今日は1日中、雲の中から、涙がいろんな姿になって降りています。
雨だったり、粉雪だったり、牡丹雪だったり、氷雨だったり。
今朝、新聞の記事の中に『はっぴいえんど』の名前を見つけました。
それからずうっと、頭の中に、『風をあつめて』の歌がグルグルグルグル回り続けています。
♪それで僕もかぁ~ぜぇ~を~あつぅ~めて♪というリフが、グルグルグルグル、とても懐かしい気持ちが1日中続いています。
細野さんの乾いた温かさのあるベース、好きだったなあ……。『風来坊』なんかとっても彼に合ってたなあ。
あの頃、わたしの現実にはオドロオドロしい人や物事が周りにウジャウジャ居て、まともに考えると生きているのが不思議なくらいだったけど、
なぜか、すっとぼけたボーイフレンドなんかもいて、やくざに刀なんかで脅迫されちゃったりしてるわたしにこういう音楽を聞かせてくれて、
わたしもそれで、「あ、いいなこれ」なんて思ったり、実際にバンドで演奏してみたりする余裕があったんだなって……。
たったひとつの、『はっぴいえんど』という名前だけで、好きな曲がどんどん思い出されてきて、それにくっついてその頃の自分もどんどん思い出されてきて、
音楽っていいな。強いな。
そんなことをしみじみ思う2月の雨雪模様の日。
雨だったり、粉雪だったり、牡丹雪だったり、氷雨だったり。
今朝、新聞の記事の中に『はっぴいえんど』の名前を見つけました。
それからずうっと、頭の中に、『風をあつめて』の歌がグルグルグルグル回り続けています。
♪それで僕もかぁ~ぜぇ~を~あつぅ~めて♪というリフが、グルグルグルグル、とても懐かしい気持ちが1日中続いています。
細野さんの乾いた温かさのあるベース、好きだったなあ……。『風来坊』なんかとっても彼に合ってたなあ。
あの頃、わたしの現実にはオドロオドロしい人や物事が周りにウジャウジャ居て、まともに考えると生きているのが不思議なくらいだったけど、
なぜか、すっとぼけたボーイフレンドなんかもいて、やくざに刀なんかで脅迫されちゃったりしてるわたしにこういう音楽を聞かせてくれて、
わたしもそれで、「あ、いいなこれ」なんて思ったり、実際にバンドで演奏してみたりする余裕があったんだなって……。
たったひとつの、『はっぴいえんど』という名前だけで、好きな曲がどんどん思い出されてきて、それにくっついてその頃の自分もどんどん思い出されてきて、
音楽っていいな。強いな。
そんなことをしみじみ思う2月の雨雪模様の日。
ハッピーのブログ『ひげおやじのボヤキトーク』の最新記事、もう読まれた方もいらっしゃると思いますが、
例の、中川さん(もう財務相なんて呼べニャ~)の件でぶち切れちゃった彼の、とても真っ当な常識人らしい意見が述べられておりまして、
それを読んだわたしも、ちょっくら記念に(ずうっと後で読み返した時の為の)記事を書いておこうと思います。
最初あの記事をウェブ新聞で読んだ時は、軽く読み流していたんです。ああ、また誰かがヘマやったんかいな、みたいな。
けれどもその後、夕飯作りの最中に、BBS放送のニュースキャスターが椅子から転げ落ちそうになるほど笑いながら、中川って名前を口にしているのを観て、
こりゃ尋常ではないなと直観、すぐにユーチューブで確認してみました。
げっ、まじっすかぁ~
?!
あれってやっぱ、ほんと~のほんと~にあったことなんですよね。CGとかじゃなくて、ほんと~のほんと~に。
その証拠に、いろんな国でも報道されちゃって……にっぽんの皆さん、このたびはご愁傷さまでした。心よりお悔やみ申し上げます
。
皆さんのお気持ち、メリケン国に住むわたしには、とってもとっても分かるのです。だって……8年もの間、同じような気持ちで暮らしてたんですから。
さて、一応、(自分への)記念のために、こことイギリスの報道を載せておきます。
『米国』
MSNBCテレビなどが16日、中川財務相が批判を浴びていることを「サケ・プロブレム(酒問題)」と伝え、ロイターやAPなどの通信社は17日、中川氏の辞意表明を「人望のない麻生太郎首相への新たな打撃」などと速報した。
MSNBCはまた、記者会見の映像を流した後、女性キャスターが、「これが日本の財務相だ」と笑いながらちゃかしたうえで、「そんな国が、きょうクリントン国務長官が訪れている日本だ」とコメントした。
『英国』
英紙インディペンデント(電子版)は、中川財務相の記者会見を「1970年代以来最悪の危機に直面している世界第二の経済大国のかじを取る責任者が、酒酔い運転だろうか」と伝えた。英BBC放送は同日、東京株式式場の下落を伝える際に、記者会見の映像をだぶらせ、キャスター自身がろれつが回らないようなしぐさをした後、笑い転げた。
多分、わたしが観たのは↑だったんでしょうね。
日本って、ああいう重要なポストにつく人間の、健康診断とかはしないんでしょうか?
こっちじゃ鬼のような検査が待っているって聞いてますけど……。ほんでもって、その検査の結果如何では、職につけないことも有り得ると。
だってねえ、国の重要な問題について責任を持つ人が、腰痛だかなんだか知らんけど、鎮痛剤中毒者で、事もあろうにアル中かも知れんだなんて……。
そういう病んだ人に、どうしてそんな役職を与えるのか?
そもそもの、最初の第一歩のところで間違ってますよね。
それにしても、あの会見の、中川さんの横に座っていた白川総裁。彼のあの、シラケきった顔がまた印象的でした。
いったいどんなことを考えていたのかなあ……。
あんな場所でさえあんなだから、そりゃもう普段から、中川さんにはいろいろトホホな思いをさせられてきたんだろうけど、
あの、なんともいえない、感情がすっぽり抜けた青白~い顔が、わたしには別の意味で異様に映りました。
バ~カが、自業自得だ、地獄に堕ちろ、ウフフ……みたいなことを考えてたのかなあ……。
だって、普通に考えて、あそこまでヘロヘロな人を、ああいう会見に臨ませないっていうか、体調の絶不調を理由に時間をずらす、とかもできたはずだし……。
この際、醜態をさらけ出させて、こらしめてやろう、あるいは、辞任に追い込んでやろうってな思惑が全く無かったかどうか。
あぁ~ヤダヤダ!
例の、中川さん(もう財務相なんて呼べニャ~)の件でぶち切れちゃった彼の、とても真っ当な常識人らしい意見が述べられておりまして、
それを読んだわたしも、ちょっくら記念に(ずうっと後で読み返した時の為の)記事を書いておこうと思います。
最初あの記事をウェブ新聞で読んだ時は、軽く読み流していたんです。ああ、また誰かがヘマやったんかいな、みたいな。
けれどもその後、夕飯作りの最中に、BBS放送のニュースキャスターが椅子から転げ落ちそうになるほど笑いながら、中川って名前を口にしているのを観て、
こりゃ尋常ではないなと直観、すぐにユーチューブで確認してみました。
げっ、まじっすかぁ~

あれってやっぱ、ほんと~のほんと~にあったことなんですよね。CGとかじゃなくて、ほんと~のほんと~に。
その証拠に、いろんな国でも報道されちゃって……にっぽんの皆さん、このたびはご愁傷さまでした。心よりお悔やみ申し上げます

