ウィンザー通信

アメリカ東海岸の小さな町で、米国人鍼灸師の夫&空ちゃん海ちゃんと暮らすピアノ弾き&教師の、日々の思いをつづります。

好転反応と風邪とじんましんと紅葉と市民革命と子どもの疎開と全国汚染マップと原発国民投票と

2012年10月21日 | 日本とわたし
右腕の痛み→内臓マニュピュレーションの治療→好転反応勃発→酷い風邪ひきの生徒(親子ともに)からしっかり風邪をもらう→じんましん地獄……

とまあ、ようここまでそろいもそろて、という毎日を送っております。

今やわたしは風邪菌+腕の痛み+じんましんを取り揃えた最強のバイキンウーマン!
旦那は、正面からハグすることをやめ、わたしの手が顔を触った!と飛び上がって、大急ぎで顔を洗う始末……。
ええよええよ、治ったあかつきには、たっぷり仕返ししたるから。

こんなとんでもない毎日を送っていても、外はすっかり秋で、葉っぱはどんどんきれいになって……、
せやのに相棒のカメラくんがまだ、息子のアパートに拉致されたままで(←うそうそ、わたしが忘れただけ)。


仕事に出てった旦那が、道中車を停めて、「まうみ、きれいやで。通りに出て撮っといた方がええよ」と電話をかけてきてくれたので、
旦那にあげた、元相棒君に協力してもろて、写してみました。


どこの通りもほんまに、これでもか、これでもかと言うように。


しんどいのになあ……と、コンコンと咳をしながら、車を停めてはパチリ、


また停めてはパチリ。


ほんま、きりがありません。

このしんどい間にも、ちょこちょこと記事を読んだり調べたりしながら、飽きずに呆れたり怒ったり。


で、ずっと考えてたのが『民意』ってなんやろってこと。


わたしらが敵やと思てる相手が、一番厄介やと恐れてることはなんやろってこと。


巨大なシステムっていうてるけど、それかて人間が作ったもんなんやから、敵わんに決まってるなんてことはなくて、必ず穴の開けどころがある。


東京新聞が報道した記事によると、
『米国が、「エネルギー政策をどのように変えるかは、日本の主権的な判断の問題だ」としながら、
「プルトニウムの蓄積は、国際安全保障のリスクにつながる」などとして、日本が示した「原発ゼロ」について強い懸念を示した』らしい。
けど、そういうことを言いながら、これが米国からの外圧やと思われんよう隠してほしい、とも言うたらしい。

原発狂本部(米軍と財閥)が一番恐れてるもの。それは、日本市民がほんまのことを知ること。
知って、それに対して怒り、行動に示すこと。


わたしは、その行動について考える。
デモ、署名、抗議文、国際社会への訴え、抗議集会などなど。


でも、まずわたしら市民が、わたしらの暮らしの中でせなあかんことは、今、この今、傷つけられてる、健康を冒されてる未来を守ることちゃうやろか。


だいぶ時間が経ってしもた。
福島だけやない、近辺の県の、汚染量の高い場所で今も暮らし続けてる子どもらが、吸うたり食べたりした放射能物質の量は、
前回重大事故を起こしたチェルノブイリで、現実を見てきた学者から言わせると、とんでもないほどに多い。
反応が早い子から、症状になって現れ出してる。

とにかく、一刻も早く、子ども達にできるだけ負担の少ない方法での集団疎開を実現させるよう、国に圧力をかけなあかん。
そして、全国のきめ細かい汚染地図の作成。
個人や有志で、一所懸命測ってくれてはるけど、それには限りがある。
国は絶対にしようとせん。しても、でたらめの数字を並べる。
これも市民でないとできひん抗議。

政治家にお願いしたり、期待したりするのも、ええような悪いような……あてにはできん、という思いが拭えん。
投票率が、いきなり8割を超える、みたいな奇跡も期待できん。
なんせ、今だに、事故はもうええんでしょ?と思い込んでる能天気な人がウジャウジャいるらしいし。

ならば、そんな人も全員巻き込んでまう『原発国民投票』、これを一回やってしまうしかないと思う。
『国民投票』ができるほど、日本は成熟してないとか、逆に利用されてしまうとか、いろいろ言われてるけど、
実際、確かに、そうかもしれんくて、初回は原発ええやん、になってしもたり、また最後のとこで、却下されたりするかもしれんけど、
国民投票って、一回ぽっきりちゃうねんで。
デモと一緒やん。
最初はショボくても、何回も何回もやっていくねん。
やるたんびに、民意がちょっとずつでも変化していくのを、見守るぐらいの肝っ玉でやったらええねん。
そうやって、民意がボワ~ンと膨らんで、国を丸ごと包み込んでしまうのが恐いねんから、あいつらは。
あの、偉そうに、大国ぶってるアメリカでさえ、一番恐れてるのは、日本の市民の思いが集まってデカくなることやねんから。

でも、とにかく今、日本っちゅう国の未来を残すために、即刻せなあかんことは、
*汚染地区の子どもを、ホットスポット近辺も含めて、一刻も早く疎開させてあげること。
*それから、全国のきめ細やかな汚染マップの作成。

以上、きれいな紅葉観ながら、ヨレヨレのおばちゃんが、ヨレヨレの頭で考えたことでした。
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ラジオ聞いてひっくり返った。放射能に負けない子供になろうって、教育委員会が呼びかけているんだもの

2012年10月18日 | 日本とわたし
中下大樹さんとおっしゃる、超宗派寺院ネットワーク「寺ネット・サンガ」の代表であり、
「いのち」をキーワードにした、様々な活動を行い、現在、在宅ホスピスケアに関わりつつ、
自殺問題や貧困問題にも関わり、さらに明治大学等、幾つかの大学や学校で非常勤講師も兼務しておられる、超多忙なお坊さまのブログ、
中下大樹のブログに、福島の方々の生の声が載せられていました。
中下さんは、普段から、福島の方々の生の声を聞き、それを140文字にまとめて、ツィートで流してくださっています。

ここに、紹介させていただきます。

↓以下、転載はじめ

福島で必死に生きる人々の生の声を、了承を得た方のみですが、ツィッターで呟いています。

福島県民200万人の中のごくわずかに過ぎませんが……。

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福島市の仮設・80代の女性
除染なんて、私達が若いころ(戦時中)、強制的に竹やりを持たされて、鬼畜米兵と言わされていたのと本質的には同じ。
小手先だけの対応で、何の意味もないことは皆、分かっている。
でもそれを声に出すと、非難される。
同調圧力だよ。


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南相馬市60代男性
自宅一軒、竹中工務店に、560万円で除染を依頼し、現場の下請けはピンハネされまくって、70万円で作業をする。
末端の作業員は、日当約8千円。
除染が終了したら、仕事がなくなるから、皆、いい加減な仕事しかしない。
それで雇用が確保され、経済が回る。
それが除染ビジネスの実態。


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いわき市仮設60代男性
原発で、30年働いてきた。
でも今は、被曝して働けない体。
人は、目の前の現実が辛いと、現実逃避するんだ。
将来の事なんて、意図的に考えないようにしている。
酒を飲んで、カラオケを歌って、気晴らしをするけど、いい年したオヤジが何やっているんだろう?と思って、情けなくなる。


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いわき市仮設60代男性
どうしたら原発が止められるかって?
そんなこと簡単だ。
もう一回、どっかの原発が爆発して、土地が汚染され、人が住めなくならない、と原発を止めることは無理じゃないのか?
アメリカ・財界・官僚が、政治家に圧力をかけている構造も、問題だがな。


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大熊出身・福島の仮設入っている70代Aさん
冬に出稼ぎに行かずに、安定した暮らしを得る為、子供や孫と、同じ場所でずっと暮らすために、俺たちは原発を受け入れた。
豊かな暮らし、安定成長を求めて、原発を受け入れた。
そして、そこで俺は、ずっと働いてきた。
それがこんな事になるなんて……。

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いわき市仮設70代男性
被災者と言っても、状況は皆、違う。
家族が死んだ・家族が生きている人、仕事を失った人・仕事がある人、家を流された人・家がある人、帰る場所がある人・帰る場所がない人、カネがある人・カネがない人……。
確かな事は、震災前からあった格差が今、露呈しているという事。


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南相馬市50代女性
私は最近、放射能より、人間の方が怖い、と思う時がたくさんあります。
ここ福島では、放射能の話をするだけで、圧力がかかる雰囲気が、一部に蔓延しています。
命がけで、放射能の問題を、意図的に考えないようにしている人がいっぱいいる。
一種の思考停止状態。
それは、自分を守るため?


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福島の仮設・70代男性
原発で、ずっと働いてきた。
しかし、危険な仕事は、下請けに回していた。
山谷や釜ヶ崎のような寄せ場から、労働者が連れてこられていることを、俺達は知っていながら、見て見ぬふりをしていた。
事故が起こった今、改めて考えると、俺も東電と一緒で、加害者なのかもしれない。


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福島・中通り60代男性
ラジオを聞いて、ひっくり返ったよ。
放射能に負けない子供になろう!って、福島県教育委員会が、ラジオで呼びかけているんだもの。
中通りの住民は、被害者、という意識が薄い。
だから教育委員会は、県外に避難した人を、非難するんだ。
もうマスクをしている人も、ほとんどいないよ。


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南相馬市・20代女性
今まで、原発の勉強とか、したことない。
でも、東電の下請け会社で働いている旦那が被曝して、入院してから、やっと目が覚めた。
3.11以降、<誰かが何とかしてくれるだろう・安全だ>と、放射能を浴びまくっても、他人事のように考えていた。
無関心は身を滅ぼすことに、やっと気がついた。


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いわき市仮設・40代女性
仮設で、中高年の男性の自殺が起きた。
明日は我が身……。
でも、生きていればいいことがあるなんて、口が裂けても、子供達には言えない。
明るい未来なんて、ここ福島では、絶対にありえない。
普通に生きて、当たり前に暮らせることが、こんなにも難しいことなんて、思わなかった。


