを出発し、カナイマ空港に向かいました。
小型機とセスナに分乗してエンジェルフォールへの遊覧飛行があったのですが、
小型機からは、滝が近すぎて水しぶきしか見えませんでした。
プエルトオルダス空港に12時過ぎに着き、ボックスのランチを食べましたが、おいしくはありませんでした。
プエルトオルダス14:00発の予定ですが、いっこうにゲートや搭乗時間の案内が無いまま、
どんどん時間だけが過ぎていくのでした。
飛行機に搭乗したのは、18:20でした。
しかし、エアコンの音が全くせず、機内はすごい暑さで、いやな予感がしました。
20:00代替機に乗り換えました。
カラカス空港からパナマシティ行きの飛行機の予定時間、18:11分を遙かに過ぎています。
今日中にパナマシティに行くのは不可能です。
20:40無事プエルトオルダス空港を飛び立ち、カラカス空港に着いたのは21:40でした。
ベネズエラのカラカス市内に泊まることになりました。
サンチャゴホテルという名の三つ星ホテルでした。
ルームサービスの夕食が12時過ぎに配られました。
塩胡椒の効いたチキンで持参したウイスキーを飲んで寝ました。
6月15日(土)
5:20分、激しいドアのノックのモーニングコールで目が覚めました。
6:10にホテルを出発し、カラカス空港には7時前に着きました。
パナマ行きは11:30なのですから、4時間半以上も前です。
無事全員のチケットと搭乗手続きが終わり、遅い朝食を空港レストランで取りました。
マメと牛肉の煮込みとパンと卵というベネズエラのローカル料理でした。
10時過ぎにゲートに集合しました。
皆、また少しは遅れるだろうと思っていたようですが、
10時40分頃搭乗開始とのアナウンスがあり、私は慌てて散歩を切り上げ引き返しました。
なんと出発予定の5分前に飛行機は離陸したのでした。
順調なフライトでパナマシティ空港に着いたのは13:20分でした。
14時空港を出発して、高速道路料金所入り口でバスがエンストしました。
5分後にエンジンは直り快適に出発したのでした。
レストランでランチを食べ、カスコ・アンティグオを歩いて散策しました。
17:40コロンを出発し、帰船下のは18時を少し回っていました。
旅には、アクシデントや失敗はつきものですが、今回の経験は私の旅の中で一番の"サプライズ"でしょう。
個人の旅行では、こうしたアクシデントのクリアはとても難しいですが、
ツアーでしたので、私はこのアクシデントを十分に興奮しながら楽しみました。
帰国して、もっと詳しく追記しましょう。
6月15日(土) カナイマ国立公園ツアーの続きとパナマ運河航行です。
5:20分、激しいドアのノックのモーニングコールで目が覚めました。
6:10にホテルを出発し、カラカス空港には7時前に着きました。
マメと牛肉の煮込みとパンと卵というベネズエラのローカル料理でした。
なんと出発予定の5分前の11:25に飛行機は離陸したのでした。
順調なフライトでパナマシティ空港に着いたのは13:20分でした。
14時空港を出発して、高速道路料金所入り口でバスがエンストしました。
5分後にエンジンは直り快適に出発したのでした。
レストランでランチ ビール小瓶が4.5ドルと安い上、何かトラブルがあっても船には簡単に変えることが出来る安心感のため2本飲みました。
カスコ・アンティグオを歩いて散策しました。
17:40コロンを出発し、帰船下のは18時を少し回っていました。
翌6月16日はパナマ運河の航行です。
パナマ運河は、閘門式と言われる階段式運河です。
一つの閘門を通過するのに小一時間かかります。
また、パナマ運河はワンウエィです。午前午後で進路が変わるので、
運河航行は待機時間などを含めると1日かかり、料金もとても高いそうです。
大西洋のクリストバルから太平洋のパナマシティまでは、バスでは1時間半ほどです。
この距離を、一日かけてゆっくり通るのは面白いのですが、
この日の気温は、以上とも言える暑さでした。
6月19日(水) グァテマラ・ティカル
1泊2日のツアー"マヤ最大の遺跡・ティカル"に参加しました。
アクシデントは、いろいろあるもので、今回もビックリスタートでした。
9時半の飛行機の予定でしたが、機体が整備不良のため、一度船に戻り船でランチを食べ、
12:45に再スタートとなりました。
ティカル遺跡の観光は時間的に足りないので、明日の予定と入れ替えとなり、
今日は、フロレンス島の観光と変更になりました。
飛行場は、軍事空港とのこと、落下傘部隊の訓練の卒業テストだったとか、
記念撮影に来てくれました。
しかし、フロレンス島はティカルへの入り口の町ということだけで、
とても狭く、観光スポットも皆無なので15分も歩くと観光終了でした。
フロレンス島の街
ホテルへは遠回りをしたよう湖畔を走り、17時頃到着しました。
