8月9日、半月ぶりに散歩した。 スポーツジムが休みで、天気予報では27℃だったので。
映画にするか、散歩にするか迷ったが散歩を選んだ。やはりとても暑く汗だくになったが楽しかった。
スポーツジムのマシンも有効だが、街のウォーキングはそれでは得られない楽しみがやはりある。
その一番は、風景だ。
予想だにしなかった景色や、看板や、お寺や、おもしろい人々や様子に遭遇することがある。
また、風景は不思議でその時々の私の心情によって感じ方や興味の対象が様々に変化する。
例えば、「写真を撮ってはだめ」と言われた時、ムカっとする時もあれば、「さもあらん」の時もある。
でも、その多くは相手の出方に左右される。「警備上の問題で撮影はご遠慮願います」と言われれば仕方ないものね。
それが理由も何も言わず、高飛車にただ「だめ」って言われるとね。
また、疲れた時は木陰を探して休めばいいし、思いがけない涼しい風に出会うなど。
麻布十番駅は初めて利用したが、地下鉄南北線から7番出口に出るには十分位かかる感じであった。
7番出口は都営江戸川線の駅の出口のようで、一度南北線を出るようにエスカレーターを登り、そして連絡通路を歩き、
そして再びエスカレーターを下り、また登って出口に出るという感じであった。
麻布十番駅を出ると雨が降っていた。方向を確かめようと左右を見回すと、十番稲荷神社は出口のすぐ隣りだった。
シンガポール大使館 オーストリア大使館
龍沢寺 安全寺
麻布区役所がここに置かれ、近代地方自治発祥の地との案内があった。 本堂等はない。
広称寺 光隆寺
本光寺 伝燈院麻布浄苑(本堂等はなかった)
長玄寺 リトアニア大使館
イラク大使館商務部 サンマリノ大使館
正光院 専称寺(本堂等は施錠した門の中だった)
妙経寺 六本木ヒルズ森タワー
櫻田神社 ラオス大使館
ギリシャ大使館 ウクライナ大使館
中国大使館(裏門) ルーマニア大使館
中国大使館正面でカメラを向けると「警備上の問題で写真を撮ることはできない」と警備の警察官にやんわり断られた。
繁成寺(門は閉じていて入れない) 中南米などの多くの国の大使館が入っているビル
コスタリカ、パナマ、ニカラグワ、ドミニカ、グァテマラ、ハイチ、ウルグアイ、
ホンジュラス、エルサルバドル、ボリビア、パナマ、エクアドル、ベネズエラ・ボリバル、イエメン、エジプト大使館商務部などが入っている。
曹洞宗永平寺別院長谷寺
観音堂 麻布大観音(とても大きい)
本堂
僧堂
観音堂内に大きな扇風機があったのでしばらく涼んだ。
永平寺別院というがかなり殺風景な感じであった。
岡本太郎記念館(入らなかった)
モロッコ大使館 表参道駅前のビル
麻布は、今日では都心・高級住宅街と言われるが、元々はかなりの下町だったようだ。
車一台がやっと通ることのできるような狭く、曲がりくねった道と言うより路地が入り組んでいる。
しかも坂道がやたら多い。六本木ヒルズあたりは毛利家の広大な下屋敷だったのではないだろうか。
多くの大使館が港区にあるのは、大名の下屋敷が多くあったことと無関係ではないようである。
この地域は日本で生活していると思われる多くの外国人とすれ違う。
少し風が吹いたがやはり暑かった。
汗でびっしょりのシャツ・ズボンでお店に入ったり、電車に乗るのは私でもちょっと気後れする。
【閑話休題】
スポーツジムに行くようになって、どうして人は「運動」するのだろうと考えた。
ここには確かに哲学的問題や人間の進化とか人類の文明とかに関わる色々な問題が潜んでいるように思う。
だが、今は、今日的な運動は、そもそも人の生命的活動(生きる)とは逆のことになっているのではないかということだけを考えようと思う。
つまり、人間にとって運動は不必要と言うよりエネルギーの無駄遣いなのだから。
太古の昔は、人は他の動物から食べられないこと、生きるための食糧の確保だけがほとんど生命活動の全てであった。
[ただ一つ生殖活動は、唯一自分の生命維持とは無関係な活動であった、と言うことは興味深い。]
走ったり、石を投げたり、穴を掘ったりすることは、直ちに生きること=食と直結していた。
長い年月を経て、人は狩りや採取で確保した食糧などをその日の内に全て消費せず、明日のために保存できるようになった。