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南相馬市・20代女性
友達の女の子が、中絶をしたという話を聞くたびに、私も、子供はムリって思ってしまう。
旦那や姑は、子供が欲しいみたいだけど、もう福島では、子供を育てられない。
線量計で自宅周辺を図ると、ビックリするよ。
子供を産んでも、どうせ外で遊ばせられないから、子供も可哀想だよね。


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南相馬市・20代女性
原発事故以来、国・政治・東電は最悪と、ずっと他者を批判してきた。
でも、良く考えてみると、私は、選挙に一度も行った事はないし、新聞も読まないし、テレビはお笑いだけしか見ないし。
原発近くに住んでいながら、原発の事なんて、全く知ろうとも思わなかった。
今思うと恥ずかしい。


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(大熊出身)会津若松仮設住宅・60代男性
さあ考えてみて。
仕事もカネも産業も、何もないただの田舎町が、原発を誘致することによって、莫大な恩恵が手に入るんだよ。
目の前にニンジンをぶら下げられて、それを断れる人が、どれだけいると思う?
カネで動かない人間もいると思うけど、全体の中の一握りだろ。


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福島の仮設住宅・50代男性
仙台に行った。
全国から、建築関係者が集まり、復興バブルのような状態になっている。
儲かってしょうがないって、飲み屋で言っている、経営者のような人がいたけど、
心ではそう思っていても、言葉に出してほしくないね。
だって、ここ東北では、相当な数の人間が、死んでいるんだよ。


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福島の仮設・50代男性
知人の男性が2名、ここ数カ月で自殺したよ。
男は、仕事や家族を失うと、本当に弱い。
今まで、名刺の肩書きだけで勝負してきたのに、3.11を機に、ゼロになってしまった。
俺も、今は無職。
仮設の集会所で、サロンとかをやっているけど、大の男が、一人で参加できると思うか?


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福島の仮設・20代女性
子どもがいるので、被ばくについて勉強したいと思い、県内の講演会等に行くようにしている。
しかし、偉い先生の講演会は、「放射線量はほとんどゼロ」「内部被ばくなどない」「福島は大丈夫」ばかり。
正確な情報が、手に入らない。
それを声に出すと、さらに非難される。


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(大熊出身)会津の仮設・60代男性
もう覚悟はできている。
瓦礫の処分場は、原発周辺の地域にするしかないだろ。
だって、もう人が住めないんだから。
除染なんかする金があるんだったら、原発周辺の土地を買い上げて、そこに瓦礫処分場を作ったらいい。
地元住民は、誰も、大熊に帰れると思っていないもの。


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南相馬市・50代男性
東電や国のやり方は、最低だ。
人を人とも思っていない。
でも、俺も、今までずっと、東電にぶら下がり、国に依存して生きてきた。
一番悪いのは、俺の主体性のない生き方だ。
思考停止に陥り、今さえ良ければいい、自分さえ儲かればそれでいいと、臭いものには蓋をしてずっと生きてきた。


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福島の仮設・70代男性
若い世代にとっては、福島から逃げるのが、一番の選択肢じゃないか?
未来のある若者には、是非逃げてほしい。
しかし、俺達のような年寄りは、今更逃げてもねぇ。
生まれ育った故郷で、死ぬまで暮らしたい。
でも、それは自分で決めたこと。
どうなっても、覚悟を決めているよ。


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福島・新潟(柏崎)・栃木を訪れる中で、私はたくさんの方からお話を聞かせていただきました。

了解を得た方のみですが、その切実な声を、ツイッターで呟いています。

福島・新潟(柏崎)・栃木の限られた方の限られた声に過ぎません。
私は、福島や柏崎、栃木で、数百名の人々と出会いましたが、
その声を聞いたぐらいで、原発問題を語るなんて、「おこがましい」と私は考えています。

しかし、原発で働く人、放射線量の高い地域で生活せざるをえない方々、そして、原発を推進する側の方々など、
原発に関係する当事者の声を聞かずして、自分の頭であれこれ原発について考えていても、現状は何も変わりません。

まずは、「当事者」の話を、丁寧に聞いていく。
そして、その言葉を、真摯にしっかりと受け止めた上で、自分に何が出来るか?
それを考えることが、今、一番大事なことのように、私は思っています。

以下、少し長いですが、ご興味のある方は、どうぞご覧ください。

ツイッターでの呟きは、今、改めて読み返すと、表現としてどうかな?と思う個所もあります。
しかし、当事者から、リアルなお話をお聞きした「その時の私の感情」を表現するものとして、見ていただければ幸いです。

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福島の仮設・中学生男子の言葉が忘れがたい。
津波が引いて、母親と自宅に戻った。
一階部分はほぼ壊滅。
二階の自分の部屋のベットの下に、エロ本を隠してあったけど、部屋中に散乱していた。
それを母親に咎められ、思わず「俺のじゃない!」と言ってしまった。
エロ本を回収できなかった事は、二次被害だ!


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福島に行って、いろいろな方々からお話をお聞きする。
「原発事故が起こったのだから、即刻、原発は廃炉にすべき!」という声もある一方、
「原発を動かしてもらわないと困る・生活できない!」という声も一定数ある。
かつて、福島第一原発だけで、1万人を超える雇用が発生していたと聞く。
問題は、非常に根深い。

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いわき市の仮設60代女性
原発事故が起こってしまった以上、もう原発は廃炉にすべきでしょう。
だが、旦那も息子も、ずっと原発で働いてきたから、急に他の仕事をすることは出来ない。
原発に代わる産業があればいいいけど、現実は難しい。
結局、原発に依存している、と言われれば、それまでなんだけど。


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いわき市仮設60代男性
国は、国策として、原子力を推進してきたんだから、事故が起こってしまった以上、その責任をどう取るか?を議論する必要がある。
でも、自民党の総裁選挙でも、原発問題は、ほとんど議論されなかったでしょう。
尖閣や竹島問題も大事だけど。
結局、日本は、本質的に何も変わっていない。


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いわき市40代男性
結局、人間は、自分さえよければそれで良い、という我がままな生き物。
原発をゼロにするのは、事故が起こった今、正論だと思うよ。
でもね、福島県内の田舎に、住んでみたらいい。
仕事なんてないから。
柏崎刈羽原発でもどこでも、俺は家族を養うため、原発で働くよ。
それしかできないから。


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いわき市仮設60代男性
何十年も、ずっと原発で働いてきた。
俺は、ただ家族と、一緒に幸せに、暮らしたかっただけなんだ。
事故が起こった今でも、原発の仕事で、俺は飯を食っている。
でも、他の仕事がないもの。
原発がゼロになったら、俺みたいな連中は、どうなるんだろ?
他の仕事なんて、したことないし。


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福島の仮設住宅に住む20代女性
マスクをしていると、お前は神経質だ、気にし過ぎだ、と周囲の人たちに言われる。
それが嫌で、マスクを意図的に外している。
でも、内心は、不安で不安で仕方がない。
でも、それを声に出すと、批判される。
私はどうすればいいの?
同調圧力が、ここ福島では蔓延している。


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福島の原発作業員
原発反対と言う人は、福島に来て、一度は、原発作業員として働いてみたらいい。
日本中の原発を、全て無くすにしても、莫大な労力が必要なんだよ。
原発廃炉を希望する人達は、自分がその作業をやる!だから廃炉!と言う人はいるの?
結局、俺達、末端の作業員にやらせるんだろ。


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新潟県柏崎市の、お寺のご門徒(原発作業員)
ここ柏崎・刈羽原発が爆発する時は、日本が終わる時。
その時は、皆死ぬ。
中越沖地震の時は、煙が出てヤバかったけど


よくそんなこと言えますね。
ご門徒
だって、もう何十年もずっと、原発をやってきたんだよ。今更、やめられる訳がない。


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新潟県柏崎市(柏崎・刈羽原発から8キロの地点)のお寺のご門徒さん
本音を言えば、柏崎・刈羽原発を、早く動かしてほしんだよね。
この地域は、もともと過疎で、数十年後には、人がもう誰も住んでいないのでは?
稼げるうちに稼いでおきたい、と言うのが本音。
先の事なんて、誰も分からないしね。


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福島在住の方
福島での学校生活は、二者択一の連続です。
歩いて登校する⇔車で登校する、マスクをつける⇔つけない、給食を食べる⇔食べない、プールに入る⇔入らない……。
こうした選択を、いつも迫られます。


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福島の方
国が、住民を避難させないor住民が避難しないことを、出発点にして検討される<安全基準>、各種政策……。
結果・結論ありきで、逆算される事柄は、科学的でも何でもない。
モニタニングポスト周辺を、意図的に除染し、汚染の数値を操作していることを、日本中の人に、もっと知ってほしい。


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福島で起こっている対立は、まさに日本社会の象徴。
「放射能汚染は克服できる」⇔「放射能は人間の手に負えない」 
「除染すれば……我慢すれば住める程度の汚染」⇔「取り返しのつかないほど汚染されてしまっている」 
「頑張ろう」「負けない」「応援」⇔それらの言語に対する違和感の言語化。
 

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福島県在住の方
福島県全体を俯瞰的にみると、県民の7~8割程度は、既に諦めムード。
今更、考えても無駄だし、気にしてもしょうがないよ……。
そして、無関心層が、どんどん増加している。
<分断><対立>を作っているのは、福島県民の2~3割程度か。
選挙の無党派層と、構造は似ている。


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福島在住の方
原発事故が起きて、急に国が、1ミリシーベルト→20ミリシーベルトまで浴びても大丈夫、と言い出したのは、
福島の子供を県外に避難させれば、親も付いていく→福島の人口が減ることを恐れた→福島の親を足止めさせるために、子供の被曝線量限度を引き上げた。
これが、分断に繋がった。


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福島在住の方
福島では、<避難した子供たち>と<そうでない子供たち>、さらに、それぞれ内部での<分断>が起こっている。
問題は、単なる分断ではなく、その分断を前提に、<対立>させられていること=つながれない福島。

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福島大学の教員
去年5月に、除染を開始した頃には、<市民の不安を煽るからやめろ>と言われた。
去年11月に、除染の限界を語った時には、<復興の流れに水を差すな>と言われた。
反応の違いは、原発事故による汚染・健康被害の程度をめぐる、評価の違いを背景としている。