ホテルののロケーションはとても良いらしいのですが、私はネットへのアクセスがあるので、
ホテル周辺の散策はしないで、メールのチェックとブログの更新にいそしみました。
ネットは、一日10ドルでしたが、速度は速く全く問題ないのですが、
電源プラグが私のとは合わないので限られた時間しか出来ません。
私は、船でブログの準備をして来たので、この間のベルファスト・カナイマ・パナマの
簡単なブログをブログ更新しました。
明後日テオキワカンへのオーバーランドツアーを予定しているので、
おそらくそこで最後のブログの更新が出来ると思いますが、さてどうなるでしょうか。
6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言うので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は広くぬかるんでもいないので、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、
その全体像・全貌は以前明らかになっていないようです。
マチュピチュやアンコールワットも長い間土に生まれていました。
覆っていた土が払われ、元の姿がだんだん明らかにされて来ました。
マヤ文明はインカ文明と混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に作られた都市・神殿国家連合のようです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今も定説は無いようです。
一号神殿
セントラルアクロポリス
4号神殿
4号神殿の上から全体を見る
12:30入り口に戻りランチ 13:30バス出発 15:00飛行場着
この空港も同じく軍用飛行場なのですが、フローレス飛行場より大きいせいか、職員も多いようで、X線のセキュリティチェックの機械は無いようなので、人の手で鞄を一つ一つ開けてチェックし、多くの時間がかかりました。
結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。
飛行機は30数人乗りでした。驚いたことにアテンダントが二人が飲み物とスナック菓子をくばりました。
フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そして最後のハプニング、手荷物にならない危険物は添乗員が集めた預けたのですが、その
荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗でした。
約15分後、もう一機の飛行機が到着し、その飛行に荷物が乗っていたのでした。
その頃、私ののどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず、帰船し、
シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずに缶ビールを2杯飲みました。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。【第79回ピースボートまとめ・現地発、下に続く】
私はいつもカーテンを開けたまま寝ているのですが、今朝は4時過ぎピンク色の朝焼けでした。
ストックホルム入港まではまだ2時間以上もあるのでベッドでうとうとしました。
フランスのルアーブルを過ぎてから、洋上は強く、冷たい風が吹き、時々雨、まるで真冬のようでした。
一変して、ストックホルムは、暖かく穏やかでした。
2週間前まで雪が残っていたのですが、一挙に草花が芽吹き、木々が緑を取り戻したそうです。
人々はこの春の到来を一日千秋の思いで待っているそうです。
寒さよりどんよりした暗さが堪え、イヤだそうです。
人々は争うようにして陽を求め、外へ出るそうです。
私は、ツアーを申し込みましたが、自由行動の方が良かったというのは後の祭りでした。
9:30、ストックホルム郊外・世界遺産のドロットニングホルム宮殿にバスで向かいました。
庭園(ミニヴェルサイユ宮殿の庭園という感じでしょうか)
黒海に面するフィエルガタン展望台、旧市街地などを一望できます。
ガムラスタン旧市街地を散策しました。
大聖堂(4ユーロでした)
王宮
ノーベル博物館
ヴァーサ号博物館(17世紀、処女航海で沈没した船。1961年に引き上げられ展示されています。)
ツアーでは仕方ないことですが、この博物館に1時間半以上も費やしました。
おいおいもっとましな知恵は無いのかよ、って感じでした。
ガイドは高齢社会がもたらす福祉国家の「金属疲労」を簡明に紹介してくれました(これについては帰国後に書きましょう)。
特に、地方の過疎と人口の減少、移民の増加に伴う小犯罪の増加、
