記事本文の前に・・・。
連日熱戦が繰り広げられる社会人野球日本選手権。7日は準決勝が行われ、私の勤務先企業は最終回の逆転で見事に決勝進出となった。初戦のJR北海道はある程度計算できたとしても、2回戦では前年の覇者・日本生命、そして準々決勝で夏の都市対抗野球の覇者・トヨタ自動車を続けて破るとは思わなかった。準決勝の王子相手には最終回までリードされたが逆転勝ち。22年ぶりの決勝戦はヤマハということで、ここまで来れば頂点に立ってほしいものである。仕事の関係で生観戦は難しそうだが、応援する。

・・・さて、本題の新西国三十三所めぐりの紀州御坊編である。道成寺駅で下車して寺に向かう。同じ列車で女性のグループも降りたのだが、そのうち一人が「さっき乗っていた電車は面白くてね、中間車両をちょん切って運転台をつけているの。普通、運転台ってちょっと丸まっているけど、まっすぐについている形が結構イケてて・・・」と、先ほどの改造車両をベタ褒め。お連れの方々は「ふ~ん(別にどうでもええやん・・・)」というリアクション。





道成寺には過去に一度来た覚えがある。ただ駅の印象はない。その時は紀伊半島を回るドライブの途中で立ち寄ったのかもしれない。駅から寺は歩いてすぐで、角を曲がると前方に石段が見える。ただその手前の駐車場には観光バスが3台停車している。新西国めぐりではなく、紀州の味覚を楽しむバスツアーのようで、その途中で道成寺にも立ち寄るというものだ。この時季だから紀州名物のみかんや柿、それにクエ料理でもいただくのだろうか。

石段を上がり、ゆったりした境内に入る。まずは正面の本堂に向かう。11月30日までは秋の本堂特別無料公開ということで、内陣の扉も開け放たれて中に上がることができる。本尊の千手観音は秘仏であるが、そのお前立ちの千手観音を間近に拝むことができる。燃やすと観音の御宝号が現れる線香を供えて、ここで般若心経のお勤め。これは四国との違いであるが、西国、新西国となると本堂でお勤めをする人というのはなかなかいない。むしろ「変わったヤツやな」という感じで見られてしまうところがある。道成寺も由緒ある寺院であるが、新西国ということは関係なく普通に観光で訪れる人が多いところである(駐車場の観光バスの数がそれを表している)。
道成寺は都が平城京に移る以前の創建とされている。生まれつき髪の毛のなかった女の子が、海から拾い上げた観音像を拝むうちに髪の毛が生え、やがて髪長姫と呼ばれるほどの美しい黒髪の姫に成長した。その姫がやがて藤原不比等の養女に迎え入れられ、宮子姫という名として、文武天皇の后となった。その間に産まれたのが後の聖武天皇である。出世の元となった観音像を祀るために、宮子姫の願いでこの地に立てられたのが道成寺の由来とされている。今でも宮子姫は地元の人たちに慕われた存在で、御坊の港まつりにもその名前がつけられている。
ただ、道成寺と聞いて思い浮かべるのは、安珍と清姫の物語であろう。古くは今昔物語にも載せられ、その後は能や歌舞伎などでも語り継がれたことである。そして、その物語を昔の絵巻物(の複写)を使って僧侶が語り聞かせる「絵説き説法」が有名である。元々絵巻物は、文字の読めない民衆に向けて、絵と語りで仏の教えを説くのにも使われていたのだが、平成の世になっても絵説きを行っているのは道成寺だけとのことである。

