まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

「生涯一教師」として・・・

2012年07月28日 | ブログ

プロ野球の後半戦が始まり、オリックスが3連勝して阪神が3連敗するというまことにもって理想的な滑り出し。まあ、関西のマスコミは野球のことには触れずにオリンピックのサッカーの話題でお茶を濁しているようだが、本当にご都合主義だこと。

さて、そんな裏で書き記してきた大和人さん(http://tosawa.cocolog-nifty.com/yamatojintravel/)への追悼の書き込みも今回が最後。

これまでは鉄道旅行、野球と共通の趣味のことで書いたが、飲み会の場で出る話はそれにとどまらず彼の本職である教育のこともいろいろとあった。

「生涯一教師」。野村克也氏の「生涯一捕手」から取ったものだが、よく口癖で出ていたことである。大学も教育大学で、ずっと教師になることに憧れていた。私と知り合った当時は教員免許は取得しているもののなかなか公立の採用選考に合格することがなく、私立学校の非常勤講師などをこなしながら選考合格への勉強を行っていた。科目は社会科。

私も歴史好き、特に日本の近現代史には興味があるのだが、学校の教育がともすれば考古学や上代に偏りすぎて、現代に直結する近現代史がおろそかになっているのではないかという思いがある。そこまでたどり着いたらもう3学期で時間切れになってしまったとか。だから「日本史は逆に現代から始めたらどないですのん」などとプロの教師相手に無茶ぶりをしたこともあったが、優しく笑って応じてくれたのを覚えている。

その後正式な公立教員として採用ということになったが、彼が興味があったのがそうした一般の社会科教師ではなく、障害を持つ生徒への支援教育。養護学校、聾学校、特別支援学校を歴任してきた。「障害といっても程度がさまざまで、ほとんど健常者と変わらない生徒もいれば、一人では本当に何もできなくて介添えを必要とする生徒もいる。社会に出れば風当りも強くなるが、あの子らが社会に出るまでの間、できるだけの教育をしていきたい」と常々語っていた。

しかしその一方で、現場の教師としてのハードさの愚痴もしばしば。教壇に立つ、事務処理もやる、そのうえ部活動の顧問も任されるようになるともう自分の時間というのがなくなる。後は研修だ出張だ行事だと入ればそれこそ休みもない。手当が厚ければまだ納得もできるのだが聞いた中ではほんのお印程度だという。よく教師と生徒のコミュニケーションということが言われるが、日常業務で忙殺される中で生徒とじっくり付き合おうと思えば、よほど好きな人でなければ続かないのではなかろうか。

前の勤務地はかなり忙殺されていて(だからガンも発生したのかもしれない)、身体が大丈夫かと私も気になっていたが、今年度から大阪市内の特別支援学校に転任となり、そこではゆとりも出てきたようである。6月に最後に会った時には「少しは自分に余裕ができてきたんで、私もそろそろ婚活でも始めようかな」と話していた。

そんな中での急逝である。

現役の教師として、「生涯一教師」ということは最後まで貫いた形にはなったが、新しい学校にもそろそろ慣れて、2学期以降はああして行こう、生徒とこう触れ合って行こうというのをいろいろと考えていたはずである。それができなかったこと、本当に志半ばという無念さは残っているだろう。

次に会った時には、大津の事件でも騒動になっている「いじめ」について、教師としての意見も聞いてみたいところだったのだが。

通夜式で弟さんが挨拶していた。「努力すること、最後まであきらめないこと。これは兄が教育者としてずっと教えてきたことです」と。彼が教壇に立つ姿を私は見たことはないが、生徒の皆さんに真面目に、熱く向き合って接してきた姿が目に浮かぶ。

大和人さんの教え、これを胸に一人一人の生徒さんが立派な人間として成長してくれることを願うばかりである・・・・。

・・・さて、このブログでのまとめ書きはこれでいったん終わる。ただ、彼との「約束」はまだ残っている。

8月5日、大正ドームでのオリックス対ロッテ戦。この日は「近鉄バファローズ」の復刻試合、あの猛牛マークもよみがえる。この試合はともに行く約束をしていた大和人さんへの追悼試合ということで観戦しようと思う。熱戦になるか、それとも私たちがいつも観戦するのと同じようなドタバタ試合になるか。昔を振り返りつつ声援を送ることにしよう。

これまで長々と書いた文章におつきあいいただいた皆さん、ありがとうございました。

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