その両者に関わる都市へへの人口の集中と住宅・仕事不足はかなり深刻のようです。
フランス・イタリア、スペインと比べると町の通りは、段違いにきれいです。
ゴミはほとんど落ちていません。動物の落とし物はありますが少ないです。
でも私は、なぜかパリやローマやマドリッドの猥雑さの方が親近感を覚え好きです。
ストックホルムの旧市街地は広くは無いので、特別に郊外の観光地に行かないのなら、
2泊もすればゆっくり町歩きを楽しめるかもしれません。
【番外編】
一時下船して行っていた小旅行も終わり、ピースボートに合流します。
船内は、WEBの高い料金と通信事情が良くないので、ここでピースボートの船内を少し紹介しましょう。
キャビンのベッドルームは約3メートル弱の四角形で、概ね日本のビジネスホテルのツインより少し広いくらいでしょう。
この広さの中に、窓付き・窓なし、ツイン、ダブル、2段ベッド2組(4忍部屋)があるようです。
シャワールームは結構広いです。洗面台。 タンスとクローゼット
4階のメインレストラン 8階のリドデッキレストラン
最上階デッキ 他
レセプション 5階キャビン廊下
売店 バー・カサブランカ
イベント・ダンスや映画や説明会などが行われます。確か3つほどあります。
中央プール ジム(とても狭く設備は貧弱です)
8階オープンスペース(ソファが沢山置かれています)には食事のメニューや海外情報やニュースが掲示されます。供用パソコン(有料)
また、8階中央には、ピースボート事務局やかなり広いオープンスペースと畳もあります。その他麻雀・囲碁・将棋など。
さて、大まかな一日のタイムスケジュール
6:30~7:00 モーニング・コーヒー
7:00~朝食、4階メインレストラン=和食、9階リドレストラン=洋食(ともにバッフェスタイル)
11:30~4・9階とも同じメニュー(バッフェスタイル)
15:00~15:30アフタヌーンティ
17:30~メインレストラン早番夕食(セットメニュー)、リドレストランは別メニューのバッフェスタイル
19:30~メインレストラン遅番夕食(セットメニュー)
セットメニューだけで足りない人は、リドレストランとの両方を取ることが出来ます。
以上は、全て無料です。
また、缶ビールやドリンクの自動販売機もあり、それほど高くはありません。
飲み水やお湯氷はバーやレストランでもらうことが出来ます。
公的な行事(参加した方が良い)は、不定期に行われる進路説明会と寄港地・ツアー説明会があります。
その他、個人の全く自由な参加の色々なイベント・行事も行われています。
ラジオ体操とか、ダンス講習会、また水先案内人と言われる講師の講演や映画会などです。
キャビンには、テレビがあり、その日放映のビデオ映画を見ることが出来ます。
また、個人が自主的に開いている卓球や碁の集いなどが随時行われています。
その他、有料の英語・スペイン語講座、無料の英語・スペイン語講座があります。
もちろん、いずれも参加・不参加は全くの自由です。4
毎日、夜8時に、船内新聞が発行されます。これには、翌日の全てのタイムテーブルが載っています。
洗濯は、コインランドリーはなく、ホテルランドリーサービスに似ています。
料金は、大きな袋に入るだけ上限は確か50アイテムまでで7ドルです。
シャワー室で自分で洗濯する人も多いようですが、たらいとは難しいが、少し大きめのバケツが便利です。
私は、基本はランドリーサービスを利用していますが、時々自分でも洗います。
私は、100円ショップで、洗濯板と400円ほどのバケツを買って来ました。これは便利です。
物干し綱より、洗濯ばさみがぶら下がっている洗濯物干しが良いようです。
ウォーキング出来る甲板は9階・10階ですが、いずれもその長さは長くはありません。
1周200メートルは無いでしょう。船上での一番大事なのは、運動特にウォーキングと思って私はせっせと歩いています。
5月18日サンクトペテルブルグ(ロシア)
ペテルブルグでは、何かしらのツアーに参加しないで、個人で自由に外出することは、ピースボートでは許されませんでした。
その理由の説明は全くありませんでした。
9時過ぎ、ツアー[エルミタージュ美術館とサンクトペテルブルグ]に出発しました。
223人がバス6台に分乗し、車内はほぼ満席です。
サンクトペテルブルグは、人工的都市だそうだ。
ロシア・ピョウトル大帝は、湿地だったこの地にヨーロッパに負けない都市を築くことにしたそうです。
ちょうどベネチアのように、土台に太い杭を沢山埋めて地盤を作ったそうです。
イサク聖堂
イサク教会はロシア教会でしたが、ロシア革命後、博物館に転用されたそうです。
ロシア正教会では、入り口は西側に向けられ、祭壇は反対側の東に設置されるのがルールだそうです。
