ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

二度あることは

2010年08月27日 | ひとりごと
三度あった……。

おのれ盗難防止ブザー……。

けれども、あまりに気にし過ぎたからか、ある意味期待もしていたからか、鳴る前に目覚めていたりするわたし……トホホ。

しかも……あっ!!鳴った!!……………………一回っきりであった。

次に鳴ったら外に出てやろうと身構えていたので、二回目を待っている間にしっかり目が覚めてしまった……。

いったい誰やねん!!
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米国6時27分の怪事情

2010年08月26日 | 米国○○事情
昨日今日と、朝のきっかり6時27分に、近所のどこかに停めてある車の盗難防止ブザーがけたたましく鳴り始めた。

それが一回っきりだったらまだ許せる。

しっかり起こされてうるさいな~と思っていると止み、1分ぐらい経って、またうとうととしかけた頃に突然また鳴り始める。それのくり返し。
音はビービービーとピヨピヨピヨの2種類が同時に鳴る。言葉で書くとなんだか可愛らしいけど、とんでもない、めちゃくちゃうるさい!

旦那は丁度その頃から起き出すので、目覚まし時計のようなもんだと考えられなくも無い。
わたしは、旦那が起きて、軽く体をほぐしてから、コーヒーの豆を挽き出した頃に起きるのが常(なんと優雅な暮らしよ)なので、思いっきり調子が狂って腹立たしいったらない。

強い風が吹いたりしたら鳴ることもあるらしいけれど、そんな、よりにもよって、毎朝きっかり6時27分に吹くわけがない。
誰かがいたずらしてるのか、とも思ったけれど、怒っているのはわたしだけではないと思うので、そんな悠長に車の横で10分近くも立ってもいられないはず。

『二度あることは三度ある』、と人は言う。
『仏の顔も三度まで』、とも人は言う。

明日の早朝は無事に起きられるだろうか……。乞うご期待。
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雨のち晴れ

2010年08月26日 | ひとりごと
やっとやっと晴れた!



H師匠がバンクーバーに旅立った日からずっと、薄暗くて肌寒い雨が続いていた。

ドカンと落ち込んだ直後だっただけに、気圧まで心に覆い被さってきて、なかなかに根性の要る三日間だった。

旦那の『お奈良漬け』で少し元気になった。
気を入れ替えて練習し直していると、どんどんいろんな音が見えてきた。
空いた時間はすべて練習。
明後日の第一リハーサルの前に、プログラム用のグループ写真を撮るんだけど、目の下のくまがどんどん膨らんで酷い顔……この際仕方が無い。

旦那が庭から元気な実をもいで、ピアノのところまで持ってきてくれた。



おぉ~どっちも甘酸っぱいぞぉ~!



おまけ・気遣い猫



かあちゃん、アタシもうるさいの(←ピアノの音)きらいやけど我慢してあげてるぞよ。見た目は暇そ~やけどさ。
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『お』の話

2010年08月25日 | アホな小話


酒飲みの家系だからか、小さい頃から奈良漬けがだぁ~い好きなわたし。
こちらに来てからは高価な食べ物なので、薄ぅ~く薄ぅ~く切って食べるのだけど、今回だけは豪快に、いつもの3倍は厚めに切った。


日本食、ほぼなんでも大好きな旦那が、珍しく苦手なのがこの奈良漬け。
今朝もポリポリ、満足気に食べてるわたしをじぃ~っと見ながら、旦那はポツリとこう言った。

「おならづけか……」

「奈良漬けに『お』はつけへん!」ポリポリ、ポリポリ(←食べながら文句を言うわたし)
「けど、お漬け物って言うやん」
「言うけど……ポリポリ……カブラの漬け物もキュウリの漬け物もおカブラとかおキュウリとか言わへんやん……ポリポリ」
「けど、しんこのこと、おしんこって言うやん」

「おしんこ……」
「おならづけ……」

そう言った自分の声を聞いた瞬間、なぜだか笑いのツボにハマってしまった旦那とわたし。

食卓を挟んだ両側で、互いに涙を流しながらヒィヒィ笑ったのでした。
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なんたって歌だからね~!

