わ! かった陶芸 (明窓窯)

 作陶や技術的方法、疑問、質問など陶芸全般 
 特に電動轆轤技法、各種装飾方法、釉薬などについてお話します。

焼き物の着物(色彩)61 古備前 8(胡麻、桟切)

2014-04-19 17:48:17 | 陶磁器と色彩
6) 備前焼の着物。

  無釉の焼締陶である備前焼では、ある程度は窯詰めの仕方や焼成方法によって、焼き上げる

  作品の模様を意図的に作る事は可能ですが、基本的には、「窯を開けて見なければ解からない」

  のが実態です。

  備前焼では、焼成方法の違いにより、備前手(窯変手)と伊部手及び緋襷(ひだすき)と呼

  ばれる技法が存在します。

 ① 備前手(近年窯変手と呼ばれています): 古備前と呼ぶ場合、この手の焼き物を指すのが

   一般的です。その特徴は以下の通りです。

  ) 手捻りや轆轤挽きで成形した物をそのまま裸で窯に入れ、薪を燃やし高い温度の焔に晒す

    方法で、薪の灰が降り注ぎ、熔けて景色になる技法です。

  ) 備前の土は、「赤でき」と呼ばれる茶褐色の焼肌と成りますが、松の薪の灰や燠

    (おき=燃え尽きていない薪)が作用して、多様な素地肌に成ります。

  ) 窯の中を熟知している人では、何処にどの様な作品を置けば、どの様に焼き上げるのかが

    ある程度予想する事が可能ですので、焼成する事以上に窯詰めが大切な作業になります。

  ) 備前手の種類。

   a) 胡麻(ごま): 薪の松灰が自然に降り注ぎ、熔けて胡麻状の点々が出来たものです。

    イ) 胡麻には青胡麻と黄胡麻、かせ胡麻(榎肌)があります。

     窯の構造や湿度の差によって、時代毎に変化しています。

    ・ 青胡麻は平安~桃山時代に多く、暗緑色のもので、完全に熔けています。

    ・ 黄胡麻は江戸時代に多く、江戸末期以降は茶色が多いです。

    ・ かせ胡麻(榎肌)は、降掛かった灰が火力が弱く、熔け切らずにそのまま残った状態で

      艶が無く、かさかさした肌になります。あたかも榎(えのき)の樹肌の様な感じです。

      茶人の間では、この手の物が、特に珍重されています。

    ・ 胡麻禿(はげ): 長い年月がたつと、灰が剥がれ落ち、その下地の青く焼締まった

      土肌が出現する場合があります。これも茶人らによって珍重された景色になります。

    ロ) 胡麻が出易い場所は、火の焚口近くで灰が多く降り掛かる棚が良いと言われています

     かせ胡麻の場合には、焚口より遠い場所が良く、胡麻の量も少なく火力も弱い為この様な

     場所が適しているとも言われています。

    ハ) 一説によると、樹齢三十年の赤松の木が良いと言われています。

    ニ) 現在では「付け胡麻」と言われる人為的な胡麻があります。

     即ち、窯に入れる前に、松灰を振り掛けてから窯詰めする方法です。

     但し、専門家が見ると、自然か人為的かの判別は可能との事です。自然の物は火の勢いで

     吹きつけられ、力強い形状の胡麻ですが、人為的な物にはその力強さが無いとの事です。

   b) 桟切(さんぎり): 薪が炭になった状態の場所では、還元が強く現れ、赤い素地に

     ならず、素地の鉄分が暗灰色(鼠色、ねずみいろ)になった物をいいます。

    イ) 但し、肌が一様に鼠色に成らずに、赤地に鼠色が付いた物、又逆に鼠色地に赤が

     付いた物、更には中央が赤で周囲が鼠色に成った物など、色々なパターンがあります。

    ロ) 薪のみでの焼成で桟切を出すのはむ難しく、現在では炭を用いて人工的に行っている

      との事です。その方法は、火を止める直前に、焼けた木炭を大量に窯に入れ、作品を

      覆う様にするそうです。

   c) 玉垂(たまだれ): 灰が多く掛かり火力が強いと、器の表面を流れ落ち、ガラス状の

     玉に成ります。火力や窯の雰囲気によって、赤、灰色、緑色の玉垂が出現します。

   d) 青備前: 備前焼は酸化焼成を基本にしますが、窯詰めの位置や焼成の仕方、焔の当たり

     具合によっては、一部還元焼成になる場合もあります。この様な場所に置かれた作品は

     上品な青灰色になり、これを「天然青、自然青」と呼んでいます。

     尚、現代では、人工的に作られた「食塩青」と言う物があります。明治時代に開発された

     方法で、これは、食塩を作品に入れ状態で、伏せて焼成するそうです。860度程度で揮発

     した食塩が、器に付着し土の鉄分と反応して、青又は茶色に発色します。

     この食塩釉は古くから外国にあった技法で、土管の茶色はこの技法によります。

   e) 牡丹餅(ぼたもち)と伏焼。

以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)60 古備前 7

2014-04-18 21:43:26 | 陶磁器と色彩
5) 備前焼の作品(前回の続きです。)