皆さんのお気持ち、メリケン国に住むわたしには、とってもとっても分かるのです。だって……8年もの間、同じような気持ちで暮らしてたんですから。
さて、一応、(自分への)記念のために、こことイギリスの報道を載せておきます。
『米国』
MSNBCテレビなどが16日、中川財務相が批判を浴びていることを「サケ・プロブレム(酒問題)」と伝え、ロイターやAPなどの通信社は17日、中川氏の辞意表明を「人望のない麻生太郎首相への新たな打撃」などと速報した。
MSNBCはまた、記者会見の映像を流した後、女性キャスターが、「これが日本の財務相だ」と笑いながらちゃかしたうえで、「そんな国が、きょうクリントン国務長官が訪れている日本だ」とコメントした。
『英国』
英紙インディペンデント(電子版)は、中川財務相の記者会見を「1970年代以来最悪の危機に直面している世界第二の経済大国のかじを取る責任者が、酒酔い運転だろうか」と伝えた。英BBC放送は同日、東京株式式場の下落を伝える際に、記者会見の映像をだぶらせ、キャスター自身がろれつが回らないようなしぐさをした後、笑い転げた。
多分、わたしが観たのは↑だったんでしょうね。
日本って、ああいう重要なポストにつく人間の、健康診断とかはしないんでしょうか?
こっちじゃ鬼のような検査が待っているって聞いてますけど……。ほんでもって、その検査の結果如何では、職につけないことも有り得ると。
だってねえ、国の重要な問題について責任を持つ人が、腰痛だかなんだか知らんけど、鎮痛剤中毒者で、事もあろうにアル中かも知れんだなんて……。
そういう病んだ人に、どうしてそんな役職を与えるのか?
そもそもの、最初の第一歩のところで間違ってますよね。
それにしても、あの会見の、中川さんの横に座っていた白川総裁。彼のあの、シラケきった顔がまた印象的でした。
いったいどんなことを考えていたのかなあ……。
あんな場所でさえあんなだから、そりゃもう普段から、中川さんにはいろいろトホホな思いをさせられてきたんだろうけど、
あの、なんともいえない、感情がすっぽり抜けた青白~い顔が、わたしには別の意味で異様に映りました。
バ~カが、自業自得だ、地獄に堕ちろ、ウフフ……みたいなことを考えてたのかなあ……。
だって、普通に考えて、あそこまでヘロヘロな人を、ああいう会見に臨ませないっていうか、体調の絶不調を理由に時間をずらす、とかもできたはずだし……。
この際、醜態をさらけ出させて、こらしめてやろう、あるいは、辞任に追い込んでやろうってな思惑が全く無かったかどうか。
あぁ~ヤダヤダ!
ここ最近、かなり食べてしまったような気がするのはわたしだけでしょうか?
普段より食べる量が多い上に、滅多に口にしない巨大シュークリームを、夕飯後に、あろうことか1個半も食べちゃったり、
もうお腹いっぱいでフウフウ言うてるのに、こてこてあまあまのニューヨークチーズケーキのおっきなのを旦那と分けんこして食べちゃったり、
もうメチャクチャなことやってしまっていて、『チームメリッサ』の地獄の体重計乗りが明後日に迫っているというのに……しくしく……泣いて誤摩化すな!!
おまけに今日から生理です。はぁ~
。
いったいいつまで出てくるんでしょうか?
自慢じゃないけど、わたしが子供だった時代には異例の早さで生理が始まったわたし。普通、早くなった分早く終わるって話だったような記憶があるんですが、どうやらあれは単なるでまかせ話だったようです。楽しみにして待ち続けた日々を返してくれぇ~
!
生理直前直後って、体重増えるんですよね……あ~あ……。
ってなことで、今日はちょっと悪あがきしてみました。
朝のトーストをやや薄めにスライスし、バターもジャムも心持ち少なめ。いや、そんな、ややとか心持ちとか、潔さのないやっちゃな~
。
ヨガから帰っても、いつものようにガブ食べしなかったし、よしよし、この調子であとは夕飯を気をつけてと……。
大根おろしとおじゃこ。これが今夜のメイン。普通のご家庭の旦那さんだと、なぬぅ~
!とキレるんでしょうね、こんなこと言うと。
でもまあ、うちのはかなり変わり者のアメリカン鍼灸師なので、こういうのもオッケーってのが助かります。
思いっきりたくさん大根をおろしました。ガリガリごりごりおろしているわたしの後ろでは、ワインとチーズでご機嫌になった旦那がギターを弾いていました。
ガリガリ(←わたし)、ジャンジャカ(←旦那)、ガリガリ、ジャンジャカ、すると……、
「だいこ~ん、すりすりぃ~、お~しりぃ~、ふりふりぃ~」という旦那の歌声が、ギター伴奏と同時に聞こえてきました。
もう少しのところで、手にした大根を旦那の頭に向かって投げつけてしまうところでした。
それを黙って堪えることができた自分が愛おしいです、ほんとに
。
旦那は日本語で歌を数曲作りました。
タデ食う虫も好き好き、おやつタイムはみたらし団子の他、ちょっとシリアスな曲もあります。
『わびさびや~、刺身につけるのどっちやねん』←これは俳句。わたしはなかなかイケてると思っています。
いくらなんでも大根おろしとおじゃこでは悲しいので、冷蔵庫にあった子持ちししゃももピリピリッと焼いていただきました。
なんぼなんでもトホホなおかずだなあと、やや気落ち気味のわたしの前で「この大根おろし滅茶苦茶おいしい
!」と言ってニコニコしながら食べている旦那。
たまにゲンコツかましたくなることもありますが、いい人と結婚したもんだと、こういう時はしみじみ思うわたしです
。
普段より食べる量が多い上に、滅多に口にしない巨大シュークリームを、夕飯後に、あろうことか1個半も食べちゃったり、
もうお腹いっぱいでフウフウ言うてるのに、こてこてあまあまのニューヨークチーズケーキのおっきなのを旦那と分けんこして食べちゃったり、
もうメチャクチャなことやってしまっていて、『チームメリッサ』の地獄の体重計乗りが明後日に迫っているというのに……しくしく……泣いて誤摩化すな!!
おまけに今日から生理です。はぁ~

いったいいつまで出てくるんでしょうか?
自慢じゃないけど、わたしが子供だった時代には異例の早さで生理が始まったわたし。普通、早くなった分早く終わるって話だったような記憶があるんですが、どうやらあれは単なるでまかせ話だったようです。楽しみにして待ち続けた日々を返してくれぇ~

生理直前直後って、体重増えるんですよね……あ~あ……。
ってなことで、今日はちょっと悪あがきしてみました。
朝のトーストをやや薄めにスライスし、バターもジャムも心持ち少なめ。いや、そんな、ややとか心持ちとか、潔さのないやっちゃな~

ヨガから帰っても、いつものようにガブ食べしなかったし、よしよし、この調子であとは夕飯を気をつけてと……。
大根おろしとおじゃこ。これが今夜のメイン。普通のご家庭の旦那さんだと、なぬぅ~

でもまあ、うちのはかなり変わり者のアメリカン鍼灸師なので、こういうのもオッケーってのが助かります。
思いっきりたくさん大根をおろしました。ガリガリごりごりおろしているわたしの後ろでは、ワインとチーズでご機嫌になった旦那がギターを弾いていました。
ガリガリ(←わたし)、ジャンジャカ(←旦那)、ガリガリ、ジャンジャカ、すると……、
「だいこ~ん、すりすりぃ~、お~しりぃ~、ふりふりぃ~」という旦那の歌声が、ギター伴奏と同時に聞こえてきました。
もう少しのところで、手にした大根を旦那の頭に向かって投げつけてしまうところでした。
それを黙って堪えることができた自分が愛おしいです、ほんとに

旦那は日本語で歌を数曲作りました。
タデ食う虫も好き好き、おやつタイムはみたらし団子の他、ちょっとシリアスな曲もあります。
『わびさびや~、刺身につけるのどっちやねん』←これは俳句。わたしはなかなかイケてると思っています。
いくらなんでも大根おろしとおじゃこでは悲しいので、冷蔵庫にあった子持ちししゃももピリピリッと焼いていただきました。
なんぼなんでもトホホなおかずだなあと、やや気落ち気味のわたしの前で「この大根おろし滅茶苦茶おいしい

