明治維新後の陶磁器業界は、輸出に活路を見出す為に、欧米風の意匠に囚われ、わが国の伝統的
様式は忘れられた感となります。しかし、大正時代になると、小学校の教科書(5年生の国語)に
「陶工柿右衛門」が掲載されたり、歌舞伎などでも「名工柿右衛門」が上演される様になり、柿右衛門の
赤絵が再認識される様になります。しかし、新作の柿右衛門の需要はほとんど無かったそうです。
十二代柿右衛門は、職人気質の名工でしたが、古い伝統に埋もれ、新しい仕事に熱意が感じられず、
これに反発した十三代は、単に古作の復元や模写ではなく、新味のある意匠や器形に挑戦しています。
④ 十三代柿右衛門の陶芸
) 写生による図案の創作
新しい意匠を得る為、全国をスケッチ旅行しています。特に人が余り行かない所に咲く、野の花を
愛し、露草、合歓(ねむ)の花、蓼(たで)、雪持椿、自然薯(じねんじょ)などから画材をえます。
又、西洋的な意匠として、カーネーションやグラジオラスなども取り上げています。
当然、図案化するに当たり、写生に忠実である必要は無く、花の色や葉が他の色に変化する事も
あります。
) 十三代の作品
「濁手花鳥文蓋物」(高30.7 X 径32cm)(1972年):この作品は、文化庁の要請で復元した
作品で、柿右衛門様式の見本として著名な作品です。
着色は全て上絵付けで、花の赤絵部分は赤色で、その他は黒色で線描きした後、着色しています。
注: 一般に磁器の絵付けは、下絵である呉須などでの染付けと、上絵付けを併用する場合が
多いです。即ち上絵付けの輪郭を染付けの技法で描いた後、上絵具で着色します。
「濁手竹蝶文鉢」(高6 X 径44.5cm)(1969年):松下美術苑
「濁手グラジオラス文鉢」(高7.7 X 径43cm)(1973年)、「濁手蓼文大鉢」(高9.5 X 径44.5cm)
(1975年)、「濁手雪持椿文壺」(高22.5 X 径27.2cm)(1975年)、
「濁手花鳥文壺」(高33.9 X 径32.3cm)(1979年)等の作品があります。
又、濁手以外にも赤絵の具を使い地を塗り込めた、赤濃(あかだみ)技法に金彩を施した作品も
あります。その作品は、「花鳥文壺」(高28.9 X 径33.2cm)(1975年)等です。
更に、濁手素地に地紋を付ける技法もあります。「濁手花地文壺(高40.6 X 径25.5cm)
(1981年)等の作品があります。
2) 十四代酒井田柿右衛門、本名は酒井田正: 1934年(昭和9)~
以下次回に続きます。