NPO法人 CRMS市民放射能測定所・福島さんが、こんな図を作ってくださいました。
甲状腺検査
平成23-25年度合計
・悪性ないし悪性疑い 90人(手術51 人:良性結節1 人、乳頭癌49 人、低分化癌疑い1 人)
・男性 32人:女性 58人
・平均年齢 16.9±2.7 歳 、震災当時14.7±2.7 歳
上記の人数を、地区別ごとに書きこみました。
色分けは単純に、人数でしています。
福島の現実 目を向けて
不安を口にもできないの?
東京に母子で避難 二瓶さん
原発事故の影響で、住民に鼻血症状があるとの描写が、論議を読んだ漫画『美味しんぼ』は、
連載中の『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で、予定通り休載することになった。
放射線被ばくとの因果関係は、専門家の間でも結論は出ていないが、
「事故後に鼻血が増えた」と訴える人たちが、不安を抱えたまま置き去りにされないよう、行政などのケアが求められる。
漫画の内容には、福島県双葉町などが、
「風評被害を助長する」と抗議し、環境省は、健康影響を否定した。
ただ、科学的には、「放射線との因果関係は認められない」「関連は明らかだ」と、専門家も意見が分かれる。
因果関係は別にして、不安を口にすることさえいけないのか。
事故後に、福島市から東京都内に避難した二瓶和子さん(38)は、
「実際に健康不安のある人が納得できるよう、医学的なデータの提示や、きちんとした調査を」と訴える。
原発事故で、二瓶さんは、夫と子ども二人と、都内の親せき宅へ避難。
約3ヵ月後、部屋で遊んでいた長女(7)が、突然鼻血を出した。
夫に連絡すると「自分も出た」。
長女はその後も断続的に、鼻血に悩んだ。
「アレルギーかも」と、様子を見ていたが、今年3月に、血液と甲状腺の検査を受けた。
結果は『異常なし』だったが…。
「不安を訴えても、かき消されてしまいそうな風潮が怖い」
福島県郡山市から、茨城県土浦市に避難した別の女性(36)も、長男(11)と次男(9)が、原発事故後に鼻血を出し、現在も続く。
二瓶さん同様、不安に駆られるが、描写問題での行政の反応を見ると、気持ちを表に出すのもはばかれる気がする。
公害健康被害救済の法案づくりに関わった、小島敏郎・青山学院大教授(環境政策)は、
「鼻血も含め、体調不良を訴える人たちの調査など、きめ細かいフォローが必要」と指摘。
公害では、患者発生から医学的認定まで、10年以上かかる場合もあり、
「福島事故は、日本が初めて経験する重大な放射能公害。長期的視野で対応を」と話している。
低線量被ばくの危険性を認める 仙台高裁
訴えは却下でも、画期的な決定内容ー。
福島県郡山市の小中学生が、市に対し、『集団疎開』を求めていた抗告審で、
仙台高裁(佐藤陽一裁判長)は先月24日、仮処分申請を却下した。
だが、低線量被ばくの危険に日々さらされ、将来的に健康被害が生じる恐れがあると、はっきり認めた。
(出田阿生、中山洋子)
福島の『集団疎開』裁判
訴え却下も内容『画期的』
「この決定の特徴は、低線量被ばくの危険性を、強い口調で認定していることだ。
それについては、大きな成果といえる」
福島の子どもたちの支援を続ける、元裁判官の井口謙一弁護士は同日、こう内容を評価した。
決定の事実認定の文章は、歯切れよい。
「低線量の放射線に、長期・継続的にさらされることで、生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧される」とし、
「チェルノブイリ原発事故後に発生した、子どもの健康被害をみれば、
福島第一原発周辺で暮らす子どもたちにも、由々しい事態の進行が懸念される」と明言した。
さらに、放射性物質を無害化したり、完全に封じ込める技術は、未開発と指摘。
汚染物質の置き場不足で、除染作業が進まない現状は、
「被ばくの危険から、容易に開放されない状況」とも言及した。
