4月25日。5年前のこの日、JR福知山線の列車脱線事故が発生した。もう5年経過したというべきか、まだ5年しか経過していないというべきか。
この日は神戸スカイマークスタジアムでの野球観戦を予定していたのだが、朝のニュースを見て「そういえば今日は脱線事故の日だったな」と思い出す。
特に親類知人でこの事故で亡くなった、あるいは負傷したという人がいるわけではないのだが、縁あって尼崎市に住むようになってからというもの、これはそのまま黙って見過ごすことのできない事故であるという気持ちになっている。せめて現場を訪れて哀悼の意を表そうと、JR塚口駅から現場に向けて10分ほど歩く。
訪れたのは9時10分頃。列車事故のあった9時18分に近い時間である。現場となったマンションの横まで行ってみるが、黒い衣装を着た人たちの集団を見る。おそらく、被害者への補償を訴える集まりなのだろう。そしてその集団を取り囲むように報道の腕章をつけた人の姿を見かける。また、線路際に陣取ったカメラマンたちも、やはりこういう被写体だからということで喪服用に黒いスーツや背広を着込んで三脚に乗っていたりする。
9時15分頃、踏切音がして、事故の遭った塚口方面から列車がやって来る。あのカーブの手前にさしかかるとスピードを落とし、ゆっくりと通過していく。その場に居合わせた人たちみんなが頭を下げたり手を合わせたりして、列車の通過を待つ・・・。
18分にもっとも近いといえばこの後にやってくる特急北近畿であるが(確かにその時刻にやってきたのだが)、当時の様子とも合わせて実質近いのは、先ほどの快速列車ということになる。
この後、JR尼崎駅までのシャトルバスで移動。駅コンコースで記帳台の受付をやっていたのでイスに座り、記帳を行う。神妙な顔つきになる。
事故から5年、ともすれば風化してしまいそうなところであるが、被害者の遺族や、負傷した人たちの思いというのは変わることはない。それだけに、事故の状況というのは大いに語り継いでいかなければならない。
今後二度とこのような悲惨な事故が発生することのないよう、祈念するばかりである・・・。