たまにゲンコツかましたくなることもありますが、いい人と結婚したもんだと、こういう時はしみじみ思うわたしです

わたしには五人の命の恩人がいます。
ひとりは、あまりに辛いことばかりが続いていた時、ガス管をくわえて気を失っていたわたしの頬を、泣きながら叩いてくださった高校の用務員のおじさん。
ひとりは、担当医から余命1年の宣告を受けた後、その病気(後遺症)の進行を止めてくださった新興宗教の皆さん(だから厳密にはひとりではありません)。
ひとりは、借金のカタに売られたわたしの身柄を、暴力団の連中が引き取りに来る直前に、密告電話をかけてきてくださった父の友人。
ひとりは、追われる身となったわたしを、当たり前のように、やさしく家の中に匿ってくれただけではなく、お金の援助までしてくださった義理の父。
ひとりは、執拗な暴力団の追っ手から身を隠すため、すべてを偽って新しい人間になり、音楽を自分の中から消そうとしていたわたしを見つけ出し、再び音楽の道を歩めるよう導いてくださった短大の教授。
大阪に逃げたふりをして、実は四日市にある、母と母の再婚相手のご主人が住む家に住まわせてもらっていました。
新聞の求人広告を隅から隅まで調べ、ガス会社の臨時採用の試験を受け、名前も年令も学歴もすべてウソをついて働き始めました。
見習いの6ヶ月を無事に終え、ガス会社特有の男社会にも慣れ、たった6人しか居ない女性事務員のお局さまにもそれなりにかわいがってもらっていました。
ガス事故や故障の電話を受け、事故処理班に速やかに伝えたり、お客さまからの苦情を正確に伝えたりもできるようになりました。
こういう風に生きていくこともアリだったんだなと、ウソで固めた自分を見つめるホントの自分にも、それなりの安堵感みたいなものも芽生え始めていました。
そんなある日、仕事中のわたしに電話がかかってきました。
「お~い、まうみちゃん、電話電話、男の人からだよ~」と、事故処理班の男性がニヤニヤしながら伝えてくれました。
わたしは心臓をギュッと掴まれたような気がしました。わたしがここに居ることを知っている男の人は義父しかいません。
その義父は、仕事中に電話をかけるようなことは絶対にしない人だと知っているので、とうとう見つかってしまったのかと目の前が真っ暗になりました。
恐る恐る受話器を取りました。周りに人が居てくれるのが救いでした。
「もしもし」
「もしもし、まうみさん、もしもし」
「……はい」
「ああ、とうとう~見つけた!」
思いもかけない懐かしい声でした。物静かな声の中に、安堵のため息が混じっていました。
H先生は、家の事情でどこにも進学できそうにもなかったわたしを引き受けてくださった人です。
なのに、なんの連絡もせずに突然姿を消したわたしの行方をつきとめ、また学校に戻って学べるよう力を尽くしてくださいました。
あの、暴力団のような、特殊な連絡網を駆使してでさえ見つからなかったわたしを、いったいH先生はどのようにして見つけてくださったのか、それは今も分かりません。でも、あの電話の声が、すべてをわたしに伝えてくれたような気がします。
結局わたしはまた学校に戻り、カサカサに乾いた希望の木に養分を与えるべく、朝から晩までピアノを弾き続けました。
1度は完全に諦めた音楽の道を歩いていることが嬉しくて、もう二度と、踏み外すようなことはしないと心に決めました。
それからも、いろんなことは起こり続けたけれど、音楽はわたしを守り、育て、生活と心の糧になってくれました。
その大恩人の娘N子ちゃんが、新婚旅行でマンハッタンを訪れています。今日、やっとやっと逢うことができました。
旦那さんのA君は、小学5年生の時からサッカー留学のためにイギリスに飛び、16年暮らした強者で、パンクロックのギターリストで音楽大好き男。
父親が一代で築き上げた人気の蕎麦屋さんを絶やしてはなるものかと、蕎麦アレルギーにも負けず受け継ぐことを決めて頑張っている、顔も心も男前の男です。
すっかり大人に、きれいになったN子ちゃんは、某有名ブランドの広報事務担当。いずれはアレルギーで蕎麦打ちのできないA君を支えるため、蕎麦打ち名人になるべく修行を始める予定だとか。二人は留学先のロンドンで出会ったそうです。
逢った瞬間から大好きになり、フィッシュレストランでおしゃべりをし、カフェでまたおしゃべりをし、やっぱりもっと話していたい気持ちがおさまらなくて、とうとうニュージャージーまで誘拐しちゃいました。
肩こりがひどいと言うN子ちゃんに旦那が簡単な鍼治療をサービス。お茶をすすりながら、いろんな話を楽しみました。
二人をマンハッタンのホテルに送り届けてから家に戻ると、旦那がポツリとこう言いました。
「ねえ、フッシュレストランでさ、やっぱり僕らが全部払うべきだったよ。まうみの大恩人の娘さんが、新婚旅行でアメリカにやって来てくれたっていうのに、ご馳走もできないってのはやっぱり情けないよ。まあ、カフェを支払ったのはせめてもの救いだけど……」
それを聞いてわたしも反省しました。わたしってすぐに調子に乗ったり気遣いが無かったり……もうそろそろ52になるんすけどねえ……。
受けた恩を忘れることはないのに、恩返しができていません。
いくらなんでも、そろそろできなきゃな~と、深く反省をしたわたしです。
A君のお蕎麦屋さん。
越後そば 良青(よしせい)
豊中市東豊中町4-11-4
TEL 06-6852-6159
http://gourmet.yahoo.co.jp/0002201901/
お蕎麦はA君のお父さんの手打ち。お蕎麦の汁が絶品だそうです。お近くに行かれることがありましたら、ぜひぜひ。
ひとりは、あまりに辛いことばかりが続いていた時、ガス管をくわえて気を失っていたわたしの頬を、泣きながら叩いてくださった高校の用務員のおじさん。
ひとりは、担当医から余命1年の宣告を受けた後、その病気(後遺症)の進行を止めてくださった新興宗教の皆さん(だから厳密にはひとりではありません)。
ひとりは、借金のカタに売られたわたしの身柄を、暴力団の連中が引き取りに来る直前に、密告電話をかけてきてくださった父の友人。
ひとりは、追われる身となったわたしを、当たり前のように、やさしく家の中に匿ってくれただけではなく、お金の援助までしてくださった義理の父。
ひとりは、執拗な暴力団の追っ手から身を隠すため、すべてを偽って新しい人間になり、音楽を自分の中から消そうとしていたわたしを見つけ出し、再び音楽の道を歩めるよう導いてくださった短大の教授。
大阪に逃げたふりをして、実は四日市にある、母と母の再婚相手のご主人が住む家に住まわせてもらっていました。
新聞の求人広告を隅から隅まで調べ、ガス会社の臨時採用の試験を受け、名前も年令も学歴もすべてウソをついて働き始めました。
見習いの6ヶ月を無事に終え、ガス会社特有の男社会にも慣れ、たった6人しか居ない女性事務員のお局さまにもそれなりにかわいがってもらっていました。
ガス事故や故障の電話を受け、事故処理班に速やかに伝えたり、お客さまからの苦情を正確に伝えたりもできるようになりました。
こういう風に生きていくこともアリだったんだなと、ウソで固めた自分を見つめるホントの自分にも、それなりの安堵感みたいなものも芽生え始めていました。
そんなある日、仕事中のわたしに電話がかかってきました。
「お~い、まうみちゃん、電話電話、男の人からだよ~」と、事故処理班の男性がニヤニヤしながら伝えてくれました。
わたしは心臓をギュッと掴まれたような気がしました。わたしがここに居ることを知っている男の人は義父しかいません。
その義父は、仕事中に電話をかけるようなことは絶対にしない人だと知っているので、とうとう見つかってしまったのかと目の前が真っ暗になりました。
恐る恐る受話器を取りました。周りに人が居てくれるのが救いでした。
「もしもし」
「もしもし、まうみさん、もしもし」
「……はい」
「ああ、とうとう~見つけた!」
思いもかけない懐かしい声でした。物静かな声の中に、安堵のため息が混じっていました。
H先生は、家の事情でどこにも進学できそうにもなかったわたしを引き受けてくださった人です。
なのに、なんの連絡もせずに突然姿を消したわたしの行方をつきとめ、また学校に戻って学べるよう力を尽くしてくださいました。
あの、暴力団のような、特殊な連絡網を駆使してでさえ見つからなかったわたしを、いったいH先生はどのようにして見つけてくださったのか、それは今も分かりません。でも、あの電話の声が、すべてをわたしに伝えてくれたような気がします。
結局わたしはまた学校に戻り、カサカサに乾いた希望の木に養分を与えるべく、朝から晩までピアノを弾き続けました。
1度は完全に諦めた音楽の道を歩いていることが嬉しくて、もう二度と、踏み外すようなことはしないと心に決めました。
それからも、いろんなことは起こり続けたけれど、音楽はわたしを守り、育て、生活と心の糧になってくれました。
その大恩人の娘N子ちゃんが、新婚旅行でマンハッタンを訪れています。今日、やっとやっと逢うことができました。
旦那さんのA君は、小学5年生の時からサッカー留学のためにイギリスに飛び、16年暮らした強者で、パンクロックのギターリストで音楽大好き男。
父親が一代で築き上げた人気の蕎麦屋さんを絶やしてはなるものかと、蕎麦アレルギーにも負けず受け継ぐことを決めて頑張っている、顔も心も男前の男です。
すっかり大人に、きれいになったN子ちゃんは、某有名ブランドの広報事務担当。いずれはアレルギーで蕎麦打ちのできないA君を支えるため、蕎麦打ち名人になるべく修行を始める予定だとか。二人は留学先のロンドンで出会ったそうです。
逢った瞬間から大好きになり、フィッシュレストランでおしゃべりをし、カフェでまたおしゃべりをし、やっぱりもっと話していたい気持ちがおさまらなくて、とうとうニュージャージーまで誘拐しちゃいました。
肩こりがひどいと言うN子ちゃんに旦那が簡単な鍼治療をサービス。お茶をすすりながら、いろんな話を楽しみました。
二人をマンハッタンのホテルに送り届けてから家に戻ると、旦那がポツリとこう言いました。
「ねえ、フッシュレストランでさ、やっぱり僕らが全部払うべきだったよ。まうみの大恩人の娘さんが、新婚旅行でアメリカにやって来てくれたっていうのに、ご馳走もできないってのはやっぱり情けないよ。まあ、カフェを支払ったのはせめてもの救いだけど……」
それを聞いてわたしも反省しました。わたしってすぐに調子に乗ったり気遣いが無かったり……もうそろそろ52になるんすけどねえ……。
受けた恩を忘れることはないのに、恩返しができていません。
いくらなんでも、そろそろできなきゃな~と、深く反省をしたわたしです。
A君のお蕎麦屋さん。
越後そば 良青(よしせい)
豊中市東豊中町4-11-4
TEL 06-6852-6159
http://gourmet.yahoo.co.jp/0002201901/
お蕎麦はA君のお父さんの手打ち。お蕎麦の汁が絶品だそうです。お近くに行かれることがありましたら、ぜひぜひ。
今朝も早よからおうち見学に出かけたわたし。今日は旦那が仕事なので、初めてエージェントのデブラの車に乗っけてもらい、ふたりだけで回りました。
今日のターゲットはナットリーという名前の町で、先週の日曜にオープンハウス周りをしていた時に、偶然、すごく雰囲気のいい通りが続々と見つかり、
それからの数日はナットリー一本に絞って資料を集め、今日の見学にこぎつけたのでした。
今日は合計8軒のお家にお邪魔しました。土曜日なので、家族全員揃って出迎えてくださった家もありました。
けれども中の1軒のご主人は、もうこんな状態は飽き飽きだ!とばかりに、ものすごく不機嫌に、どちらかというとやけくそに家の中を案内してくださり、
デブラもわたしもどうしたもんだか……と思いながらも、かといって、見るべき所はちゃんと見なくちゃというので、隅から隅まで回らせてもらいました。
8軒の中から、とりあえず、旦那にも見てもらいたい4軒を選びました。