2010年08月25日 | 音楽とわたし
昨日の夜、わたしはもう眠ってしまっている間に、A子からこんなメールが送られていた。


『金曜日だとちょっとぎりぎりなので、練習してて思った事と私のまうみとしたい事、打ち合わせ代わりに書きますね。

まず、今回はもう時間がないから「音色」と「雰囲気」だけに焦点を絞ってみてください。
音の「強弱」じゃなくて、「どんな色が欲しいか」です。
上手く出来なくても全くかまいません。欲しい音を探してみて!

ノーマンが良く言うのだけど、全部音を弾かなくてもいいんだよ~雰囲気さえ掴んであったら。
特に沢山音があるところは出したい音だけ出す。
で、あとは「ざわざわ」とか「ぶるぶる」とか「さやさや」とか、擬態語みたいな感じで欲しいです。
まうみがどんな擬態語を思っているかの方が、音をキチンと弾いてくれるより100倍嬉しいです。
今は「風」、「森のざわめき」、「空を駆け抜ける鳥」、「晴れ渡る空」、ピアノが何を担当してくれているのかを想像してください。

練習しなきゃ焦ってそれどころじゃない、って言われるかも知れないけど、
逆に客観的に、「音を弾くこと」からすこし離れて、曲のイメージをまうみなりにも掴んで欲しいです。

歌詞書いて送りますので、音源いろいろ聞いてみて場面を目に浮かべてみてください。
私のイメージは先日伝えたので、まうみのイメージと融合させていきたいです。

まだリハだから全く焦らなくていいよ。
でもどうか土曜日は「どんな曲なのか」、その具体的な雰囲気が浮かび上がって来るのを目標にしましょう。
音は外れても私は全く気にしませ~~~ん。
ピアニスティックなことはこれ終わってからとことんテクニックに焦点合わせて、納得いくまでどうぞ~。

何たって「歌」だからね~!
どうぞよろしくお願い致します。
私も頑張る』



イメージすること。
わたしが練習している時に、すっかりすっぽ抜けていたこと。
以前はこの、イメージすることが大好きで、それだけは欠かさずに喜んでやっていたのに、いったいどうしちゃってたんだろう……。

先日の、あまりに悲惨過ぎてむしろ爽快でさえあった頭打ちの後、慌ててネットで歌詞を検索した。


『ジプシーの歌』Op.55より ドヴォルザーク作曲 へイドゥク・詩  


『おれの歌が響き出す』 

おれの歌が、愛の賛歌が響き出すのは
日が沈み始めるころ
それから苔やしおれた茎が
露の珠をひっそりと吸うころ

おれの歌は流浪の喜び一杯に響き出す
緑の森の広間で
そしてプスタの広大な広場に
おれの陽気な歌を響かせるのさ

おれの歌は愛にもあふれて響き出す
荒野に嵐が吹き荒れるときに
最期の命の息を吸おうと
兄の胸がふくらんだときに
(ドイツ語詞訳)


わが歌は再び愛を響かせる
古い日が死に絶えたとき
しなびた苔が 自らに纏わせようと
ひそやかに露を集めているときには

わが歌はあまねく憧れを響かせる
世界をこの足で歩き回るときに
だが故郷のプスタにあれば
歌声はわが胸より豊かにあふれ出る

わが歌は高らかに愛を響かせる
嵐が平原を駆け抜けるとき
われが見送るときに、貧しさより逃れ
兄弟たちが死に行くのを
(チェコ語詞訳)



『母が教えたまいし歌』

年老いた母が 
あたしに歌うことを教えてくれたとき
涙がまつ毛に 
いつも掛かっていた

今 あたしが小さい子に
自ら歌を教えると
私の目からもそれがしたたり落ちるの 
したたりおちるの 日焼けした頬の上を
(ドイツ語詞訳)


私の年老いた母が歌を
歌を教えてくれたとき
不思議なことにいつも
いつも涙を浮かべてた

そして今 この日に焼けた頬にも涙が落ちる
私がジプシーの子供たちに遊びや歌を教える時には!
(チェコ語詞訳)



『鷹の翼は』

鷹の翼は
タトラの峰をざわめかせるが
彼は岩山の巣を
鳥かごと交換したいと思うだろうか

野生の馬は
荒野を駆け抜けるが
彼は轡や手綱に
喜びを見出せるだろうか

ジプシー気質が
お前に与えたもの
そう!自由を目指すことを私は定められたのだ
この一生涯
(ドイツ語詞訳)