「年間被ばく量が、100ミリシーベルト以下なら、問題はない」と、『安心神話』に徹した、一審の福島地裁郡山支部の決定(2011年12月)とは、同じ却下でも格段の違いだ。
ただ、結論は、
「現在の空間線量では、直ちに健康に悪影響を及ぼす恐れがあるとは認めにくい」と逆転。
井戸弁護士は、
「決定文は、異なる二つの文書が組み合わさっているように見える。
裁判官同士で、議論があったのでは」と推測する。
行政は避難の具体策急げ
この裁判を担当する柳原敏夫弁護士は、
「決定文の後半は、読んでいるとキツネにつままれたような感じだ」と話す。
そこには、
「郡山市内に住み続けるならば、学校外での生活で、年間1ミリシーベルトを超える被ばくをする計算になる。
学校だけを疎開させても意味がない」ので、却下するといった理屈が展開されている。
そうなると、低線量の地域に移住するしかないが、それは「自主避難すればいい」という。
しかし、原告側は、
『疎開』は、「子どもらの安全確保のために、行政が果たすべき義務」と訴えた。
行政の責任が『自己責任』にすり替えられた形だ。
とはいえ、低線量被ばくの危険を、司法が認めた意義は小さくない。
昨年6月、『避難の権利』などを定めた『子ども・被災者生活支援法』が、国会で成立した。
だが、その後、政権が再交代し、いまだ具体的な避難の施策は、講じられていない。
柳原弁護士は、
「決定では『集団疎開は、被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として、教育行政上考慮すべき選択肢』と指摘した。
国や自治体は、子ども被災者支援法の運用で、この決定の指摘した内容を、生かさなければならない」と訴えた。
『集団疎開』裁判
福島原発事故から間もない2011年6月、郡山市の小中学校7校に通う子ども14人が、同市に対し、
年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下の場所への『集団疎開』を求めて、仮処分を申請した。
一審で却下されたものの、10人が引き続き、仙台高裁に即時抗告していた。
弁護団によると、最高裁への特別抗告はせず、近く同内容で、訴訟を起こす準備をしている。
↑以上、書き起こしおわり
上記のふたつの新聞記事を書き起こしている間にも、頭の中にはいろいろな思いがぐるぐると駆け回っていました。
何十年にも渡り、自民党の一党支配が続いている間に、貧しい財政や過疎に困り果てている町や村を狙っては、原発が建てられてきました。
お金に目が眩んだ町や人も悪い。
そんなふうに言う人がいます。
けれども、過疎の村に暮らしていた時、産廃の廃棄場をゴリ押しされる経緯を見たことがあるわたしには、
物事はそんなふうに単純ではないと思えてなりません。
原発は、地震など全く起こらない場所に建設してもなお、汚染を発生させ、人為的な事故が起こります。
それをなんと、いつか地震が起こるはずの場所に、調査も検証もいい加減なまま、不都合な結果が出てきたら隠匿し、
学者や議員から懸念や、それらに対する策を講じて欲しいという懇願も聞き流し、オウムのように、
「日本の原発は安全です、安心です、完全です」と、言い切ってきた歴代の自民党の総理大臣たち。
いや、悪いのは政治家ではない、彼らは操られているだけなのだ、という人がいます。
原発政策から撤退する、などと言うと、政界から消されるぞと脅されているのだ、という人がいます。
原発というものをこの世に生み出した構造は、それはそれは入り組んだ、わたしなどには想像もつかないものなのかもしれません。
けれども原発は、大変に危険で間違った物であるということは明らかだと思っています。
だから、嘘と誤摩化しと恐喝が、常にまとわりついている。
そうでないと成立しない、この世に存在できない物だからです。
もう、そんな世界の人間たちに、惑わされるのはやめませんか。
責任を取らなければならない者に、責任を取らせましょうよ。
日本の大人は何人いますか?