ショートセールといって、ローンを払えなくなりそうな、あるいは払えなくなった負債者が銀行に相談をして、後のローンを支払わなくてもいいかわりに、家を銀行に明け渡すという(←これはあくまでもわたしがそう理解しているということですが)、とにかくあまりハッピーではない方々の家が2軒ありました。
価格はやはり、そのためにとても安く、今の時期の狙い物件などと言われていますが、わたしにはどうしても今一気が進みません。アホかもしれませんが……。
それと、離婚騒動の真っ最中で、お互いの関係を白紙に戻すために売られている家もありました。
新築が嫌いなわたし達ですが、中古のお家にはそこに住んでおられる、あるいはまだ住んでおられる人々の歴史や思いがギュウッと詰まっているので、
そのことが楽しめるか否か、なにかとてつもない負のエネルギーが感じられるか否か、考えるべきことは家の内容以外にもたくさんあってなかなか大変です。
3時間後に家に戻ると、わたしの机の上に薔薇の花が一輪置かれていました。
Happy Valentine's Day!
ありがとう!旦那。早速、去年のクリスマスに、息子TとKが合同で買ってくれた信楽焼の一輪挿しに挿して飾りました。

夕方の4時から、アマチュアクラシック音楽家協会のコンサートミーティングがあるので、旦那が高校生の女の子2人組に日本語を教えている間にシャワーに入り、旦那と2人でマンハッタンに出かけました。
今夜のミーティングでは、アマチュアミュージシャンのための世界的に有名なコンクールをドキュメント映画にした監督がゲストに来てくださり、
とても楽しく、かつ、我々に勇気とやる気を起こさせてくれる元気トークを聞かせてもらいました。
来月はそろそろわたしも弾かなきゃな~……今日も逢う人逢う人から「なに冬眠してんのよ~!」とお叱りを受けたわたし……だって熊は冬には寝るのだよ。
会が終わり、受付のテーブルの上に謎のビニール袋を発見!
片付けようと持ち上げてみると結構重い!「あの~これどなたのですかぁ~?」と皆に尋ねても、「さあ~……」
どうしよう……と思いながら手にぶら下げていたら、「ええやん、もらっとき、Happy Valentine's Day!」なんて、みんなチョ~無責任。
でもまあ、どうしようもないのでいただくことにしちゃいました。
さてさて、会も終わり、旦那とふたりっきりになりました。どこにしましょうかね、バレンタインディナー。
丁度今、ピアノ(というより、わたしの今の人生全体)の恩師の娘さんが、新婚旅行でマンハッタンに来ているというので、できたら一緒に食べたいな~なんて思っていましたが、かなり精力的に出歩いている若い2人なのですっかりすれ違ってしまいました。残念!
なので、わたし達のお気に入り、韓国通りにある『Gam Mee Ok』というコリアンレストランに行きました。
大根と白菜のキムチ、生白菜にタレをつけてバリバリいただく前菜、コリアンビールで超ご機嫌のシンプル夫婦。
旦那は麺とおかゆ入りのオックステールスープ、わたしはビビンバ、そして2人用にちぢみももちろん注文しました。
「お座敷しか空いてなくて……」とすごく申し訳なさそうに案内してくれた店員さん、「いえいえそっちの方が嬉しいです」と言うとパッと笑顔になりました。
ちょっとロマンチックとは言えないけれど、お腹も心もとっても満足。「17年目の夫婦には似合ってるかもね」、なんて話しながらいただきました。
家に戻って、例のビニール袋の中身を調べてみると、ガ~ン!!その名も高き『ビアードパパ』のシュークリームが6個も入ったお馴染みの黄色い箱が?!

旦那はこの箱に書かれた『beard papa's』の英語を読むと、必ず大笑いします。アメリカンには通じないオカシな英語だそうです。
さてと、今回はさすがにかじった後ではなくて包丁で切った映像をお見せします。

忘れて帰っちゃった方には申し訳なかったけれど、ありがたく、美味しく、丁度遊びに来ていたKの友人も入れて4人で分けんこしていただきました。
正直言うと、もしかしてドク入りかも、なぁんてちょっと思ったりして、最初の一口を他の人で様子を見よう(武士の一分を観た後だけに)と企んだわたし。
家族相手に、なんちゅうことを考えてんだか……。
子供の頃、特別な日だけ、梅田の駅の近くで父が買ってきてくれた『ヒロタ』のシュークリームにはちょい負けしますが、なかなかの美味でございました。
あ~、今日はほんとに盛りだくさんの日でした。
ロマンチックではなかったけれど、いろんな人と逢えた日でした。
今日のターゲットはナットリーという名前の町で、先週の日曜にオープンハウス周りをしていた時に、偶然、すごく雰囲気のいい通りが続々と見つかり、
それからの数日はナットリー一本に絞って資料を集め、今日の見学にこぎつけたのでした。
今日は合計8軒のお家にお邪魔しました。土曜日なので、家族全員揃って出迎えてくださった家もありました。
けれども中の1軒のご主人は、もうこんな状態は飽き飽きだ!とばかりに、ものすごく不機嫌に、どちらかというとやけくそに家の中を案内してくださり、
デブラもわたしもどうしたもんだか……と思いながらも、かといって、見るべき所はちゃんと見なくちゃというので、隅から隅まで回らせてもらいました。
8軒の中から、とりあえず、旦那にも見てもらいたい4軒を選びました。

ショートセールといって、ローンを払えなくなりそうな、あるいは払えなくなった負債者が銀行に相談をして、後のローンを支払わなくてもいいかわりに、家を銀行に明け渡すという(←これはあくまでもわたしがそう理解しているということですが)、とにかくあまりハッピーではない方々の家が2軒ありました。
価格はやはり、そのためにとても安く、今の時期の狙い物件などと言われていますが、わたしにはどうしても今一気が進みません。アホかもしれませんが……。
それと、離婚騒動の真っ最中で、お互いの関係を白紙に戻すために売られている家もありました。
新築が嫌いなわたし達ですが、中古のお家にはそこに住んでおられる、あるいはまだ住んでおられる人々の歴史や思いがギュウッと詰まっているので、
そのことが楽しめるか否か、なにかとてつもない負のエネルギーが感じられるか否か、考えるべきことは家の内容以外にもたくさんあってなかなか大変です。
3時間後に家に戻ると、わたしの机の上に薔薇の花が一輪置かれていました。
Happy Valentine's Day!
ありがとう!旦那。早速、去年のクリスマスに、息子TとKが合同で買ってくれた信楽焼の一輪挿しに挿して飾りました。

夕方の4時から、アマチュアクラシック音楽家協会のコンサートミーティングがあるので、旦那が高校生の女の子2人組に日本語を教えている間にシャワーに入り、旦那と2人でマンハッタンに出かけました。
今夜のミーティングでは、アマチュアミュージシャンのための世界的に有名なコンクールをドキュメント映画にした監督がゲストに来てくださり、
とても楽しく、かつ、我々に勇気とやる気を起こさせてくれる元気トークを聞かせてもらいました。
来月はそろそろわたしも弾かなきゃな~……今日も逢う人逢う人から「なに冬眠してんのよ~!」とお叱りを受けたわたし……だって熊は冬には寝るのだよ。
会が終わり、受付のテーブルの上に謎のビニール袋を発見!
片付けようと持ち上げてみると結構重い!「あの~これどなたのですかぁ~?」と皆に尋ねても、「さあ~……」
どうしよう……と思いながら手にぶら下げていたら、「ええやん、もらっとき、Happy Valentine's Day!」なんて、みんなチョ~無責任。
でもまあ、どうしようもないのでいただくことにしちゃいました。
さてさて、会も終わり、旦那とふたりっきりになりました。どこにしましょうかね、バレンタインディナー。
丁度今、ピアノ(というより、わたしの今の人生全体)の恩師の娘さんが、新婚旅行でマンハッタンに来ているというので、できたら一緒に食べたいな~なんて思っていましたが、かなり精力的に出歩いている若い2人なのですっかりすれ違ってしまいました。残念!
なので、わたし達のお気に入り、韓国通りにある『Gam Mee Ok』というコリアンレストランに行きました。
大根と白菜のキムチ、生白菜にタレをつけてバリバリいただく前菜、コリアンビールで超ご機嫌のシンプル夫婦。
旦那は麺とおかゆ入りのオックステールスープ、わたしはビビンバ、そして2人用にちぢみももちろん注文しました。
「お座敷しか空いてなくて……」とすごく申し訳なさそうに案内してくれた店員さん、「いえいえそっちの方が嬉しいです」と言うとパッと笑顔になりました。
ちょっとロマンチックとは言えないけれど、お腹も心もとっても満足。「17年目の夫婦には似合ってるかもね」、なんて話しながらいただきました。
家に戻って、例のビニール袋の中身を調べてみると、ガ~ン!!その名も高き『ビアードパパ』のシュークリームが6個も入ったお馴染みの黄色い箱が?!

