epilogue
2013/11/22 00:05
自由言論は終焉を迎え、今回が最後の記事となったようだ。
これまで繰り返し論考したとおり、
特定秘密保護法案の目的とは、
原発事故による賠償回避と、
自由貿易への反逆抑止であり、
すなわち、
人権弾圧による社会秩序の維持と、
経済支配の達成であり、
それによる
既得権益の強化と、
搾取体系の絶対に他ならない。
「スパイ防止」と言いながら、外国人には罰則が無いというデタラメだ。
そのうえ、
外資比率50%以上の企業献金を合法化し、
国家議会は、
外国人投資家に教唆されるまま、労働法や税法や会計法を改変しているのであり、
「テロ防止」と言いながら、
核ガレキの拡散や汚染食品の流通により、国民の被爆を累積させているのであり、
すなわち、
国家議会そのものがスパイ・テロの中枢なのであり、
これほど狂った話しもないだろう。
つまりニホンは、
完全な譫妄(せんもう=頭がイカレてどうにもならない)状態なのである。
11月14日の衆院答弁において、
ブロガーも処罰対象となることが表明されたとおり、
今後は、
原発事故や自由貿易を検証する、電脳の論者が標的とされ、
スラップ訴訟や冤罪により粛清されることは、ほぼ間違いないだのと思う。
結局のところ我々は、
インターネットという現代の「パノブティコン」(完全監視型刑務所)の面会室を、自由言論の場だと錯認していた、に過ぎないのだ。
そもそも、
何が「秘密」であるのか周知されることがなく、
入手した情報、また公開した情報、あるいは知ろうとした情報が、「秘密」であるか否かという判断基準が示されることもなく、
つまり、
逮捕・摘発されたとしても、どのような抵触であるか知ることも叶わず、
ゆえに、
司法の場における陳述・答弁すら、不能となるだろう。
確実であることは、
放射線による健康被害や汚染マップの公開、
その賠償や開示の請求、
デモの呼びかけ、
食品摂取や被曝問題の啓蒙、
TPPによる経済損失や条項の問題点などの指摘、
行政執行者への非難、
特別会計の遡及など、
これら一切が違法化されるということだ。
それは、米国の「愛国者法」への準拠なのであり、
すなわち、
裁判所の許諾なく、NSL(National Security Letter)の一通により、市民を自由に拘束できる体制を目指すのであり、
検閲や監視を常態化し、弾圧そのものをビジネスモデル化する、市場国家の完成と言えるだろう。
かつて自分は、長期の裁判を経験したのだが、
この社会において、
「法廷心象主義」という、前近代的な制度が存置されていることに驚愕したものだ。
最終的な量刑や、有無罪の決定は、官吏の感性と主観に委ねられるのであり、
それは、
証拠を証拠として認めるか否かも、証人を証人として認めるか否かも自由裁量なのであり、
答弁書の内容を180度改変することも、架空事実を捏造して判決文を書くことすら許されるのであり、
つまり、
すでに国家は、どのようにでも個人を圧殺できるのであり、
特定秘密保護法案によって、この傾向はさらに強化され、絶対化されることは間違いないだろう。
それは、
憲法の解体なのであり、
人間的合法性の解除なのであり、
民主主義国家から人治国家への変移なのであり、
軍事階級による、文民階級の支配なのであり
議会政治から武力政治への転位であり、
本質として、経済的障害物の暴力的排除であり、
このような方法論は、
グローバリストが、進出地で連綿と実践してきたスキームに他ならない。
あらためて我々の体系は、
「帝国」という、新世代植民地主義の版図に、飲み込まれようとしているのだが、
それにくわえ、
原発事故というアクシデントが、弾圧のモチベーションを強化したのだろう。
つまり我々は、
海外勢力による市場侵略と、国内勢力による社会資本独占という、二重の悪意に晒されているのであり、
国家暴力は、そのような欲望の錯綜を淵源とするのであり、
換言するならば、彼らは、
言論統制という同一の政綱(プラットフォーム)を採用したのだ。
おそらく、上記のパラグラフを理解できるのは、これまで拙ブログを読んで下さった、極少数の方々だけだろう。
特別会計、財政投融資、独立行政法人などのキャッシュ・フロー、
電力企業と政官の癒着構造、
さらには、フリードマン理論(市場原理主義改革)によるラテン・アメリカの災禍、
天安門事件、
ワシントン・コンセンサス、
アジア通貨危機、
多国籍企業と米国政界の連関、
惨事便乗型ビジネス、
9.11同時多発テロ、
新石油法、
小泉改革以降の改定法律群、
ダヴォス階級による福祉・教育・労働の三権解体、
鳩山・小沢政権の弾圧、
日米経済調和対など、
洞察には、これらのランダムな概念を、ひとつの構造として視覚化する知見が要求されるのだが、
そのような語彙すら持たない国民は、「なぜそれが起こるのか」を、知ることも叶わないわけだ。
大衆は、ネット空間で言論が展開されているということすら、観念にないのであり、
言葉と思想をつなぐ回路が不在なのであり、
