御坊から和歌山行きの普通列車に揺られる。関空・紀州路快速で使われている1-2列の座席の車両の一人席で、ゆったりと移動する。
海南を過ぎた黒江で大量の学生が乗って来る。どうやら智弁和歌山の生徒たちだ。後で同校のホームページを見た時に、学校へのアクセスのところで、「この役から1時間目に間に合うように出るには何時の列車に乗る」という紹介があった。要は黒江に着く紀勢線のダイヤ案内だが、私の近くだと天王寺やJR八尾、南海高野線の金剛でも、6時過ぎに乗れば間に合うようだ。まあ、これは1時間目ぎりぎりのダイヤだし、実際は部活などやっていたら現実的ではなさそうだが、和歌山だけではなく大阪方面からも広く生徒を呼び込もうというのがうかがえる。

学生で賑やかになった車内、次の紀三井寺で下車する。今回道成寺に行くにあたり、通り道なので西国の2巡目もセットでこなすということで紀三井寺にも行くことにしていた。2巡目としているが、実際には三度目の参詣である。1巡目の時、一度参詣したが、その後で両親から託された納経軸に朱印をいただくために、和歌山の3ヶ所にはもう一度ずつ訪ねている。その時に納経帳には重ね印をいただいたのだが、今回は先達用の巻物型納経帳に初めて筆を入れていただく。

1時間後の列車に乗るつもりで、駅から歩いて山門の下に着く。時刻は16時前だが、門前の土産物店はすでにシャッターを下ろしているし、訪れるひともさほど多くない。

石段を上がる。この石段の231段はハードと言われることが多いが、西国や新西国、それに四国も含めると、これよりも無茶苦茶なアクセスはいくらでもある。確かにしんどいが、極端に恐れるほどではない(逆に、これでビビっているようでは、その先が危ういという意味で)。


本堂に到着する。西国用の経本を開いてのお勤めである。ぎりぎりで内陣の拝観もできる時間だったが、それはいいかなと。
そして先達用の納経帳に朱印をいただく。和歌山は青岸渡寺、粉河寺とあるが、次はどのように訪れるか。また計画を立ててみたい。
しゃもじを奉納するところがあり、今回もここでしゃもじに願い事を書いて、それを大きなしゃもじに3回打ちつけて奉納する。それはいいのだが、なぜ紀三井寺でしゃもじなのだろうか。そこで寺の方に訊けばよかったのだろうが、なぜと思ったのは帰宅してからである。ネットでいろいろ検索しても明確な答えは出てこない。しゃもじ奉納といえば宮島の厳島神社をイメージするが、同じような由来があるのだろうか。
紀三井寺は16時で内陣への扉を閉める。これは祈祷なのか日常の行事なのか、太鼓も叩かれる中で般若心経の読経が始まる。一日の締めというところだろうか。16時といえば時間としてはまだ早いと思うが、寺としてはそろそろ一日の仕舞の時間なのだろう。


大十一面千手観音像を仰ぎ見る。この建物の最上階に上がることもできるのだが、過去にも上がっているし、もういいかなと思う、観音像の足元の高さから和歌浦方面を眺めることができる。前回はこの景色を眺めながらサイコロを振って次の行き先を決めたわけだが、2巡目は「何かのついで」で回るようにしているので、特に慌てる必要はない。

過去2回訪れたのはいずれも午前中から昼の時間帯だった。このように夕方に来るのは初めてで、別に意図していたわけではないが、太陽がそろそろ和歌浦の先に沈もうとしていた。こういう眺めもいいものである。
・・・この後で再び紀三井寺の駅に戻り、今度は和歌山まで出て、接続の快速に乗って天王寺まで戻る。かなり内容の濃い1日となった。11月、紅葉はこれから見ごろを迎える時季である。せっかくあちこち回るのだから、そうした景色もゆっくり見てみたいものである・・・・。
海南を過ぎた黒江で大量の学生が乗って来る。どうやら智弁和歌山の生徒たちだ。後で同校のホームページを見た時に、学校へのアクセスのところで、「この役から1時間目に間に合うように出るには何時の列車に乗る」という紹介があった。要は黒江に着く紀勢線のダイヤ案内だが、私の近くだと天王寺やJR八尾、南海高野線の金剛でも、6時過ぎに乗れば間に合うようだ。まあ、これは1時間目ぎりぎりのダイヤだし、実際は部活などやっていたら現実的ではなさそうだが、和歌山だけではなく大阪方面からも広く生徒を呼び込もうというのがうかがえる。

















・・・この後で再び紀三井寺の駅に戻り、今度は和歌山まで出て、接続の快速に乗って天王寺まで戻る。かなり内容の濃い1日となった。11月、紅葉はこれから見ごろを迎える時季である。せっかくあちこち回るのだから、そうした景色もゆっくり見てみたいものである・・・・。