4) 備前の土と窯
① 備前の土: 山土(やまつち)と田土(たつち)
備前焼の命は、土の良さにあります。備前焼中興の祖と言われる、人間国宝の金重陶陽が
「米より土が大事」と土を噛んで吟味したのは、有名なエピソードです。
) 山土は室町後期に窯が、熊山、釜屋敷などの高地より、山麓に降りて来る以前に使われ
ていた土です。伊部周辺の熊山山系から採掘した、火山岩の流紋岩(石英粗面岩)が風化、
崩壊した土で、耐火度が高く、粒子が田土より粗い一次粘土で、焼損も少ない土です。
初期の備前では、須恵器で使われた山土と同程度の精製度で、単味で使用したと見なされて
います。土の伸びが悪い為、轆轤成形が難しく、紐造りによる轆轤成形になります。
古備前の魅力は、この山土を使い窖窯(あながま)で焼成する事こそ出来ると言う人も
多いです。
) 田土(ヒヨセとも言います): 伊部の田圃の下3~5mの場所にあり、冬場などの
農閑期に掘り出した土です。
上記一次粘土が、数万年の歳月を掛けて、風化、崩壊して雨水に洗われて川に流出し、
低地に溜まった黒色の二次粘土(堆積粘土)です。粘土以外の有機物や、鉄分、砂も一緒に
含んでいるのが特徴です。これを水簸(すいひ)して使います。
a) 当然採取した場所によって、粘土の品質に差がありますが、一般に肌理が細かく粘りが
あり、轆轤成形がし易い土で、山土の様に紐造りでは無く、一本挽きと言う技法で轆轤
水挽きで作陶する様になります。
b) 現代の茶褐色の備前焼も田土を基本にし、数種の鉄分を含む土(山土、黒土)を混ぜて
使っているとの事です。 最高の田土は「観音(かんのん)土」と呼ばれた土でしたが、
掘り尽くされ新たには入手困難との事です。「観音土」は緋襷(ひだすき)の発色の
良い土です。田土のみで焼成すると、温か味のある白い地肌に成ります。
c) 山陽新幹線の工事現場より、大量の田土が掘り出せれ、そのストックしたもので制作
している作家も居るとの事です。(粘土は寝かせれば寝かす程良いとされています。
金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされています)。
② 古備前の窯。熊山の稜線部に築かれた頃から、桃山時代までの間にそれぞれの窯と、焼成
技術があったとされています。研究者によれば、次のⅤ期に分類されるそうです。
Ⅰ期: 平安末期~鎌倉初頭。
須恵器と同様に還元焼成による、燻焼(くすべやき)で、山麓に窯を築いています。
Ⅱ期: 鎌倉中期。
中性焔による焼成で、山腹又は山麓に分布していました。
Ⅲ期: 鎌倉後期。
中性焔又は酸化焔で焼成。山の中腹から高地まで分布しています。 壷、擂鉢(すりばち)、
甕の生産が確立します。この時期まで山土が使われていたと思われます。
以後田土が使われる様になります。
Ⅳ期: 南北朝~室町時代。
大窯胎動の時期です。四耳壷(しじこ)、片口鉢が出現します。
Ⅴ期: 室町末期~江戸初期。
大窯での生産の開始。茶陶の生産が始まる。その他の器の種類も増えます。
③ 窯の構造と古備前の焼肌。
) 古備前の焼成は、基本的には窖窯(あながま)で、時代と共に次第に大型化してゆきます
大窯でも、分焔柱を付けた物に過ぎません。
) 古備前が年代によって焼肌が変化するは、原材料の粘土の変化や、窯の焚き方、窯詰
方法の変化に起因する事が多いです。
) 鎌倉時代の途中より、それまで須恵器の還元焼成による灰色の焼肌が、中性、酸化焔に
よる焼成で、備前独特の赤褐色の焼肌に変化して行きます。
④ 大窯に付いて。