保存できるだけの生産性の向上と社会的智恵が育ったためだ。
お互いが言葉を交わしたり、歌ったり遊んだりなどそれ自身が直ちに生きることに結びつかない"余暇的"行動を取ることができるようになるにはさらなる時間が必要であった。
睡眠など以外の全ての時間を食糧確保のために費やす必要がなくなると、感情などの余裕は生まれたが、筋肉などの体力は退化して行った。
それまでは食料を求めて一日歩いて筋肉を使っても食料にありつけない日もあった。
さて、現代人は食料確保・生産のためにはほとんど筋肉を使わなくなってしまった。
それどころか、摂取しすぎた栄養を消費するためにわざわざ「運動」したり、健康のために体を酷使する「運動」をわざわざするのだから不思議だ。
ローマ人は、美食して満腹になってもまだ食べたいので、食したものをわざわざ吐き戻し、さらに食べたという。
現代では、健康のために始めた運動がいつしか"運動"そのものが目的となって全てに優先し、
運動できないことが過度の欲求不満や不安となって、心に脅迫観念を用意したり、
運動のし過ぎでかえって健康を害したりすることもある言われる。
おそらくこうした逆立ちしたことを"疎外"と言うのではないだろうか。
もはや昔に戻ることはできないのだが、かつての農耕社会においては、人は死ぬまで何らかの社会的生産労働をしていた。
かなり単純化して言うと、働けなくなることは、体を動かすことができなくなること、つまり死を意味していたのではないだろうか。
もちろんそうした時代を私は美化しているのではない。
その時代は、貧しさや飢餓があり、それは人と人の世をつらく暗くもしていたのだから。
今日では、おそらく生まれてすぐ栄養過多の人生が始まり、それは死の直前=病のベッドの上まで続く。
定職を去った時、「時が余りすぎる」と言う話もよく聞く。
私は、時が足りないほど忙しくはないし、時が余るほど退屈ではない。
余り深く物事を考えずに日々を過ごし、確実に死に向かって歩んでいるって感じだ。
「死」と言えば、古代ローマの英雄達は、死を察した時絶食して自らの死を迎えたという。
私は屁理屈を言いながらスポーツジムを楽しみ、ちょっとぐらい暑くても散歩をしているのである。
映画にするか、散歩にするか迷ったが散歩を選んだ。やはりとても暑く汗だくになったが楽しかった。
スポーツジムのマシンも有効だが、街のウォーキングはそれでは得られない楽しみがやはりある。
その一番は、風景だ。
予想だにしなかった景色や、看板や、お寺や、おもしろい人々や様子に遭遇することがある。
また、風景は不思議でその時々の私の心情によって感じ方や興味の対象が様々に変化する。
例えば、「写真を撮ってはだめ」と言われた時、ムカっとする時もあれば、「さもあらん」の時もある。
でも、その多くは相手の出方に左右される。「警備上の問題で撮影はご遠慮願います」と言われれば仕方ないものね。
それが理由も何も言わず、高飛車にただ「だめ」って言われるとね。
また、疲れた時は木陰を探して休めばいいし、思いがけない涼しい風に出会うなど。
麻布十番駅は初めて利用したが、地下鉄南北線から7番出口に出るには十分位かかる感じであった。
7番出口は都営江戸川線の駅の出口のようで、一度南北線を出るようにエスカレーターを登り、そして連絡通路を歩き、
そして再びエスカレーターを下り、また登って出口に出るという感じであった。
麻布十番駅を出ると雨が降っていた。方向を確かめようと左右を見回すと、十番稲荷神社は出口のすぐ隣りだった。
シンガポール大使館 オーストリア大使館
龍沢寺 安全寺
麻布区役所がここに置かれ、近代地方自治発祥の地との案内があった。 本堂等はない。
広称寺 光隆寺
本光寺 伝燈院麻布浄苑(本堂等はなかった)
長玄寺 リトアニア大使館
イラク大使館商務部 サンマリノ大使館
正光院 専称寺(本堂等は施錠した門の中だった)
妙経寺 六本木ヒルズ森タワー
櫻田神社 ラオス大使館
ギリシャ大使館 ウクライナ大使館
中国大使館(裏門) ルーマニア大使館
中国大使館正面でカメラを向けると「警備上の問題で写真を撮ることはできない」と警備の警察官にやんわり断られた。
繁成寺(門は閉じていて入れない) 中南米などの多くの国の大使館が入っているビル
