ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

命より経済を優先した専門家会議の大罪

2020年04月13日 | 日本とわたし
専門家会議の押谷氏が、これまでの見解(↑タイトルの写真)をくつがえしました。
以下がその変貌の内容です。

我々が政府に提言をするというような活動を始めた2月25日の時点で、国内ではすでに、150例以上の感染者が出ていた
北海道だけではなく、かなり広範に感染者が見られていて、いわゆる弧発例、感染源がわからない感染者もその中には相当数含まれていた
つまりその時点でもう、シンガポールや韓国で行われてたPCR検査を徹底的にやるということだけでは、感染連鎖をすべて見つけることはできないような状況にあった。
そういう状況を政府に説明した。
その状況だと、このウイルスは、症状が無い、あるいは非常に軽症の人が多いので、その状況ですべての感染者を見つけようと思うと、日本に住むすべての人を一斉に、PCRをかけないといけないということになるので、それは到底できない
そうなると、我々の戦略としては、クラスターを見つけて、そのクラスターの周りに存在する弧発例を見つけていき、その弧発例の多さから流行規模を推計して、それによって対策の強弱を判断していくという戦略になります。
これを支えてきたのは、保健所、自治体、感染症研究所からのデータ、さらにはそれを疫学的に解析してきた我々のチーム、それを数理モデルで推計してきた西浦さんたちのチームです。
当初のPCR検査は、クラスターを見つけるきっかけとなる感染者、さらにクラスターの調査、 さらに重症者を見つけるには十分な検査がされてきた、というふうに考えている。
現状は、様々な理由で、PCR検査を行う数が増えていかないという状況だ。
しかし、現在感染者が急増している状況の中で、PCR検査が増えていかないという状況にあるのは、明らかに大きな問題である。

というような経過を経て、いまだに新型コロナウイルスの検査数が飛び抜けて少ない日本。
アメリカも日本同様、ほとんど無視状態だったのですが、3月を少し過ぎた頃から気が狂ったように検査をし始めました。
こんな事をしていたらとんでもない事になると気づいたからです。
1. 統制の取れた指揮系統の確立
2. 何百万もの検査の実施
3. 医療従事者への防護服の支給
4. 患者を5グループに分け対応
5. 国民を鼓舞し動員
6. リアルタイムの基礎研究

取り掛かりが遅れて、とうとう世界で一番多くの死者を出してしまうような悲惨な状態になってしまいましたが、それでも諦めずに戦い続けています。
上の書き方ではちょっと分かり辛いですね。

菅野完さんの説明がすごくよく分かるのでちょっとお借りして。
クオモ知事の手法はすごく単純。
「検査」を徹底すると「数量」が見える。
「数量」が見えると「物資の必要量」が分かる。
「物資の必要量」が分かれば「今何をすべきか」が分かる。
「今何をすべきか」が分かれば「不安が無く」なる。

これなんですよね。
たった1ヶ月ほどで、本当にこれは現実なのか?と思うような世界になってしまったここアメリカ東海岸の町に住んでるわけですが、
そして、買い物するにも感染予防の準備無しではできず、店に入ったら息を吸い込むのも躊躇われ、人がいたらビクリとし、買い出した物全てを拭き取ってから仕舞うというような毎日なんですが、
なんというか、安心では無いけれども不安でも無い、そういう感じがするのです。
それと覚悟ができました。
といっても、もっと厳しい状況が現れた時にはあっという間に吹っ飛ぶような覚悟かもしれませんが、それでも何か、これでやっていくしか無いというような気持ちがあります。
それもこれも、やっぱり本当に何が起こっているのかを知らされているからだと思うのです。

わたしがまだ子どもだった頃、両親は自分たちの関係がうまくいっているように取り繕っていました。
両親が離婚して、また新しい家族ができて、けれども借金問題がドドっと押し寄せてきて、怪しい仕事をし出した父は、自分はちゃんとやっているフリをしていました。
でも本当に不安でした。
ウソをつかれていることがわかっていたから、その芝居をいつ止めるのか、止めたらどうなるのか、何かとんでもなくひどい事が待っているような気がして、いつもうっすらと不安で怖かった。

日本は今、本当の事を知らせてくれない為政者に、とても大事な判断や行動を任せています。
怖くありませんか?

書類の内容が少しは大きく見えるでしょうか。
もし見えなくても、かなりややこしくて手間がかかりそうなことは分かりますよね。


昨日の感染数

感染経路が8割近く不明のままです。


他国に比べ、日本の検査量が異常に少ない事が分かりますでしょうか?



