まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

下関・唐戸へ

2015年01月04日 | 旅行記F・中国
泉大津から阪九フェリーで新門司、新門司から送迎バスで門司、門司から関門トンネルで下関に到着。新しくなった下関の駅舎を見るのは初めてである。三角屋根の平屋の建物だったのだが、2006年に放火により全焼した。犯人は以前にも別の放火未遂事件で逮捕され服役し、刑務所を出たばかりだったのだが、住むところもなく「刑務所に戻りたかった」という動機で放火した。

この放火犯は知的障がいを持っており、その状態にありながら何度も犯罪を繰り返す「累犯障害者」と呼ばれている人たちがいる。一般人のように労働することもできず、かといって福祉のケアも届かず、それで結局犯罪を起こして刑務所に戻る・・・という悪循環にあるとして、現代社会の負の一面を表しているとされている。現在服役中とのことだが、出所後にはどのようなことになっているだろうか。

まあ、放火当時には駅舎の建て替え計画も持ち上がっていた時だし、現在はショッピングセンターも入る新駅舎が2014年にできたばかりである。構内高架下にはスーパーのイズミゆめタウンも入っており、年末年始も朝7時から開けている。

駅前のバスロータリーはまだ工事中のようだが、ここからバスで唐戸まで向かう。この日は午前中に下関から列車に乗るのだが、それまでの間を唐戸で過ごすというものである。唐戸と言えば唐戸市場。大晦日は開いているが正月3が日は休みということで、朝の様子をのぞいて見る。

すると中は正月用に買い求める地元の人たち、観光客がひしめき合っており、その上をそれぞれの商店の威勢のいい売り声が聞こえてくる。確か以前に来た時には朝から寿司パックの販売もあったようだが、どうやら土日祝日限定のようである(大晦日は平日扱いか)。まあ、朝食はフェリーの中で済ませたからいいのだが・・・。

魚がトロ箱の中でピクピクと跳ねている。ブリだ。またそれらが板に並べられ、数千円から高いもので1万円超えという値札が付く。西日本では年取り魚として雑煮の具には欠かせないし、頼めば三枚に下ろすということもあって買い手も付く。なぜピクピク跳ねているのかと思うと、後で見かけたのが市場横に引っ張って来られた養殖用の生簀からすくい上げている光景。そこでトロ箱に入れられ、フォークリフトに積まれて市場の中に運ばれているのである。

もちろん下関のフクも数多く、こちらはさすがにそのものが並んではいないが、ふくちり用の切り身やふくさしも並ぶ。私もふくさしを一枚購入。これを昼食の時にいただくとしよう。

他にもクジラの各部位、カニやカキ、マグロなどなど・・・観光地化されているとはいえ、普段なかなかこうした市場に来ることもないのでその賑わいぶりは十分に楽しむことができた。

さてようやく東の空も明るくなり、門司側の山の上の空が少しずつオレンジ色に変わってきた。これは日の出を見るチャンスである。本来なら翌朝の初日の出を見ることができればよいのだが、天気予報では「暴風雪」とあり、とても初日の出は期待できそうにない。ならば、テレビでよくありがちな「天気が良ければこういう感じで見えるんですね~」というのを撮っておこうか。同じようにカメラを向ける人も多い。

これが以前の記事にもつながるのだが、関門海峡の夜明けである。

写真を撮っていると、「どちらから来られた?」とコンパクトデジカメを手にした男性が話しかけてくる。「この辺の潮の流れがだいたい3ノット、真ん中のほうなら4ノットあるかな・・・、ま、いずれにしても落ちたらまず助からない」と続ける。1ノットはだいたい時速1.852km。3~4ノットとすれば時速6~8kmほど。これだけ聞くと「ふーん」としか思わないが、秒速にすると2~3mである。そうなると結構速いのかなと思う。一般的に穏やかな湾や入江での潮の流れの標準は1ノットくらいだそうで、それと比べれば3~4ノットは速い。さらに関門海峡では9~10ノットにまで速まることもあるそうだ。渦潮で有名な鳴門海峡もそのくらいあるそうだ。

まだ時間があるので、唐戸市場に向かい合うようにして建つ亀山八幡宮に参拝。初詣の準備中で他に参拝する人の姿もほとんど見ないが、下関の氏神である。応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、仁徳天皇を祀る。

ただ観光地として有名な神社は、亀山八幡宮より赤間神宮である。こちらは安徳天皇を祀るとともに、壇ノ浦に沈んだ平家にゆかりがある。こちらも初詣の準備中で、夕方から日付の変わる午前0時までは門を閉め、新年とともに初詣客を受け入れるという。うーん、そのタイミングで初詣に行くか。ただ宿泊する駅前のホテルまでは歩くとそれなりの距離があるし・・・。

赤間神宮の本殿脇には安徳天皇や平家の武将たちの肖像画、源平合戦絵巻が納められた宝物館があり、それらも見学する。さらに奥には平家一門の墓、そして怪談「耳なし芳一」の芳一像がある。それらにも手を合わせる。

耳なし芳一・・・よく考えれば、なぜ「耳なし」なのかなと思う。体中に般若心経を書いて平家の亡霊に姿が見えないようにしたのはいいが、耳だけお経が書いていなかったというのはなぜなのかということである(それなら芳一の男の一物にはお経を書いたのか??という下ネタの推測は、ここではやめておくとして)。耳だけ書き忘れるということは普通に考えればありえないことだが、ネットを検索すれば世の中にはいろいろな推測をする方もいるもので、その部分を担当した寺の小僧さんが芳一の境遇をねたんでわざと書かなかったのだとか、あるいは小僧というのが安徳天皇が化けた姿で、それでわざと書かなかったのだとか。一方で耳と言うのは書きにくい形をしており、そのために書いた字が崩れていたとか、いろいろな考えがある。ただ怪談やミステリーというのは、理屈で説明できないからこそのものであり、結局は「わからない」というのが理由だろう。

赤間神宮に接して、ふく料理で有名な春帆楼がある。この敷地の中にあるのが日清講和記念館である。日清戦争後の条約交渉で伊藤博文、陸奥宗光、李鴻章らが会談したところ。会談の様子を描いた肖像画は歴史の教科書などで見覚えのある方も多いだろう。中央にはテーブルと椅子が再現されている。

ここは私にとっても懐かしいところである(ちなみに春帆楼に入ったことはない)。大学の卒業論文ではちょうど日清・日露戦争の頃をテーマとしていたのだが、就職が決まり、論文のイメージを膨らませるために、夏休みに山陰から津和野、下関と回り、帰りは急行「さんべ」に乗るという旅行をした。その時に日清講和記念館を初めて訪れ、歴史の舞台というか、海峡を隔てた大陸との玄関口というか、下関の歴史を感じたものである。

そろそろ駅に戻ることにする。帰りは歩いて戻る。旧秋田商会ビルや下関郵便局といった大正時代の建物を見つつ、海に沿って歩く。風は結構強いが晴れている。ただ天気予報では「晴れのち雨」となっており、この先何か良くないことがないように・・・と願うばかりである。海峡ゆめタワーのある海峡ゆめ広場も通る。夜にはタワーにも上がってみようかと思う。

駅に到着。これから一旦下関を離れる。乗るのは山陰線を走る観光列車「みすず潮彩」である・・・・。
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