純金でできた鳥かごをタカが与えられても
それを岩山の巣と交換することなどない
野生の馬が、自由に駆け巡れるのに
轡や手綱を求めることはない
そしてジプシーの気質がお前に与えたのは
自由に向けての永遠の束縛だ、自由への執着だ
(チェコ語詞訳)


何も知らずに、だいたいで弾いていた自分がとても恥ずかしい。でももうそれは過去のこと。
ジプシーが暮らす大自然、愛してやまない歌、自由を求める熱情と執着、そして哀しみ。
どこまで表現できるかわからない。
けれども求めて求めて求めまくるっきゃない。

わたしも頑張る!
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祝・チャンス到来

2010年08月24日 | お家狂想曲
『いいチャンスがやって来たようですね。

頭打って、落ち込んで、悩んで、迷って……ね。

みんなみんな同じ、一生勉強。

フレーフレーまうみ!!!』


T師匠からのメールです。
日本は猛暑。そんな中、毎日わたしのブログを読みながら、いつも見守ってくれているT師匠。

最後の「フレーフレーまうみ!!!」が、師匠の声で聞こえてきて、胸が熱くなってちょっと泣きました。

ありがとうT師匠!
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とりあえずケーキ

2010年08月24日 | 家族とわたし
今日24日は息子Kの22才の誕生日です。
満月が空にぽっかり浮かんでいるはずなのですが、残念ながら今日は一日中雨。今もすっぽり厚い雨雲に包まれてしまっています。
でも、肉眼で見ると、ふわぁ~っと明るい空です。
わたしの古いシンプルデジカメではこれが限界。真っ暗で全然見えません。



なので、ちょっとよそから満月の写真を拝借。



だって誕生日なんだも~ん(←変な言い訳)。

とはいうものの、肝心の本人は友達が祝ってくれるってんで出かけて行きました。
旦那とわたしが「家族として、当日に祝わせてくれ~!」とお願いすると、8時に出かけるのでその前だったらということで、7時半にミニ誕生会!
わたしは今夜は7時過ぎまで仕事があったので、ケーキを買うのは旦那が担当。そして……なぜだか2個も買ってきた。



これ、ちっちゃく見えるんですけど、ひとつひとつが結構デカい。きっと自分が食べたかったんだろうな。
ケーキだけってのもなんなんで、小さなアロエの鉢植えと、Kの好物ホットソース2瓶(ちょっと高め)とポテトチップスを贈り物に。
とりあえず、きちんとお祝いするのは明日の夜、ということにして、今夜はこんなんで済ませました。

母子ともに、あと10分手術が遅れたら多分命が危なかっただろうという、Tの時とはまたひと味違うスリル満点な出産でした。
生まれたすぐの彼の全身は、気味悪い紫色したロウのようなかさぶたに覆われていて、それが全部取れてきれいになるまでけっこう長い時間がかかりました。
目やにも酷くて、毎朝目が覚める頃に、温かいお湯に湿した綿で瞼が合わさっている部分をソッと拭き取ってやらないと開けることもできませんでした。
アレルギーならなんでも御座れだったK。チック症もいろんなのを見せてくれたりと、つい最近まであれやこれやと忙しい子でしたが、やっとすっきり取れてきたようです。

小さい頃は、危ない所や変な所に行ったり潜ったり登ったりするのが好きで、毎晩、ただひたすら、無事に大人になってくれることだけを祈りました。
それが今じゃ、我が家一番の安全運転手。ほんと、世の中、なにがどうなるのかわかりません。

うちの子供に生まれてくれてありがとう。
いろんな楽しいこと、おもしろいことを経験させてくれてありがとう。
優しい気持ちをいっぱい見せてくれてありがとう。

ただひとつ、今日だからこそお願い。タバコ、やめなはれ。
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笑ってください

2010年08月24日 | ひとりごと
わたしは自分のことを、『芸は身を助ける』のお手本のような人間だと思っていた。
わたしは自分のことを、ピアノが上手だからこそ、いろんな場面でいろんな人と出会い、その都度助けてもらったり、道を示してもらえたと思っていた。
そのピアノの土台をしっかり作ってくれたのがT師匠で、そんなわたしのピアノに惚れ込んで、大事な節目節目に救いの手を差し延べてくれたのがH師匠だと思っていた。