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「何故、福島の問題に、無関心でいられるのでしょうか?」と、福島在住の方が、涙ながらに、東京在住の私に訴える。
皆、自分の生活を守るだけで精一杯。
福島の問題は、大変な問題だと分かっていても、なかなか、「自分の問題」として認識することは難しい。
しかし、東京も既に、かなり汚染されている……。


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南相馬から福島に避難中の主婦
東電が、水素爆発の時の映像を、公開したでしょ。
テレビで見ていて、涙が止まらない。
空は今でも、こんなに綺麗なのに、原発が爆発してから、放射性物質が飛びかっている空になってしまった。
私が生きている間は、もう二度と、元の綺麗な福島の空にはならない。


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福島県郡山市在住・主婦
郡山で、線量を気にする人は、既に、県外に避難している。
避難したくても出来ない、私のような人達は、大きく2つに分けられる。
子供を、体育の授業(校庭で行う)に参加させる人・させない人。
私の子供のクラスでは、去年、5名が体育を欠席。
今年は、3名が欠席。
徐々に、前者(参加させる人)が増えてきている。


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栃木(那須塩原)在住・主婦
栃木県は、年間5ミリまでは浴びてもOK、と決まった。
結局は、賠償のお金の問題。
被曝は、偉い先生次第で、どうにでも操作できる。
栃木でも線量は高いけど、人々によって、全く対応が違う。
気にしすぎだ⇔イヤ、かなりやばいよ、という二つの声が、互いに批判を繰り返している。


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郡山市・主婦
市内の学校は、その学校の校長判断で、全く環境が異なる。
我が子が通う学校は、除染しても0.4。
夏のプールに入る・入らないは、親と子供の判断で選択。
別の学校では、除染自体が間に合わず、まだプール開きさえ出来ていない。
給食を食べる食べない、体育に参加・不参加も、全て自己判断。


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郡山市・主婦
ここでは、福島県産の野菜と県外の野菜が、同じスーパーで、別々の場所で売られている。
県外の野菜は、県内の野菜の約2倍。
放射能の影響を気にする人は、県外の野菜を買うが、経済的に余裕がないと、買い続けることはムリ。
県内のタケノコは、問題ないと言われていたが、100ベクレル検出された。


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「人口も仕事も増え、町は潤った。原発反対を叫ぶ人は、町の発展の邪魔をしているとしか思えなかった」

2012年10月18日 | 日本とわたし
河北新報が、掲載してくれてはる、『神話の果てに』東北から問う原子力というコラムがある。
わたしはそのコラムを、昨日見つけて、まとめ読みしてる。

原発が建設される。
そのことが、どれだけその地域に変化を与えるか。
恩恵という名のもとに、どれほど破壊していくか。
そのことが、実に、事細かに調べられ、取材され、淡々と書かれてる。

ほんまに、人間の世に、存在したらあかんもんやった。

しみじみと考え、ふつふつとわいてくる怒りとともに、その、ほんの一部を、ここに載せさせてもらう。
どうか、みなさんも、河北新報が伝えようとしてくれてはる真実を、時間を作って読んでみてください。

↓以下、転載はじめ

第5部・原発のまち (2)繁栄/特需で変貌、所得急増 2012年10月17日水曜日


建設中の福島第1原発。多くの労働者が集まり地元は活気づいた=1968年6月

<食材まとめ買い>

1964~65年ごろのことだという。
福島県大熊町議会の議長や町商工会長を務め、現在、会津若松市の仮設住宅で暮らす川井利治さん(78)が、
「初めて、原発の恩恵を感じた」と言う、出来事があった。
 
ある日、川井さんが経営する鮮魚店には不似合いな、黒塗りの高級車がやってきた。
店に入ってきた女性は、20人分の魚を、まとめ買いしていった。
女性は、福島第1原発を計画していた、東京電力の現地事務所で、食事の世話をしていた。
黒塗りの車は、商店街の青果店や食肉店にも止まり、その都度、大量の食材を買い込んでいったという。
 
大熊町に立地した、1号機の着工は、67年のこと。
町には、ゼネコンの作業員宿舎が続々と建ち、最大で1日数千人が、工事現場で働く、「原発特需」が始まった。
町内にあった、20軒ほどの飲み屋は連日、満員御礼。
200メートルほどの長さの小さな商店街に、酒屋が4軒並んだ。
 
川井さんの店は、自動三輪車を購入し、ほどなく日産ダットサンに買い替えた。
「仕入れが3倍、4倍と増え、車がなければ運べなくなった」
毎朝、背中にかごを担いで、常磐線に乗り、いわき市まで仕入れに行っていたのが、うそのようだった。


<仕事求めて流入>
 
「巨大産業」が突然出現した、大熊町の変貌ぶりは、数字にくっきり表れる。
 
原発建設前の65年、平均所得は、年間11万1000円(県平均15万7000円)で、福島県内で、下から7番目。
原発稼働後の80年には、県内トップの、339万4000円に跳ね上がった。
県平均は148万3000円だから、その2倍を超える、裕福な町になった。
 
減少が続いていた人口も、増加に転じた。
65年の7629人で、底を打ち、75年に8190人、80年9296人となり、90年には1万人を超えた。
 
ほぼ、「通年出稼ぎ」の町だったのに、若者が定着し、仕事を求める人が流入する地域になった。
名古屋市で、事務機の営業マンをしていた志賀広三さん(75)=いわき市出身=は、65年春、大野駅前で、事務機器販売会社を立ち上げた。
「原発や東電関連会社から、仕事をもらえるだろう」と当て込んだからだ。
初めは、地元の学校に、筆記具を納入する程度だったが、稼働が近づくにつれ、原発から、大きな注文も舞い込むようになった。
最盛期には、年間十数億円を売り上げるまでに成長した。
志賀さんは、「最初は苦労したが、働けば働くほど報われた。原発は金のなる木だった」と語る。


<米事故 影響せず>
 
大熊町に建設されたのは、福島第1原発の1~4号機。
運転開始は、71年の1号機を皮切りに、74、76、78年と続いた。
1号機の着工(67年)から数えると、工事期間は、10年以上に及ぶ。
経済効果は計り知れず、小さな町が、「原発依存」に染まるのも、当然だった。
 
4号機が運転を開始して、約半年後の79年3月、米国で、スリーマイル島原発事故が起きた。
32年後の、福島第1原発事故と同様に、炉心溶融(メルトダウン)を伴う、過酷事故だった。
世界を震撼(しんかん)させた、最初の原発事故だったが、それでも、町民の意識には、さして影響しなかった。
鮮魚店から仕出し料理に商売を広げ、順調に利益を上げていた川井さんが、振り返る。
 
「人口も仕事も増え、町は潤った。原発反対を叫ぶ人は、町の発展の邪魔をしている、としか思えなかった」


◇福島第1原発建設と主な動き

1961年 東電が大熊、双葉両町を原発建設の最適地と判断
    大熊商工会設立
 64年 東京オリンピック開催
    東電が福島調査所を開設
 65年 大熊町商業協同組合設立
    いざなぎ景気始まる
 67年 第1原発1号機着工
 71年 第1原発1号機が営業運転開始
 72年 大野駅に初めて特急が停車
 73年 双葉駅に初めて特急が停車
 78年 大熊町の新庁舎落成
 83年 双葉町の役場庁舎落成


↑以上、転載おわり



超過疎の村で暮らしていたことがある。
その12年半の間に、原発とは比べ物にならないほどの規模にせよ、その村と、近辺の村にとっては大きな物が、侵入しようと話をもちかけてきた。
産廃業者やった。
農家がほとんどの村やったから、当然、はじめは皆、絶対反対!と声を上げた。
ところが、何回か村民会議や、秘密会議が行われていくうちに、声はだんだんと小そうなっていって、
挙げ句の果てに、その当時村長をやってた男が、自分の判断で、立地の許可を出してしもた。

住民2千人あまりの、三つの県境を持つ村やった。
古い風習がいっぱい残ってて、貧しかったけど、家の窓から見える山々の風景と水と空気は、心を清めてくれた。

そやから、なんとなくではあっても、原発というバケモンが放つ強烈な、贅沢できまっせ~ホルモンに取り込まれてしまう現実が見える。
その強烈さにも負けず、バケモンをバケモンと認識できる強い意思を持った人間が、取り込まれた人間に負かされていく現実も見える。

原発は、電気を作るっちゅうのを隠れ蓑にした、軍の道具。
軍もない、しかも地震が世界一頻繁に起こる国を、ぐるりと囲むように建てられた原発は、
今や、その国だけではない、地球自体を破滅に追い込む凶器となった。

誰や!こんな日本にしてしもたんは!
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千葉県北西部と茨城県南部の土壌放射能汚染マップの恐怖!千葉県我孫子市では最高76万7千ベクレル!

2012年10月18日 | 日本とわたし
↓以下、転載はじめ

千葉県北西部と茨城県南部の土壌放射能汚染マップの恐怖!-千葉県我孫子市では最高76万7000ベクレル!

千葉県柏市南部で最高39万ベクレル!