コスタリカ、パナマ、ニカラグワ、ドミニカ、グァテマラ、ハイチ、ウルグアイ、
ホンジュラス、エルサルバドル、ボリビア、パナマ、エクアドル、ベネズエラ・ボリバル、イエメン、エジプト大使館商務部などが入っている。
曹洞宗永平寺別院長谷寺
観音堂 麻布大観音(とても大きい)
本堂
僧堂
観音堂内に大きな扇風機があったのでしばらく涼んだ。
永平寺別院というがかなり殺風景な感じであった。
岡本太郎記念館(入らなかった)
モロッコ大使館 表参道駅前のビル
麻布は、今日では都心・高級住宅街と言われるが、元々はかなりの下町だったようだ。
車一台がやっと通ることのできるような狭く、曲がりくねった道と言うより路地が入り組んでいる。
しかも坂道がやたら多い。六本木ヒルズあたりは毛利家の広大な下屋敷だったのではないだろうか。
多くの大使館が港区にあるのは、大名の下屋敷が多くあったことと無関係ではないようである。
この地域は日本で生活していると思われる多くの外国人とすれ違う。
少し風が吹いたがやはり暑かった。
汗でびっしょりのシャツ・ズボンでお店に入ったり、電車に乗るのは私でもちょっと気後れする。
【閑話休題】
スポーツジムに行くようになって、どうして人は「運動」するのだろうと考えた。
ここには確かに哲学的問題や人間の進化とか人類の文明とかに関わる色々な問題が潜んでいるように思う。
だが、今は、今日的な運動は、そもそも人の生命的活動(生きる)とは逆のことになっているのではないかということだけを考えようと思う。
つまり、人間にとって運動は不必要と言うよりエネルギーの無駄遣いなのだから。
太古の昔は、人は他の動物から食べられないこと、生きるための食糧の確保だけがほとんど生命活動の全てであった。
[ただ一つ生殖活動は、唯一自分の生命維持とは無関係な活動であった、と言うことは興味深い。]
走ったり、石を投げたり、穴を掘ったりすることは、直ちに生きること=食と直結していた。
長い年月を経て、人は狩りや採取で確保した食糧などをその日の内に全て消費せず、明日のために保存できるようになった。
保存できるだけの生産性の向上と社会的智恵が育ったためだ。
お互いが言葉を交わしたり、歌ったり遊んだりなどそれ自身が直ちに生きることに結びつかない"余暇的"行動を取ることができるようになるにはさらなる時間が必要であった。
睡眠など以外の全ての時間を食糧確保のために費やす必要がなくなると、感情などの余裕は生まれたが、筋肉などの体力は退化して行った。
それまでは食料を求めて一日歩いて筋肉を使っても食料にありつけない日もあった。
さて、現代人は食料確保・生産のためにはほとんど筋肉を使わなくなってしまった。
それどころか、摂取しすぎた栄養を消費するためにわざわざ「運動」したり、健康のために体を酷使する「運動」をわざわざするのだから不思議だ。
ローマ人は、美食して満腹になってもまだ食べたいので、食したものをわざわざ吐き戻し、さらに食べたという。
現代では、健康のために始めた運動がいつしか"運動"そのものが目的となって全てに優先し、
運動できないことが過度の欲求不満や不安となって、心に脅迫観念を用意したり、
運動のし過ぎでかえって健康を害したりすることもある言われる。
おそらくこうした逆立ちしたことを"疎外"と言うのではないだろうか。
もはや昔に戻ることはできないのだが、かつての農耕社会においては、人は死ぬまで何らかの社会的生産労働をしていた。
かなり単純化して言うと、働けなくなることは、体を動かすことができなくなること、つまり死を意味していたのではないだろうか。
もちろんそうした時代を私は美化しているのではない。
その時代は、貧しさや飢餓があり、それは人と人の世をつらく暗くもしていたのだから。
今日では、おそらく生まれてすぐ栄養過多の人生が始まり、それは死の直前=病のベッドの上まで続く。
定職を去った時、「時が余りすぎる」と言う話もよく聞く。
私は、時が足りないほど忙しくはないし、時が余るほど退屈ではない。
余り深く物事を考えずに日々を過ごし、確実に死に向かって歩んでいるって感じだ。
「死」と言えば、古代ローマの英雄達は、死を察した時絶食して自らの死を迎えたという。
私は屁理屈を言いながらスポーツジムを楽しみ、ちょっとぐらい暑くても散歩をしているのである。