先週の木曜日、福島第一事故原発第4号機の、事故当時に記録されていたNRC(アメリカ合衆国原子力規制委員会)のレポートの、後に訂正される前の文章を教えてもらい、
その、これが真実だったならば、とんでもないことやと思いながら、当時周辺にいはった人たちに思いを馳せながら、訳して投稿した。
ここで投稿すると、自動的にツィッターとフェイスブックにも流れることになってるから、
これを読んだ人たちは、いったいどんな思いにならはるやろかと気になりながら、仕事が終ってすぐに、マンハッタンに出かけた。
イライザの、マンハッタンでの初個展!そのオープニングの日。
彼女はカナダ人の画家で、大学でも教えてる。
重度の糖尿病を幼い頃から患っていて、それを乗り越えながら、絵を描き続けてきた人。
旦那の幼馴染みルエルの難しかった人生を、彼女の持ち味である情熱とファンキーさと、そしてなによりもの深い愛情で救った。
ルエル(左)と、ルエルの弟ロビン。
彼女の絵は、なにより色合いがキュート。いつかうちの壁にも飾りたいなぁ~。
これはかなり大判。
いろいろ。
右側の絵は、両方ともキャラクターがすっかり変わってた。
ちっちゃな絵。
一番手前の絵の、椅子の下に、ゴーストが隠れてる。
イライザは、一度仕上げた絵を、物語を練り上げるように変えていく。
たとえばこの絵は、長く伸ばした鋭い爪が、以前は彼の首に食い込んでいて、彼はもっと緊張していた。
それが今回は、なんというか、あたたかいのだ。なにかこう、超えた、という感じ。
彼女と彼はどうかな?じっと観ていると、いろんな物語が生まれてくる。
このカップルの彼女に比べて、彼はどことなく自信無さげ。
おめでとうイライザ!とってもすてきな個展だった♪
画廊の隣の、渋いピラテスとヨガスタジオ。
おむかいでは、やたらと元気に、おっちゃんたちがサッカーをしてた。
ホーランドトンネルで帰る。スカスカで、ものの20分ほどで家に着いた。
画廊の中で、帰りの一品料理屋で、車の中で、ついついツィッターを確認してしまう。
どないしたん?と聞かれて、どう答えたらいいかわからず、言葉がつまった。
これまでの2年と8ヵ月、ひどいことになってたんやと、いろんなことから思い知らされてきた。
けど、この、今回のことは、これまでのんとはちょっと桁が違う。
人は結局、どんな所でも生きていくしかないのやけれど、こんな社会にしてしもて、
それをこれから大人になっていく子らに引き渡してしまうやなんて……。
イライザもルエルも、毎年夏になると、カナダの湖畔のコッテージで毎週末を過ごす。
旦那とわたしは、そのいつかの週末を、一緒に過ごしに出かける。
政治のこと、芸術のこと、日常のこと、健康のこと、家族のこと、自分自身のこと、話はどんどん広がっていって、いつまでも尽きない。
カナダもアメリカも日本も、政府はそれぞれに病んでる。
その病みに抱き込まれて、市民がいろんなことで苦しんでる。
けれども、イライザはこんなすてきな絵を描き、ルエルは電飾の創作をし、旦那は患者を治し、わたしはピアノを教え、曲を創る。
みんな、なにも特別に望んでないのに。
健康で無事に、そしてなにかの役に立てたり、なにかを楽しんだりして、その日その日が終えられたら、それで充分やのに。
その、これが真実だったならば、とんでもないことやと思いながら、当時周辺にいはった人たちに思いを馳せながら、訳して投稿した。
ここで投稿すると、自動的にツィッターとフェイスブックにも流れることになってるから、
これを読んだ人たちは、いったいどんな思いにならはるやろかと気になりながら、仕事が終ってすぐに、マンハッタンに出かけた。
イライザの、マンハッタンでの初個展!そのオープニングの日。
彼女はカナダ人の画家で、大学でも教えてる。
重度の糖尿病を幼い頃から患っていて、それを乗り越えながら、絵を描き続けてきた人。
旦那の幼馴染みルエルの難しかった人生を、彼女の持ち味である情熱とファンキーさと、そしてなによりもの深い愛情で救った。
ルエル(左)と、ルエルの弟ロビン。
彼女の絵は、なにより色合いがキュート。いつかうちの壁にも飾りたいなぁ~。
これはかなり大判。
いろいろ。
右側の絵は、両方ともキャラクターがすっかり変わってた。
ちっちゃな絵。
一番手前の絵の、椅子の下に、ゴーストが隠れてる。
イライザは、一度仕上げた絵を、物語を練り上げるように変えていく。
たとえばこの絵は、長く伸ばした鋭い爪が、以前は彼の首に食い込んでいて、彼はもっと緊張していた。
それが今回は、なんというか、あたたかいのだ。なにかこう、超えた、という感じ。
彼女と彼はどうかな?じっと観ていると、いろんな物語が生まれてくる。
このカップルの彼女に比べて、彼はどことなく自信無さげ。
おめでとうイライザ!とってもすてきな個展だった♪
画廊の隣の、渋いピラテスとヨガスタジオ。
おむかいでは、やたらと元気に、おっちゃんたちがサッカーをしてた。
ホーランドトンネルで帰る。スカスカで、ものの20分ほどで家に着いた。
画廊の中で、帰りの一品料理屋で、車の中で、ついついツィッターを確認してしまう。
どないしたん?と聞かれて、どう答えたらいいかわからず、言葉がつまった。
これまでの2年と8ヵ月、ひどいことになってたんやと、いろんなことから思い知らされてきた。
けど、この、今回のことは、これまでのんとはちょっと桁が違う。
人は結局、どんな所でも生きていくしかないのやけれど、こんな社会にしてしもて、
それをこれから大人になっていく子らに引き渡してしまうやなんて……。
イライザもルエルも、毎年夏になると、カナダの湖畔のコッテージで毎週末を過ごす。
旦那とわたしは、そのいつかの週末を、一緒に過ごしに出かける。
政治のこと、芸術のこと、日常のこと、健康のこと、家族のこと、自分自身のこと、話はどんどん広がっていって、いつまでも尽きない。
カナダもアメリカも日本も、政府はそれぞれに病んでる。
その病みに抱き込まれて、市民がいろんなことで苦しんでる。
けれども、イライザはこんなすてきな絵を描き、ルエルは電飾の創作をし、旦那は患者を治し、わたしはピアノを教え、曲を創る。
みんな、なにも特別に望んでないのに。
健康で無事に、そしてなにかの役に立てたり、なにかを楽しんだりして、その日その日が終えられたら、それで充分やのに。