6月19日(水) グァテマラ・ティカル
1泊2日のツアー"マヤ最大の遺跡・ティカル"に参加しました。
アクシデントは、いろいろあるもので、今回もビックリスタートでした。
9時半の飛行機の予定でしたが、機体が整備不良のため、一度船に戻り船でランチを食べ、
12:45に再スタートとなりました。
ティカル遺跡の観光は時間的に足りないので、明日の予定と入れ替えとなり、
今日は、フロレンス島の観光と変更になりました。
飛行場は、軍事空港とのこと、落下傘部隊の訓練の卒業テストだったとか、
記念撮影に来てくれました。
しかし、フロレンス島はティカルへの入り口の町ということだけで、
とても狭く、観光スポットも皆無なので15分も歩くと観光終了でした。
フロレンス島の街
ホテルへは遠回りをしたよう湖畔を走り、17時頃到着しました。
ホテルののロケーションはとても良いらしいのですが、私はネットへのアクセスがあるので、
ホテル周辺の散策はしないで、メールのチェックとブログの更新にいそしみました。
ネットは、一日10ドルでしたが、速度は速く全く問題ないのですが、
電源プラグが私のとは合わないので限られた時間しか出来ません。
私は、船でブログの準備をして来たので、この間のベルファスト・カナイマ・パナマの
簡単なブログをブログ更新しました。
明後日テオキワカンへのオーバーランドツアーを予定しているので、
おそらくそこで最後のブログの更新が出来ると思いますが、さてどうなるでしょうか。
6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言うので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は広くぬかるんでもいないので、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、
その全体像・全貌は以前明らかになっていないようです。
マチュピチュやアンコールワットも長い間土に生まれていました。
覆っていた土が払われ、元の姿がだんだん明らかにされて来ました。
マヤ文明はインカ文明と混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に作られた都市・神殿国家連合のようです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今も定説は無いようです。
一号神殿
セントラルアクロポリス
4号神殿
4号神殿の上から全体を見る
12:30入り口に戻りランチ 13:30バス出発 15:00飛行場着
この空港も同じく軍用飛行場なのですが、フローレス飛行場より大きいせいか、職員も多いようで、X線のセキュリティチェックの機械は無いようなので、人の手で鞄を一つ一つ開けてチェックし、多くの時間がかかりました。
結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。
飛行機は30数人乗りでした。驚いたことにアテンダントが二人が飲み物とスナック菓子をくばりました。
フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そして最後のハプニング、手荷物にならない危険物は添乗員が集めた預けたのですが、その
荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗でした。
約15分後、もう一機の飛行機が到着し、その飛行に荷物が乗っていたのでした。
その頃、私ののどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず、帰船し、
シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずに缶ビールを2杯飲みました。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。 【現地発まとめ終わり】
1泊2日のツアー"マヤ最大の遺跡・ティカル"に参加しました。
アクシデントは、いろいろあるもので、今回もビックリスタートでした。
9時半の飛行機の予定でしたが、機体が整備不良のため、一度船に戻り船でランチを食べ、
12:45に再スタートとなりました。
ティカル遺跡の観光は時間的に足りないので、明日の予定と入れ替えとなり、
今日は、フロレンス島の観光と変更になりました。
飛行場は、軍事空港とのこと、落下傘部隊の訓練の卒業テストだったとか、
