わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

焼き物の着物(色彩)65 古唐津 2(斑唐津、朝鮮唐津2)

2014-04-26 21:54:05 | 陶磁器と色彩
 ③ 古窯跡と出土品。

  古唐津焼は、「岸岳七窯」と呼ばれる窯で焼成され、それらは東松浦郡を支配していた、

  波多氏の居城の「岸岳城」に隣接する山間に点在していました。

  ) 飯洞甕(はんどうがめ)下窯の発掘。

   1956年(昭和31年)、肥前陶磁研究会によって、一番保存状態の良い下窯が発掘調査され、

   以下の事が判明します。

   a) 窯の構造は「割竹式登窯」と判明します。この登窯は現在の登窯に先行する窯です。

    登窯とは、山腹の傾斜を利用した複数個の焼成室が連続している構造になっています。

    中世では窖窯(あながま)が使われていましたが、桃山時代になり量産を目的とした窯です

   ・ 割竹式の名前の由来は、竹を二つに割り、伏せた状態に見える事から付けられます。

   ・ 時代区分は出土品から、室町後期の頃と推察されます。

   b) 窯は傾斜角が、約 15.5度で西から東に向かって築かれています。

    全長約 17m、焼成室は八室ありました。一部屋は横幅約 2.2m、長さ約 2.0m、砂床から

    天井までの高さが約 1.2mで、全て粘土を貼り付けて作られています。

    途中で火力を増す為に、各室の右横に焚口が設けられていました。

   c) 窯詰方法は、砂床に直置きする方法と、馬蹄形の「ハマ」や陶枕(とうちん)を使って

    います。又、重ね焼きの方法と、赤貝を使う貝高台が使われていました。

   d) 出土品する陶片は、壷や甕、鉢などの日用雑器が主です。その他、片口、猪口などがあり

    少数ながら、志野風の彫唐津茶碗(次回述べます)も出土しています。

  ) その他の窯の発掘。

   a) 帆柱窯: 斑唐津の優れた作品を多く焼いています。

    斜面は20度近い急勾配です。胎土はざらざらした砂粒の混在する粗い土です。

    製品は、碗、皿、ぐい呑、徳利、水指、片口、鉢、瓶類、壷、甕の類が多いです。

    ・ 失透性の藁灰釉で、白灰色の釉の中に青く細い斑文が浮き出景色が珍重されました。

   b) 椎の峰(しいのみね)窯:1594年波多氏が秀吉により滅亡します。岸岳窯の陶工が

    一度は散々に成りますが、元和年間(1615~1624年)にこの地に集まり、窯を築いたと

    されています。ここでも、日用雑器を中心に焼かれていますが、茶陶も多く見られます。

    ・ 斑唐津、朝鮮唐津、絵唐津、三島唐津、二彩唐津、献上唐津などほとんどの種類の

     装飾技法が取られています。

   c) その他、藤ノ川内窯、道園(どうぞの)窯、甕屋の谷窯、桃山窯なども発掘調査され

     ますが、詳細は省略します。

 ④ 「斑唐津」と「朝鮮唐津」の作品。

  ) 斑唐津点斑(てんぱん)文壷: 重要文化財。

    高さ 17.2cm、口径 12.8cm、高台径 9.5cm

    全体に厚造り、下膨れの腰の張った作品で、竹の節高台になっています。

    全体に藁灰釉がたっぷり掛けられ、口縁と肩の六っ箇所には黒い鉄釉が掛けられ、二彩釉の

    先駆的な作品です。

  ) 斑唐津彫文壷: 根津美術館蔵。

    高さ 14.9cm、口径 9.5cm、高台径 9.1cm

    胴に四本の刻線を巡らせ、縦方向に六本の溝が彫られています。

    この縦線には釉が掛けられていない事から、施釉後に削り取ったと思われます。

  ) 朝鮮唐津水指 銘(廬爆=ろばく):千家名物 藤田美術館蔵。17世紀 藤ノ川窯 

    高さ 17.1cm 口径 10.1cm

    叩き造り、口は玉縁で胴の下側には黒飴が掛り、口縁から肩に掛けて白い藁灰釉が瀧の

    様に流れ落ちている逸品です。雑器を水指に見たてた物と思われています。

  ) 朝鮮唐津 一重水指: 17世紀 藤ノ川内茅の谷窯。

    高さ 14.8cm、口径 15.8~20.0cm、底径 9.5cm

    最初から水指として作られたと見なされている作品です。

    叩き造りで、桶の箍(たが)を表現したと見られる削り跡があります。

以下次回に続きます。
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