未だ、新聞テレビは権威であり、すなわち、知性に君臨する神であり、
それは、ある種の
クレオール化(植民地における思想・文化の混交現象)なのであり、
仮に、1000人のブロガーが不当逮捕されたとしても、彼らの日常に変化が生じることもなく、
「現実の消滅」というメディアの魔術操作によって、脳内社会は変わりなく、条理と秩序の体系であり続けるのだ。
つまり、毛沢東の洞察とおり、「
農民(国民)は政治というものを知らない」のであり、
大衆の本質もまた、普遍なのだろう。
しかし、
毎時1000万ベクレルという凄まじい放射線は、やがて彼らにも及ぶのであり、
被爆による症候群が勃発したところで、補償を求める行為すら犯罪とされるのであり、
国内農業の補助金を廃止し、補助金漬けの海外産物を輸入するという愚行により、飢餓が生じるのであり、
福祉国家の解体にともない、保険範囲は縮減され、高齢者医療も介護も、全面解体となるのであり、
多国籍企業と官吏機構の優遇のため、税率が引き上げられ、経済縮小へと発展し、倒産や自殺や売春が激増するのであり、
無軌道な財政運営により、社会資本は完全に枯渇するのであり、
貧困層は優先的に、原発収束作業や極東有事に送られ、生涯を閉じるのだけれど、
恐怖の現実に気付いたときには、声を上げることすらできず、
全てはあまりにも手遅れなのだ、と思う。
そもそも
自由言論とは、民主的闘争の獲得物ではなく、
先の大戦の遺産なのであり、
それは、
310万もの尊い犠牲による、血まみれの贈呈物であるにもかかわらず、
我々という中心世代は、軽薄にも、それを自ら破壊したのであり、
つまるところ、「
国家は悪によらず愚によって滅びる」という俚諺(りげん)に、全てが集約されるのだ。
今後は、
電脳世界にも、「焚書」が及ぶのだと思う。
自分がこれまで書き上げたコンテンツなどは、確実に「秘密」に該当するのだから、
それの公開も、それへのアクセスも、それの配布も、それの購読も、それの所持も、それのリンクも、ツイッターによる拡散も、
アフィリエイトすら、新法の拡張解釈により、犯罪認定が可能なのであり、
現実として、人類は秦皇帝時代の中国から、米軍が統治するイラクに至るまで、思想遺産の破壊を繰り返しているのであり、
我々の体系も、それを逃れることはできないだろう。
すなわち、「
本が死ぬところに暴力が生まれる」のである。
ここにアクセスして来られた皆様方は、
能動的に知ることを求めたアノマリ(異分子)なのであり、
反知識主義を拒絶したマイノリティ(異端者)なのだけれど、
抑圧者はそれを、プランテーションの反乱分子とみなし、整序するのであり、
その前提において、
今後の皆様方の課題は、埋没した個性の偽装であり、無知性の演出ではないかと思う。
自身と、ご家族の生存を目論むのであれば、
これから先の社会において、
決して目立ってはならないのであり、
反逆のトークン(目印)を、絶対に晒してはならない。
「独りファシズム」というブログの恐ろしさは、仮説と観察事実があまりにも整合する点にあり、
それには、執筆した本人ですら、慄然とするのだけれど、
おそらくアンチの方々も、反証が極めて困難だったのではないかと思う。
しかしながら、
洞察は自身の素養に拠るのではなく、書籍群という、知者の遺産に拠るのであり、
つまり、「
巨人の肩に乗っていたからこそ遠くを見ることができた」のであり、
等身大の自分は、全く無学な石ころのような者であることを、申告する次第だ。
最後に、電脳の片隅で、細々と情報発信をしていた自分を見出し、
言論者として育てて下さった飯山一郎先生に、謝意を申し伝えたいと思う。
また、自分のような者の言説を、熱心に読んで下さった方々、拙著を購読して下さった方々にも、お礼を申し上げたい。
本当にありがとうございました。
ときとして、あまりにも過酷な現実に、呆然としてしまうのだが、
そもそも
人間の存在本質とは、「偶有性」なのであり、
つまり、誰もが、生まれてくる時代も、社会も、環境も、性別も、家族も、美醜も、遺伝子も、
選択することができないのであり、
すなわち、
自分が自分を選択できない不条理を原質とするのであり、
偶然と、それがもたらす必然によって、翻弄される現象なのであり、
我々は、そのような調整不能性の中で、必死にあがき続けるというカルマ(宿業)を背負っているのかもしれない、
などと、アプリオリな確信を抱く、今日この頃である。
僕には、この先にある未来が、はっきりと見えるのだけれど、今後それを、公共で語ることは無いだろう。
これらからは、皆様方ひとりひとりが、検証作業を重ねていくのだ。
だからこそ、
時代の渦動に抗いながら、孤立を恐れることなく、
何者にも侵犯されない自由精神のなかで、
それぞれの「独りファシズム」を、矜持に抱いて頂きたいと思う。
長らくありがとうございました。
なお、ブログの閉鎖、ならびに電子書籍の配信停止を、12月に予定しておりますので、
連絡などございましたら、以降は yukinokyodo@excite.co.jp までお願い申し上げます。