11日、職場行事として伊勢神宮を参拝し(これもいわゆる一つの公式参拝ということで)、宇治山田駅で伊勢うどんと手こね寿司の昼食としたところで、一行は解散となる。もっとも、私以外の一行は皆さん大阪難波まで同じ列車で戻るとのことで(特急券の座席指定を受けるタイミングがバラバラで、席どころか車両もバラバラになったのだが)、宇治山田のホームで見送りをする。
解散となったことだし、ここから先は自由行動ということになる。当日は現地解散でどこかに行くかもしれません、とは周りの人に伝えていたのだが、そうかと言ってどこに行くか具体的に決めていたわけではない。ならばシンプルに、せっかくなので近鉄の終点である賢島まで行くことにする。
やってきた伊勢志摩ライナーに乗り込む。子どもが騒いでいるがこれは仕方ないだろう。リゾート列車の位置づけもあるし、親御さんも注意したり叱ったりしているのだがそんなもんで言うことを聞かないのが子どもなのだろう。鳥羽から先の志摩線は長らく単線であったが、志摩スペイン村の開業などもあり、一部区間を除いて複線化された。特急もほとんどが賢島まで行くようになった。鳥羽からミキモト真珠島、鳥羽水族館の建物を車窓に見て、志摩半島の中に入り込む。特急はコトコトと進んでいく。
宇治山田から40分ほどで賢島に到着する。私の乗った伊勢志摩ライナーの隣に観光列車「つどい」が停まっていたが、伊勢志摩ライナーの到着と同時に出発した。反対側には「しまかぜ」が2編成。この後で伊勢志摩ライナーがもう1編成到着して、何とも豪華な顔ぶれとなった。最も山側が普通列車のホームであるが、こちらは2両編成のワンマン運転である。豪華特急とローカル鈍行列車・・・これも近鉄ならではの取り合わせである。
今でこそ端のホームを当てられているが、志摩線が現在のように複線化されるまでは、普通列車は1フロア下の別ホームに発着していた記憶がある。賢島といえば伊勢志摩のリゾート地として名高いが、ウィキペディアに掲載されていた賢島駅の年間利用者数は、昭和40年代後半から昭和50年代前半が50万人(ピークは昭和49年の59万人)だったのが、平成20年代となると30万人を割るまでに落ち込んでいる。交通手段が多様化したのもあるだろうが、そのテコ入れが伊勢志摩ライナー、「しまかぜ」、「つどい」」といった観光特急、観光列車の投入であり、阪神なんば線開業にともない(試験的ではあるが)神戸三宮までの特急を走らせてみたりということである。ただ、賢島自体の観光客の入れ込み数も減少傾向にあるとかで、観光地、リゾート地としての人気が落ち込んでいるのかなと思う。
せっかく来たので少し回ろう。といってもゴルフや宿泊をするわけでもなく、食事にも中途半端な時間である。そこで目にしたのが英虞湾の遊覧船である。一周50分、途中真珠店への立ち寄りが入る。駅構内の窓口で乗船券を買い求め、ホテルへの送迎バスが発着するメインの入口とは逆の、海側のほうに出る。かつての駅舎も残る。駅前には昔ながらの風情の真珠店や土産物店、食堂などが並ぶ。海鮮をバーベキューに出す店や、いかだの上のレストランもある。
そこにやって来たのは大航海時代のスペインをイメージした遊覧船「エスペランサ」。マストの上で彼方を指差す船員の人形が目立つ。
穏やかな天候なので甲板に上がり、出航。周囲を半島に囲まれた穏やかな水面。陸地が複雑なリアス式海岸である。志摩スペイン村といい、なぜ志摩がスペインなのかというところだが、このリアス式海岸が共通点だという。志摩の国が情熱の国かどうかはわからないのだが、英虞湾や的矢湾について言えば、真珠やあおさ、牡蠣の養殖ができる穏やかな海があり、それが志摩の気質を作っていると言えるか(一方外海に面しては、九鬼水軍がいたのだが)。それでも湾の中央まで来ると風が強く、荷物が飛ばされそうになった。
周遊して立ち寄った真珠工場。10分の停泊で真珠の核入れ作業の見学とある。確かにちょこちょこっと作業して、アコヤ貝の様子も見ることができたが、その女性もさっさと席を離れ、真珠の並ぶカウンターの後ろに立つ。要は真珠の即売タイムである。プレゼントする相手もおらず、かと言って自分で身につけるわけにもいかない私は商品と値札をあれこれ見比べて目の保養をしただけだったが、この短時間で商談成立となった客もいた。