旦那はこの箱に書かれた『beard papa's』の英語を読むと、必ず大笑いします。アメリカンには通じないオカシな英語だそうです。
さてと、今回はさすがにかじった後ではなくて包丁で切った映像をお見せします。

忘れて帰っちゃった方には申し訳なかったけれど、ありがたく、美味しく、丁度遊びに来ていたKの友人も入れて4人で分けんこしていただきました。
正直言うと、もしかしてドク入りかも、なぁんてちょっと思ったりして、最初の一口を他の人で様子を見よう(武士の一分を観た後だけに)と企んだわたし。
家族相手に、なんちゅうことを考えてんだか……。
子供の頃、特別な日だけ、梅田の駅の近くで父が買ってきてくれた『ヒロタ』のシュークリームにはちょい負けしますが、なかなかの美味でございました。
あ~、今日はほんとに盛りだくさんの日でした。
ロマンチックではなかったけれど、いろんな人と逢えた日でした。
我らがコメント頭領のハッピーが、こてこての名古屋弁を披露してくれまして、それを声に出して読んでいるうちに、パァッとよみがえった思い出のお話です。
母方の親戚は大阪、父方の親戚は大阪と三重県。そんなんで、わたし達家族は大阪と三重県を行ったり来たり、よく引っ越ししました。
三重県は名張市という町に住んでいましたが、どういうわけなのか(ほんとはかなりしょーもない理由をいっぱい聞いて知っています。でも、あまりにしょーもないのでここでは内緒です)隣りの上野市(現在の伊賀市)と仲が悪く、
少なくともわたしの周りの大人達は、よほどの用が無い限り、上野方面に足を運ぶことがありませんでした。
そして、なぜだか上野とパックになって、名古屋方面にも行きたがらなかったんですね。上野市の連中は名古屋によく行くから、みたいな感じでしょうか。
というか、事実、名張からは大阪の方が断然行き易かったんですね。上野に行くのと同じ時間電車に乗ってると着いてしまいましたから。
そういう、そこの地域に根強く漂っている偏見ガスってのは、毎日そこで暮らしていると必ず吸い込むので、じわじわと血に染み込んでしまいます。恐い恐い。
なので、上野にある高校に進学するまでは、上野と名古屋は禁断の町だったわけです。
わたしは多分、高校生だったと思います。どうしてその日、名古屋に行かなければならなかったのか、それがどうしても思い出せません。
でも、とにかくその日、決死の覚悟で名古屋行きの近鉄急行に乗って出かけました。
その頃には上野市で住み始めて数年経っていたので、偏見ガスの血液濃度も徐々に薄まり始めていました。
なんや、上野って全然恐ないやん。~やんか→~やして、~やわ→~やしてに変わるのはちょっと気色悪いけど、別におんなじようなヒトが住んでるやん。
ってなことで、名古屋にも行ってみる勇気が出たのかもしれません。
駅ビルから外に出てみると、斜めに2本、変な形をした白っぽい柱が立っていて、へ?と思いながら見上げていくと、ゲゲッ!!デカいマネキン
?!

