S子は、わたしが5才の頃からの幼馴染み。
わたし達は、桜ヶ丘という、坂道の下から上までの両側に、桜の木がぎっしりと植わっている、昭和三十年代の新興住宅地内の近所に住んでいました。
いつも2人一緒、紙を切り抜いて遊ぶ着せ替え人形ごっこをしたり、小さなビニールプールで遊んだり、変わったところでは、音当てごっこをしたり、
2人とも偶然に絶対音感があったので、ヤマハの音楽教室から始まった音楽への道は、大阪の相愛大学が開設していた「子供音楽教室」につながり、
2人はいつも遊びながら、ちょいと競争し合ったりもして、お互いに、無言のうちに、頑張ろうねと励まし合いながら、ピアノや音楽の基礎知識や、耳の訓練に勤しんでいました。
途中、わたしが中学校に進学して間もなく、家庭事情がガラリと変わり、ピアノを続けていくことがとても難しくなってしまいました。
中学三年生の時には、不注意から3階から真っ逆さまに落下してしまい、その事故の怪我と後遺症で、経済だけでなく、身体的にもピアノは無理になりました。
それからどんどん状況は悪化していき、わたしは彼女から離れていきました。
そうしないと、ついつい羨んでしまう自分が情けなかったし、自分に降りかかったどうしようもない運命みたいなものを素直に受け入れられなかったからです。
ずいぶん長い時間が経ちました。
その、ずいぶん長い間、わたしはわたしに与えられた環境を幸せだと思えるように、悪あがきをしたり、たくさんのことを諦めたりしながら生きていました。
離婚して、初めて人より自分を大事にして決めた今の結婚の暮らしが始まってからは、辛いのは貧乏だけになりました。
すると、なぜだか懐かしい人達に逢いたくなりました。
今までの、それまで生きてきた自分全部を、もう一度しっかり抱きしめてやりたくなりました。
S子の、音楽家としての成功を、彼女の試練や苦労に耐え抜いてきた強さも含めて尊敬できるようになりました。
もちろん羨ましいけれど、それは妬みではなく、とても温かな羨みです。
彼女を訪ねてウィーンに2度行きました。1回目は彼女の40才の誕生日に、2回目は彼女の婚約記念パーティに。
そして今、その彼女は、ラブラブのご主人と一緒に、2回目の訪米旅行でブルックリンに滞在しています。
ご主人はアメリカ人の、元テノールオペラ歌手さんで、彼の息子さん家族がブルックリンに住んではるのです。
今日は急に、息子さんの奥さんがニュージャージーに仕事で来るというので、それならついでにS子も車に同乗させてもらい、わたしがそこまで迎えに行くことになりました。
懐かしくて嬉しくて、車の中からしゃべりっ放し
。
幼馴染みって、どんなに長く時間が過ぎた後でも、逢えばすぐに、まるでいつも遊んでいたあの頃に戻るんですね。話す事柄は現在なのに。
レストランに行こうか、どうしようか。あ、でも、冷凍庫に加ト吉のたこ焼きあったし……。
S子に言うと、「たこ焼き!それ食べたい!」とニコニコ顔。
加ト吉の「冷凍たこ焼き」&Costcoで買った「冷凍薄焼きピザ」&具沢山の豚汁(これだけは手作り)……幼馴染みだからね~これでいいよね~
。
お互いに、外からしか見られなくなった日本のことや、自分の住む国のこと、そして50代の女性特有の体のこと、旦那のこと、もちろん音楽のこと、
話しても話しても尽きない話をしながら、もちろん食べ物もどんどん放り込みながら、突然の贈り物の楽しい時間を過ごしました。
食後の珈琲(S子のウィーン土産)と一緒に、ビスコッティと薄焼きクッキーを食べている時、どちらもしっかりアーモンドが入っているのを見たS子、
「相変わらずアーモンド好きやねんから……。まうみってさ、相愛に通てた時も(近鉄急行で55分かかりました)電車乗る時必ず、アーモンドチョコと酢昆布買うてたもんな」と、感慨深げにつぶやきました。
明治のアーモンドチョコレートと都の酢昆布。嗚呼!なんて懐かしい
!
小学生だったS子とわたしが、マーガレットや少女フレンドなどを抱えて電車に乗り込み、窓際にアーモンドチョコを置き、電車の揺れに体をまかせながら、梅図かずおの恐い漫画を、半分閉じるようにして恐々覗き見していたのを思い出しました。
彼女達は明後日、ご主人の実家のあるテキサスに飛びます。
空港が、ここからの方が近いので、明日の昼頃から、今度は夫婦で遊びに来てくれます。
明日はちょっと、手抜きじゃない手料理を食べてもらおうと思っています
。
わたし達は、桜ヶ丘という、坂道の下から上までの両側に、桜の木がぎっしりと植わっている、昭和三十年代の新興住宅地内の近所に住んでいました。
いつも2人一緒、紙を切り抜いて遊ぶ着せ替え人形ごっこをしたり、小さなビニールプールで遊んだり、変わったところでは、音当てごっこをしたり、
2人とも偶然に絶対音感があったので、ヤマハの音楽教室から始まった音楽への道は、大阪の相愛大学が開設していた「子供音楽教室」につながり、
2人はいつも遊びながら、ちょいと競争し合ったりもして、お互いに、無言のうちに、頑張ろうねと励まし合いながら、ピアノや音楽の基礎知識や、耳の訓練に勤しんでいました。
途中、わたしが中学校に進学して間もなく、家庭事情がガラリと変わり、ピアノを続けていくことがとても難しくなってしまいました。
中学三年生の時には、不注意から3階から真っ逆さまに落下してしまい、その事故の怪我と後遺症で、経済だけでなく、身体的にもピアノは無理になりました。
それからどんどん状況は悪化していき、わたしは彼女から離れていきました。
そうしないと、ついつい羨んでしまう自分が情けなかったし、自分に降りかかったどうしようもない運命みたいなものを素直に受け入れられなかったからです。
ずいぶん長い時間が経ちました。
その、ずいぶん長い間、わたしはわたしに与えられた環境を幸せだと思えるように、悪あがきをしたり、たくさんのことを諦めたりしながら生きていました。
離婚して、初めて人より自分を大事にして決めた今の結婚の暮らしが始まってからは、辛いのは貧乏だけになりました。
すると、なぜだか懐かしい人達に逢いたくなりました。
今までの、それまで生きてきた自分全部を、もう一度しっかり抱きしめてやりたくなりました。
S子の、音楽家としての成功を、彼女の試練や苦労に耐え抜いてきた強さも含めて尊敬できるようになりました。
もちろん羨ましいけれど、それは妬みではなく、とても温かな羨みです。
彼女を訪ねてウィーンに2度行きました。1回目は彼女の40才の誕生日に、2回目は彼女の婚約記念パーティに。
そして今、その彼女は、ラブラブのご主人と一緒に、2回目の訪米旅行でブルックリンに滞在しています。
ご主人はアメリカ人の、元テノールオペラ歌手さんで、彼の息子さん家族がブルックリンに住んではるのです。
今日は急に、息子さんの奥さんがニュージャージーに仕事で来るというので、それならついでにS子も車に同乗させてもらい、わたしがそこまで迎えに行くことになりました。
懐かしくて嬉しくて、車の中からしゃべりっ放し