常総生協が9月26日に、千葉県北西部、茨城県南部の、放射性セシウム土壌沈着結果のマップを公開した。

このマップは、各市町を、1平方メートルのメッシュに区切って、そこからサンプルの土壌を採取し、
放射性セシウムの濃度を、計測したものである。

これによると、千葉県我孫子市には、最高で、76万ベクレル/㎡の地点が存在することが、明らかとなっている。





詳細資料によると、767,435ベクレル/㎡であり、その地点は「我孫子市寿2」となっている。


放射性セシウム土壌汚染ワーストランキング


今回の調査によって、放射性セシウムの土壌汚染が酷かった地点は、以下のようになっている。

1位:我孫子市寿2(76万7,435ベクレル/㎡)
2位:我孫子市青山××(65万6,065ベクレル/㎡)
3位:流山市加 南部中学校体育館横県道歩道(61万7,439ベクレル/㎡)
4位:流山市芝崎1××(40万2,080/ベクレル/㎡)
5位:柏市南増尾8-××(39万465ベクレル/㎡)





1位となった、我孫子市寿2の「年間被ばく量」は、20.39ミリグレイになるとしている。

その地点にずっと立っているわけではないので、この数字ほど被ばくをするというわけではないが、驚くべき数字だ。

その土地で生活をした場合の生活被ばく量は、12.23ミリグレイとになる。


チェルノブイリなら強制移住レベル
この土壌汚染がどのくらいのレベルなのかチェルノブイリの避難基準と比較してみよう。

チェルノブイリでは、1平方メートルあたりの放射能汚染度(セシウム137)が、
148万ベクレル以上は「強制避難」、
55万5000~148万ベクレルは「強制移住」、
18万5000~55万5000ベクレルは「希望者は移住を認める」、
3万7000~18万5000ベクレルは「放射能管理が必要なエリア」
となっていた。
(参考:福島市の土壌汚染はチェルノブイリ移住レベル)

1位の「我孫子市寿2」、2位の「我孫子市青山××」、3位の「流山市加 南部中学校体育館横県道歩道」「強制移住」レベルとなる。

4位以下でも「希望者は移住を認める」というレベルになる。

千葉県北西部、茨城県南部に関しては、自治体や市民団体だけではなく、再調査も含め、国レベルで対策が必要なのではないだろうか。

↑以上、転載おわり


知っといてください。
知っといた上で、もし、上記の土地に住んではるなら、考えて、決めてください。
ただ、このとんでもない汚染は、千葉の北西部や茨城県南部に限ってるのやろか……そう思います。
国が測らんと有耶無耶にしようとしてるんですよ、国が。
とんでもない事実が隠されてると思います。
国が有耶無耶にしようとしてるほどの、とんでもないことが。
楽観するのもあきらめるのも、それはそれぞれの考え方やと思います。
けど、せめて、そこにある事実を、知ろうとしてください。
なんも難しいことではありません。
携帯電話でもパソコンでも、テレビ消して、遊ぶのちょっと減らして調べたら、一所懸命に事実を伝えようとしてる人に出会えます。
人生、国にぶっ壊されとうなかったら、ちょっと真剣に考えてみてください。
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ドイツは日本の原発事故を受けて脱原発を決め、すべての政党の他、国民の80%以上が賛成している

2012年10月18日 | 日本とわたし
あんな深刻で重大な原発事故が起こった後の世の中で、これが至極真っ当なニュースとちゃうのん?

小沢氏と独環境相 脱原発で認識一致
【NHKニュース】10月18日 4時53分

『ベルリンを訪問している"国民の生活が第一"の小沢代表は17日、ドイツのアルトマイヤー環境相と会談し、
東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、再生可能エネルギーの導入を推進することで、
脱原発を速やかに実現する必要がある、という認識で一致
しました。

会談の中で、アルトマイヤー環境相は、
ドイツは、日本の原発事故を受けて、脱原発を決め、すべての政党のほか、国民の80%以上が、それに賛成している」と述べました。
そのうえで、アルトマイヤー環境相は、
再生可能エネルギーの比率を高めることで、新たな投資を増やし、経済力を維持しながら、脱原発を進めている。
風力や太陽光など、あらゆる代替エネルギーの開発に、今後も取り組みたい」と述べました。

これに対し小沢代表は、
「ドイツのように『原発を10年後になくす』と、期限を区切って主張しているのは、わが党だけで残念だが、
原発事故の当事国として、脱原発を実現したい」と述べ、
再生可能エネルギーの導入を推進することで、脱原発を、速やかに実現する必要がある、という認識で一致しました。
会談のあと、小沢氏は記者団に対し、
「福島の原発事故を抱える日本が、率先して、脱原発に取り組んでいくべきであり、この主張をさらに、日本国民に広めていきたい」と述べました』


↓以下の記事は、去年の3月16日に書かれたものでした。
それを、なんとわたしは、現在のものやと勘違いして、ここに載せてしまいました。
なので、下記のコメントも、勘違いして書いたものです。
あまりに見事な断念っぷりに、思わず胸が踊り……、
でも、よう考えたら、そういやこのニュース、まだ事故のショックの真っただ中にいながら、読んだ覚えがあるなあと、思い出しました。

すんません。紛らわしいことして。


上の、小沢さんの記事は、正真正銘、ホッカホカの、現在進行形のニュースです。

タイ副首相、原発導入断念を明言 「国民を危険にさらしたくない」 
【newsclip.be】2011/3/16 (16:39)|

【タイ】
『タイのステープ副首相は16日、同国の原子力発電所導入計画に関する、記者団の質問に対し、
「断念した。国民を危険にさらしたくない」と明言した。

また、福島第1原子力発電所の事故で、タイに放射性物質が飛来する可能性は、きわめて低いとして、国民に、冷静な対応を求めた。
日本からの輸入食品については、安全確保に向け、対策をとる考えを示した。

タイは、2021-2022年に、出力1000メガワットの原発2基を、稼働をする計画で、
中国の国営原子力発電会社である、中国広東核電集団(CGNPC)、日本原子力発電などと、技術協力協定を結び、事業化調査を進めていた。
しかし、福島第1の事故を受け、アピシット首相が、推進に消極的な姿勢を示し、原発建設候補地では、住民による反対運動が起きていた


とまあ、わたしが勘違いして載せたこの記事、去年の3月の中旬のもんやったんですが、
そういや、ちょっと前に、タイの、住民による反対運動が起こった時、政府はなにしたかっていうと、そりゃもう、けっこう酷い攻撃をして、ひとり、亡くならはったんです。
それぐらい、身体的にダメージを与えるようなことしたんです。

それを覚えてたから、余計に感心して、そうか、ああいうことして悪かった思て、改心しはったんやな、と思たりしました。
そしたら、タイ在住の友人が、ちょっとちょっと、それ、古いニュースやで!と、教えてくれました?!
ぎょえ~!!

友人が教えてくれた、ただいまのタイの様子というと……、

『残念ですが、その副首相はもぉ、いらっしゃいません。
てか、昨年の春に政権が変わったから、方向転換しています。
今、言ったことでも政権交代後は……、どの国でも同じこと。
この国の王様がご健在で、反対されれば別ですけれども、
何せ高齢で、跡を継ぐ人は、政権に添って行かれる方なので、自ずと、
しかも、カンボジアの原発導入を検討しているされる予定地は、
タイ国境から、100kと離れていないとか……。
これからアジアは、原発銀座が出来る兆し。
おぉ怖い。
適当なアジア情報でした』

なんちゅうこっちゃ……断念どころやないがな……。


さて、小沢さん。
わたし、うちの母が、この人がテレビ画面に映るたびに、
「あ、嫌らしっ!嫌い!この顔!」って言うて、プツッとテレビを消してしまうほどの嫌いっぷりやったり、
実際、新聞やら週刊誌やらに載る彼の顔は、どっから見ても人好きのするようなもんと違たりして、
たったそれだけのことで、どうしても好きになれんと、それが高じて、やってることも気に入らんようになったり……。
それが、マスコミと、小沢さんを煙たがってる官僚やら財閥の仕組んだ洗脳大作戦やったんやと気づいてからは、
ユーストリームやらでしゃべってはる彼の、なんとまあ、温厚な、よう笑うお人やことと……。

わたしって、信じやすい人間やって、旦那からよう言われてきたけど、洗脳までされてたとは思てへんかったから、ちょっとショック。

まあ、それはともかくとして、タイの副首相、小沢さん、言うたこと、途中で変えたら許しませんで!
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米や肉はまだ、経過措置として500Bq/kgまでなら出荷してもいいんだよ!知ってた?byかずぽん

2012年10月17日 | 日本とわたし
かずぽんさん、ありがとう!
知らんかったからびっくりして、もしかしたら、わたしみたいに知らん人がいはったら思て、大急ぎでここに載っけさしてもらいます!

↓以下、転載はじめ

9月27日
米や肉はまだ、経過措置として500ベクレル/kgまでなら出荷してもいいんだよ!知ってた? 9月27日

意外と知らない人がたくさん居るみたいなので、再度紹介

実は、
今年の9/30までは500ベクレル/kgまで、経過措置期間として出荷してよかったんです。米も肉も。

肉・米は9/30までに加工してあれば、更にその後も出荷してもイイんです!

暫定基準値=以前の500Bq/kg
新基準値=4月から施行の100Bq/kg

食品放射能経過措置
 
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001yw1j-att/2r9852000001ywdv.pdf 

だって、全然報道されないもんね、知らない人も居て当然だよね。

知らない人に教えてあげて。


↑以上、転載おわり


これ、全然報道されてへんて、ほんまですか?
ほんまのほんまに、全然報道されてへんのですか?
で、この記事の意味、わかりますか?
この数字の意味、わかりますか?
ほんで、それが、お米や肉の数字で、9/30までに加工してあったら、更にその後も出荷可能っちゅう意味、わかりますか?

これはほんの一部。
そら、こんなことコソコソしとったら、誰も信用できひんよね。
わたしは事故後、大好物やった煎餅やおかきを、食べんことにしました。
日本の、米どころの、こっちで買うたら日本の倍近くするお煎餅やかき餅を、たま~に買うて、ご褒美に食べるのが楽しみで楽しみで。
けど、やめました。
風評被害?
そんなこと言わんといてほしいわ。
政府のすっとこどっこいが、まともに取り組まんから、農家の人達かてどないしたらええんか途方に暮れてるやん。
検査もええ加減。測定もええ加減。措置もええ加減。なにもかもええ加減なまま、うだうだと時間稼ぎして、
思い余ったそれぞれの町や村の住民らが、素人なりに判断したり、手配したりして、自分らのお金を費やして必死で頑張っても、
それをきちんと伝える報道屋もおらん、それを支援する政治屋もおらんに近いほど少ない、
そんなんで、どないして、まともなもんが世の中に出回る?
無理に決まってるやん。

で、おまけにこれ。
いったいどんだけ、放射能汚染を広げるのに成功したか……。

もう、徹底的に、容赦なく拒否するしか、身を守るため、政府に気づかせるための方法が無いんとちゃうの?