そこで一気に引いてしまったわたし。なんでこんなもんがこんなとこに立ってるねんやろ?この人形の股くぐりしたらご利益があるとか……、
なんて、ブツブツ考えながら、目はマネキンの顔を見上げながら近寄っていくと……「ねえ君」、ギクッとして声のした方を見ると、イケメンのお兄さんがニコニコ顔で立っていました。
「今時間ある?5分、あ、多分10分ぐらいになっちゃうけど、それって君に無理言っちゃうことになるのかなあ~」
お兄さんはそう言う間もずっとニコニコ、とっても爽やかな笑顔を絶やさないまま小首をちょっと傾げてわたしをじっと見つめています。
「え……っと、5分ぐらいなら多分……」
「そぉ~!ほんとっ!ありがとう!いやあ、君、そのスカート可愛いねえ、すごく君に似合ってるよほんと。いや、もちろん君も可愛いよ」
「いえ、そんな……」
「だってさあ、ボク、ずっと向こうに居る時から目に入っちゃったもん。あ、可愛い子だな、話できるかなって」
「……」
「あのね、簡単なんだ、話っていうより、ボクの質問に答えてくれたらいいだけ。もしかしたら5分もかかんないから、そしたらもっと君のこと聞きたいな~なんちゃって……」
もじもじしているわたしの横で、お兄ちゃんはゴソゴソ、ショルダーバッグから用紙の挟まったボードを取り出しました。
「ええっと、まず第1問。あなたは旅行が好きですか?」
「あ、はい」
「では第2問。あなたは甘い物が好きですか?」
「はい。でも……」
「でも?」
「ニッキが入ってるのは嫌いやけど……」
「ニッキ?」
「ええと、生八つ橋とかの」
「なんかいいなあ……関西弁、ゾクゾクしちゃうよボク」
なんて調子で始まった問答、気がつくと30分以上時間が経っていました。
いったいなんでこんなことに答えてるんやろ?と、その頃になってようやく思い始めたわたし。
「あのぉ~、そろそろわたし……」
「あ~っ!ごめんごめん、君とおしゃべりしてると楽しくってついつい、ごめんね~すんげ~延長しちゃってたね~」
「いえ、別にそんなこと……」
「ね、ちょっとここで待ってて。ボクさ、君の答をあそこに居るボクのボスに伝えてくるから。彼はね、すごい人でさ、滅茶苦茶お得なクーポン券、いっぱい持っててね、その人その人にピッタンコのクーポンを選べるんだ。それを今、君のためにもらってくるから、ね、いいね、動いちゃだめだよ。待っててね」
お兄ちゃんがダッシュして行く方向に、サングラスをかけた、お兄ちゃんよりはちょっと年長風の男性が立っていました。
お兄ちゃんから一言二言聞いた男性がわたしの方を見たかと思うと、2人揃ってこちらに向かって来ました。
さて……それからどうなったか……。
なぜだかそこから記憶が途切れているんです。あ、だからといって、クロロホルムを嗅がされてどこかに監禁?!みたいなことでは無く、
男性が何かをわたしに話しかけ、お兄ちゃんがウンウンと頭が外れるかと思うくらい大きく頷き、2人に挟まれたまま、路地裏のプレハブの建物の中に入ると、そこには小さな机を挟んでパイプ椅子に座っている若者と、お兄ちゃん風のお兄ちゃん達がいっぱい居たことは覚えています。
お兄ちゃん達と若者達の間の机の上にはピンクやブルーの用紙が置かれていて、お兄ちゃん達はひたすら説明をし、用紙のあちこちを指差したりしていました。
何を押し売りしていたのか、全然覚えていません。でも、それは、高校生だったわたしには未経験の、アンケート調査で釣れた無知な若者に、高額な商品をローンで買わせる、なんとも恐ろしい集団でした。
結局わたしは高校生で、ローンなんて組ませることもできん役立たずってことで、男性が胸ポケットから出してきたクーポン券の冊子を1冊1500円で譲ってあげるってことになりました。
もう恐くて、その場所から即刻出たくてたまらなかったわたしは、「じゃあ1冊お願いします」と言って財布を出すと、
「あのねえ~、君のためにボクら、こ~んなに時間使っちゃったんだよぉ~。1冊だって?冗談だろ?ね、今いくら持ってんの?」
「えっと……5000円」
「5000円か~、じゃ、3冊譲ったげるよ。こんなお得なクーポン、友達に見せたらさ~、売って売って~って群がっちゃって、大もうけできるかもよ~」
膝をガクガク震わせながら、3冊受け取ってしまいました。財布の中には百円玉と十円玉しか残っていません。
へとへとに疲れました。頭もじ~んと痺れていました。また巨大マネキンの近くまでトボトボと歩いて戻りました。
やっぱり名古屋は恐いとこやった。来たのが間違いやった。ああ恐かった。
マネキンの足にもたれて息を整えていると、少しだけ胸のドキドキが治まってきました。
落ち着いてまわりを見回してみると、わたしと同じように呼び止められている若い子が何人かいました。
あかんあかん!立ち止まったらあかん!
わたしは心の中で叫びながら、それでもなんにもする気力も無くて、ぼんやりと近鉄の駅の方に歩いて行きました。
切符売り場まで来て、そこで初めて、500円では家までの電車賃が足りないということに気がつきました。
どないしょ~
。
名古屋には知り合いも誰もいません。知り合ったのは、あの世にも恐ろしい詐欺師集団だけです。
考えました。うんうんと文字通り唸って考えました。
(よし、やっぱりこれいりませんって言うて、お金返してもらお)
もう一度、マネキンの付近まで戻り、彼らの姿を探しましたが、仲間は居ても彼らは居ません。恐々プレハブの方も覗いてみましたが、やはり見つかりません。
お昼近くに名古屋に着いたのに、もう夕暮れ時になり、お腹はぺこぺこ、足はへろへろ、心はくたくたになって、それでも物陰に隠れて待ちました。
辺りが薄暗くなった頃、突然彼らが戻って来たのを見た瞬間、わたしはもうなにも考えずに彼らに向かってダッシュしていました。
「すみません、わたし、家に帰る電車代が無くなっちゃったんです。だから、これ、返しますから、お金返してください!」
チッという舌打ちする音が聞こえました。「田舎っぺが」という小さな声も聞こえました。2人とも、顔つきまですっかり変わって不細工に見えました。
「あのね~、君に譲ってあげた時点でさ、ナンバーが向こうに登録されちゃってるんだよね。だからさ~、そう簡単にハイそうですかって訳にゃいかんのよ」
「でも、返してください!電車に乗れないですから」
「ったく……これだから……」
1冊だけ買ったことにしてもらいました。3千円を返してもらい、そのまま脇目もふらずに電車の駅に行き、とにかくなんでもいいからそこから離れることができる電車に乗りました。
電車の窓から景色を眺めながら、アホ!アホ!アホ!アホ!と、ずっと自分で自分を責め続けました。
家に戻って、かなり落ち着いてから、鞄の中に押し込まれてくしゃくしゃになったクーポン冊子の中を詳しく見てみると、
絶対に行きそうもない土地のホテルの割引や、スキー用具の割引などがペラペラの紙に印刷されていました。
大人になって、ヤマハ講師になり、研修のために名古屋に頻繁に出かけるようになり、名古屋にも同じような普通の人が生きていることを知るまで、わたしの名古屋恐はかなり強烈に続いたのでした。
長い長い思い出話でした。ここまで読んでくださったみなさん、ほんとにどうもありがとう。
巨大マネキンさんには『ナナちゃん』という可愛い名前がついているそうです。
誤解の無いように追加しておきますが、今では名古屋はわたしにとって、大好きな友達が住む町として、なんの偏見も恐怖もなく、喜々として訪れる町です。
母方の親戚は大阪、父方の親戚は大阪と三重県。そんなんで、わたし達家族は大阪と三重県を行ったり来たり、よく引っ越ししました。
三重県は名張市という町に住んでいましたが、どういうわけなのか(ほんとはかなりしょーもない理由をいっぱい聞いて知っています。でも、あまりにしょーもないのでここでは内緒です)隣りの上野市(現在の伊賀市)と仲が悪く、
少なくともわたしの周りの大人達は、よほどの用が無い限り、上野方面に足を運ぶことがありませんでした。
そして、なぜだか上野とパックになって、名古屋方面にも行きたがらなかったんですね。上野市の連中は名古屋によく行くから、みたいな感じでしょうか。
というか、事実、名張からは大阪の方が断然行き易かったんですね。上野に行くのと同じ時間電車に乗ってると着いてしまいましたから。
そういう、そこの地域に根強く漂っている偏見ガスってのは、毎日そこで暮らしていると必ず吸い込むので、じわじわと血に染み込んでしまいます。恐い恐い。
なので、上野にある高校に進学するまでは、上野と名古屋は禁断の町だったわけです。
わたしは多分、高校生だったと思います。どうしてその日、名古屋に行かなければならなかったのか、それがどうしても思い出せません。
でも、とにかくその日、決死の覚悟で名古屋行きの近鉄急行に乗って出かけました。
その頃には上野市で住み始めて数年経っていたので、偏見ガスの血液濃度も徐々に薄まり始めていました。
なんや、上野って全然恐ないやん。~やんか→~やして、~やわ→~やしてに変わるのはちょっと気色悪いけど、別におんなじようなヒトが住んでるやん。
ってなことで、名古屋にも行ってみる勇気が出たのかもしれません。
駅ビルから外に出てみると、斜めに2本、変な形をした白っぽい柱が立っていて、へ?と思いながら見上げていくと、ゲゲッ!!デカいマネキン


そこで一気に引いてしまったわたし。なんでこんなもんがこんなとこに立ってるねんやろ?この人形の股くぐりしたらご利益があるとか……、
なんて、ブツブツ考えながら、目はマネキンの顔を見上げながら近寄っていくと……「ねえ君」、ギクッとして声のした方を見ると、イケメンのお兄さんがニコニコ顔で立っていました。
「今時間ある?5分、あ、多分10分ぐらいになっちゃうけど、それって君に無理言っちゃうことになるのかなあ~」
お兄さんはそう言う間もずっとニコニコ、とっても爽やかな笑顔を絶やさないまま小首をちょっと傾げてわたしをじっと見つめています。
「え……っと、5分ぐらいなら多分……」
「そぉ~!ほんとっ!ありがとう!いやあ、君、そのスカート可愛いねえ、すごく君に似合ってるよほんと。いや、もちろん君も可愛いよ」
「いえ、そんな……」
「だってさあ、ボク、ずっと向こうに居る時から目に入っちゃったもん。あ、可愛い子だな、話できるかなって」
「……」
「あのね、簡単なんだ、話っていうより、ボクの質問に答えてくれたらいいだけ。もしかしたら5分もかかんないから、そしたらもっと君のこと聞きたいな~なんちゃって……」
もじもじしているわたしの横で、お兄ちゃんはゴソゴソ、ショルダーバッグから用紙の挟まったボードを取り出しました。
「ええっと、まず第1問。あなたは旅行が好きですか?」
「あ、はい」
「では第2問。あなたは甘い物が好きですか?」
「はい。でも……」
「でも?」
「ニッキが入ってるのは嫌いやけど……」
「ニッキ?」
「ええと、生八つ橋とかの」
「なんかいいなあ……関西弁、ゾクゾクしちゃうよボク」
なんて調子で始まった問答、気がつくと30分以上時間が経っていました。
いったいなんでこんなことに答えてるんやろ?と、その頃になってようやく思い始めたわたし。
「あのぉ~、そろそろわたし……」
「あ~っ!ごめんごめん、君とおしゃべりしてると楽しくってついつい、ごめんね~すんげ~延長しちゃってたね~」
「いえ、別にそんなこと……」
「ね、ちょっとここで待ってて。ボクさ、君の答をあそこに居るボクのボスに伝えてくるから。彼はね、すごい人でさ、滅茶苦茶お得なクーポン券、いっぱい持っててね、その人その人にピッタンコのクーポンを選べるんだ。それを今、君のためにもらってくるから、ね、いいね、動いちゃだめだよ。待っててね」
お兄ちゃんがダッシュして行く方向に、サングラスをかけた、お兄ちゃんよりはちょっと年長風の男性が立っていました。
お兄ちゃんから一言二言聞いた男性がわたしの方を見たかと思うと、2人揃ってこちらに向かって来ました。
さて……それからどうなったか……。
なぜだかそこから記憶が途切れているんです。あ、だからといって、クロロホルムを嗅がされてどこかに監禁?!みたいなことでは無く、
男性が何かをわたしに話しかけ、お兄ちゃんがウンウンと頭が外れるかと思うくらい大きく頷き、2人に挟まれたまま、路地裏のプレハブの建物の中に入ると、そこには小さな机を挟んでパイプ椅子に座っている若者と、お兄ちゃん風のお兄ちゃん達がいっぱい居たことは覚えています。
お兄ちゃん達と若者達の間の机の上にはピンクやブルーの用紙が置かれていて、お兄ちゃん達はひたすら説明をし、用紙のあちこちを指差したりしていました。
何を押し売りしていたのか、全然覚えていません。でも、それは、高校生だったわたしには未経験の、アンケート調査で釣れた無知な若者に、高額な商品をローンで買わせる、なんとも恐ろしい集団でした。
結局わたしは高校生で、ローンなんて組ませることもできん役立たずってことで、男性が胸ポケットから出してきたクーポン券の冊子を1冊1500円で譲ってあげるってことになりました。
もう恐くて、その場所から即刻出たくてたまらなかったわたしは、「じゃあ1冊お願いします」と言って財布を出すと、
「あのねえ~、君のためにボクら、こ~んなに時間使っちゃったんだよぉ~。1冊だって?冗談だろ?ね、今いくら持ってんの?」
「えっと……5000円」
「5000円か~、じゃ、3冊譲ったげるよ。こんなお得なクーポン、友達に見せたらさ~、売って売って~って群がっちゃって、大もうけできるかもよ~」
膝をガクガク震わせながら、3冊受け取ってしまいました。財布の中には百円玉と十円玉しか残っていません。
へとへとに疲れました。頭もじ~んと痺れていました。また巨大マネキンの近くまでトボトボと歩いて戻りました。
やっぱり名古屋は恐いとこやった。来たのが間違いやった。ああ恐かった。
マネキンの足にもたれて息を整えていると、少しだけ胸のドキドキが治まってきました。
落ち着いてまわりを見回してみると、わたしと同じように呼び止められている若い子が何人かいました。
あかんあかん!立ち止まったらあかん!
わたしは心の中で叫びながら、それでもなんにもする気力も無くて、ぼんやりと近鉄の駅の方に歩いて行きました。
切符売り場まで来て、そこで初めて、500円では家までの電車賃が足りないということに気がつきました。
どないしょ~