 ① 特注品としての備前の茶道具。

  ) 徳利に付いて。

   a) 桃山時代の徳利の生産は、断然備前焼の物が多いです。徳利は室町後期頃から、轆轤挽き

    製法で作られ、焼かれていた物と思われています。

    「詫び茶の世界では備前徳利」と言われる程、重要視されていました。

    但し、必ずしも最初から徳利として作られた物とは限らず、雑器として作られた物を懐石

    料理用の徳利として見立てた物も多いです。備前の徳利は名品として、割合多く残って

    います。

    種類も多く、俗に芋(いも)徳利、御預(おあずけ)徳利、蕪(かぶら、又は船)徳利、

    鶴首徳利、瓢(ひさご)形徳利、辣韮(らっきょ)徳利、小徳利(振出)、大徳利など

    豊富にあります。

  b) 備前徳利の名品。

  ・ 備前徳利 銘 五郎: 畠山記念館蔵。

    備前の徳利に多い形です。即ち、口は外に開き肩を付け、胴裾はやや張った形です。

    この徳利は、数多い徳利の中でも、土肌の軟らかさと変化のある景色は格段に優れています

      高 13.0cm、 口径 3.0cm、 底径 6.5cm

  ・ 備前緋襷徳利 銘 村雨: 畠山記念館蔵。

    肩が張り胴はふっくらと丸みを帯び、頸がやや傾いています。景色も豊かで作行きも優れて

    います。高 11.5cm、 口径 3.0cm、 底径 5.5cm

  ・ 備前緋襷徳利 銘 雪月花之友: 藤田家伝来。 御預け徳利として理想的な大きさです。

    撫肩の美しい曲線は胴から腰に伸び、裾は強く絞られています。口頸部は小振りで手取りも

    軽く出来ています。鮮烈な赤い緋襷が肩から胴に掛かっています。

      高 14.5cm、 口径 3.2cm、 底径 6.4cm

  ・ 備前徳利 銘 年わすれ: 胴から頸、口縁の曲線美は見事な轆轤挽きされています。

      高 15.8cm、 口径 3.9cm、 底径 5.5cm

  ・ 備前緋襷鶴首徳利(緋襷大徳利): 16 ~ 17世紀 根津美術館蔵。

     長く伸びた頸が傾いています。意図的なものか、窯の中で偶然そうなったかは不明ですが

     この事が逆に作品の美しさを引き出しているとも言われています。

      高 29.7cm、 口径 4.7cm、 胴径 21.2cm 底径 19.4cm

  ・ 備前瓢形徳利: 16 ~ 17世紀 

    瓢(ひさご)形の徳利は、明の赤絵や古九谷に見られる形です。備前でも桃山以降かなりの

    量が生産されています。高 21.5cm、口径 3.4cm、胴径 10.9cm 底径 9.6cm

  ・ 備前蕪(かぶら)徳利: 船徳利と言われる形です。底を広く取り船が揺れても、安定な

    形をしているからです。時代が下がるに従い、平形に変化して行きます。

    又、渋徳利とも言われ、柿渋を入れる容器と使用されたいた為の命名です。

    多くは徳利の上部に別の容器を逆さにして被せて焼いた被せ焼きで、被せて有る部分には、

    灰が掛かかりませんし、くっ付き防止の為、被せる部分に藁を巻いた為、この部分が緋色

    (緋襷)に成っています。高 21.2cm、口径 3.3cm、底径 8.3cm

  ・ 辣韮(らっきょ)徳利: 備前焼では一番古い形と言われています。

    寸法が手頃な事と、素朴な形の為、桃山時代の茶人には花生として使う人も多いです。

  ) その他の作品。

   a) 備前の建水(けんすい)は「和物建水」の中で最も愛用された焼き物です。桃山~江戸

     時代に掛け、主な茶会には100回以上登場する事が、主要な茶会記に書かれています。

   ・ 備前建水: 厚手に轆轤挽きされた素直な筒形の建水です。胴部には太い轆轤目が残って

     います。 高 10.5cm、口径 11.2cm、底径 10.5cm

   ・ 備前建水: 口の広い胴が張った小さな壷、俗に茅壷(かやつぼ)と呼ばれる物ですが、

     現在では、建水に使われている物です。高 7.6cm、口径 9.3cm、底径 8.9cm

  b) 香炉: 伊部の田土は粘りがあり、彫塑的な美術工芸品とも言える香炉に、向いた土と

     いえます。桃山から江戸時代には、細工物と呼ばれる香炉や置物が作られています。

   ・ 備前獅子香炉: 精巧な仕上げで、技術的な細工物と呼ばれます。

     通高 14.6cm、幅 14.2cm。

   ・ 備前鶏香炉: 江戸時代に入ると、茶陶の生産に替り、細工物が主流を成す様になります

     塗土を施した伊部手で、雄鶏が首を伸ばして時を告げている状態を表しています。

     この香炉は全ての香炉の代表的な作品です。:高 21.7cm。

  c) 御庭焼(後楽園焼):岡山後楽園で焼かれた、色絵備前又は彩色備前と呼ばれる物で、

    正徳年間(1711 ~ 1716年)に始まったと言われ、大黒天や獅子、山鳥などの置物が作られ

    ています。

  d) その他の作品として、向付、銚子、汁注、桶(手付桶)等があります。

    詳細は省略します。

以下次回に続きます。
    
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焼き物の着物(色彩)59 古備前 6

2014-04-17 20:21:33 | 陶磁器と色彩
5) 備前焼の作品(前回の続きです。)