聖人を祀る教会では、真ん中の右側一番目はキリストのイコン、その右側は祀る聖人のイコンと決まっているそうです。
この教会の聖人はイサクでそのイコン画には、この教会の絵が描かれた絵を持っています。
直径2mもあろうかという巨大な大理石の柱は、重さ約100トンで一枚岩だそうです。
この巨大な柱を立てるには、たったの43分しか、かからなかったそうです。
エルミタージュ美術館は12:45~15:15とたっぷりでした。
ガイドのナターシャさんは、東洋学部の大学を卒業してほぼ完璧な日本語の上、
エルミタージュを心から愛しているのが良くわかる素敵で美人のガイドでした。
ダ・ヴィンチとラファエロの部屋には幸運なことに、ほとんど人がいませんでした。
こんなことは本当に珍しいことだそうです。
マチス、セザンヌ、ゴーギャンなどの多くの作品が収蔵・展示され、圧巻です。
それにしても権力者とは恐ろしいものです。
大衆から収奪したお金で、人類の至宝を買いあさるのですから。
美術館は立派ですが、ルーブルも大英博物館もそしてエルミタージュも結局の所は、権力者のエゴ丸出しの感じです。
ランチは、スピルガノフの料理を発明したスピルガノフ家の見える有名なホテルのレストランでした。
でも、気取っているだけで料理は決しておいしくはありませんでした。
その上、グラスビールが8ユーロ、ワイングラスが10ユーロ、それを頼む客もいるのですから驚きとしか言いようがありませんが。
地の上の救世主教会
アレクサンドル王が暗殺された地に建てられた教会で、教会内じゅうモザイクのイコンで埋め尽くされています。
その後、外国旅行客相手の土産店に45分もです。
私はすぐ抜け出し付近を歩いたのですが、この周辺は面白いことはありませんでした。
ペテルブルグは、ロシア革命発端の地、レーニンらが立てこもって指令を発したスモリヌイ女学院や、
懐かしい名前が沢山残っているのですが、それらはほとんど歴史のくずかごに捨てられ、
専制君主のピョートル大帝が大評価されているのですから何をか言わんや、の気分でした。
私は、かつて人々の希望であったロシア革命がかくも地に落ちた歴史の意味を考えざるを得ませんでした。
今日のペテルブルグは、きれいでしたが、建物や道路がやたら大きくおおざっぱ過ぎるように感じました。
私が垣間見たロシア、ペテルブルグはこの国のごくごくの一部でしか無いので、軽々な感想は危険ですが。
5月19日、ヘルシンキ(フィンランド)
ツアーを申し込んでいたのですが、キャンセルして自由行動としました。
当初の案内では、港から市の中心までは約4キロなので、タクシー利用を考えていたのですが、
港を出たところがフェリーの発着ターミナルで、トラムがありました。
自動販売機だと2.2ユーロ、車内販売だと2.8ユーロでした。
国立博物館(シニア6か8ユーロでした)
国立博物館は、昔は教会だったように思えます。
塔に十字架が無いので何の建物かと思いまた、もっと遠いと思っていたので、通行人に聞くと「あれです」と言う返事でした。
テンペリアウキオ教会
海の乙女像
ウスペンスキー寺院(入れませんでした)
ヘルシンキ大聖堂
だいぶ疲れたので、3時頃には帰りました。
この日の反省は、自由行動の場合は、一度船に戻って、船のランチを取り、昼寝をして再び出かける方が、
疲れが取れ、結局多くの時間を歩くことが出来る、ということでした。
日曜で、カフェやレストランも休みが多く、どうしようも無くマクドナルドに入りました。
レシートのナンバーを入力するとトイレに入れるのでした。
5月20日、タリン(エストニア)
のっぽのヘルマン
旧市庁舎
一度船に戻り、船のランチを食べ、昼寝を1時間ほどして、2時半頃再び出かけました。
キリスト変容教会
この教会は目立たない教会でしたが、中はとてもきれいでした。
修道女の塔(1.2ユーロ) 急な螺旋階段を昇って、城壁の上を少し歩くことが出来ます。
大ギルドの会館、エストニア歴史博物館
脇の通路には、年代譜のプレートがありました。
「氷河期の終わり」から始まり、確かエストニア独立400年記念(未来)のプレートで終わっていました。
カタリーナの通路 このエリア一帯は昔ドミニコ修道院の敷地だったようです。
沢山歩いたのですが、昼寝をしたせいでしょうか、疲れはあまり感じませんでした。
港のスーパーマーケットでリンゴを買って、クルーへのお土産にしたのですが、しなびていて新鮮ではありませんでした。
6時半頃船に戻りました。
5月22日(水) リガ(ラトビア)
7時着岸しました。
ダウガヴァ川の川幅は広く深いようで、大型客船がかなり陸地まで入ることができるます。
リガ港は、ダウガヴァ川の河口をかなり入った所にあるようで、目の前が旧市街地です。
9時過ぎに船を下りて歩き出しました。
午前中は、ピルセタス運河を渡ったエリアを歩くことにしました。
