5月12日、昨日同様バルセロナ観光局の『モンセラットとシッチェスのツアー』 (69ユーロ)に参加した。
モンセラットとは「のこぎり山」という意味で、かなり厳しい崖の上に立つ修道院で、キリスト教の聖地とされてきた。
特に、ナポレオンが侵略し、建物を破壊し宝物は強奪したが、黒いマリア像だけは、土地の人により隠され守られたことから、
より巡礼者が増えるようになったと言う。
サグラダ・ファミリアのモデルになった山とも言われている。
ナポレオンが進出してきた時、他の財宝は略奪されたが、バジリカ(教会堂)内の黒いマリア像だけは住民が隠し、無事だったと言われ、
また、カタルーニャ語はかつて何度か禁圧されたが、この教会堂だけではカタルーニャ語でミサ等が行われてきたため、
カタルーニャの聖地と言われている。
8:10カタルーニャ広場集合、8:30出発。1時間後にモンセラット鉄道駅に到着、モンセラット鉄道に乗って10分程でモンセラット修道院に着いた。
モンセラット修道院駅
ビジュアルセンターでモンセラットの歴史の話をガイドから聞き、1時45分まで自由時間。
ビジュアルセンター内[聖書などを印刷した印刷機や時計]
バジリカ全体
午前中は、ミサが行われていて入ることができなかった。
大聖堂[モンセラット修道院では、バジリカと呼ばれている] 大聖堂前広場
私は、慌ただしくBARで昼食を取り、30分待って、フニクラ(=ケーブルカー、7.45ユーロ)に乗った。
そこから15分ほど急な坂道を登ると、サン・ジュアン展望台に着く。
その反対側 トレッキングの山道が見える
町がかすかにかすんで見える フニクラ
慌ただしく、フニクラで戻り、モンセラット美術館を見学 以下の写真は、美術館内ではなく修道院内のもの
バジリカ[大聖堂]の入り口 私は必至に中に潜り込んだが、これ以上は進めず引き返した。 仕方なく、これは引用の黒いマリア像
バジリカの全景
展望台からの眺望[ナポレオンはこんな急峻な所を来たんですね。]
ガウディの『キリストの復活』像などがあるサンタ・コバ(洞窟)にフニクラで行く時間はもう残っていなかった。
シッチェス
海岸リゾート地のシッチェスに着いたのは1時間後であった。
キューバ移民が作ったラム酒製造会社BACARDIで話を聞き、ラム酒入りカクテルをいただく。
ラム酒はほとんど味がなく、私には薬用アルコールだった。それだけにカクテルには、有効のようだ。
その後、17:45まで自由時間、海岸・市内を散策した。
こんな看板・お店を発見
市庁舎
カウ・フェラット美術館 マリセル美術館
ロマンティック美術館
シッチェス駅 雑誌屋
夕食はちょっと奮発して[35.40ユーロ]
5月13日 午前中は『バルセロナ市内のグルメウォーキングツアー』[19.5ユーロ]に参加した。
これもバルセロナ観光局主催のツアーで、10:30ののんびり出発、ガイドは英語であった。
このガイド、とても話し好きで、早口、2時間の予定だったが2時間半以上かかった。
私には、英語はほとんど理解出来なかったが、相づちを求める「アッ」が多く、耳障りだった。
グルメの前に、猫をテーマにした絵が壁に 牛の肉のお店
自転車置き場、厳重な鍵をかけサドルを盗難防止のため外して持って行く人も
サン・ジョセップ市場
イベリコ豚の生ハムは高級です ツアー参加者に配られたフルーツ
ベレン教会 壁に掛けられた飾りです。
チョコレート
ハム屋 酒 スイーツ
ワイン屋 コーヒー店
サンタ・マリア・ダル・マル教会
何かの抗議の集会
サンタ・カタリーナ市場
ここで解散。
慌ただしく昼食を取り、地下鉄でサン・パウ病院へ。
サン・パウ病院駅で降りたのだが、場所がわからず、犬を散歩させていた青年に聞くと、怪訝そうな顔をして目の前のビルを指さした。
私は、勝手に古い建物のイメージをしていたのです。 病院の入り口
これは内部の様子 これは、次の闘牛場近くの教会
モヌメンタル闘牛場は、地下鉄を乗り換えて二つ目
カタルーニャ国立劇場 バルセロナ水道局の建物(トーレ・アグバール Torre Agbar)
フランス人の設計らしいが、モンセラットののこぎり山をイメージしているとのことです。
私には、鉄砲の弾か、水滴に見えますが、迷ったときよく目に入るランドタワーで、とても大きく、高く、目立って、きれいです。