幼馴染みって、どんなに長く時間が過ぎた後でも、逢えばすぐに、まるでいつも遊んでいたあの頃に戻るんですね。話す事柄は現在なのに。
レストランに行こうか、どうしようか。あ、でも、冷凍庫に加ト吉のたこ焼きあったし……。
S子に言うと、「たこ焼き!それ食べたい!」とニコニコ顔。
加ト吉の「冷凍たこ焼き」&Costcoで買った「冷凍薄焼きピザ」&具沢山の豚汁(これだけは手作り)……幼馴染みだからね~これでいいよね~

お互いに、外からしか見られなくなった日本のことや、自分の住む国のこと、そして50代の女性特有の体のこと、旦那のこと、もちろん音楽のこと、
話しても話しても尽きない話をしながら、もちろん食べ物もどんどん放り込みながら、突然の贈り物の楽しい時間を過ごしました。
食後の珈琲(S子のウィーン土産)と一緒に、ビスコッティと薄焼きクッキーを食べている時、どちらもしっかりアーモンドが入っているのを見たS子、
「相変わらずアーモンド好きやねんから……。まうみってさ、相愛に通てた時も(近鉄急行で55分かかりました)電車乗る時必ず、アーモンドチョコと酢昆布買うてたもんな」と、感慨深げにつぶやきました。
明治のアーモンドチョコレートと都の酢昆布。嗚呼!なんて懐かしい

小学生だったS子とわたしが、マーガレットや少女フレンドなどを抱えて電車に乗り込み、窓際にアーモンドチョコを置き、電車の揺れに体をまかせながら、梅図かずおの恐い漫画を、半分閉じるようにして恐々覗き見していたのを思い出しました。
彼女達は明後日、ご主人の実家のあるテキサスに飛びます。
空港が、ここからの方が近いので、明日の昼頃から、今度は夫婦で遊びに来てくれます。
明日はちょっと、手抜きじゃない手料理を食べてもらおうと思っています