 ① 特注品としての備前の茶道具。多くの茶道具は注文品として製作されています。

  ) 茶壷(葉茶壷)に付いて。

   15世紀より焼かれていた茶壷は、室町時代には茶道具の中でも、最も重要な器とされて

   いました。茶壷も時代と共に形が変化して行きます。

   桃山時代に流行したのは、いわゆる呂宋(ルソン)茶壷の形を模倣した物です。

    注: 呂宋茶壷とは、フィリピンのルソン経由でもたらされた物で、茶壷の中でも重要視

     されて「島物」と呼ばれていました。更に、呂宋壷の中で文字・紋様の無いものを

     「真壺」(まつぼ)と呼んでいます。

   肩の四方に耳を付け、高さも20~30cm以上のものもあります。

   ・ 備前緋襷(ひだすき)四耳茶壷: 中世備前焼の壷様式の代表として著名です。

     高 30.3cm、口径 12.0cm、底径 13.6cm

   ・ 利休所持の「柴の庵」の銘のある当時著名な茶壷ですが、現在行方がわかりません。

   尚、江戸時代の野々村仁清には、国宝及び数個の重要文化財の茶壷が存在します。

   後日色絵の項でお話出来ればと思っています。

  ) 茶入: 抹茶を入れる容器です。陶製の物が多く、色々な形があります。

   唐物と瀬戸焼きの茶入が主流で著名な物が多いです。唐物は和物より上位に位置し、次いで

   瀬戸焼が重宝され、備前など、瀬戸以外は国焼きとして格下の器でした。

   備前焼きの茶入としては以下の物があります。

   ・ 備前茶入 銘 布袋(ほてい): 中興名物 利休所持と伝えられています。

     高 7.6cm、口径 3.0cm、底径 3.6cm

   ・ 備前茶入 銘 走井(はしりい): 江戸時代の茶人 松平不昧公 旧蔵。 

     唐物の丸壷茶入を模倣した物。 高 5.9cm、口径 2.7cm、底径 3.3cm

   ・ 備前緋襷肩衝(かたつき)茶入 銘 福神(ふくのかみ): 不昧公の箱書があります。

     高 6.9cm、口径 3.4cm、底径 4.5cm

   ・ 備前肩衝茶入 銘 さび助 : 古田織部 旧蔵。

     高 7.4cm、口径 4.0cm、底径 4.5cm

  ) 抹茶々碗に付いて。

    無釉の焼締陶である備前焼きの茶碗の数は少ない様です。    

   ・ 備前沓(くつ)茶碗 銘 只今(ただいま): 岡山県後楽園事務所 蔵。

     高 9.6cm、口径 12.8~15.1cm、高台径 7.8cm

  ) 皿と鉢に付いて。

   a) 備前焼の中で花生や水指に引けをとらない作品に、「透彫鉢」があります。

     特別注文と思われる作品です。

    ・ 備前透彫鉢: 伝世の備前焼食器の中で白眉とも言える逸品です。

     高 10.5cm、口径 25.3~29.00cm、底径 21.0cm

     ほぼ垂直に立ち上がった側面に千鳥、河骨(こうほね=植物名)、菖蒲葉など14種類の

     文様が透彫りされたものです。底には四箇所に小さな脚が付けられています。

     見込みには七つの円形の「牡丹餅(ぼたもち)」があります。

   b) 備前手鉢: 美濃窯でも多くの手鉢が作られていますが、美濃(織部)の手鉢が装飾性に