ユーゲントシュティール建築群(アールヌーヴォ地区)
救世主生誕大聖堂
自由記念碑
船に戻って、ランチを食べ、小1時間ほど昼寝をして再び出かけました。
中央市場でバナナを買いました。5ユーロ札を出すと、山ほどのバナナでした。
半分だけもらい、おつりを現地通貨でもらいました。
聖ペテロ教会
火薬塔・ラトビア軍事博物館
リガ大聖堂
船に帰ったのは6時過ぎでした。
歩数計は、一日で3万5千歩を超えていました。
カードは使えるのですが、ユーロコイン通貨は使えません。
そこで困るのは、トイレです。ホテルを使いました。大きいホテルほど、使いやすいです。
5月24日(金) コペンハーゲン(デンマーク)
午前中は、国立美術館(無料)などを見ました。
明日は早朝からオーバーランドツアーなので、写真の整理と日記を作成する時間がありませんでしたので、以下曖昧です。
国立美術館 ピカソとモジリアニ
ムンクの作品があると言うことですがわかりませんでした。
昼前に船に戻り、ランチを頂き、昼寝をして、1時半過ぎに再度出発しました。
国立オペラ座
古い漁師町(名前を忘れました)
Believe It or Not!博物館 とても面白い美術館でした。(12ユーロ) 「失礼」と言ったら、人形でした。
時間が無かったので、ゆっくり遊べませんでした。
近くにチボリ公園(遊園地)がありますが、入りませんでした。
忘れました。
人魚姫の像とアンデルセン像
コペンハーゲンは自転車の町です。いろんな形の自転車があります。
自転車専用道路がたくさんあり、車並みのもの凄いスピードです。市内各所に駐輪場があります。
鉄道駅前の駐輪場
すっかり時間がかかり、国立博物館などは入ることが出来ませんでした。
3万歩以上歩きました。
国会議事堂でトイレを借りました。二つ返事で入れてくれましたが、日本なら貸してくれないだろうな。
5月25日(日) オスロ(ノルウェー)
10:20コペンハーゲン発飛行機~オスロ11:30着。
空港で、トイレチップ用10ドルをクローネに両替しました。
ほんのわずかでしたが。
その他はクレジットカードが使えます。
オスロ市内をバスで王宮やオスロ市庁舎などを観光しました。
王宮
市内にある、一人の彫刻家の作品が多数陳列されているフログ公園を散策しました。 怒りん坊像
ノルウェーでは日本の成年式のような堅信式の行事を行なうそうです。
15歳になると大人扱いされるということで、民族衣装を着て、市庁舎や教会でお祝いして、
その後家族、親戚でお祝いし合うそうです。
5時前にホテルに着き、1時間ほど自由散策しました。
オペラハウス(屋根の上を歩けるそうです。)
オスロ市庁舎
オスロ大聖堂
ノルウェーでは水道水(軟水)を飲むことが出来るのですが、空のペットボトルを持ってくるのを忘れたので、
セブンイレブンで買いました。日本円で約500円ほどでした。物価は驚くほど高いです。
久しぶりにホテルの泊まったので、早速、あらかじめ作成してきたブログの更新とメールをチェックしました。
サーバーが良いのか、WEB通信速度は速いです。
メールは不要な物が多く、削除に手間取りました。
明日も、早朝から列車で、フロム駅に行き、「フィヨルド列車」に乗るので、夜10時には寝ました。
5月26日(日) フロム郊外(ノルウェー)
8:05オスロ発の列車でミュールダールに向かいました。約5時間です。
ミュールダール駅で、フィヨルド列車に乗り換えてフロムに向かいました。
両方とも座席指定ですが、一定の人数の団体ツアーでは車両一台が割り当てられます。
フィヨルド列車は広軌列車で一列2×3の5座席のゆったり車両でした。
絶景ポイントに来ると列車は、停車し写真を撮らせてくれます。
ここでは、5分間停車し、車両から降りることができます。 岩のあちこちに「妖精」が現れます。
なかなか見所の多い列車でした。
フロム駅には2時過ぎに着き、3時にホテルに入ることが出来ました。
フロム駅は、標高2mです。つまり、ここはフィヨルドの"海"なのです。
こんな大きな船が、フィヨルドの海を通って、こんな「山奥」に来ることが出来るのです。
とても不思議な光景です。
ホテルは、フロム駅の目の前で、20分ほど周辺の写真を撮って、バスタブにつかりました。
フロム駅です。ホテルの私の部屋からの写真です。
明日は、フェリーで「フィヨルド遊覧」です。その後、バスでベルゲンに向かい、ベルゲン市内を観光します。
夕方、ベルゲンで船に合流します。
船からは、ブログの更新は出来ません。次のオーバーランドはベネズエラのカナイマ国立公園です。
おそらくここではWEB事情は良くないので、やはりブログ更新は出来ないと思います。
出来るとすれば、おそらく6月15日のパナマ市と思うのですが、わかりません。
期待しないでお待ちくださいね。では。
5月30日(木)ベルファスト(北アイルランド)