知らん人に、どんどん教えたってください!
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日本にいる人は、もっと正確な情報を、知る必要があります!

2012年10月16日 | 日本とわたし
この記事は、先日掲載された後、すぐさま削除されてもう読めへんようになった。
以前は、ありゃ~消されてるがな~と、びっくりしてあきらめるしかなかったんやけど、
賢い人がいるもんで、ウェブ魚拓っちゅう方法を考え出してくれて、消されても読めるようになった。

だいたい、消したりしたら余計読みたいやん。
なんで消さなあかんのかって疑わしなるやん。
いったいこの記事が、読まれて困るのはどこのどいつやねん?て、ついつい思てしまうやん。

ということで、魚拓記事を読んでみた。
ふむふむ……。
別に、さして新しいことが書かれてるわけでもない。
今じゃすっかりゴミ扱いされて、マスゴミと呼ばれてる日本の報道の状態を書いたもんやけど、
まあでも、外から見たってことで、意味があるってことなんやろなあ……。
けどね、このニューヨーク・タイムズかて、キチガイ軍と財閥の希望で、戦争!戦争!戦争!て大騒ぎしてた時、
ひとっ言も意見できんかったし、ほんまのこと伝えんかったし、TM事故の時かて多分、政府や原発マフィアの言うままやったと思う。
そやし、「おまえが言うな!」と言いとうなるけど、一応、記事の中で反省してはったので、まあ許しといたります。

『9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした』

ということで、わたしなんかが言うても誰もとりあげてくれんのやし、内容的には大賛成やから、ここに載せておきますね。
で、魚拓をそのまんま魚拓するんやから、これって違反ちゃいますやんね~


外国人ジャーナリストが驚いた日本メディアの惨状
ニューヨーク・タイムズ東京支局長のマーティン・ファクラー氏に、話を聞いた。
大メディアに対する同氏の批評は、辛らつだ。
「取材源との距離が近すぎ、監視役としての役目を果たしていない」
「ダブルスタンダードで、自国の暗い面は報道しない」と指摘する。

――日本社会は非常に排他的で、属さない人を排除する――と言われてきました。
記者クラブも、そういう排他的な文化の一つの面だと思います。
どう思われますか。


ファクラー:
日本のメディアを見ていて、非常に興味深く思うのは、情報を独占的にコントロールしようとする記者クラブがある一方で、
週刊誌とかタブロイド紙が、非常に元気なことです。
記者クラブは、日本のメディアの保守的な面を表している、と思います。
週刊誌やフリーランス記者、地方紙は、かなり良い仕事をしています。


――朝日新聞や日本経済新聞といった日本の大手新聞と、ニューヨーク・タイムズの最も大きな違いの一つは、世界中の読者に対する影響力です。
世界中の人が、ニューヨーク・タイムズを読みますが、日本の新聞は読みません。
取材先が図る便宜も異なります。
例えばあなたは、トモダチ作戦の時、米軍のヘリに乗る機会を、最初に与えられました。


ファクラー:
最初にそういう機会が与えられたのは、もちろん、私がニューヨーク・タイムズの記者だったからです。
タイム誌の記者も、同乗しました。
同誌も、世界的に影響力を持っています。
確かに、ニューヨーク・タイムズという名前は役に立ちます。
米軍は、アメリカの納税者に対して、こうしたお金を使うことを、正当化しなければなりませんから。


――もしあなたがニューヨーク・タイムズにいなかったら、そういう機会は来なかったでしょうね。
マーティン・ファクラー氏・ニューヨーク・タイムズ東京支局長
1966年生まれ。
イリノイ大学でジャーナリズム修士。
ブルームバーグ、AP通信をへて、ニューヨーク・タイムズ東京支局。
2009年2月から現職。
同支局スタッフは、東日本大震災に関する報道で、ピュリッツァー賞国際報道部門の次点となった。


ファクラー:
そう思います。
世界的に影響力を持つメディアにいる、アドバンテージです。
私はこれまで、ブルームバーグ、AP、ウォールストリート・ジャーナル、ファーイースタン・エコノミック・レビューで仕事をしてきました。
この中で、ニューヨーク・タイムズは、取材先に対する最高のアクセスを与えてくれます。

もちろん、リスクもあります。
トモダチ作戦の取材の場合、米軍の代弁者にはなりたくありませんでした。
ただし、取材先と距離を置くことは、ジャーナリストにとって危険でもあります。
情報を得られなくなる可能性と、背中合わせですから。
これは、アメリカでも日本でも同じです。
常に直面する、チャレンジの一つです。

ニューヨーク・タイムズのように、名声が確立したメディアは、落とし穴や誘惑に、常に注意しなければなりません。
つまり、情報源との関係を維持するために、批判を鈍らせるとか、トーンダウンするとか、その誘惑に負けてはいけません。


日本メディアは、監視役たり得ていない。

――日本のメディアはウォッチドッグ(監視役)としての機能を果たしていると思いますか。

ファクラー:
彼らは、そういう機能を果たすべきだ、という理想を持っていると思いますが、
情報源とこれほど近い関係になると、実行するのはかなり難しいです。

これは、記者クラブだけの問題ではありません。
もっと大きな問題です。
日本の大メディアは、エリートが支配している階級の中に入っているということです。
東大、慶応、早稲田出身で、みんなが同じバックグラウンドと価値観を持っている。
みんな官僚に同情的で、彼らの側に立ってしまう
のです。

3.11の時、この面をはっきり見たと思います。
本当に監視役になっていたのなら、「フクシマは大丈夫だ」「メルトダウンはない」という記事は、書かなかったのではないでしょうか。
もっと厳しい記事が書けたと思います。
それができなかったのは、彼らが、政府と距離を保っていないから
です。

大メディアは、政府と対峙することなく、国民に対峙する報道をした。
私はこの点を、痛烈に批判しました。
大メディアが報道していたことが、間違いだとわかったのは、何カ月も経ってからです。
監視役としてみるなら、日本の大メディアは、落第だったと思います。
でも、メディアを監視役ではなく、システムの一部としてみるなら、起こるべくして起こったことだ
、と言えるでしょう。


――日本経済新聞に対しても批判的ですね。

ファクラー:
オリンパス事件のときに、よくわかりました。

海外メディアでは、ファイナンシャル・タイムズがスクープし、ニューヨーク・タイムズとウォールストリート・ジャーナルがそれに続きました。
その間、日本経済新聞は、何も報道しませんでした。
沈黙です。


その後、マイケル・ウッドフォード元CEOの記事が、小さく出ました。
ウッドフォード氏は、日本の組織文化を理解することができなかった、というような記事でした。
まったくクレージーです。
ビジネス・ジャーナリズムとして、3.11報道と同じくらいの大きな失敗でした。
チャレンジする精神が、まったくありませんでした。



――3.11以降、大メディアに対して、国民も不信感を持ち始めました。

ファクラー:
今、我々は、非常に興味深い時期にいます。
読者は今まで、メディアの言うことを、ほとんど信じていました。
しかし、放射性物質の問題、SPEEDIデータの隠蔽、食料安全の問題について、国民はメディアに対して不信感を覚えたのです。
国民と大メディアの間に、溝が生じ始めたのです。
「大メディアは、国民の側に立っていない」という意識が、国民の間に広がった
と思います。
3.11が、変化の始まりでした。
これほど強い不信感をみたのは、初めて
です。


日本の大メディアはダブルスタンダード

――人種差別に対する、日本メディアのスタンスについてうかがいます。
2010年に、オーバーステイで逮捕されたガーナ人男性が、飛行機で強制送還しようとしたところ暴れたので、
入国管理局の職員が集団で、手錠を使って縛り上げ、無理やり飛行機に乗せました。
その後、このガーナ人男性が、機内で死亡した。
この事件について、日本の大メディアが、人種差別として報道しなかったことを指摘されています。
 
また、東電のOLが、1997年に殺された事件がありました。
犯人とされたネパール人は、やっと最近釈放され、ネパールに強制送還されました。
これも、人種差別でしょうか?


ファクラー:
どの社会も、偏見を持っています。
日本だけに限ったことではありません。
問題はメディアです。
メディアが、そういう観点から報道しないのです。
国民の意識を変えようとする努力が、まったく見られません。
こういう人種的偏見をなくすには、国民の意識を変えることが重要です。

日本のメディアは、ダブルスタンダードに陥っています。
人種偏見に基づく事件が、海外で起きた場合は報じるのに、自国で起きた場合は報じません。
海外で起きた出来事にも、日本国内で起きた事件にも、同じ尺度を当てはめるべきです。
日本のメディアは、ひょっとしたら、みずからが、ダブルスタンダードであることを、意識していないのかもしれません。
本来は、日本社会の暗い面も報道するべきですが、それを隠す傾向にあります。

もっと自分の足で取材して、調査報道をやってほしいと思います。
貧困問題も同じです。
日本の貧困問題は深刻です。
こういう面をきちんと報道しないのは、ジャーナリズムの機能不全です。



――日本のメディアについて、特に変わってほしいと思うのはどの面ですか。

ファクラー:
メディアのスタンスですね。
大メディアは、本当の意味で、監視役の役割を果たすべき時が来ています。
日本にいる人は、もっと正確な情報を、知る必要があります。
今、メディアがやっていることは、明治時代から変わっていません。
日本社会全体にチャレンジするような、代替メディアも生まれていません。
能力はあるのに、とても残念なことです。


3.11以降、非常に良い仕事をした、日本のメディアもあると思います。
「東京新聞」です。
政府と距離を置いて、批判的な記事を書いていました。
地方新聞では、「河北新報」です。
同紙は、政府や東電側ではなく、被災者の立場から報道しました。
震災記録、300日にわたるその記録は、『悲から生をつむぐ』という本にまとめられています。
地方新聞でも、ネットを使えば、グローバルなメディアになります。
「地方」というのは、関係なくなってきます。


良いジャーナリストの条件とは

――ジャーナリストの心構えについて、
“a good journalist needs a sense of moral outrage”
(良いジャーナリストには正義感――悪に対する人間的な怒り――が必要)と主張されています。
これが、最も重要な要素でしょうか。


