まつなる的雑文~光輝く明日に向かえ

まつなる兄さんのよしなしごと、旅歩き、野球、寺社巡りを書きます。頼りなく豊かなこの国に、何を賭け、何を夢見よう?

第13回中国観音霊場めぐり~関門海峡を望み、渡ってしまう。

2020年08月08日 | 中国観音霊場

関門橋の下関側のたもとにあるみもすそ川公園に立つ。ちょうど壇之浦の戦いの場となったところである。関門海峡には学生の頃から数えて何度目かの来訪であるが、私の好きな旅先、景色の一つである。

源平の最後の合戦が行われたが、その決め手になったのは潮目である。1日に何度も流れが変わるという難所で、午前中は西に陣取った平家側が西から東への潮の流れを利用して有利に戦いを進めていたが、これに対して源義経は、平家側の非戦闘員である船乗りたちを射させるという、当時としては掟破りの戦法に出た。これで平家側に混乱が出たところで、潮目が東から西に変わった。平家側はついに追い詰められ、総大将の平知盛をはじめ多くの武将が入水、安徳天皇も海の底にもあるという都へと旅立った。

対岸の門司側の和布刈神社の建物もはっきり見える。距離だけ見れば泳げるのではないかと一瞬思わせるが、流れの速さというのは見ていてもわかるくらいだ。もしはまったら、泳ぐどころかまず助からないのではと思われる。関門海峡の人道トンネルの入口がある。ここでトンネルを歩いて門司に渡ろうかと思ったが、やめておく。

海沿いをこのまま歩き、赤間神宮に到着。安徳天皇が祀られ、海の底の都をイメージした水天門が出迎える。その正面に海峡に接した灯籠があり、石段が海面に続いているが、近づかないよう警告の看板が出ている。流れが急なうえ、突然の高波で足元をさらわれる恐れがあるという。

拝殿で手を合わせて、宝物殿に入る。平家の武将たちの肖像画や、源平合戦の絵巻物、屏風が三方に展示されていて、中央に安徳天皇の木像が安置されている。等身大の姿というが、わずか6歳で入水させられた姿は悲しげに見える。6歳といえば現代なら小学1年生?、周りの大人たちの事情で2歳とか3歳で天皇の位に就かされ、死なばもろともで入水させられた人生って一体・・。ちょうど居合わせたカップルの参詣者も木像の表情に「怖い」と言っていたが、確かに夜中にこの木像を見たらびびるやろうな。

怪談の世界といえば、ここは「耳なし芳一」の「現場」である。物語には阿弥陀寺という名前の寺が出てくるが、今の赤間神宮のことである。何のことはなく、元々が阿弥陀寺だったのが、神仏分離・廃仏毀釈のために赤間神宮になっただけのことである。

「耳なし芳一」といえば、昨年福江島を訪ねたツアーの帰り、小倉駅から新門司港まで向かう貸切バスの中で添乗員の方が語ってくれたのが上手く、印象に残っている。その時のことを思い出しつつ、芳一像や平家一門の墓に向かい合う。

赤間神宮からの脇道を抜けると、ふくの老舗料亭の春帆楼に出る。その一角にある日清講和記念館。日清戦争が日本の勝利になったことを受けて、日本から伊藤博文、陸奥宗光、清国から李鴻章、李経方を全権として下関で戦後処理に関する条約を結んだ。

歴史の教科書などで、その時の様子を描いた絵を見たことがあるという方も多いと思う。記念館ではテーブルをはじめとした当時の調度品を復元して、見る者に当時の様子を伝えてくれている。下関条約の全文の写しも壁面のスペースで展示されている。今回訪ねた時は新型コロナによる入国制限のためにインバウンドの客というのは見なかったが、そうした国々の現代の人たちには、下関条約というのはどう映っているのだろうか。台湾はこれで日本が領有することになったし、韓国(朝鮮半島)は後に併合されるまでの第1段階に入ったし・・。

ここまで来れば唐戸市場が近い。昼食は唐戸市場で何かを買って海峡を見ながらいただこう。

そして入場したのだが、この行列、この密である。多くの店で寿司や刺身を買うことができるとあって、同じようにここで昼食をという人が多い。ほとんどの人はマスクを着用しているとはいうもの、隣の店舗とも密につながっているので行列の間隔を開けるのも難しい。まあ、唐戸市場で感染者発生という話は聞かないし、活気が戻っているようにも見えてそれは喜ばしいことなのだが・・。

私は元々並ぶのが好きではないし、唐戸市場の中でもこの店でなければという事前情報やこだわりがあるわけではないので、その辺りの手近な店で、寿司(1貫単位で購入可能)とふく刺しを購入する。札所めぐりも終わったのでビールも1本いただこう。

海峡に面したテラスも結構な密である。その中の一角に腰を下ろす。真夏にふく刺しというのもイメージがわかないが、そこは流通の多い町ということで。寿司ネタは生くじら、くじらベーコン、のどぐろ炙り、特牛イカ(こっといイカ・・剣先イカの山口県ブランド)、かわはぎ、クエという、100円の回転寿司では絶対に出てこない一品。ビールも合わせるとこれで3000円となると贅沢な食事となった。いずれもネタは大きく、ご飯を巻くように乗っかる。まあ下関まで来て、唐戸で海のものを食べることができたのでよしとする。

さて、食事を終えて13時30分、帰りの新幹線まではまだまだ時間がある。ちょうど門司港行きの連絡船乗り場も目の前にある。先ほど人道トンネルの入口に来た時は対岸に渡るのを見送ったが、ここまで来ると連絡船に乗って門司に渡りたくなった。唐戸市場の近くにある洋館も道路から見たことにして、いっそのこと渡ってみるのもいいだろう。着いた先が門司港駅、門司港レトロ地区というのがいい。門司港駅も改装されたようだし、門司港から鹿児島本線で門司または小倉まで来て、関門トンネルを渡って下関に戻って来るのも面白そうだ。本州だ九州だと言わず、関門という一つのエリアということで楽しめばいいだろう。

というわけで門司港行きの片道きっぷを買い求め、やってきた「がんりう」号に乗り込む。

短い時間ではあるし、上のデッキに上がる。乗船時間は数分だが、波の速いところを横切っていくために結構揺れる。船体に波しぶきが当たる。

門司港に到着。中国観音霊場めぐり、番外編で本州を飛び出して九州の地を踏むことになった。まあ、以前には岡山の札所に行くのにわざわざ四国を経由したこともあるので、別に何でもありだが。門司港に来るのも数年ぶりなので、駅周辺を少し回ってみることにする・・・。

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