ベルファスト着岸は、11時過ぎでした。
私は、「奇景の世界遺産、ジャイアンツ・コーズウェイ」を訪れるツアーに参加しました。
出発は午後2時過ぎでした。
途中「ブッシュミルズ・ウィスキー蒸留所」に、トイレ休憩と称するショッピングのために立ち寄りました。
出かける前は、ワイシャツでも暑かったのですが、コーズウェイに近づくにつれ、
曇り空になり、風も強くなってきました。
コーズウェイに着いたときは寒いくらいでした。
私は、オーバーズボンをはき、ウインドブレーカーの上にレインコートを着、手袋、マフラーという異様さでした。
私は、行きはシャトルバスを使い、普通コース+ほんの一部難コースを歩いたのですが、
1時間以上かかり、帰りは急ぎ足となり汗をかきました。
ダンスール城
ガリバーの作者、スイフトは北アイルランドの出身、ガリバーの顔に似ているとか。
結論的には、奇景ですが、このためだけでは、北アイルランドにはわざわざ来ないと言う程度です。
6月11日(火) ラグアイラ市内観光
ラグアイラ野町の風景、貧しい感じです。
「ベネズエラの美術と文化に触れる」ツアーに参加しました。
8:45バスでカラカス市内に向かいました。
1時間ほど走った、カラカス市まであとわずかな所エンジンがストップ。
1時間後代車が到着しました。
国立美術館 お世辞にも立派とは言えませんでした。
ピカソの絵が2点ありましたが、収蔵品が少なく30分ほどで見終わってしまいます。
歩いて、現代美術館 国立美術館よりだいぶ立派でした。
ピカソ作品が2点、その他ミロとシャガールの作品がそれぞれ一点ずつありました。
ミロの作品
圧巻は、ピカソ室でした。神話を題材にした一連の作品集です。
いずれも小作品でモノクロで習作のような作品集です。
その数はとても多いです。ピカソファンには垂涎でしょうか。
13:50の遅いランチでした。
コンビーフのような牛肉と塩味の小豆の煮物とライスという典型的な中南米のランチでした。
米ドルが使えるのでグラスビールを飲みました。
世界無形文化遺産「ディアブロ・ダンサンテ(悪魔の踊り子たち)」[テレサ・カレーニョ劇場]を見ました。
私達のために特別に設けられたショーだそうで、30分ほどでした。
バスで船に戻りました。
夜は、ベネズエラ政府と地元の州政府主催の歓迎イベントが行われました。
シャトルバスで10分ほどの所ですが、バスの本数が少なくまた道路が混んでいて、行くのに1時間以上かかりました。
私は翌日オーバーランドツアーがあるので30分ほどで引き上げました。
6月12日(水) ラグアイラ「カナイマ国立公園観光4日間」
9:30バスでカラカス空港へ
カラカス空港からプエルトオルダス空港へ
12:00発の予定が1時間30分以上遅れて出発となりました。
カナイマ空港までは約1時間 途中大湿地・湖沼地帯を越えて行きます。
テーブルマウンテンが近づく頃になると、大雨となり、エンジェルフォールもテーブルマウンテンも見ることは出来ませんでした。
カナイマ空港からトラックに座席を付けた車でロッジに向かいました。
ロッジに着いたのは、4時を過ぎていました。
昼食はロッジですることになっているのでおなかはぺこぺこでした。
慌ただしいランチを食べて、サポ滝観光に向かいました。
水着に着替え、上半身は裸、ビニールのレインコートを羽織りました。
レインコートは雨や滝から濡れるのを避けるためでは無く寒さ対策です。
サポ滝まではボートで行くのですが、途中にいくつかの滝があるのですが、雨のため写真は全く撮れませんでした。
雨季のため、サポ滝に水量はすごい勢いでした。
カメラをぬらさないように注意したのですが、途中でレンズの窓が開かなくなり、手で開けました。
帰る頃にはすっかり暗くなっていました。
6月13日(木) 二日目
今日は、このオーバーランドのメインイベント・エンジェルフォールが見える地点まで、
ジャングルを片道2時間半以上歩く大変な強行軍です。
ホテル出発がなんと朝の5時です。
4:20分にドアをたたく音がしてモーニングコールでした。
クラッカーとコーヒーでおなかを少し満たし、5時にロッジを出ました。
天気は、雨。
私は、昨日と同様、下は水泳パンツ・上はTシャツとヤッケとビニールカッパ、足下は紐付きサンダルにしました。
ジープでボート乗り場に、小一時間ほどボートでオルキデア島に行きました。
そこで、チーズとハムのサンドイッチとミカン、ジュースとコーヒーの朝食を取りました。
再び30分ほどボートに乗って、30分ほど歩きました。川が浅瀬で急流になるのでボートでは無理なのです。
そこから更に1時間ほどボートに乗って、いよいよジャングルトレッキングです。
天気はいぜんと大雨です。ここはジャングル、トイレは無いので野外のトイレを使いました。
ジャングルトレッキングはかなりハードでした。