ファクラー:
個人的なレベルでは、そう思います。
ジャーナリストは、社会のためにやる仕事です。
銀行家になって、お金儲けするのとは違います。
社会を良くしたいから、する仕事です。

ジャーナリストは、少し理想主義者であると同時に、シニカルである必要があります。


――そして、取材対象と、適切な距離を保つことですね。

ファクラー:
これは、本当に重要なことです。
9.11のあと、アメリカでは、メディアが愛国主義的になり、ブッシュ政権を批判しなくなりました。
その結果、イラク戦争に関わる政策ついて、十分な批判ができませんでした。
イラク戦争をとめることができず、戦争の動機についても、十分疑問を呈することができませんでした。


――それでもジャーナリストは、人脈を作り続けないといけません。

ファクラー:
理想的に言えば、尊敬されることが大事です。
良い情報を得るために、自分を売らなければならないのであれば、そのような情報源の存在は、忘れた方がいいです。
日本は、ジャーナリズムの倫理を、少し変えた方がいいと思います。
その方が、尊敬されるようになる。
長い目でみれば、フレンドリーな関係を作ることよりも、尊敬されるようになることが重要です。

↑以上、魚拓の魚拓おわり


で、これがさっさと消されてしもたんやから、日本の大メディアさんは、反省するどころか、もみ消してしまいたい気満々っちゅうことですね。
変わりませんよ、そんな簡単に。
変われるもんなら、もうとっくに変わってる。
東京新聞や河北新報が、必死で、経営を圧迫されながら頑張ってくれてるこれまでの間、ずっとずっと政府とお友達。

政府にも企業にも、それからマスコミにも、期待も希望も全く持たんようになった。
持ってもしょうがないことを、この19ヵ月で思い知った。
署名もした。
嘆願書も書いた。
抗議文も送った。
住民投票や国民投票が、世の中を動かせると信じてた。
ところが、なにを送っても、運動しても、結局上に上がった途端に、ざ~んねんでした!チャンチャン♪となってもみ消されてしまう。
なんで?
それは、日本の法律に、原発を死守するための法律がガチンゴチンに存在してて、どないもこないもしゃあないからやねん!
この法律、どないしたら変えられるん?
誰が変えられるん?
市民のわたしらができる一番の抵抗は、いったいなんやねん?
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「福島は、他人の問題と思っている人が多いと思うが、次はあなたの番だよと言いたい」by 園子温監督

2012年10月16日 | 日本とわたし
園子温監督、映画『希望の国』オフィシャルサイトより引用

*ストーリー
舞台は、東日本大震災から数年後の20XX年、日本、長島県。
酪農を営む小野泰彦は、妻・智恵子と息子・洋一、その妻・いずみと、満ち足りた日々を送っていた。
あの日が来るまでは。
長島県東方沖を襲った、マグニチュード8.3の地震と、それに続く原発事故は、人々の生活をたちまち一変させる。
原発から、半径20キロ圏内が、警戒区域に指定される中、強制的に家を追われる、隣の鈴木家と、
道路ひとつ隔てただけで、避難区域外となる小野家。
だが、泰彦は、かつてこの国で起きた、未曾有の事態を忘れていなかった。
国家はあてにならないと言い、自主的に、洋一夫婦を避難させ、自らはそこに留まる泰彦。
一方、妊娠がわかったいずみは、子を守りたい一心から、放射能への恐怖を募らせていく。

「これは見えない戦争なの。弾もミサイルも見えないけど、そこいらじゅう飛び交ってるの、見えない弾が!」

その頃、避難所で暮らす、鈴木家の息子・ミツルと恋人のヨーコは、消息のつかめないヨーコの家族を探して、
瓦礫に埋もれた海沿いの町を、一歩一歩と歩き続けていた。

やがて、原発は制御不能に陥り、最悪の事態を招いてしまう。
泰彦の家が避難区域となり、強制退避を命じられる日も、刻一刻と迫ってきた。
帰るべき場所を失い、放射能におびえる人々。
終わりなき絶望と不安の先に、果たして、希望の未来はあるのだろうか?



この映画の特別試写会と、園子温監督との討論会の様子を、岩上安身さんが実況ツィートをしてくださいました。

以下は、そのツィートです。

1)
2012年10月16日17時半、
映画『希望の国』特別試写会&園子温監督との討論会」の実況ツイート開始。
ゲストは、園監督、写真家・桃井和馬氏、谷岡郁子議員。
国会議員、多数視聴。
参議院議員会館講堂で、エネシフジャパン主催


2)
映画「希望の国」は、夏八木勲、大谷直子、村上淳、神楽坂恵らが出演。
東日本大震災の数年後、再び起きた巨大地震と津波で、「長島第1原発事故」が発生。
故郷を追われ、人間関係をズタズタにされる人々の、葛藤を表現した映画。

3)
監督
「3.11を無視して、映画を撮っていていいのか、という葛藤があった。
そんな時、南相馬の鈴木さんの家の庭が、20キロ圏内と圏外で、真っ二つに分かれている状況を見た。
この状況を表現した


4)
監督
「昨年12月末に、シナリオを完成した。
原発事故が風化しつつあることに、危惧を覚えた。
再稼動が迫る中、本当は、夏に間に合わせたかった」

5)
谷岡議員
「映画をつくらなきゃという思いは、私が、『法律作らなきゃ』という思いと重なる。
一方で、『終わらない物語』として、課題を抱えてしまっている部分があると思う」

6)
監督
「この映画での僕の取材は、最初は、お役所が紹介してくれる人を取材していたが、
居心地が悪く、役人が後ろに立っているので、取材対象の人も、歯切れが悪かった。
そこで、自分の足で歩いて、取材先を探すことにした」

7)
監督
「そうやって、南相馬の、鈴木さんの庭を見つけた。
ある日、飯館の学校の校庭の桜が、満開だった光景を見て、僕は何ができたんだろうって、
何もかも、大雑把にやってしまったんじゃないだろうかって」

8)
谷岡議員
「監督に感謝したい。
『怖がっちゃいけない』、と言われている人がいる。
映画が出してくれたメッセージ、『怖がるのが当然』
と、現実がよく見えるようにしてくださった。
被災地域以外の人にも、イメージしやすい映画」

9)
桃井氏
「映画を見終わって、5分ぐらい立てなかった。
『タブー』を僕らに突きつけてくれた。
こんな凄い日本人が居たのか、と感じた」

10)
監督
「映画のポスターは、当初、黄色を前面に出し、危険性を訴えるものを考えていたが、結果としては、ニュートラルなものを心がけた。
なぜなら、脱原発ドキュメンタリー色を強めると、見に来る人は限られてくるから」

11)
監督
「いわば、『脱原発ホームパーティ』になってしまうのは避けたい。
原発が有ってもいいんじゃないのか、と思っている人にも見てもらいたいと思い、ポスター等は、ニュートラルなものを心がけた」

12)
監督
「『希望の国』というタイトル。
当初は、『大地の歌』というタイトルにしようと思っていたが、取材しているうちに、しっくり来なくなった。
取材しているうちに、絶望感が出てきた

13)
監督
「その絶望感を、なんと言ったらいいのかとよく考えた結果、『希望の国』という、皮肉を込めたタイトルに設定した」

14)
谷岡議員
「一歩一歩、という言葉が心に残った」 
監督
「大事にしたい言葉。
日本は、イケイケドンドンで、凄いスピードで進化を遂げたが、3.11以降、日本はもっと、ゆっくり歩いていけばいい。
今までのスピードでは駄目
だと」

15)
桃井氏
「同じ表現者として、忸怩たる思いがある。
僕は、被災者の人たちに、悲しい思いをさせてはいけない、という思いがある。
が、この映画を見終わって、立てないほどの重量感があった。
この映画には、覚悟を感じる」

16)
桃井氏
「今の社会、予定調和があるじゃないですか。
それを、この映画は打ち破った」
谷岡氏
「今は非常事態。
原発事故がなかったかのような、シャンシャンにしよう、というような空気はよろしくない」

17)
監督
「戦前、家に赤紙が来た際、息子を戦地に送らなくていいように、知恵を絞った父親が居た。
国や世の中が、頼りにならない場合、自分や家族で考えなければならない。
今、そのときが来たんだな、と思う


18)
監督
非国民といわれようが、あとで、オセロの目が、裏返るときが来るかもしれない。
日本人は、逃げないことの勇気よりも、逃げることの勇気を持ったほうがいい、と思う。
国の命令だけを守っている人間には、なってほしくない、と思う


19)
質疑応答。
男性「監督は、どのシーンを、象徴的場面とみているか」
監督「取材した方々の声がなければ、出来なかった作品。
これが象徴、というシーンはない。
強いて言えば、ラストシーンで、「次は貴方の番だよ」と指差している場面」

20)
監督
「僕は 通信販売で買ったガイガーカウンターで、下北沢の自宅で放射線量を図っていたが、いつも0.16とか0.18が出る。
最初はとても怖かったが、そのうち慣れてしまった」

21)
監督
「こないだカナダに行ったときに、ガイガー持っていって線量を測ったが、数値が限りなくゼロで驚いた。
日本も以前は、これが当たり前だったんだよなって、つまり、0.16に慣れてしまった自分にびっくりした

22)
監督
「もう、日本に住んでいる限り、原発問題から逃げられない、それが言いたい映画。
福島は、他人の問題と思っている人が多いと思うが、次はあなたの番だよ と言いたい。

23)
監督
「ヒット作が出ていたので、周りから、『次も一発ぶちかまして下さいよ、タブーを破って下さいよ』と言われたが、
原発問題をやるというと、クモの子を散らすように逃げていった。
別の意味のタブーが 明らかになった(笑)」

24)
女性
「議員には、今日の試写会を、何人くらいに知らせたのか」 
司会者
「参議院・衆議院の議員全員に告知した。
所用で来られない人も、大勢居た。
ぜひ、映画館で見てくださるように、お伝えしたい」