再び乗船して賢島に到着する。ここから帰りとなるが、行きは伊勢志摩ライナーに乗ったことから帰りはローカル普通列車の伊勢中川行きで松阪まで戻ることにした。やはりこういう方にワクワク感を覚えるのは鈍行乗り鉄の悲しい性である。まあ、ローカルと言っても30分に一本あるのだから頻度は高い。
2両で6人の乗客でひっそりと発車。志摩線内は鵜方と志摩磯部は特急も停まる有人駅だが、あとはワンマンで前の車両の扉しか開かない。PiTaPaも使えない。駅間が短いのは元々が志摩電気鉄道というミニ私鉄だったからだろうか。そんな中、鳥羽や五十鈴川では乗客も多い。松阪まで特急や急行の通過待ちで停車しながら走るが、どの駅もそれなりに乗り降りがあった。伊勢志摩特急を前面に出しつつ、地元の足としてもきちんと機能しているようだ。
松阪に到着。ここで下車する。そろそろ夕方になり、大阪に戻るまでに夕食とする。松阪と言えば松阪牛。すき焼きで有名な店があるが、肉なら焼肉という想いもあり、改札を出てにわか雨の中を8分ほど歩く。
やって来たのは市内に何軒か構える焼肉の「一升びん」。本店は少し離れたところにあるが、そもそもの発祥地とされるのがこの平生町店。入ると煙が充満しており、松阪牛の高級感とはほど遠い構えである。ただ逆にこれが人気の要因なのだろう。幸運にもカウンター1席だけ空いていて、そこに座る。
ここは松阪牛を焼肉店価格で出すので知られている。リーズナブルなのは赤身の切り落としとか内臓系。さすがに、すき焼きの名店ではホルモンは味わえないだろう。だから人気なのだろう。テーブルはガスコンロだが、カウンターなら炭を入れた七厘が置かれるので風情も楽しめる。より美味そうだ。松阪ではないが和牛の部位もいろいろあり、店の雰囲気と合わせて楽しめる。
もし満席なら同じ松阪駅近くの焼鳥屋にしようと思っていたが(こちらはこちらで十分楽しめる店)、一升びんはよかった。すっかり夜となり、大阪に戻る。帰りの列車も伊勢志摩ライナーで、初詣割引きっぷの権利で鶴橋までの特急券を入手する(列車は上本町行き)。外も暗くなったので読書で過ごす。
ダイヤ検索で、このまま鶴橋まで乗るよりも、大和八木で橿原線~南大阪線と乗り継いだほうが藤井寺に早く着くことがわかり、そのように乗り継ぐ。
長い一日となったが公私ともに充実したものになり、改めて2015年が素晴らしい年になればと思うのである・・・・。
解散となったことだし、ここから先は自由行動ということになる。当日は現地解散でどこかに行くかもしれません、とは周りの人に伝えていたのだが、そうかと言ってどこに行くか具体的に決めていたわけではない。ならばシンプルに、せっかくなので近鉄の終点である賢島まで行くことにする。
やってきた伊勢志摩ライナーに乗り込む。子どもが騒いでいるがこれは仕方ないだろう。リゾート列車の位置づけもあるし、親御さんも注意したり叱ったりしているのだがそんなもんで言うことを聞かないのが子どもなのだろう。鳥羽から先の志摩線は長らく単線であったが、志摩スペイン村の開業などもあり、一部区間を除いて複線化された。特急もほとんどが賢島まで行くようになった。鳥羽からミキモト真珠島、鳥羽水族館の建物を車窓に見て、志摩半島の中に入り込む。特急はコトコトと進んでいく。
宇治山田から40分ほどで賢島に到着する。私の乗った伊勢志摩ライナーの隣に観光列車「つどい」が停まっていたが、伊勢志摩ライナーの到着と同時に出発した。反対側には「しまかぜ」が2編成。この後で伊勢志摩ライナーがもう1編成到着して、何とも豪華な顔ぶれとなった。最も山側が普通列車のホームであるが、こちらは2両編成のワンマン運転である。豪華特急とローカル鈍行列車・・・これも近鉄ならではの取り合わせである。
今でこそ端のホームを当てられているが、志摩線が現在のように複線化されるまでは、普通列車は1フロア下の別ホームに発着していた記憶がある。賢島といえば伊勢志摩のリゾート地として名高いが、ウィキペディアに掲載されていた賢島駅の年間利用者数は、昭和40年代後半から昭和50年代前半が50万人(ピークは昭和49年の59万人)だったのが、平成20年代となると30万人を割るまでに落ち込んでいる。交通手段が多様化したのもあるだろうが、そのテコ入れが伊勢志摩ライナー、「しまかぜ」、「つどい」」といった観光特急、観光列車の投入であり、阪神なんば線開業にともない(試験的ではあるが)神戸三宮までの特急を走らせてみたりということである。ただ、賢島自体の観光客の入れ込み数も減少傾向にあるとかで、観光地、リゾート地としての人気が落ち込んでいるのかなと思う。