午後から、"ガウディ建築群パート2"を訪れたので、稿を改めた。
モンセラットとは「のこぎり山」という意味で、かなり厳しい崖の上に立つ修道院で、キリスト教の聖地とされてきた。
特に、ナポレオンが侵略し、建物を破壊し宝物は強奪したが、黒いマリア像だけは、土地の人により隠され守られたことから、
より巡礼者が増えるようになったと言う。
サグラダ・ファミリアのモデルになった山とも言われている。
ナポレオンが進出してきた時、他の財宝は略奪されたが、バジリカ(教会堂)内の黒いマリア像だけは住民が隠し、無事だったと言われ、
また、カタルーニャ語はかつて何度か禁圧されたが、この教会堂だけではカタルーニャ語でミサ等が行われてきたため、
カタルーニャの聖地と言われている。
8:10カタルーニャ広場集合、8:30出発。1時間後にモンセラット鉄道駅に到着、モンセラット鉄道に乗って10分程でモンセラット修道院に着いた。
モンセラット修道院駅
ビジュアルセンターでモンセラットの歴史の話をガイドから聞き、1時45分まで自由時間。
ビジュアルセンター内[聖書などを印刷した印刷機や時計]
バジリカ全体
午前中は、ミサが行われていて入ることができなかった。
大聖堂[モンセラット修道院では、バジリカと呼ばれている] 大聖堂前広場
私は、慌ただしくBARで昼食を取り、30分待って、フニクラ(=ケーブルカー、7.45ユーロ)に乗った。
そこから15分ほど急な坂道を登ると、サン・ジュアン展望台に着く。
その反対側 トレッキングの山道が見える
町がかすかにかすんで見える フニクラ
慌ただしく、フニクラで戻り、モンセラット美術館を見学 以下の写真は、美術館内ではなく修道院内のもの
バジリカ[大聖堂]の入り口 私は必至に中に潜り込んだが、これ以上は進めず引き返した。 仕方なく、これは引用の黒いマリア像
バジリカの全景
展望台からの眺望[ナポレオンはこんな急峻な所を来たんですね。]
ガウディの『キリストの復活』像などがあるサンタ・コバ(洞窟)にフニクラで行く時間はもう残っていなかった。
シッチェス
海岸リゾート地のシッチェスに着いたのは1時間後であった。
キューバ移民が作ったラム酒製造会社BACARDIで話を聞き、ラム酒入りカクテルをいただく。
ラム酒はほとんど味がなく、私には薬用アルコールだった。それだけにカクテルには、有効のようだ。
その後、17:45まで自由時間、海岸・市内を散策した。
こんな看板・お店を発見
市庁舎
カウ・フェラット美術館 マリセル美術館
ロマンティック美術館
シッチェス駅 雑誌屋
夕食はちょっと奮発して[35.40ユーロ]
5月13日 午前中は『バルセロナ市内のグルメウォーキングツアー』[19.5ユーロ]に参加した。
これもバルセロナ観光局主催のツアーで、10:30ののんびり出発、ガイドは英語であった。
このガイド、とても話し好きで、早口、2時間の予定だったが2時間半以上かかった。
私には、英語はほとんど理解出来なかったが、相づちを求める「アッ」が多く、耳障りだった。
グルメの前に、猫をテーマにした絵が壁に 牛の肉のお店
自転車置き場、厳重な鍵をかけサドルを盗難防止のため外して持って行く人も
サン・ジョセップ市場
イベリコ豚の生ハムは高級です ツアー参加者に配られたフルーツ
ベレン教会 壁に掛けられた飾りです。
チョコレート
ハム屋 酒 スイーツ
ワイン屋 コーヒー店
サンタ・マリア・ダル・マル教会
何かの抗議の集会
サンタ・カタリーナ市場
ここで解散。
慌ただしく昼食を取り、地下鉄でサン・パウ病院へ。
サン・パウ病院駅で降りたのだが、場所がわからず、犬を散歩させていた青年に聞くと、怪訝そうな顔をして目の前のビルを指さした。
私は、勝手に古い建物のイメージをしていたのです。 病院の入り口
これは内部の様子 これは、次の闘牛場近くの教会
モヌメンタル闘牛場は、地下鉄を乗り換えて二つ目
カタルーニャ国立劇場 バルセロナ水道局の建物(トーレ・アグバール Torre Agbar)
フランス人の設計らしいが、モンセラットののこぎり山をイメージしているとのことです。
私には、鉄砲の弾か、水滴に見えますが、迷ったときよく目に入るランドタワーで、とても大きく、高く、目立って、きれいです。
午後から、"ガウディ建築群パート2"を訪れたので、稿を改めた。