国を動かそうという時には、100万人という数字がカギになる。
いろいろな国の人たちから、同じ数字を聞きました。
なのでこの数字はやはり、カギなのだと思います。
なんとか全国で、一斉に、この人数が動くような、あっと驚くような、胸のすくような、行動が生まれたらいいなと思っています。
↓以下は、イギリス在住の免疫学者・医師、小野昌弘氏の言葉からの抜粋です。
わたし自身の考えととても近しく、明確にまとめてくださっているので、転載されていただきます。
前略
もし「美味しんぼ」が、(批判しているひとたちが言うような)「不適切な」効果・「風評被害」につながるのだとしたら、
それは福島における放射線管理・政策・リスクコミュニケーションがうまくいっていないからだ。
こう考えたとき、安倍政権の閣僚たちが過剰とも言える反応を示したことは、皮肉的である。
ところで、漫画家を含む作家は、現実に存在するのに言葉になっていないことを語るという、大事な役割がある。
福島で、鼻血の話は、私の持っている基本的な医学知識からは、考えにくい(参照)。
だが、3.11以来、被爆にまつわるそうした健康上の恐怖が、巷にあったことは確かだ(ネットを使う人ならばこうした不安が囁かれるのを誰しも一度は見たことだろう)。
それならば、人々が持っていたその恐怖が漫画に描かれることに、何の問題があるだろうか。
公的空間から切り離されたところで、こそこそと、自らの信じる「真実」を囁き合い、不安を助長し合う状況があるならば、それこそ不健全である。
こうした不安や恐怖が存在しているならば、それを表の空間に引っ張りだして来て、
関係する様々な人々(利害関係者)が集まって、科学的見地を入れて話し合い、
やがては政治交渉(negotiation)によって(調査、問題の対応といった)、現地での政策に反映していくべきではないか。
言葉で語られて初めて、議論もできる。
言葉に語られないものは、存在しないも同然である。
存在しないものを巡る、政治交渉はありえない。
つまり、言葉で語られないものは、政治的に解決できない。
そして、こうした真空空間が大きく存在することで、社会の活力が削がれていることこそが、言論の自由に制限がある国の特徴だろう。
本来言論人は、こうした言論の真空空間を、狭めるために努力し続けるべき存在だ。
特に、表現形式に自由がある、漫画や小説などの作家が、タブーに挑戦するべき理由はそこにある。
そして、福島における放射線問題は、タブーにすらなりかけている。
それゆえに、全国に流通する媒体を使って、問題を表に引っ張り出すること自体は、大事なことだと思う。
今や、放射線問題は政治的だ。
そして、「美味しんぼ」は政治的だ。
それは何ら責められる事柄ではなく、問題を議論の俎上にのせて、
より広い、人々の政治的合意にむけた、政治交渉を進める契機になるならば、賞賛されるべきことだろう。
忘れてはいけないのは、「放射能の不安をぬぐい去る」ための作品は、同じくらいに政治的であるし、
もっと重要なことは、これまでも、政治的な漫画作品が、特定の政党(自民党)の政策にそぐうように、
はるかに組織的に、「原発推進」のために、大量に作られて来た事実だ。
しかもこちらは、血税に由来する金を使って、である。
個人の作家が、信念に基づいて、(強い政治権力をもっている側を)批判することに目くじらをたてて、
特定の政党が、多量の税金を使用して、組織的に、国民に偏った情報を流し続けることのほうは気にならないのだとしたら、
その感覚は、民主社会に生きる者としては、何かが大きく欠如している。
小野昌弘
現職ユニバーシティカレッジロンドン上席主任研究員。
専門は、システム免疫学・ゲノム科学・多次元解析。
関心領域は、医学研究の政治・社会的側面、ピアノ。
京大医学部卒業後、皮膚科研修、京大・阪大助教を経て、2009年より同大学へ移籍。
札幌市生まれ。
甲状腺検査
平成23-25年度合計
・悪性ないし悪性疑い 90人(手術51 人:良性結節1 人、乳頭癌49 人、低分化癌疑い1 人)
・男性 32人:女性 58人
・平均年齢 16.9±2.7 歳 、震災当時14.7±2.7 歳
上記の人数を、地区別ごとに書きこみました。
色分けは単純に、人数でしています。
福島の現実 目を向けて
不安を口にもできないの?