この絵説きは毎日行われているが、時間がきっちり決まっているものではなく、寺務所のある縁起堂にて「お気軽にお申し出ください」というものである。一通り境内をお参りした後で新西国の朱印をいただいた後、受付で中に入る。「もうしばらくして始めますので、どうぞ広間でお待ちください」と案内される。ちょうど、先ほどのバスツアーの人たちが絵説き説法を聞いた後で、広間に集まったのは個人の参詣者6名だけ。始まるまで、正面に安置されている安珍・清姫の像にてを合わせたり、能や歌舞伎での道成寺の演目のパネルを見る。今の歌舞伎界の大御所たちも清姫役をやっているようだ。
ちょうど頃合いを見計らって、若い僧侶が登場。絵巻物を使って巧みに安珍・清姫の物語を語る。ところどころに笑いの要素も入れるのだが、それはここで文字に書き起こすよりは、実際に聴いていただいたほうが断然面白い。やはり僧侶は人前で話すのに慣れている。
安珍が釣鐘の中に隠れて、最後には大蛇に化身した清姫に焼き殺されてしまうのだが、この話から「道成寺にはその時の鐘が残っているのだろう」ということで訪れる人も多いそうだ。ただ、その後新たに鋳造された鐘は、豊臣秀吉の紀州攻めの時の戦利品として、京都の寺に持ち去られたそうである。このために、道成寺は鐘で有名なのに鐘がない寺という妙な歴史を持つようになった。
絵説きの中で強調していたのが、「妻宝極楽」という言葉。以前に来た時にもおそらく語っていたのだろうが、今日初めて聞いた感じの言葉である(ということは、前に来た時の印象は残っていないということである)。「西方極楽」をもじった道成寺オリジナルの教えという。「主婦は家庭の柱なり わが妻こそ日本一なりと大切になしたまえば 家門の繁栄うたがいなく 極楽は西方の遠きのみならず 家庭すなわち妻宝極楽の浄土となりぬべし」とある。私には妻がいないし、そういう人がこの先現れるとは思えないので実感もなく、これをどう受け止めるかだが、男性に対しては奥様を大切にしなさいという教えであるし、女性に対しては宝と言われるような妻として自分を磨きなさいという教えである。もっとも、女性が積極的に社会に参画すべしというフェミニストの方が見れば「女性が家庭を守るとは、何と言う前近代的、封建的な教えなのか」と批判するかもしれない。
絵説き説法の後は、隣接する宝仏殿に行く。こちらも千手観音や釈迦如来など、国宝、重要文化財の仏像が三方にずらりと並ぶ。「見仏」の人たちもうなるほどの並びである。
一通り回り、そして次のくじ引きとサイコロである。
1.長岡京(楊谷寺)
2.龍野(斑鳩寺)
3.高槻(神峯山寺、安岡寺)
4.大阪市内(太融寺、鶴満寺)
5.大津(立木山寺)
6.太子町(叡福寺、西方院、当麻寺)
そろそろ東の方向に振れるかと期待する中で出たのは・・・「5」。立木山寺である。大津と言っても市の南部で、JR・京阪の石山駅からバスに乗ることになる。この方向だと、西国の12番・岩間寺と13番・石山寺も近い。岩間寺へは最寄りのバス停から徒歩50分という道のりだが、それも含めて丸一日かけて訪れるくらいの気持ちで行ってもいいかなと思う。寒さが本格的になる前に・・・。
再び石段を下りると、さらに新たに観光バスが到着したようで、門前の数軒の商店はごった返している。ただ、そろそろ昼時ではあるが、そうした店は全て団体客の昼食場所で貸切となっている。これは仕方ないか。実はこの門前で昼食を取った後で、道成寺駅から御坊行きの列車に乗ろうかと思っていたのだが、昼食が無理ならいても仕方がない。とは言っても列車の時間までは結構ある。
そこで思いついたのが、御坊駅まで1駅、しかも駅間隔が短いので、次の列車を待つくらいなら御坊駅まで歩いたほうが早く着くのではないかということ。距離にして2キロあまりである。クルマの通行が多い県道ではあるが、思ったよりもショートカットできそうだ。果たして、道成寺から30分かからずに御坊駅前に到着した。
今回は道成寺が折り返し点であるが、どうせならもう少しこの辺りを楽しみたい。そんな中で、鉄道旅行者を楽しませる「あるもの」がこの御坊にある。次に向かうまでの時間、しばしそれを楽しむことに・・・。
連日熱戦が繰り広げられる社会人野球日本選手権。7日は準決勝が行われ、私の勤務先企業は最終回の逆転で見事に決勝進出となった。初戦のJR北海道はある程度計算できたとしても、2回戦では前年の覇者・日本生命、そして準々決勝で夏の都市対抗野球の覇者・トヨタ自動車を続けて破るとは思わなかった。準決勝の王子相手には最終回までリードされたが逆転勝ち。22年ぶりの決勝戦はヤマハということで、ここまで来れば頂点に立ってほしいものである。仕事の関係で生観戦は難しそうだが、応援する。