せっかく来たので少し回ろう。といってもゴルフや宿泊をするわけでもなく、食事にも中途半端な時間である。そこで目にしたのが英虞湾の遊覧船である。一周50分、途中真珠店への立ち寄りが入る。駅構内の窓口で乗船券を買い求め、ホテルへの送迎バスが発着するメインの入口とは逆の、海側のほうに出る。かつての駅舎も残る。駅前には昔ながらの風情の真珠店や土産物店、食堂などが並ぶ。海鮮をバーベキューに出す店や、いかだの上のレストランもある。
そこにやって来たのは大航海時代のスペインをイメージした遊覧船「エスペランサ」。マストの上で彼方を指差す船員の人形が目立つ。
穏やかな天候なので甲板に上がり、出航。周囲を半島に囲まれた穏やかな水面。陸地が複雑なリアス式海岸である。志摩スペイン村といい、なぜ志摩がスペインなのかというところだが、このリアス式海岸が共通点だという。志摩の国が情熱の国かどうかはわからないのだが、英虞湾や的矢湾について言えば、真珠やあおさ、牡蠣の養殖ができる穏やかな海があり、それが志摩の気質を作っていると言えるか(一方外海に面しては、九鬼水軍がいたのだが)。それでも湾の中央まで来ると風が強く、荷物が飛ばされそうになった。
周遊して立ち寄った真珠工場。10分の停泊で真珠の核入れ作業の見学とある。確かにちょこちょこっと作業して、アコヤ貝の様子も見ることができたが、その女性もさっさと席を離れ、真珠の並ぶカウンターの後ろに立つ。要は真珠の即売タイムである。プレゼントする相手もおらず、かと言って自分で身につけるわけにもいかない私は商品と値札をあれこれ見比べて目の保養をしただけだったが、この短時間で商談成立となった客もいた。
再び乗船して賢島に到着する。ここから帰りとなるが、行きは伊勢志摩ライナーに乗ったことから帰りはローカル普通列車の伊勢中川行きで松阪まで戻ることにした。やはりこういう方にワクワク感を覚えるのは鈍行乗り鉄の悲しい性である。まあ、ローカルと言っても30分に一本あるのだから頻度は高い。
2両で6人の乗客でひっそりと発車。志摩線内は鵜方と志摩磯部は特急も停まる有人駅だが、あとはワンマンで前の車両の扉しか開かない。PiTaPaも使えない。駅間が短いのは元々が志摩電気鉄道というミニ私鉄だったからだろうか。そんな中、鳥羽や五十鈴川では乗客も多い。松阪まで特急や急行の通過待ちで停車しながら走るが、どの駅もそれなりに乗り降りがあった。伊勢志摩特急を前面に出しつつ、地元の足としてもきちんと機能しているようだ。
松阪に到着。ここで下車する。そろそろ夕方になり、大阪に戻るまでに夕食とする。松阪と言えば松阪牛。すき焼きで有名な店があるが、肉なら焼肉という想いもあり、改札を出てにわか雨の中を8分ほど歩く。
やって来たのは市内に何軒か構える焼肉の「一升びん」。本店は少し離れたところにあるが、そもそもの発祥地とされるのがこの平生町店。入ると煙が充満しており、松阪牛の高級感とはほど遠い構えである。ただ逆にこれが人気の要因なのだろう。幸運にもカウンター1席だけ空いていて、そこに座る。
ここは松阪牛を焼肉店価格で出すので知られている。リーズナブルなのは赤身の切り落としとか内臓系。さすがに、すき焼きの名店ではホルモンは味わえないだろう。だから人気なのだろう。テーブルはガスコンロだが、カウンターなら炭を入れた七厘が置かれるので風情も楽しめる。より美味そうだ。松阪ではないが和牛の部位もいろいろあり、店の雰囲気と合わせて楽しめる。
もし満席なら同じ松阪駅近くの焼鳥屋にしようと思っていたが(こちらはこちらで十分楽しめる店)、一升びんはよかった。すっかり夜となり、大阪に戻る。帰りの列車も伊勢志摩ライナーで、初詣割引きっぷの権利で鶴橋までの特急券を入手する(列車は上本町行き)。外も暗くなったので読書で過ごす。
ダイヤ検索で、このまま鶴橋まで乗るよりも、大和八木で橿原線~南大阪線と乗り継いだほうが藤井寺に早く着くことがわかり、そのように乗り継ぐ。
長い一日となったが公私ともに充実したものになり、改めて2015年が素晴らしい年になればと思うのである・・・・。