25)
監督
代案を考えてから脱原発を言え、という意見があるが、僕はそうは思わない。
原発自体が、中途半端。

例えば、フグ職人は、中途半端な状態で、客にフグを出さないし、ライト兄弟は、試作機に、客を乗せることはしないはず


26)
これにて、「映画 『希望の国』 特別試写会&園子温監督との討論会」の実況ツイートを終了します。
アーカイブは、会員のみ視聴可能。
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「福島の子ども達の甲状腺の結果、これは全くよくあることではありません!」by千葉・三ツ井小児科医

2012年10月15日 | 日本とわたし
先日10月12日に、ふくしま集団疎開裁判文科省前抗議集会にてスピーチされた千葉の小児科医さん、ミツイ先生の言葉を書き出してくださったきーこさん。
読んで、とても感動したので、ここに転載させていただきます。

↓以下、転載はじめ
 
千葉の小児科医の声「子どもの甲状腺がんについては非常に珍しいので医学部でも学ばない」10/12金曜デモ文科省前(内容書き出し)

ふくしま集団疎開裁判文科省前抗議集会 2012年10月12日 文科省前


1:09:32
スピーチがお一人入りました。
それは、医療業界が、特に福島で、「被ばくを問題にするな」と締め付けられている状況の中で、
山下俊一氏が、医療業界を支配している中で、
今、福島の子どもたちを助けなければ、とてつもない事になってしまうという事を、
小児科医の立場から話したい、という声が、私たちにかかりました。
この国の医者全てに、見習ってほしい。
いったいどうなっていくのか、何をするべきなのか、お話ししていただきたいと思います。

1:10:25
ミツイ医師:
千葉県からまいりました、小児科の医師をしております、ミツイと申します。
今日は、こういう話をさせていただく機会を頂きまして、疎開裁判の皆様、どうもありがとうございます。
お話ししたい事とかですね、皆さんにお聞きしたい事と言うのは、沢山あるんですけれど、
ここで、こういうふうに、話をさせていただく形になったのは、一番大事な事だけ、時間も無いので、話をさせていただきます。
福島の、18歳以下の子供たちの、先程からも話題に出ていましたけれど、
一般の方達も、チェルノブイリの話も、少しは知っておられると思うので、あまり細かくお話ししませんが、
「甲状腺の子どもの癌が、発生されるのではないか」と言う事が、心配されていまして、

福島の方では、かなり大がかりな検査も、何万人も今、甲状腺の検査を何とかしています。
あまり、テレにとかでは報道されませんので、結果についてはもしかしたら、
一般の方々などは、あまりテレビとかでは、しっかりと報道されませんので、ご存じないかもしれませんので、
是非一度、インターネットで、きちんとされた形で報告されたものが見れますので、是非、見ていただきたいと思うんですが、

福島のですね、18歳以下の子どもたちの、大掛かりな検査ですね、
甲状腺に、結節やのう胞というのが、かなり沢山見つかりました。
最初は、30%ぐらいという事だったんですけれど、
これが、数字だけでお話ししますと、40、50と、ちょっと増えている傾向
にありまして、

これはですね、そもそも、子どものこの甲状腺の腫瘍というもの自体は、非常に数が少ないんですね。
特に、悪性のがんに至っては、これも、100万人に1人ぐらい、というふうにも言われています。
「100万人に1人」というのが、どのくらいの頻度か?って言いますと、
これは大体、「一人の小児科とか、一人の医師が、一生診療していても当たらない」

子どもの甲状腺がんの患者さんに当たらない確率の方が、はるかに大きいですね。
その位珍しい。
ということで、結局、小児の悪性腫瘍も含めて、
小児の甲状腺の腫瘍については、医学部では、ほとんど教えていません。全く知りませんでした。
要は、その患者さんに当たることが、まずないので、よほど、内分泌を専門にしている、内分泌の甲状腺を専門としている、
と言うと、ほとんどが、大人の先生ですね。

ですので、これは、医学部の時代の医師になってからでも、まず勉強をする機会の無いですね。
ですから、多くの先生は、わたしも、こういった事故があって、こういう健康調査結果が出て、勉強いたしましたですけど、
え……知識は、ほとんどない
ですね。
ということがあってですね、一般に、福島の甲状腺の健康調査の結果の数字が、どういう事を意味しているか?って言うのは、皆さんちょっと分からない。
お医者さんであっても、分からない部分が多々ある、と思います。
これは決して、別に、医学部とか医療界が怠慢、という事ではなくて、それ位、非常に珍しい事なんですよね。

ただ、この結果を見てみますと、
仮に、甲状腺の結節やのう胞が、30%以上だったとして、これはですね、極めて子どもとしては、高い値ですね。

というのは、何を意味しているか?って言うと、
ようは、甲状腺に内部被ばくをしてですね、やはり、甲状腺に変化をきたしている可能性が、相当高い事が一つあります。

で、もうひとつは、非常に重要なことです。
これも全く、ごくごく専門的な医学的な知識ですので、
おそらく、一般でもそうですけれども、お医者さんでも、ほとんどご存じが無いと思うんですけれど、

大人の方は、甲状腺の超音波の検査をすると、結節とかのう胞が見られる確率というのが
これは、報告によっても違いますけど、大体6~7%から30%位。
ちょっと幅がありますけど、その結果が出た時に、調査をした県とか、国のほうだと思うんですけど、
「よくあることだ」、というコメントをされたと思いますね。

大人では、確かにそうですね。
「よくあること」であるかもしれません。
だけど、子どもの場合にはですね、そんなにはないんですね。
数%とか、30%も、結節やのう胞があるという事が、まず異常事態ですね。

後、もう一つだけ、皆さんに知っておいていただきたい事は、
甲状腺に結節があった場合には、
大人の場合は、この結節というのが、悪性なのか良性なのかっていうのが問題になるんですけれど、
大人の場合には、この結節が見られた時に、これが悪性である確率というのは、やはり数%、というふうに言われていますね。
高くても10%、十数%とか、これも、報告によって違いますけれど、そのぐらいです。
ですから、一部の方は、やっぱり結節が見られたら、悪性の可能性があるんですね。

子どもの場合には、事情が全然違いまして、
これは、もし超音波検査で、甲状腺に結節が見られた場合には、
子どもの場合には、20%から30%位が、悪性の可能性がある
、というふうに言われています。
ですから非常に、この福島県での、子どもたちの甲状腺の結果を見た時に、非常に私自身驚きました。
「よくあることだ」、というコメントが付いていましたけれど、
これは、子どもの場合には、「よくあること」では、今お話しした通りのデータがありますので、
しっかりと、フォローもしなければいけませんし、検査もしっかりしていかなければならない、と思います。

後、非常に、子どもたちが、甲状腺を中心に、内部被ばくをしているという事が、可能性が非常に高いですし、実際していると思いますし、
それが、具体的に、病気の形で出てきております。

甲状腺がんの方が、一人だけ見つかりました。
これは、一般のニュースになりましたので、皆さんご存知かもしれないんですけれど、
先ほど申し上げました通りに、これはなんか、チェルノブイリでは、「4、5年後から増えた」というふうに言われていますけれど、
もちろん、因果関係をしっかりと立証するのは、なかなか難しいんですが、
甲状腺がんの方が、1名見つかったという事ですけど、
これはまだ、事故から数カ月なので、ちょっと早すぎるという事で、因果関係が無い、というふうにされていますけど、
これも、ちょっと違います
ね。

チェルノブイリでは、すごく増えてきたのが、4、5年後からで、
大体、2年目ごろから、すこーし、僅だけ増えた、というふうに言われています。
ですからこれも、安易に、因果関係が無い、とは言えないと思います。

他にも、ちょっとお話ししたい、被ばくと病気の事についてあるんですけれど、時間がありませんので、
後、これは私も、一市民としての意見も入るんですけれど、
やっぱり、現実的に、「どうしたらいいか」、という事になると思うんですけれど、
やっぱり、被ばくをできるだけ避けてほしいというのが、これは、多くのお医者さんが言っておられる通りで、
そういう、被ばくの避け方については、いろいろと言われていますので、
そういった事を参考にしていただいていけばいい、と思いますね。
もちろん、疎開していただくのが一番いいし、放射線があるところから、離れていただくのがなによりですので、
で、放射線というのは、目に見えなくて、においもしなくて、いたるところにありますので、
なかなか避けようがないですので、一番いいのは、離れていただく
、という事
なんですけど、
それができない場合には、できるだけ食べ物に気を付けたり、避けることをしていただきたいと思います。

で、あとは、もし住み続けなければならない。
いろんな理由で、現実にまだ、沢山の方々が、福島に住んでおられますし、
是非、疫学調査とか健康調査を、継続してやってほしい
、という事が一つありますね、で、
これは、国や県の方でやっていただくという事も、もちろん大事なんですけれど、
ただですね、今回は、比較的ちゃんと、健康調査の結果が出てきたんですけれど、
やっぱりどうしても、責任の問題がありますので、なかなかデータが出てこなかったりとか、
公にされなかったりとかと言う、
やっぱり、そういう可能性や危険性というのは、今までの広島長崎とか、あるいは熊本の水俣病とか、あるいは、アスベストの問題もそうですけど、
こういった、公害みたいな問題になると、どうしても、
国や県や地方自治体が、および腰になる
ところがあるようにも見受けられますので、
本当は、公の機関でも、疫学調査や健康調査を行い、
僕自身はですね、NGOみたいなところが中心になって、
もし、健康被害が見受けられた場合には、そういったNGOとか、市民の側でも、できれば取りまとめていく
という事も、いいのかなとは思います。

あと一つだけ最後に、
原発を動かすかどうかという問題と、もちろんこういう、被ばくの問題も関連している訳なんですけれど、
イタリアは、みなさんがご存じのとおり、国民投票をして、原発を止めることにしました。

ドイツも、わずかな差ですけれども、選挙で、緑の党という政党が勝ちまして、脱原発に舵を切って
2022年までに原発を止める、という事にしましたね。
今、日本は、国民投票に関しては、ちょっと、各地で住民投票が否決されて、むずかしそうですので、
今のところは、ちょっと、可能性は低い
、と思うんですね。