項目タイトルを書き出します。
(1)すでに感染爆発を起こしている東京
(2)なぜ専門家会議は感染爆発の可能性を報告しなかったのか
(3)それでもやはりロックダウンをすべき
(4)日本でもロックダウンは可能
(5)想定外を想定し、臨機応変に方針転換を
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「うちで踊ろう」 ”うち” に込められた星野源さんの気持ちと、あまりにもちぐはぐな安倍首相のくつろぎビデオと

2020年04月13日 | 日本とわたし



坪井遥氏:
もう誰かが指摘してるだろうけど、星野源の「うちで踊ろう」、英語タイトルを「Dancing on the Inside」としている。
「at home」とかにしないことで、外出せざるを得ない人も「屋内」で踊れるし、
物理的に踊れない人も「心の中」で踊れる。
たぶん意識的にやってる。
これこそが配慮で、世界戦略。

星野源氏:
”心の中で”
その通りです。
素敵なご指摘をありがとう。
でも英語翻訳だけでなく、
元々がそういうタイトルであり、
そういう想いを込めた歌なんです。
だからこそ
”おうち”で踊ろうではなく、
”うち”で踊ろう、なんです。

バカみたいだけど、昨日はやっぱりろくに眠れなかった。
別のことを考えたり、夜更かししてビデオ観たりして、すっかり忘れて寝ようと思ったけど、
ついつい星野さんの歌声が戻ってきて、そしたら自動的に、あの忌まわしいビデオもくっついてくる。
ああ寝苦しい。
翌朝の、いや、もう朝とは言うには図々しいくらいの時間に起きてツイッターを恐々読み始めたら、冒頭の言葉が目に入った。

ひとつだけ。
安倍晋三さんが上げられた ”うちで踊ろう” の動画ですが、
これまで様々な動画をアップして下さっている沢山の皆さんと同じ様に、
僕自身にも所属事務所にも、事前連絡や確認は、事後も含めて一切ありません。

すっとした。
そして恥ずかしくなった。
星野さんがこの曲に込めた気持ちもろくに知らないまま、怒りに任せて「損害賠償訴訟を考えたらどうか」、などとツイートしたりしたから。
沢山の皆さんと同じ様に、という彼の作品を共有する人たちへの気持ちと態度を尊重したいと思う。
でもやはり、そんな星野さんの気持ちを知ってか知らずか(多分知らないと思う)、あそこまで無神経なビデオをくっつけてツイートした安倍首相の行為は別だ。

安倍政府の新型コロナ対策のお粗末さは、今や海外では批判の的になっている。
中国に諂って観光客を呼び寄せ、東京五輪の開催に固執し、今ではこの騒動を利用した自民党案による改憲に意欲を燃やしている。
感染拡大防止の対策はどれも中途半端で規模が小さく、どれもこれもが遅過ぎる。
もっと最悪なのが、感染の蔓延よりも経済的損失の方に気を取られているから、一律給付も休業補償もしようとしない。
そしてつい先日も、官邸に居るのは2時間弱で、その他はずっと私邸にこもっている。
どれをとっても最低だ。
だからものすごく腹が立った。
この人は本当に、冗談抜きで、たくさんの人が苦境に陥っていること、その大変な状況に耐えよう、生き延びようと必死になっていることがわからない。
感謝されて当たり前の医療関係者やその家族が、中傷されたり差別されたりしている現状を知らない。
感染して心身ともに弱っている患者やその家族が、汚いもののように扱われ、非難され、菓子折持参で謝って回り、それでもなお拒絶されるというような地獄を知らない。
心を持たない、冷酷で非情な人間が首相として国の舵取りをしている限り、人はウイルスはもちろん政治に殺されてしまう。
そんなことになったらもう、うちどころかどこでも踊れない。
”うち”で踊ろう! ”そと”に声上げよう!

最後に、ツイッターで見つけた星野さんのエッセイの1ページより


今でもたまに、「音楽で世界を変えたい」と言う人がいる。
僕は「音楽で世界は変えられない」と思っている。
無理だ。
音楽にそんな力はない。
他の業界に比べて音楽業界は、夢見がちな人が多い気がする。
スタッフには「元ミュージシャン」とか表舞台に名残がある人も多いから、社会性のない人も多い。
そんな人に限っていうのである。
「君ら日本を変えられるかよ」とかなんとか。

そんなもんは戯れ言である。
国を変えるのはいつでも政治だし、政治を変えるのはいつも金の力だ。
そこに音楽は介入できない。
できたとしても、X JAPANの楽曲を使って型破りというイメージを定着させた小泉純一郎のように、ただ利用されるだけだ。

でも、音楽でたった一人の人間は変えられるかもしれないと思う。
たった一人の人間の心を支えられるかもしれないと思う。
音楽は真ん中に立つ主役ではなく、人間に、人生に添えるものであると思う。

人前で歌を歌うようになって、自分の歌で客席で泣いているおじさんを見たときに思った。
どうかこの歌があなたの人生に役に立ちますように。
僕の歌は応援しかできない。
苦しい日々を変えたり、前に進めることができるのはあなた自身。

******* ******* ******* *******

そして付け加えると、苦しさの度が過ぎるような事が起こった時は、その苦しさを軽減したり、人々が前に進めるようにするのは政治であり、政治から出される金だ。
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