「そりゃそうと先生、先生はどうしてまうみを、とんでもない手間や努力を惜しまずに助けようとなさったんですか?」

マンハッタンのレストランの、通りに置かれたテーブルを挟み、ワインを飲み飲みA子が聞いた。
A子にすりゃ、それは本当に、純粋に、どうしてかわからないことだったのだろう。
わたしがすごい才能の持ち主で、素晴らしいピアノを弾く人間だったらわかる。
もしくは、師匠とわたしが立場を超えて、恋愛関係に陥っていた、ということなら話はわかる。
でも、全くそのどちらでもないということが明白なのに、ならどうして?と思うのは当たり前だ。

「もう随分前のことだから、僕はあまり覚えてないのだけれど、そうだねえ……」と、しばし考える師匠。
「多分、これは僕の想像だけど、まうみがその頃働いていたガス会社に電話をかけたのは、まうみのおかあさんから連絡を受けたからだと思う」

えぇ~!!
わたしはそれを聞いて、本当に心の底から仰天した。
その頃わたしはまだやくざから追われていて、13才の時に生き別れた母が再婚した家に隠れさせてもらっていた。
父の借金が絡んだゴタゴタに巻き込まれて、家財もピアノもすべて持ち去られ、自分も借金のカタに売られ、それで逃げていたのだから、音楽への夢なんかとっくの昔に消えていて、とにかくこの世はお金なんだ、お金があれば借金なんかしないし、こんな目に遭わなくても済むんだからと、別にヤケにはなっていなかったけれど、相当に冷めていた。

そんなわたしに、母は何も言わなかった。
「今はとにかく仕事を探してお金を得たい」と言うと、新聞の求人広告を次々に見せてくれた。
ガス会社の臨時募集に応募して、筆記試験を通り、3回の面接試験を次々に突破していくと、我が身のことのように喜んでくれた。
勤め始めてからも、やはり何も言わずに、食事を作って食べさせてくれた。

師匠からの電話を受けたことを、驚きと戸惑いとともに伝えた時も、確か母は何も言わなかったように思う。
ただ、どうしようかと迷っているわたしに、「自分の思うように、ちゃんと考えて返事したらいいのと違う?」と言われたような覚えがある。


「でも師匠、師匠はわたしが高校生だった時、夏の講習会のレッスンで教えてくださって、僕のところにいらっしゃいって言ってくれましたよね」
「ああ、あの時は、まうみの高校の音楽の先生をしていらしたO先生がね、あの子はとても複雑な家庭環境でね、それだけではなくて、事故の後遺症で指にほとんど力が入らなくなってしまっているんだけど、音楽の道に進みたいっていう気持ちが強くて……なので、もしできたら先生のところで見てやってもらえませんかって頼まれたんだよ」
「でも、実際にレッスンしてみると、そういう状態にも関わらずまあまあ良く弾けてたしね、それもあって引き受けようと思ったんです」


わたしはかねがね、自分のことを、お調子者でおっちょこちょいで早合点をする傾向にある人間だと思ってはいた。
けれども、ここまでだとは……。

うぬぼれ屋で、自己陶酔に陥りやすく、奢り高ぶった考えを持ち続けていた。
だから、こんなにも、自分に都合のいいように思い込めた。

O先生も母も、まだこの世に生きてくれていて、本当に本当によかった。
亡くなってからこんな真実を知ったとしたら……どんなに悔やんでも恥んでも遅過ぎる。
自分は、たくさんの人達に支えられ守られ助けられて、今の生活を得ることができたと感謝してきたつもりだったけれど、
まだまだ足りない。まだまだわかっていない。

ごめんなさい。ありがとう。

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ごめんなピアノ

2010年08月23日 | 音楽とわたし
昨日まで、いや、正確に言うと、先週の水曜日の夜まで、わたしは自分のピアノに文句タラタラだった。
9年前にこのピアノの音を聞いたある人に、「このピアノの低音は深みがなくて薄っぺらね」と言われて、余計にイヤになったりしていた。
挙げ句の果てに、わたしは我慢してあんたを弾いてやってるんだ、みたいなふうに思い始めていた。