で、後はですね、やっぱり、国や政治を動かすためには、一人一人の、より多くの人の力が、必要だと思うんですが、
残るは選挙で……。
原発の問題や福島の問題が、選挙の争点となることを、避けようとしている感じが、僕自身は、印象として持っているんですけど、
やっぱりしっかり、僕自身も、次の選挙は行って、しっかりした人を選ぼう、と思っているんですけれど、
官僚の人は、選挙で選べませんので、政治家の人しか選べませんけど、
本当は、官庁の人も、選挙で選べるといいんですけれど、
ま、政治家の人もですね、ちゃんと、福島の事や健康を、ちゃんと第一に考えてくれる人。
かつ、原発をですね、無くしてくれる方向で考えてくれる政治家の人を、みなさんが選挙で投票してくれると、
そういった市民の流れが、国を変える力になる
のでは、と、個人的には考えています。

すみません長くなりまして、以上です。

ー拍手ー

1:26:22

ーーー

千葉県の小児科医ミツイ医師
どのような漢字を書くのか、日本小児科医会員名簿を見てみましたが、見付けられませんでした。
この名簿に載っている先生は、本当にごく少数のようです。
このような先生に診察していただけることは、ホットスポットの多い千葉県民には、吉報だと思いましたので、
ミツイ先生がいらっしゃる病院が、分かったらいいなぁ~って思いました。
ブログなどでも、軽く探してみましたが、ミツイ先生を、ネット上で見つけられなくて残念でした。
情報をお持ちの方がいらしたら教えてくださいd(◕‿-。) ネ❤
だって、福島だけではなく、千葉県の方が注目率が低い分、もっと危ないかもしれませんので。

と・・・思っていたら、
教えていただきました☆。◕‿◕。)ノ♡
三ツ井医師(。◡ .◕)♡ 間違いありません。

※実は…原発事故後、情報に関して、非常に疑い深くなってしまった私は、裏がとれないと、信じられなくなっています。
ほんのちょっとだけ、本当のお医者さまなのか、疑ってしまっていました。
そんな事を考えたことに対して、本当に申し訳ないと思っています。
現在、今までの病院は退職されて、他に移られるところだそうです。
これから、どちらで診療されるかは、残念ですが不明です。

新しい病院が決まったら、三ツ井先生、ぜひ教えて下さい。
子ども達が、沢山押し寄せると思いますლ(❤ʚ❤ლ)

↑以上、転載おわり


わたしも最近、ずっと選挙のことを考えてる。
国民投票、住民投票、署名、デモ、抗議行動……いろんな運動を一所懸命にやって、それはもちろん意義があり、形にも成りつつあるんやけど、
直接関われて、一番相手に警戒感や危機感を与えられるのはやっぱり選挙ちゃうのかなと。

なので、選挙をするわたしらの態度を完全に変える。
今までみたいに、ただ漠然と、なんとなくええか、と思う人間に入れたりするのはもうやめる。
自分だけがやめるんと違て、他の人にもやめさせる。
軽く伝えてるだけではきちっと伝わらへんやろから、徹底するための方法を考える。
例えば、候補者との直接の討論会とか、そういうのんを、各地域各町各村で実施してからでないと選挙をせんことにする、とか。
その討論会には、必ず出席せなあかん義務があって、出席せん人にはなにがしかのペナルティを与える、とか。

ちょっとテレビのワイドショーで、ダイエットにいい食品とか言うたら、あっという間にスーパーの棚から無くなるほどの熱情と、
賞味期限がきれただけの赤福餅やら、あれやこれやの問題を起こした会社の商品を不買する意思の徹底さは、
どこの国にも見られへんほどの勢いやねんから、その勢いを選挙に生かしたらええんとちゃうやろか。

候補者には、原発だけやなく、いろんなことに対しての考えを、はっきり声明させる。
どんな考えの人も一緒に、怒鳴り合うことなく、とにかく互いに考えを伝える。

民主主義の幕開けやで。
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地獄の好転反応日記

2012年10月15日 | ひとりごと
先週の木曜日に、再び受けた、モーリーンの治療『内臓マニュピレーション』!

『内臓マニュピレーション』をもう一度ここでおさらい。

・身体はひとつのユニットであり、中身のなにもかもが互いに関連し、関係し合いながら機能している。
・身体は、自己治癒力を備えている。
・けれども、その自己治癒力を上回る、何らかの外力、または、内的変化が生じた時に、病気が発生する。
・その際に、施術師の訓練された手で傾聴し、筋膜の引きを調べて、どこに障害が発生しているかを見つけ、矯正することにより、健康に導く。
・傾聴することにより、筋、関節、神経、血液(動脈・静脈)、リンパ、脳脊髄液、諸内臓などを、総合的に観察する。

で、モーリーンの手が再び、わたしの頭のてっぺんに乗せられました。傾聴です。
もう一方の手で、こことここ、それからここも、と言いながら押された所がなぜか痛い。ひじょ~に痛い。
そしてその押された所が変なとこなんです。
骨盤のちょっと上とか、脇のへんとか。

で、前回受けた後、どんな具合だったかと聞かれ、
「肝臓がヒクヒクした」
「腕がどんどん痛くなった」
「数日間、怠くてたまらなかった」
「結局腕はどんどん痛みが増し、ほとんど箸なども使えなくなっている」と伝えました。

マッサージテーブルの上に座り、再び後ろから抱かれるような形になって治療開始。
いわゆる、この治療法の核となる、内臓を覆っている筋膜や胃等の、筋繊維でできた内臓のストレッチです。
またまた、深海の砂地から生える海草ダンスが始まりました。
揺れが微妙なので、本気でリラックスしていないと、彼女に身を委ねることができません。
だいたい、身体をリラックスさせることがあまり上手でないタチなので、ここはもう海草になったと思い込むことにしました。

健康な器官や内臓は、生理運動をしているのだそうです。

その生理運動には2種類あって、
1) 呼吸時や運動時の、横隔膜の動きと連動する動き
2) それぞれの内臓が、おのおのにもっている内臓固有の動き
なんと、1分間に7~8回、生理的な運動をしているそうです。

で、それが、なんらかの原因で、本来の動きを失ってしまうと、一日にすれば、何千回も、正しくない動きをすることになるのだそうな。
そりゃあかんわな、ということですね。
そんな状態が何日、何週間、何ヵ月、何年も続いたら、臓器を損傷してしんどくなるのは当たり前。

ということで、本来の生理運動を回復させてやろうじゃないか、というのが、この内臓マニュピュレーションの目的なんだそうです。

で、海草……かと思えば、ぎゅう~~っと伸ばされるゴム人間と化し……それが延々1時間。
次はとうとう、問題の場所、腕の周辺に取りかかる、ということで、左下に横になりまして、
それからが冗談抜きの、やってるモーリーン自身が「拷問だよね」とつぶやくほどの、痛い治療となりました。
まあでも、これさえ耐えれば、お箸が使える、楽譜を指差すことができる、パソコンのキーが打てる、となりゃ我慢のし甲斐もあるっちゅうもんです。

彼女の治療だけに専念したかったので、旦那にもあまり治療をお願いしなかったし、おまけに相も変わらずパソコンの前に座ってパタパタ打つ毎日……。
痛みというより、全体が怠く重く、ほとんど使い物にならなくなってしまっていた右腕。
まあ、ここまで酷くはなくても、痛みが始まったのはもう随分も前のことなので、片腕で着替えることやシャンプーをすることなんかは慣れていたのだけど、
やっぱり寝ても覚めても痛いのはかなり憂鬱。
待ちに待った2回目の治療なのでした。

2時間たっぷり施術してもらい、ボーっとした状態で帰宅。
翌日の金曜日の朝に、気功の瞑想に行き、いつもよりもディープな瞑想ができて嬉しくなったのも束の間、
その日の晩に、急に胃がカチンコチンになり、吐き気がどんどん増してきて、おぉ~好転反応!と喜びつつも、悲惨な夜に。
そして翌日、土曜日の晩は、今度は下腹がカチンコチンになり、下痢のような痛みがするのだけれど、下痢でもなく、やっぱりその痛みで眠れず……。
日曜日はすっかりボロボロ……。
夜はなんと、ジンマシン地獄。それも、手の届かない後ろばっか。孫の手が無いので、菜箸でガリガリ。
なのにね、そんなふうにボロボロなのに、腕が治っていくのですっ!!
ボロボロの身体なのに、腕だけが、少しずつ少しずつ、痛みが取れて、今までできなかったことができてくるのですっ!!
いやもう、この不思議な感じはいったいどう説明したらいいのか。
まだまだ多分、割合でいうと、5分の1ぐらいの戻りですが、それでも動かしようのなかった腕が動いてくれることの嬉しさったらありません。

というわけで、三日間の、地獄の好転反応日記でした。


でも、ボロボロになりながら思たんです。
好転反応って希望やなって。
先に希望がある苦しみなら、なんぼでも我慢できるよなって。
けど、現実には、先に希望も光も無いのに、痛みを堪えながら生きてる人がぎょうさんいはる。
今被ばくしてる子どもだって、身体の中に入り込んでしもた放射能物質は、執拗に攻撃し続けるはずで、
その攻撃に耐えられんようになった内臓や骨は、いったいどんな変化をして、どんな痛みや辛さをもたらすのか……。
身体がしんどくなった時、いつもそんなことを考えます。
今回のボロボロさはハンパじゃなかったので、特に、『ぶらぶら病』にかかった人の思いを想像してました。
とにかく立ち上がって何かしようと思っても、立ち上がれない。
たとえ立ち上がっても、すぐに座り込むか寝込んでしまう。
そして落ち込む。
けど、わたしは3日さえ堪えたら、きっと楽になる、という確信の元に落ち込んでいるのであって、いつ治るかもしれん怠さに耐えられるかどうか。

しんどいながらも、とりあえず、ツィッターで伝えられてる記事の中から、興味のあるもんを選んだりはしてました。
次の記事に、ある小児科のお医者さんの訴えを載せます。

被ばくを強要されてる人達に、どうしても読んでもらいたい記事です。 
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