わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

焼き物の着物(色彩)63 古備前10(海揚り)

2014-04-21 21:46:57 | 陶磁器と色彩
7) 備前焼の海揚りに付いて。

 海揚り(うみあがり)とは、数百年の昔に難破し沈没した船の積荷が、引き揚げるられた事で

 その積荷を海揚り品といいます。

 ① 海中より古備前を発見。

  1919年(大正8年)岡山県玉野市宇野の沖合いに浮かぶ、香川県の直島(なおしま)の北側の、

  海中より漁師が、古備前を発見します。この付近で難破した船に古備前が積まれている事が

  予想されました。但し、その後も難破船は発見されていません。

  引き揚げ作業が本格化するのは、岡山県の医師の陶守三郎氏が潜水夫を雇い、捜索活動が

  始まる昭和15年(1940年)からで、以後数度に渡って引き揚げ作業が続きます。

  引き揚げられた備前焼は、「上陸備前」又は「海揚り(古)備前」と呼ばれる様になります。

 ② およそ400年前の桃山~慶長年間に伊部で仕入れた備前焼を満載した大型船が、伊部

  近くの片上港から出航します。しかし、瀬戸内海を航行中に何らかの原因で転覆、沈没した物と

  思われ、積荷が海に没します。

 ③ 積荷は桃山~慶長時代に焼かれたと思われる古備前の品々で、鶴首、徳利類、擂鉢、皿類、

   大甕(高さ 112.1cm、口径 65.1cm、胴径 82.0cm)など、二百数十点に及びます。

   その中には、お預け徳利、鶴首徳利、芋徳利、大皿、ハ寸など伝世品に無いものもあり、

   この発見で新たな作品の存在が知られる様になります。

  ・ 長年の間、海底の泥の中に埋もれていた為に保存状態も良く、味わいのある陶肌が人気を

    呼びます。特に徳利などの酒器が好事家の間で、垂涎の的になっています。

  ・ 中でも「鶴首徳利」は現存数が少なく二十数個と貴重な存在です。全て緋襷の海揚がりの物

    です。その姿は優美で、作行は丁寧です。又高台は備前では稀な碁笥底に成っています。

   その他に、以前紹介した、緋襷の大皿も含まれています。

   これらの品々から、桃山備前の時代区分が、より詳細になったと言われています。

  ・ 残念な事は、海揚り品の多くは、十分な調査や記述を残さずに、四散してしまった事です。

 ④ 水の子岩海底遺跡に付いて。

  ) 発端:1977年(昭和52年)ダイバーが完形品を含む備前焼と見られる陶片群を発見し、

    一部を岡山県立博物館に持ち込みます。翌年1月に予備調査が行われ、備前焼の完形品や

    船のバラスト用の河原石などが確認されます。

    発見場所は、香川県小豆郡内海町の海上の、通称“水の子岩”と呼ばれる岩礁近辺の

    水深20~40mの場所です。岩礁下に散布していた状況から、伊部の片上港を出港し、

    「水の子岩」に激突して、遭難した船の積み荷であったろうと推測できました。

  ) 同年(1978年)4月に「水の子岩学術調査団」が結成され、本格的な調査がスタートします

    引き揚げられた遺物は、備前焼の鉢や壷、大甕など10器種210点、金属製品や石製品なども

    含まれていました。これら備前焼は同一時代の生産と見られるとの事です。

  ) これらの陶器は、畿内周辺で使われていた陶器と同じである事から、南北朝の頃の生産

    でると判明します。

  ) 遺構概要: 香川県小豆島の東方沖6km、海底20~40mの地点。

     遺物概要 : 擂鉢77個、捏鉢2個、大型壺68個、中型壺2個、各種の甕類ほか大量の陶片

    などです。生産は、南北朝時代(備前初頭)に属すると考えられています。

 尚、海揚り品は備前焼に限らず、他の海域でも発見されていますし、今後新たに発見される事も

 予想されます。

 今回で古備前の話を終わります。
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