名古屋には知り合いも誰もいません。知り合ったのは、あの世にも恐ろしい詐欺師集団だけです。
考えました。うんうんと文字通り唸って考えました。
(よし、やっぱりこれいりませんって言うて、お金返してもらお)
もう一度、マネキンの付近まで戻り、彼らの姿を探しましたが、仲間は居ても彼らは居ません。恐々プレハブの方も覗いてみましたが、やはり見つかりません。
お昼近くに名古屋に着いたのに、もう夕暮れ時になり、お腹はぺこぺこ、足はへろへろ、心はくたくたになって、それでも物陰に隠れて待ちました。
辺りが薄暗くなった頃、突然彼らが戻って来たのを見た瞬間、わたしはもうなにも考えずに彼らに向かってダッシュしていました。
「すみません、わたし、家に帰る電車代が無くなっちゃったんです。だから、これ、返しますから、お金返してください!」
チッという舌打ちする音が聞こえました。「田舎っぺが」という小さな声も聞こえました。2人とも、顔つきまですっかり変わって不細工に見えました。
「あのね~、君に譲ってあげた時点でさ、ナンバーが向こうに登録されちゃってるんだよね。だからさ~、そう簡単にハイそうですかって訳にゃいかんのよ」
「でも、返してください!電車に乗れないですから」
「ったく……これだから……」
1冊だけ買ったことにしてもらいました。3千円を返してもらい、そのまま脇目もふらずに電車の駅に行き、とにかくなんでもいいからそこから離れることができる電車に乗りました。
電車の窓から景色を眺めながら、アホ!アホ!アホ!アホ!と、ずっと自分で自分を責め続けました。
家に戻って、かなり落ち着いてから、鞄の中に押し込まれてくしゃくしゃになったクーポン冊子の中を詳しく見てみると、
絶対に行きそうもない土地のホテルの割引や、スキー用具の割引などがペラペラの紙に印刷されていました。
大人になって、ヤマハ講師になり、研修のために名古屋に頻繁に出かけるようになり、名古屋にも同じような普通の人が生きていることを知るまで、わたしの名古屋恐はかなり強烈に続いたのでした。
長い長い思い出話でした。ここまで読んでくださったみなさん、ほんとにどうもありがとう。
巨大マネキンさんには『ナナちゃん』という可愛い名前がついているそうです。
誤解の無いように追加しておきますが、今では名古屋はわたしにとって、大好きな友達が住む町として、なんの偏見も恐怖もなく、喜々として訪れる町です。
昨日、S子と一緒にコリアンマーケットに行きました。
面白い野菜が棚にてんこ盛り、ポピュラーな野菜の値段は普通のマーケットの半額に近く、店内を回っているだけでウキウキしてきます。
テキサス滞在中のお伴に、しょうゆ系のせんべいが欲しかったS子。
残念ながら、せんべいの種類の多さは、さすがに日本食マーケット『ミツワ』(日本人および日本オタクの外国人のメッカ)には到底かないません。
レジに行く直前に、たいやき君の写真が目に入りました。吸い寄せられるように近づくわたし。

韓国語しか書いてないので読めないけれど、ふふん、たいやきのことは読まずとも分かるわい!と、むんずと袋を掴みカートの中へ。
既に頭の中では「むゎ~いにちむゎ~いにち、ボクらはてっぱんの……」と歌う子門真人の粘っこい声が聞こえていました。
まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ
あるあさ ぼくは みせのおじさんと
けんかして うみに にげこんだのさ
はじめて およいだ うみのそこ
とっても きもちが いいもんだ
おなかの アンコが おもいけど
うみは ひろいぜ こころがはずむ
ももいろサンゴが てをふって
ぼくの およぎを ながめていたよ
まいにち まいにち たのしいことばかり
なんぱせんが ぼくのすみかさ
ときどき サメに いじめられるけど
そんなときゃ そうさ にげるのさ
いちにち およげば ハラペコさ
めだまも クルクル まわっちゃう
たまには エビでも くわなけりゃ
しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう
いわばの かげから くいつけば
それは ちいさな つりばりだった
どんなに どんなに もがいても
ハリが のどから とれないよ
はまべで みしらぬ おじさんが
ぼくを つりあげ びっくりしてた
やっぱり ぼくは タイヤキさ
すこし こげある タイヤキさ
おじさん つばを のみこんで
ぼくを うまそに たべたのさ
改めて、この、残酷な歌詞を読みながら、黒豆茶(これも韓国語のみの表示)をすすり、たいやきくんをいただきました。

尾っぽがキュンと上がっていてかわいいです。

尾っぽの先の先まであんこがぎっしり!
かじったまんまなので、ピンぼけ気味の写真にしておきました。せめて包丁で切れよ~。お食事中の方、申し訳ありまっしぇん!

昨日の晩から始まったすごい風が、今もびゅう~んびゅん吹き荒れています。
空には分厚い雲がたれ込めているのに、西からの強風(時速65キロメートルだそうです)がグイグイ空ごと押しているみたいに移動していきます。
たいやきくんを手のひらに乗せて高く掲げると、もしかしたら大空に向かって飛んでいくかもしれません。
そしたらどんな歌ができあがるのかな……。
面白い野菜が棚にてんこ盛り、ポピュラーな野菜の値段は普通のマーケットの半額に近く、店内を回っているだけでウキウキしてきます。
テキサス滞在中のお伴に、しょうゆ系のせんべいが欲しかったS子。
残念ながら、せんべいの種類の多さは、さすがに日本食マーケット『ミツワ』(日本人および日本オタクの外国人のメッカ)には到底かないません。
レジに行く直前に、たいやき君の写真が目に入りました。吸い寄せられるように近づくわたし。

韓国語しか書いてないので読めないけれど、ふふん、たいやきのことは読まずとも分かるわい!と、むんずと袋を掴みカートの中へ。
既に頭の中では「むゎ~いにちむゎ~いにち、ボクらはてっぱんの……」と歌う子門真人の粘っこい声が聞こえていました。
まいにち まいにち ぼくらは てっぱんの
うえで やかれて いやになっちゃうよ
あるあさ ぼくは みせのおじさんと
けんかして うみに にげこんだのさ
はじめて およいだ うみのそこ
とっても きもちが いいもんだ
おなかの アンコが おもいけど
うみは ひろいぜ こころがはずむ
ももいろサンゴが てをふって
ぼくの およぎを ながめていたよ
まいにち まいにち たのしいことばかり
なんぱせんが ぼくのすみかさ
ときどき サメに いじめられるけど
そんなときゃ そうさ にげるのさ
いちにち およげば ハラペコさ
めだまも クルクル まわっちゃう
たまには エビでも くわなけりゃ
しおみず ばかりじゃ ふやけてしまう
いわばの かげから くいつけば
それは ちいさな つりばりだった
どんなに どんなに もがいても
ハリが のどから とれないよ
はまべで みしらぬ おじさんが
ぼくを つりあげ びっくりしてた
やっぱり ぼくは タイヤキさ
すこし こげある タイヤキさ
おじさん つばを のみこんで
ぼくを うまそに たべたのさ
改めて、この、残酷な歌詞を読みながら、黒豆茶(これも韓国語のみの表示)をすすり、たいやきくんをいただきました。

尾っぽがキュンと上がっていてかわいいです。

尾っぽの先の先まであんこがぎっしり!
かじったまんまなので、ピンぼけ気味の写真にしておきました。せめて包丁で切れよ~。お食事中の方、申し訳ありまっしぇん!