東京に母子で避難 二瓶さん
原発事故の影響で、住民に鼻血症状があるとの描写が、論議を読んだ漫画『美味しんぼ』は、
連載中の『週刊ビッグコミックスピリッツ』(小学館)で、予定通り休載することになった。
放射線被ばくとの因果関係は、専門家の間でも結論は出ていないが、
「事故後に鼻血が増えた」と訴える人たちが、不安を抱えたまま置き去りにされないよう、行政などのケアが求められる。
漫画の内容には、福島県双葉町などが、
「風評被害を助長する」と抗議し、環境省は、健康影響を否定した。
ただ、科学的には、「放射線との因果関係は認められない」「関連は明らかだ」と、専門家も意見が分かれる。
因果関係は別にして、不安を口にすることさえいけないのか。
事故後に、福島市から東京都内に避難した二瓶和子さん(38)は、
「実際に健康不安のある人が納得できるよう、医学的なデータの提示や、きちんとした調査を」と訴える。
原発事故で、二瓶さんは、夫と子ども二人と、都内の親せき宅へ避難。
約3ヵ月後、部屋で遊んでいた長女(7)が、突然鼻血を出した。
夫に連絡すると「自分も出た」。
長女はその後も断続的に、鼻血に悩んだ。
「アレルギーかも」と、様子を見ていたが、今年3月に、血液と甲状腺の検査を受けた。
結果は『異常なし』だったが…。
「不安を訴えても、かき消されてしまいそうな風潮が怖い」
福島県郡山市から、茨城県土浦市に避難した別の女性(36)も、長男(11)と次男(9)が、原発事故後に鼻血を出し、現在も続く。
二瓶さん同様、不安に駆られるが、描写問題での行政の反応を見ると、気持ちを表に出すのもはばかれる気がする。
公害健康被害救済の法案づくりに関わった、小島敏郎・青山学院大教授(環境政策)は、
「鼻血も含め、体調不良を訴える人たちの調査など、きめ細かいフォローが必要」と指摘。
公害では、患者発生から医学的認定まで、10年以上かかる場合もあり、
「福島事故は、日本が初めて経験する重大な放射能公害。長期的視野で対応を」と話している。
低線量被ばくの危険性を認める 仙台高裁
訴えは却下でも、画期的な決定内容ー。
福島県郡山市の小中学生が、市に対し、『集団疎開』を求めていた抗告審で、
仙台高裁(佐藤陽一裁判長)は先月24日、仮処分申請を却下した。
だが、低線量被ばくの危険に日々さらされ、将来的に健康被害が生じる恐れがあると、はっきり認めた。
(出田阿生、中山洋子)
福島の『集団疎開』裁判
訴え却下も内容『画期的』
「この決定の特徴は、低線量被ばくの危険性を、強い口調で認定していることだ。
それについては、大きな成果といえる」
福島の子どもたちの支援を続ける、元裁判官の井口謙一弁護士は同日、こう内容を評価した。
決定の事実認定の文章は、歯切れよい。
「低線量の放射線に、長期・継続的にさらされることで、生命・身体・健康に対する被害の発生が危惧される」とし、
「チェルノブイリ原発事故後に発生した、子どもの健康被害をみれば、
福島第一原発周辺で暮らす子どもたちにも、由々しい事態の進行が懸念される」と明言した。
さらに、放射性物質を無害化したり、完全に封じ込める技術は、未開発と指摘。
汚染物質の置き場不足で、除染作業が進まない現状は、
「被ばくの危険から、容易に開放されない状況」とも言及した。
「年間被ばく量が、100ミリシーベルト以下なら、問題はない」と、『安心神話』に徹した、一審の福島地裁郡山支部の決定(2011年12月)とは、同じ却下でも格段の違いだ。
ただ、結論は、
「現在の空間線量では、直ちに健康に悪影響を及ぼす恐れがあるとは認めにくい」と逆転。