下は、木の根っこが蔓延んだり、水たまりだったり、滑りやすい岩だったり、でした。
約1時間ほど歩くと今度はかなりの急勾配が30分続きました。
目の前にエンジェルフォールが飛び込んできました。
約1キロを下った水はまさに雨状態で降り注ぎます。
天候の雨と重なり風もあるので、写真をゆっくり撮るゆとりはありませんし、
岩場の先は絶壁です。
おそらくこの場には5分ほどしかいなかったのでは無いでしょうか。
しかし、たったこの5分間のために私たちは大変な苦労と努力をしたのでした。
帰り道は、下りでしたのでとても楽でした。
私は、外聞を捨て、滑らないように四つん這いになって降りました。
ベースキャンプに戻るときれいなエンジェルフォールが私たちを迎えてくれました。
雄大でした。「来て良かった」は正直な気持ちです。
時間は2時を過ぎていたのでは無いでしょうか。
ここで遅いランチを頂きました。
胡椒と塩が効いたチキンはおいしかったです。
ロッジに戻ったのは6時半を過ぎていたのでは無いでしょうか。
雨が降っているので、時間などをゆっくりメモするゆとりはありませんでした。
夕食は19時半で、たっぷり高いワインを頂きました。
部屋に戻り、更にウイスキーを少し飲んで寝ました。
6月14日(金) 今日は、パナマシティへの移動日です。
天気は晴れ、しかしこの先想像を絶する事態が起きることを私たちは誰も思いもしませんでした。
7時のモーニングコールでゆっくり起床し、朝食もゆっくりたっぷり頂きました。
9時にロッジを出発し、カナイマ空港に向かいました。
小型機とセスナに分乗してエンジェルフォールへの遊覧飛行があったのですが、
小型機からは、滝が近すぎて水しぶきしか見えませんでした。
プエルトオルダス空港に12時過ぎに着き、ボックスのランチを食べましたが、おいしくはありませんでした。
プエルトオルダス14:00発の予定ですが、いっこうにゲートや搭乗時間の案内が無いまま、
どんどん時間だけが過ぎていくのでした。
飛行機に搭乗したのは、18:20でした。
しかし、エアコンの音が全くせず、機内はすごい暑さで、いやな予感がしました。
20:00代替機に乗り換えました。
カラカス空港からパナマシティ行きの飛行機の予定時間、18:11分を遙かに過ぎています。
今日中にパナマシティに行くのは不可能です。
20:40無事プエルトオルダス空港を飛び立ち、カラカス空港に着いたのは21:40でした。
ベネズエラのカラカス市内に泊まることになりました。
サンチャゴホテルという名の三つ星ホテルでした。
ルームサービスの夕食が12時過ぎに配られました。
塩胡椒の効いたチキンで持参したウイスキーを飲んで寝ました。
6月15日(土)
5:20分、激しいドアのノックのモーニングコールで目が覚めました。
6:10にホテルを出発し、カラカス空港には7時前に着きました。
パナマ行きは11:30なのですから、4時間半以上も前です。
無事全員のチケットと搭乗手続きが終わり、遅い朝食を空港レストランで取りました。
マメと牛肉の煮込みとパンと卵というベネズエラのローカル料理でした。
10時過ぎにゲートに集合しました。
皆、また少しは遅れるだろうと思っていたようですが、
10時40分頃搭乗開始とのアナウンスがあり、私は慌てて散歩を切り上げ引き返しました。
なんと出発予定の5分前に飛行機は離陸したのでした。
順調なフライトでパナマシティ空港に着いたのは13:20分でした。
14時空港を出発して、高速道路料金所入り口でバスがエンストしました。
5分後にエンジンは直り快適に出発したのでした。
レストランでランチを食べ、カスコ・アンティグオを歩いて散策しました。
17:40コロンを出発し、帰船下のは18時を少し回っていました。
旅には、アクシデントや失敗はつきものですが、今回の経験は私の旅の中で一番の"サプライズ"でしょう。
個人の旅行では、こうしたアクシデントのクリアはとても難しいですが、
ツアーでしたので、私はこのアクシデントを十分に興奮しながら楽しみました。
帰国して、もっと詳しく追記しましょう。
6月15日(土) カナイマ国立公園ツアーの続きとパナマ運河航行です。
5:20分、激しいドアのノックのモーニングコールで目が覚めました。
6:10にホテルを出発し、カラカス空港には7時前に着きました。
マメと牛肉の煮込みとパンと卵というベネズエラのローカル料理でした。
なんと出発予定の5分前の11:25に飛行機は離陸したのでした。
順調なフライトでパナマシティ空港に着いたのは13:20分でした。
14時空港を出発して、高速道路料金所入り口でバスがエンストしました。
5分後にエンジンは直り快適に出発したのでした。
レストランでランチ ビール小瓶が4.5ドルと安い上、何かトラブルがあっても船には簡単に変えることが出来る安心感のため2本飲みました。