昨日の晩から始まったすごい風が、今もびゅう~んびゅん吹き荒れています。
空には分厚い雲がたれ込めているのに、西からの強風(時速65キロメートルだそうです)がグイグイ空ごと押しているみたいに移動していきます。
たいやきくんを手のひらに乗せて高く掲げると、もしかしたら大空に向かって飛んでいくかもしれません。
そしたらどんな歌ができあがるのかな……。
とうとう婿入りしたクラウンヴィクトリア。
どのドライバーからも疎ましがられる覆面パトカー車モデルです。
S子とW氏も、W氏の息子さんに送ってもらってブルックリンから来てくれました。
天気も絶好調だし、なんだかポカポカ春みたいだし、ちょいとヴィクトリアでタイレストランに食べに行くことにしました。
「別に、そんな大騒ぎするほどバカでかくないや~ん」と言いながら周りをチェックするS子。


運転席に座る旦那を見て、どえりゃ~似合わんな~と感動。
そして、やたらと重たいドアを開けて、昔のフカフカの革張りのソファみたいな座席に座りました。
まだ走ってもいないのに、すでに体がボワンボワンと落ち着きません。
後部座席のS子&W氏カップルは、「まあ、こんなもんちゃうの」なんて言いながら、わたし達よりずっと馴染んでいます。
W氏は、とても背の高い大きな人だけど、まだ余裕があるようで、やっぱり彼のような体格の人に似合う車だわなあ……と思いながら周りの景色を見ていました。
アメリカ人にしては小柄で華奢な旦那と、チビの日本人のわたし。走っている時はいいとして、町中に駐車して降りる時、ちょっと恥ずかしいかも……。
今朝、旦那が行きつけのパン屋さんに行った時のこと、店主のサリー(オーストラリア人の女性)が外に停めてある車を見て、
「あのさ、ちょっと助手席に乗ってみてもいい?」と聞いてきたそうな。
ほんでもって、ほんとに店から出てきて、乗らはったそうな。
ま、今時の、ご時世をよくわきまえてる大人の目には、軽いショックを与えるに容易いブツだということが証明されたわけです。
700ドルで売ってもらったヴィクトリアくん。走行距離、堂々の40万キロ超えであります。4万キロではありませんのであしからず。
とりあえず、高速なんかを走っている最中に寿命が切れちゃったりしないことを神さんにお願いしいしい運転したいと思っております。
なので、ある意味、とっても信心深いドライブになりそうです。
どのドライバーからも疎ましがられる覆面パトカー車モデルです。
S子とW氏も、W氏の息子さんに送ってもらってブルックリンから来てくれました。
天気も絶好調だし、なんだかポカポカ春みたいだし、ちょいとヴィクトリアでタイレストランに食べに行くことにしました。
「別に、そんな大騒ぎするほどバカでかくないや~ん」と言いながら周りをチェックするS子。


運転席に座る旦那を見て、どえりゃ~似合わんな~と感動。
そして、やたらと重たいドアを開けて、昔のフカフカの革張りのソファみたいな座席に座りました。
まだ走ってもいないのに、すでに体がボワンボワンと落ち着きません。
後部座席のS子&W氏カップルは、「まあ、こんなもんちゃうの」なんて言いながら、わたし達よりずっと馴染んでいます。
W氏は、とても背の高い大きな人だけど、まだ余裕があるようで、やっぱり彼のような体格の人に似合う車だわなあ……と思いながら周りの景色を見ていました。
アメリカ人にしては小柄で華奢な旦那と、チビの日本人のわたし。走っている時はいいとして、町中に駐車して降りる時、ちょっと恥ずかしいかも……。
今朝、旦那が行きつけのパン屋さんに行った時のこと、店主のサリー(オーストラリア人の女性)が外に停めてある車を見て、
「あのさ、ちょっと助手席に乗ってみてもいい?」と聞いてきたそうな。
ほんでもって、ほんとに店から出てきて、乗らはったそうな。
ま、今時の、ご時世をよくわきまえてる大人の目には、軽いショックを与えるに容易いブツだということが証明されたわけです。
700ドルで売ってもらったヴィクトリアくん。走行距離、堂々の40万キロ超えであります。4万キロではありませんのであしからず。
とりあえず、高速なんかを走っている最中に寿命が切れちゃったりしないことを神さんにお願いしいしい運転したいと思っております。
なので、ある意味、とっても信心深いドライブになりそうです。
今日は2月10日。父の命日です。
父は日本で亡くなったので、正確に言うと、もうとっくに過ぎてしまっていますが……。
毎年、命日には海老の天婦羅を揚げて、他のおかずと日本酒と一緒にお供えしているのですが、
今日は急な嬉しい予定変更などがあって、その後すぐに仕事、コミュニティバンドの練習が続き、とうとうお供えをすることができませんでした。
父は、悪性で急性のスキルス性胃癌にかかり、体調を崩して病院に救急車で運ばれた時点で、すでに手遅れの状態でした。
結局4ヶ月しか闘病できずに、モルヒネ投与を増やされ、意識が朦朧となったまま亡くなってしまいました。
意識が混濁する直前まで、父は夜になると、「上六の天婦羅食いに行こ」と言い出し、体に入ったチューブを引き抜こうとしました。
仕方がないので、車椅子に乗せ、消灯後の病棟の廊下を何周かしながら、「しっかり治そな。今この辛い時を堪えたら、絶対に天婦羅屋で乾杯しよな」と話しかけたりしました。
けれども、日によっては、そんな誤摩化しがきかず、廊下で大声を出したり愚図ったりする父を、夜勤の医師や看護士が厳しく注意したりしました。
もう口からは食べ物を受け付けられなくなっている、弱り切ってガイコツみたいに痩せ細った父が、目だけをギラギラさせて「天婦羅、天婦羅」とうわ言のように繰り返すのを見ているのは、とても切なく辛いことでした。
なので、命日と誕生日には必ず、天婦羅をお供えしようと決めました。
息を引き取る間際に、綿に湿した日本酒を唇に塗ると、下顎呼吸が始まって苦しい時だったというのに、ニッコリと微笑んだ父。
いっぱい笑わされたり、困らされたり、泣かされたりしたけれど、やっぱり大好きな父でした。わたしを本気で愛してくれた父でした。
たまらなくなって、父の首根っこにしがみついて叫びました。
「パパの娘で楽しかった。幸せやった。ありがとう。もうええよ。こんなに頑張ったんやもん、もうええよ。わたしのパパになってくれてありがとう」
明日、父が時々思い出したように心配していたS子が来てくれるので、S子と一緒に1日遅れのお供えをしようと思っています。
きっと、「ま、そういうことなら待ったるわ」って、父もそう言ってくれると思います。
父は日本で亡くなったので、正確に言うと、もうとっくに過ぎてしまっていますが……。
毎年、命日には海老の天婦羅を揚げて、他のおかずと日本酒と一緒にお供えしているのですが、
今日は急な嬉しい予定変更などがあって、その後すぐに仕事、コミュニティバンドの練習が続き、とうとうお供えをすることができませんでした。
父は、悪性で急性のスキルス性胃癌にかかり、体調を崩して病院に救急車で運ばれた時点で、すでに手遅れの状態でした。
結局4ヶ月しか闘病できずに、モルヒネ投与を増やされ、意識が朦朧となったまま亡くなってしまいました。
意識が混濁する直前まで、父は夜になると、「上六の天婦羅食いに行こ」と言い出し、体に入ったチューブを引き抜こうとしました。
仕方がないので、車椅子に乗せ、消灯後の病棟の廊下を何周かしながら、「しっかり治そな。今この辛い時を堪えたら、絶対に天婦羅屋で乾杯しよな」と話しかけたりしました。
けれども、日によっては、そんな誤摩化しがきかず、廊下で大声を出したり愚図ったりする父を、夜勤の医師や看護士が厳しく注意したりしました。
もう口からは食べ物を受け付けられなくなっている、弱り切ってガイコツみたいに痩せ細った父が、目だけをギラギラさせて「天婦羅、天婦羅」とうわ言のように繰り返すのを見ているのは、とても切なく辛いことでした。
なので、命日と誕生日には必ず、天婦羅をお供えしようと決めました。
息を引き取る間際に、綿に湿した日本酒を唇に塗ると、下顎呼吸が始まって苦しい時だったというのに、ニッコリと微笑んだ父。
いっぱい笑わされたり、困らされたり、泣かされたりしたけれど、やっぱり大好きな父でした。わたしを本気で愛してくれた父でした。
たまらなくなって、父の首根っこにしがみついて叫びました。
「パパの娘で楽しかった。幸せやった。ありがとう。もうええよ。こんなに頑張ったんやもん、もうええよ。わたしのパパになってくれてありがとう」
明日、父が時々思い出したように心配していたS子が来てくれるので、S子と一緒に1日遅れのお供えをしようと思っています。
きっと、「ま、そういうことなら待ったるわ」って、父もそう言ってくれると思います。