井戸弁護士は、
「決定文は、異なる二つの文書が組み合わさっているように見える。
裁判官同士で、議論があったのでは」と推測する。
行政は避難の具体策急げ
この裁判を担当する柳原敏夫弁護士は、
「決定文の後半は、読んでいるとキツネにつままれたような感じだ」と話す。
そこには、
「郡山市内に住み続けるならば、学校外での生活で、年間1ミリシーベルトを超える被ばくをする計算になる。
学校だけを疎開させても意味がない」ので、却下するといった理屈が展開されている。
そうなると、低線量の地域に移住するしかないが、それは「自主避難すればいい」という。
しかし、原告側は、
『疎開』は、「子どもらの安全確保のために、行政が果たすべき義務」と訴えた。
行政の責任が『自己責任』にすり替えられた形だ。
とはいえ、低線量被ばくの危険を、司法が認めた意義は小さくない。
昨年6月、『避難の権利』などを定めた『子ども・被災者生活支援法』が、国会で成立した。
だが、その後、政権が再交代し、いまだ具体的な避難の施策は、講じられていない。
柳原弁護士は、
「決定では『集団疎開は、被ばく被害を回避する一つの抜本的方策として、教育行政上考慮すべき選択肢』と指摘した。
国や自治体は、子ども被災者支援法の運用で、この決定の指摘した内容を、生かさなければならない」と訴えた。
『集団疎開』裁判
福島原発事故から間もない2011年6月、郡山市の小中学校7校に通う子ども14人が、同市に対し、
年間被ばく線量が1ミリシーベルト以下の場所への『集団疎開』を求めて、仮処分を申請した。
一審で却下されたものの、10人が引き続き、仙台高裁に即時抗告していた。
弁護団によると、最高裁への特別抗告はせず、近く同内容で、訴訟を起こす準備をしている。
↑以上、書き起こしおわり
上記のふたつの新聞記事を書き起こしている間にも、頭の中にはいろいろな思いがぐるぐると駆け回っていました。
何十年にも渡り、自民党の一党支配が続いている間に、貧しい財政や過疎に困り果てている町や村を狙っては、原発が建てられてきました。
お金に目が眩んだ町や人も悪い。
そんなふうに言う人がいます。
けれども、過疎の村に暮らしていた時、産廃の廃棄場をゴリ押しされる経緯を見たことがあるわたしには、
物事はそんなふうに単純ではないと思えてなりません。
原発は、地震など全く起こらない場所に建設してもなお、汚染を発生させ、人為的な事故が起こります。
それをなんと、いつか地震が起こるはずの場所に、調査も検証もいい加減なまま、不都合な結果が出てきたら隠匿し、
学者や議員から懸念や、それらに対する策を講じて欲しいという懇願も聞き流し、オウムのように、
「日本の原発は安全です、安心です、完全です」と、言い切ってきた歴代の自民党の総理大臣たち。
いや、悪いのは政治家ではない、彼らは操られているだけなのだ、という人がいます。
原発政策から撤退する、などと言うと、政界から消されるぞと脅されているのだ、という人がいます。
原発というものをこの世に生み出した構造は、それはそれは入り組んだ、わたしなどには想像もつかないものなのかもしれません。
けれども原発は、大変に危険で間違った物であるということは明らかだと思っています。
だから、嘘と誤摩化しと恐喝が、常にまとわりついている。
そうでないと成立しない、この世に存在できない物だからです。
もう、そんな世界の人間たちに、惑わされるのはやめませんか。
責任を取らなければならない者に、責任を取らせましょうよ。
日本の大人は何人いますか?