記念撮影に来てくれました。
しかし、フロレンス島はティカルへの入り口の町ということだけで、
とても狭く、観光スポットも皆無なので15分も歩くと観光終了でした。
フロレンス島の街
ホテルへは遠回りをしたよう湖畔を走り、17時頃到着しました。
ホテルののロケーションはとても良いらしいのですが、私はネットへのアクセスがあるので、
ホテル周辺の散策はしないで、メールのチェックとブログの更新にいそしみました。
ネットは、一日10ドルでしたが、速度は速く全く問題ないのですが、
電源プラグが私のとは合わないので限られた時間しか出来ません。
私は、船でブログの準備をして来たので、この間のベルファスト・カナイマ・パナマの
簡単なブログをブログ更新しました。
明後日テオキワカンへのオーバーランドツアーを予定しているので、
おそらくそこで最後のブログの更新が出来ると思いますが、さてどうなるでしょうか。
6月20日(木) フローレス島からティカル遺跡
ホテル出発は、なんと7:30。
8:45からティカル遺跡巡りが始まりました。
ジャングルと言うので、私は、サンダルからスニーカーに履き替えたのですが、道は広くぬかるんでもいないので、サンダルのほうが良かったと思いました。
遺跡全体は、24km四方あるそうで、その中心の4km四方が発掘されただけで、
その全体像・全貌は以前明らかになっていないようです。
マチュピチュやアンコールワットも長い間土に生まれていました。
覆っていた土が払われ、元の姿がだんだん明らかにされて来ました。
マヤ文明はインカ文明と混同されやすいですが、同一ではありません。
マヤ文明は、紀元前数世紀から紀元7世紀頃まで、メキシコ・グアテマラの熱帯ジャングルの中に作られた都市・神殿国家連合のようです。
彼らが、どこからやって来て、この地を捨ててどこに向かったは今も定説は無いようです。
一号神殿
セントラルアクロポリス
4号神殿
4号神殿の上から全体を見る
12:30入り口に戻りランチ 13:30バス出発 15:00飛行場着
この空港も同じく軍用飛行場なのですが、フローレス飛行場より大きいせいか、職員も多いようで、X線のセキュリティチェックの機械は無いようなので、人の手で鞄を一つ一つ開けてチェックし、多くの時間がかかりました。
結局、飛行機が出発したのは、15:55でした。
飛行機は30数人乗りでした。驚いたことにアテンダントが二人が飲み物とスナック菓子をくばりました。
フローレス空港に着いたのは1時間後でした。
そして最後のハプニング、手荷物にならない危険物は添乗員が集めた預けたのですが、その
荷物が飛行機に乗っていなかったのでした。
添乗員も、旅行代理店職員も大汗でした。
約15分後、もう一機の飛行機が到着し、その飛行に荷物が乗っていたのでした。
その頃、私ののどはかなり痛んで来たので、港周辺のお土産屋には寄らず、帰船し、
シャワーを浴び、少し休んで食事を取りました。
のどが渇いたので、ハヤシライスをおかずに缶ビールを2杯飲みました。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。
6月22日(土) アカプルコ(メキシコ)
メキシコは日本の面積の5倍以上の広さを持つ大国で、アメリカ合衆国のテキサス州などもかつてはメキシコに属していました。
アカプルコは、メキシコの真ん中より少し南の太平洋側にある港で、リゾート地しても有名です。
アカプルコには、正午に着きました。
かつては、プレスリーの歌のようにアカプルコはアメリカ合衆国の大リゾート地でしたが、
今日は、その価値がだいぶ落ちているようです。
それでも街はとても派手で賑わっていました。
私は、『テオティワカン遺跡』の2泊3日のオーバーランドツアーに参加しました。
一日目は、移動日です。船を1時に出て、バスでメキシコシティ空港に向かいました。
これは、飛行機から撮ったメキシコ市の一部です。
アカプルコ16:27発、メキシコシティ着は17:48、シェラトン・マリア・イザベル・ホテルに19時にチェックインしました。
このホテルの連泊ですのでとても楽です。
シェラトンとは名ばかりで、建物は古く、設備も一流とは言えません。
ただ部屋は広いです。
その上、ネット使用料は24時間20ドルです。
食事もバッフェで、特別なことはありませんでした。
おまけに、喉の次は鼻炎です。原因はわかりません。
明日一日、メキシコ市内観光とテオキワカン観光が控えているので今日は早めに休みます。 【現地発まとめ終わり】