その同じピアノで、師匠が、見事に美しく、モーツァルトやスカルラッティを演奏してくれた。
軽く横っ面を張られたような気がした。目が覚めた。
A子からのストレートパンチも効いた。これもわたしには絶対に必要だった。

今日、新しい気持ちでピアノの前に座った。
昨日一昨日と、注意してもらったことを念頭に置いて、自分が出す音に耳と心を澄ませて聞いた。
だめ、違う、もう一度、もう一度。1時間経ってもまだできない。たった2小節も進まない。
でも焦らない。これでいい。こういう時間がわたしには必要だったのだから。

ピアノに謝りながら一音一音、時間をかけて音作りをした。
どんな細かい音にも、それにふさわしい響きがあるのだから、一音たりとも疎かにしてはいけない。

「もっとこのピアノを鳴らしてあげなきゃ。そのためにはあなたがどうやったらいいか、それを真剣に探し求めなきゃ。そうやってコツコツ、けれども心を解放して重心を低く、自然な動きの中で鍵盤に向かっていくことを忘れずに」
「このピアノはいいピアノだと思いますよ。そりゃ、高価な、いわゆるスターピアノと比べたら差はあるけれど、高い音から低い音までバランスがよくとれているし、もっと丁寧に鳴らしてあげれば良い音が出ると思うのだけど」

奢り高ぶっているばかりか、物や人のせいにして、努力をすっかり怠っていた自分が恥ずかしい。
穴に入りたい気分だけれど、今はそんなことをしている暇がない。
残念ながら、歌の伴奏曲のあまりの惨状に、ブラームスのソロ曲を見てもらうところにまで行き着かなかったけれど、歌曲の中で学んだことを生かしてなんとか作り直したいと思う。

2小節を4小節に、そしてひとつのフレーズに、そうやって一曲一曲、時間をかけて謙虚に取り組もう。
カーネギーの第一リハーサルは今週末の土曜日。85%の仕上げを求められる。

ピアノの椅子に座り、目を閉じて瞑想した。
骨盤の辺りに気が落ち着き、腹にあたたかい気が満ちてきた。
まだ弾かない。もう少しこのままで。

今までのこと、ごめんな。

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激情と鎮静

2010年08月23日 | 音楽とわたし
朝7時の飛行機でバンクーバーまで飛ぶ師匠を、近くの空港まで送り届けてきた。

昨日はアメリカ旅行最後の日。
ずっと買いそびれてきたお土産を買いに、本当は師匠ひとりでマンハッタンに行く予定だったけど、旦那が、「他になにもすることがないから僕も一緒に行こう」と言い出して、ふたりで連れ立って出かけて行った。
まだマーキュリーは空の上から悪さをしそうだけれど、一昨日散々な目に遭った旦那にはもう恐いものなど無いのかもしれない。

わたしは一昨日、師匠からいただいたいろいろな言葉を、頭で理解するだけでなく音楽に生かせるよう、そしてわざわざ合わせに来てくれるA子に気持ちよく歌ってもらえるよう、とにかく練習がしたかったので(というか、カナダから戻ってから全く弾いていなかった遅れを取り戻すためにも)、家に残ってピアノを弾くことにした。

荒れた空から、雨が地面を叩き付けるように降っている。風がゴウゴウと吹いて太い木の幹をしならせる。
すごい湿気だからか、四六時中じっとりと汗をかいている。
集中しにくい。せっかくひとりにしてもらって弾きたいだけ弾けるはずなのに、何度やってもうまくいかなかったり、自分の思っている音が出せない。
でもそれは、このピアノが悪いんじゃない。ピアノのせいじゃない。
お昼ご飯もそこそこに、ちょっとした用事をしに隣町に出ると、どしゃ降りに出くわしてしまった。
家に戻っても車から出るに出られず、運転席に座り、フロントガラスを滝のように流れ落ちる雨水を眺めていた。
早く家の中に入りたい。入って濡れた身体をタオルで拭いて、あそことあそこと、そしてあそこも、もっともっと練習してうまくできるようにしないと。
師匠と旦那はマンハッタンでA子と待ち合わせて、もうすぐここに帰ってくる。


