まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第15回九州八十八ヶ所百八霊場めぐり~「指宿のたまて箱」に乗車

2024年05月19日 | 九州八十八ヶ所百八霊場

5月11日、広島から「さくら401号」で鹿児島中央に到着。荷物を預けにいったん改札口の外に出て、在来線ホームに入る。これから、九州八十八ヶ所百八霊場の第47番・光明寺を訪ねるべく、指宿に向かう。

9時56分発「指宿のたまて箱1号」指宿行き。キハ47、キハ40の2両編成だが、正面の左右両側で白と黒に大胆に塗り分けられている。各地のローカル線で活躍していたキハ40・47系を観光列車に改造した車両はいろいろあるが、こうした大胆なカットというのは初めて見る。指宿枕崎線でいえば、海側が白、山側が黒である。

指宿というところは竜宮伝説発祥の地とされており、竜宮といえばたまて箱、そして、乙姫からたまて箱をいただいた浦島太郎がたまて箱を開けると黒髪が白髪に・・というのがテーマだという。もっとも見ようによっては白霧島と黒霧島を連想するし、ジキルトハイド、天使と悪魔という、物事の裏表を想像してしまう。

座席は満員御礼という。行き先が指宿ということで団体客や外国人旅行者の姿も目立つ。キハ40と47の組み合わせは珍しいなと見ていると、1号車のキハ40は普段は予備車扱いで、本来の車両が検査等で運用を外れる時には代打で入るようだ。クロスシートが並ぶ。

そして私も乗る2号車のキハ47が、「指宿のたまて箱」のレギュラー車両のようだ。こちらはほとんどの座席が海側を向いており、海側の座席はカウンター、そして山側の座席はソファー型となっている。こうした木をふんだんに用いたインテリアの車両をデザインした人といえば・・・はい、あの方です。

「指宿のたまて箱」は愛称「いぶたま」と呼ぶようだ。鹿児島中央を出ると指宿までノンストップ。

私も海側のカウンター席に陣取り、出発。まず鹿児島中央駅近くの車両区の横を過ぎる。旧国鉄の朱色とクリーム色に復刻したキハ40や、引退した415系なども並ぶ。まずは鹿児島の市街地から郊外を走り抜ける。

街並みの向こうに桜島の姿を見る。桜島は今でも継続して噴煙があがるところで、日々の天気予報でも降灰の予想が流される。日本の中でもっとも火山を意識した街ではないだろうか。

その桜島を眺めながら、車内販売でいただいたのが「鹿児島ハイボール」。あえて飲んでみた。鹿児島といえば・・私の苦手科目である芋焼酎の本場。芋焼酎にあらずんば酒にあらず・・とまでは言わないが、いろんな飲み方があるのかなと買ってみた。地元・西酒蔵の「宝山」を炭酸で割った一品で、ちびちびやる分には悪くない味である。

車窓は錦江湾に差し掛かる。左手には桜島、そして正面から右手にかけて大隅半島が横たわる。この九州八十八ヶ所百八霊場めぐりでは大隅半島に行くことはなかったが(付け根にある国分を訪ねたのみ)、九州最南端の佐田岬、さらにその先の屋久島、種子島といったところにも足跡を残したいものである。

薩摩今和泉を過ぎる。島津氏の支流である今和泉島津氏の拠点で、幕末に徳川家定の正室となった天璋院篤姫ゆかりの地という車内案内がある。

11時48分、終点指宿に到着。

うーん、桜島や錦江湾の車窓はよかったのだが、50分ほどの乗車で何か特別なことがあったわけでもなし、「観光特急」という看板の割には少し物足りなかったかなという気がする。JR西日本のキハ40・47改造の観光列車たちは列車種別としてはあくまで「快速」だからそれ相応だと思うが、それに比べると・・・。

まあともかく、九州八十八ヶ所百八霊場めぐりにおいては九州のさまざまな路線、列車に乗っているが、ここに指宿枕崎線も加えることができた。もっとも、線路は日本最南端の西大山駅、そして終着駅の枕崎駅まで延びているのだが・・。

指宿の砂蒸し風呂は後のお楽しみとして、まずは一度折り返す形で、11時06分発の鹿児島中央行きに乗る。目指すのは2駅前の宮ヶ浜・・・。

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