以下次回に続きます。
① 備前の土: 山土(やまつち)と田土(たつち)
備前焼の命は、土の良さにあります。備前焼中興の祖と言われる、人間国宝の金重陶陽が
「米より土が大事」と土を噛んで吟味したのは、有名なエピソードです。
) 山土は室町後期に窯が、熊山、釜屋敷などの高地より、山麓に降りて来る以前に使われ
ていた土です。伊部周辺の熊山山系から採掘した、火山岩の流紋岩(石英粗面岩)が風化、
崩壊した土で、耐火度が高く、粒子が田土より粗い一次粘土で、焼損も少ない土です。
初期の備前では、須恵器で使われた山土と同程度の精製度で、単味で使用したと見なされて
います。土の伸びが悪い為、轆轤成形が難しく、紐造りによる轆轤成形になります。
古備前の魅力は、この山土を使い窖窯(あながま)で焼成する事こそ出来ると言う人も
多いです。
) 田土(ヒヨセとも言います): 伊部の田圃の下3~5mの場所にあり、冬場などの
農閑期に掘り出した土です。
上記一次粘土が、数万年の歳月を掛けて、風化、崩壊して雨水に洗われて川に流出し、
低地に溜まった黒色の二次粘土(堆積粘土)です。粘土以外の有機物や、鉄分、砂も一緒に
含んでいるのが特徴です。これを水簸(すいひ)して使います。
a) 当然採取した場所によって、粘土の品質に差がありますが、一般に肌理が細かく粘りが
あり、轆轤成形がし易い土で、山土の様に紐造りでは無く、一本挽きと言う技法で轆轤
水挽きで作陶する様になります。
b) 現代の茶褐色の備前焼も田土を基本にし、数種の鉄分を含む土(山土、黒土)を混ぜて
使っているとの事です。 最高の田土は「観音(かんのん)土」と呼ばれた土でしたが、
掘り尽くされ新たには入手困難との事です。「観音土」は緋襷(ひだすき)の発色の
良い土です。田土のみで焼成すると、温か味のある白い地肌に成ります。
c) 山陽新幹線の工事現場より、大量の田土が掘り出せれ、そのストックしたもので制作
している作家も居るとの事です。(粘土は寝かせれば寝かす程良いとされています。
金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされています)。
② 古備前の窯。熊山の稜線部に築かれた頃から、桃山時代までの間にそれぞれの窯と、焼成
技術があったとされています。研究者によれば、次のⅤ期に分類されるそうです。
Ⅰ期: 平安末期~鎌倉初頭。
須恵器と同様に還元焼成による、燻焼(くすべやき)で、山麓に窯を築いています。
Ⅱ期: 鎌倉中期。
中性焔による焼成で、山腹又は山麓に分布していました。
Ⅲ期: 鎌倉後期。
中性焔又は酸化焔で焼成。山の中腹から高地まで分布しています。 壷、擂鉢(すりばち)、
甕の生産が確立します。この時期まで山土が使われていたと思われます。
以後田土が使われる様になります。
Ⅳ期: 南北朝~室町時代。
大窯胎動の時期です。四耳壷(しじこ)、片口鉢が出現します。
Ⅴ期: 室町末期~江戸初期。
大窯での生産の開始。茶陶の生産が始まる。その他の器の種類も増えます。
③ 窯の構造と古備前の焼肌。
) 古備前の焼成は、基本的には窖窯(あながま)で、時代と共に次第に大型化してゆきます
大窯でも、分焔柱を付けた物に過ぎません。
) 古備前が年代によって焼肌が変化するは、原材料の粘土の変化や、窯の焚き方、窯詰
方法の変化に起因する事が多いです。
) 鎌倉時代の途中より、それまで須恵器の還元焼成による灰色の焼肌が、中性、酸化焔に
よる焼成で、備前独特の赤褐色の焼肌に変化して行きます。
④ 大窯に付いて。
以下次回に続きます。