道成寺は都が平城京に移る以前の創建とされている。生まれつき髪の毛のなかった女の子が、海から拾い上げた観音像を拝むうちに髪の毛が生え、やがて髪長姫と呼ばれるほどの美しい黒髪の姫に成長した。その姫がやがて藤原不比等の養女に迎え入れられ、宮子姫という名として、文武天皇の后となった。その間に産まれたのが後の聖武天皇である。出世の元となった観音像を祀るために、宮子姫の願いでこの地に立てられたのが道成寺の由来とされている。今でも宮子姫は地元の人たちに慕われた存在で、御坊の港まつりにもその名前がつけられている。



ちょうど頃合いを見計らって、若い僧侶が登場。絵巻物を使って巧みに安珍・清姫の物語を語る。ところどころに笑いの要素も入れるのだが、それはここで文字に書き起こすよりは、実際に聴いていただいたほうが断然面白い。やはり僧侶は人前で話すのに慣れている。
安珍が釣鐘の中に隠れて、最後には大蛇に化身した清姫に焼き殺されてしまうのだが、この話から「道成寺にはその時の鐘が残っているのだろう」ということで訪れる人も多いそうだ。ただ、その後新たに鋳造された鐘は、豊臣秀吉の紀州攻めの時の戦利品として、京都の寺に持ち去られたそうである。このために、道成寺は鐘で有名なのに鐘がない寺という妙な歴史を持つようになった。
絵説きの中で強調していたのが、「妻宝極楽」という言葉。以前に来た時にもおそらく語っていたのだろうが、今日初めて聞いた感じの言葉である(ということは、前に来た時の印象は残っていないということである)。「西方極楽」をもじった道成寺オリジナルの教えという。「主婦は家庭の柱なり わが妻こそ日本一なりと大切になしたまえば 家門の繁栄うたがいなく 極楽は西方の遠きのみならず 家庭すなわち妻宝極楽の浄土となりぬべし」とある。私には妻がいないし、そういう人がこの先現れるとは思えないので実感もなく、これをどう受け止めるかだが、男性に対しては奥様を大切にしなさいという教えであるし、女性に対しては宝と言われるような妻として自分を磨きなさいという教えである。もっとも、女性が積極的に社会に参画すべしというフェミニストの方が見れば「女性が家庭を守るとは、何と言う前近代的、封建的な教えなのか」と批判するかもしれない。


1.長岡京(楊谷寺)
2.龍野(斑鳩寺)
3.高槻(神峯山寺、安岡寺)
4.大阪市内(太融寺、鶴満寺)
5.大津(立木山寺)
6.太子町(叡福寺、西方院、当麻寺)

再び石段を下りると、さらに新たに観光バスが到着したようで、門前の数軒の商店はごった返している。ただ、そろそろ昼時ではあるが、そうした店は全て団体客の昼食場所で貸切となっている。これは仕方ないか。実はこの門前で昼食を取った後で、道成寺駅から御坊行きの列車に乗ろうかと思っていたのだが、昼食が無理ならいても仕方がない。とは言っても列車の時間までは結構ある。
そこで思いついたのが、御坊駅まで1駅、しかも駅間隔が短いので、次の列車を待つくらいなら御坊駅まで歩いたほうが早く着くのではないかということ。距離にして2キロあまりである。クルマの通行が多い県道ではあるが、思ったよりもショートカットできそうだ。果たして、道成寺から30分かからずに御坊駅前に到着した。
今回は道成寺が折り返し点であるが、どうせならもう少しこの辺りを楽しみたい。そんな中で、鉄道旅行者を楽しませる「あるもの」がこの御坊にある。次に向かうまでの時間、しばしそれを楽しむことに・・・。