「今日はなにもかもうまくいった!ノープロブレム!」
師匠はお土産の大きな袋を手に、A子はいつものごとく元気はつらつ、旦那も楽しい時間を過ごせたらしく、ご機嫌な様子で戻ってきた。

「さ、やろっか?」
A子との初めての合わせ。
舞台の上で歌う彼女をうっとりと眺めるだけだったわたし。
彼女の伴奏をいつかできたらいいなあ~と憧れたりしたけれど、そんなことは叶わぬ夢だと思っていた。
それが今回、いろんなことが重なって、彼女の歌の伴奏ができることになり、これまでのようにユーチューブやCDを使って聞き比べをしながら練習していたのだが、一昨日のたった一回のレッスンで、自分の演奏がいかに中途半端で、たくさんの技術的なことを見落としていて、それによって無駄で粗野で汚い音が出ていたか、表現がどれほど単調で乱暴だったか、充分過ぎるほどに思い知らされた日の翌日のことだったので、わたしは異常に萎縮してしまった。
A子はもちろん留学という、学ぶことに集中できる立場にあるのだけれど、彼女の音楽に対する情熱、歌への真摯な取り組みを間近に見たり感じたりできるようになって4ヶ月、自分のこの半端な姿勢を、こんなこっちゃいかんなあと反省したり落ち込んだり。
とにかく落ち着けと言い聞かせるのだけれど、ゆらゆらと揺れる心はそれを全く聞かず、腹に重心を置くことがどうしてもできなかった。

だめだめ、そんなバタバタ弾いちゃ。もっと低く重心を下げて。胸元でへらへらやっちゃだめ。上っ面な音しか出てないよ。
ここは言葉の流れや勢いを聞いて。テンポを変えないで。
森の奥深くでいて、ほら、こんなに美しく音が響き渡っていくんだよ。
ここは全然強く弾く必要が無いでしょ?乱暴にガンガン弾かないで。
歌えてない、感じてない、だからピアノの音が機械的にしか聞こえなくてうるさい。

一昨日師匠から言われたことと全く同じことがどんどんA子の声で聞こえてくる。
わかってる。わかってるのにそれができないんだよ。悔しいよ。情けないよ。腹立たしいよ。だって普段そっくりおんなじことを、生徒にえらそうに言ってるんだからわたしは。

「先生、どう思いますか?」とA子。
「昨日彼女に言ったんだけどね」と師匠。
めくらつんぼだった自分が情けなくて情けなくて、激しい感情がドドッと押し寄せてきて、久しぶりに大声上げて泣いてしまいたい気分になった。

ごめんA子。そして師匠。


アメリカでの最後の夜を迎えた師匠によるお点前が始まった。
わたし達に美味しいお抹茶を飲ませてあげようと、師匠は最高級のお抹茶と茶筅、それから『とらや』の羊羹と京菓子持参でやって来てくれた。



うちにはもちろん茶道の道具などひとつも無い。
けれどもそんなことは全然かまわなくて、茶をたてる主人が真心を尽くしてお客様をもてなすことが大事で、その場にいる人が楽しく和やかに会話をしながらお茶をいただくことがいいのだから大丈夫。
お湯は薬缶で沸かし、茶さじは小さなスプーン、茶碗はシリアルボール、お椀を温めるのはサラダ用の大きなガラスのボール……でも師匠は全く平気に、わたし達にお茶の立て方を教えながら動作を進めていく。



「さあどうぞ」
「いただきます」

甘みがあって奥深くて、それでいて喉をさらりと通り過ぎていく、それはそれは美味しいお抹茶だった。
丁度家に帰ってきたTも一緒にいただいた。
羊羹も二人静も、それはそれは美味!心がすうっと落ち着いた。

「まうみ、外に出て空を見上げてみて。めちゃくちゃきれいなお月様だよ。H先生も満月のこと気にしてらしたから教えてあげて」
帰りの電車の乗り換え時に、駅のホームから空を見上げて月を見つけたA子が電話をかけてきてくれた。
きっと彼女はわたしの気分のことを気にしてくれているに違いないと思った。
師匠と外に出て、A子が見たのと同じ月を眺めた。
「まだほんのわずかに満ち足らないけれど、きれいだねえ」
わたし達はそれぞれ、その月を写真に収めた。



満月は24日、Kの誕生日の夜らしい。

ありがとうA子。ありがとう師匠。




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