国を動かそうという時には、100万人という数字がカギになる。
いろいろな国の人たちから、同じ数字を聞きました。
なのでこの数字はやはり、カギなのだと思います。
なんとか全国で、一斉に、この人数が動くような、あっと驚くような、胸のすくような、行動が生まれたらいいなと思っています。
↓以下は、イギリス在住の免疫学者・医師、小野昌弘氏の言葉からの抜粋です。
わたし自身の考えととても近しく、明確にまとめてくださっているので、転載されていただきます。
前略
もし「美味しんぼ」が、(批判しているひとたちが言うような)「不適切な」効果・「風評被害」につながるのだとしたら、
それは福島における放射線管理・政策・リスクコミュニケーションがうまくいっていないからだ。
こう考えたとき、安倍政権の閣僚たちが過剰とも言える反応を示したことは、皮肉的である。
ところで、漫画家を含む作家は、現実に存在するのに言葉になっていないことを語るという、大事な役割がある。
福島で、鼻血の話は、私の持っている基本的な医学知識からは、考えにくい(参照)。
だが、3.11以来、被爆にまつわるそうした健康上の恐怖が、巷にあったことは確かだ(ネットを使う人ならばこうした不安が囁かれるのを誰しも一度は見たことだろう)。
それならば、人々が持っていたその恐怖が漫画に描かれることに、何の問題があるだろうか。
公的空間から切り離されたところで、こそこそと、自らの信じる「真実」を囁き合い、不安を助長し合う状況があるならば、それこそ不健全である。
こうした不安や恐怖が存在しているならば、それを表の空間に引っ張りだして来て、
関係する様々な人々(利害関係者)が集まって、科学的見地を入れて話し合い、
やがては政治交渉(negotiation)によって(調査、問題の対応といった)、現地での政策に反映していくべきではないか。
言葉で語られて初めて、議論もできる。
言葉に語られないものは、存在しないも同然である。
存在しないものを巡る、政治交渉はありえない。
つまり、言葉で語られないものは、政治的に解決できない。
そして、こうした真空空間が大きく存在することで、社会の活力が削がれていることこそが、言論の自由に制限がある国の特徴だろう。
本来言論人は、こうした言論の真空空間を、狭めるために努力し続けるべき存在だ。
特に、表現形式に自由がある、漫画や小説などの作家が、タブーに挑戦するべき理由はそこにある。
そして、福島における放射線問題は、タブーにすらなりかけている。
それゆえに、全国に流通する媒体を使って、問題を表に引っ張り出すること自体は、大事なことだと思う。
今や、放射線問題は政治的だ。
そして、「美味しんぼ」は政治的だ。
それは何ら責められる事柄ではなく、問題を議論の俎上にのせて、
より広い、人々の政治的合意にむけた、政治交渉を進める契機になるならば、賞賛されるべきことだろう。
忘れてはいけないのは、「放射能の不安をぬぐい去る」ための作品は、同じくらいに政治的であるし、
もっと重要なことは、これまでも、政治的な漫画作品が、特定の政党(自民党)の政策にそぐうように、
はるかに組織的に、「原発推進」のために、大量に作られて来た事実だ。
しかもこちらは、血税に由来する金を使って、である。
個人の作家が、信念に基づいて、(強い政治権力をもっている側を)批判することに目くじらをたてて、
特定の政党が、多量の税金を使用して、組織的に、国民に偏った情報を流し続けることのほうは気にならないのだとしたら、
その感覚は、民主社会に生きる者としては、何かが大きく欠如している。
小野昌弘
現職ユニバーシティカレッジロンドン上席主任研究員。
専門は、システム免疫学・ゲノム科学・多次元解析。
関心領域は、医学研究の政治・社会的側面、ピアノ。
京大医学部卒業後、皮膚科研修、京大・阪大助教を経て、2009年より同大学へ移籍。
札幌市生まれ。