カスコ・アンティグオを歩いて散策しました。
17:40コロンを出発し、帰船下のは18時を少し回っていました。
翌6月16日はパナマ運河の航行です。
パナマ運河は、閘門式と言われる階段式運河です。
一つの閘門を通過するのに小一時間かかります。
また、パナマ運河はワンウエィです。午前午後で進路が変わるので、
運河航行は待機時間などを含めると1日かかり、料金もとても高いそうです。
大西洋のクリストバルから太平洋のパナマシティまでは、バスでは1時間半ほどです。
この距離を、一日かけてゆっくり通るのは面白いのですが、
この日の気温は、以上とも言える暑さでした。
6月19日(水) グァテマラ・ティカル
1泊2日のツアー"マヤ最大の遺跡・ティカル"に参加しました。
アクシデントは、いろいろあるもので、今回もビックリスタートでした。
9時半の飛行機の予定でしたが、機体が整備不良のため、一度船に戻り船でランチを食べ、
12:45に再スタートとなりました。
ティカル遺跡の観光は時間的に足りないので、明日の予定と入れ替えとなり、
今日は、フロレンス島の観光と変更になりました。
飛行場は、軍事空港とのこと、落下傘部隊の訓練の卒業テストだったとか、
記念撮影に来てくれました。
しかし、フロレンス島はティカルへの入り口の町ということだけで、
とても狭く、観光スポットも皆無なので15分も歩くと観光終了でした。
フロレンス島の街
ホテルへは遠回りをしたよう湖畔を走り、17時頃到着しました。
ホテルののロケーションはとても良いらしいのですが、私はネットへのアクセスがあるので、
ホテル周辺の散策はしないで、メールのチェックとブログの更新にいそしみました。
ネットは、一日10ドルでしたが、速度は速く全く問題ないのですが、
電源プラグが私のとは合わないので限られた時間しか出来ません。
私は、船でブログの準備をして来たので、この間のベルファスト・カナイマ・パナマの
簡単なブログをブログ更新しました。
明後日テオキワカンへのオーバーランドツアーを予定しているので、
おそらくそこで最後のブログの更新が出来ると思いますが、さてどうなるでしょうか。
6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言うので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は広くぬかるんでもいないので、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、
その全体像・全貌は以前明らかになっていないようです。
マチュピチュやアンコールワットも長い間土に生まれていました。
覆っていた土が払われ、元の姿がだんだん明らかにされて来ました。
マヤ文明はインカ文明と混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に作られた都市・神殿国家連合のようです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今も定説は無いようです。
一号神殿
セントラルアクロポリス
4号神殿
4号神殿の上から全体を見る
12:30入り口に戻りランチ 13:30バス出発 15:00飛行場着
この空港も同じく軍用飛行場なのですが、フローレス飛行場より大きいせいか、職員も多いようで、X線のセキュリティチェックの機械は無いようなので、人の手で鞄を一つ一つ開けてチェックし、多くの時間がかかりました。
結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。
飛行機は30数人乗りでした。驚いたことにアテンダントが二人が飲み物とスナック菓子をくばりました。
フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そして最後のハプニング、手荷物にならない危険物は添乗員が集めた預けたのですが、その
荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗でした。
約15分後、もう一機の飛行機が到着し、その飛行に荷物が乗っていたのでした。
その頃、私ののどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず、帰船し、
シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずに缶ビールを2杯飲みました。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。【第79回ピースボートまとめ・現地発、下に続く】