      富んでいるのに対し、備前焼では、形のおおらかさと、焼き上がりの景色に特徴が

      あります。作品はいずれも一品製作と思われます。

    ・ 備前半月形手鉢: 半月形の皿に弓形の把手が付けられた、備前の代表的な形の作品で

      見込みに大小の抜けを付け、自然と人為的要素が装飾効果を増しています。

       高 7.6cm、口径 3.0cm、底径 3.6cm

    ・ 備前透文手鉢: 桃山~江戸初期に多い作品です。

      口縁の周囲に銀杏(ぎんなん)、扇面、菊文の透彫があり、見込みには徳利を置いたと

      思われる六個の「牡丹餅」がある、梅鉢文風の作品です。把手と口縁部に胡麻(ごま)

      が降り掛かっています。
   
       高 14.5cm、口径 21.5 ~23.2 cm、底径 15.3cm

   c) 大皿に付いて。 桃山期に於いて、最も大きな作品が焼かれていました。

     腰の強い土が、轆轤挽きを可能にしたと思われます。

    ・ 備前緋襷大皿: 16 ~ 17世紀 備前大皿の伝世品の中で最も美しい。藤田美術館蔵

      鉢形に近い深皿で、口縁は丸く内側に捻り返され、平底に成っています。

      緋襷は特に外側が美しい作品です。

       高 9.1cm、口径 47.0cm、底径 27.0cm

    ・ 備前緋襷大皿:  16 ~ 17世紀 岡山県立博物館蔵。

      海揚り(後日説明します)で10点ほど引き揚げられた中の一品です。

      重ね焼きによる緋襷が素晴らしく、最優品の大皿です。底の裏には塗り土が施され、

      テーブル等を傷つけない配慮がされています。

       高 9.0cm、口径 50.5cm、底径 26.5 ~ 27.6cm 

  ) 徳利に付いて。

以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)58 古備前 5

2014-04-16 23:11:30 | 陶磁器と色彩
5) 備前焼の作品

  中世に於いては全国の窯場で甕、壷、擂鉢の三種を中心に製作されています。

  備前でも同様な傾向ですが、これらは、時代の影響が少なく、胴の膨らみや口縁部の形状の変化

  など、若干の変化はある物の、どの時代であっても、大差ない形状になっています。

  16世紀に入ると各種の食器類や茶道具が焼かれる様になります。

  茶道具類は、時代の変化に対応して、形や嗜好が変化します。

  天正、文禄、慶長、元和になると、桃山形式といわれる茶道具の焼き物を作る様になります。

 ① 特注品としての備前の茶道具。多くの茶道具は注文品として製作されています。

  ) 花生について

   a) 中国の青磁を模した花瓶を製作。

    伊部(いんべ)周辺の寺へ、中国の天竜寺青磁の大花瓶を、模した花瓶が奉納され、

    「奉寄進横尾山永正九六月日 伊部 木村三郎衛門」の銘文があります。 

    これは特別注文品です。その他、青磁算木花生(高さ46.2cm)の模倣品に備前算木花生

    (高さ24.0cm)などが著名です。

   b) 筒形花生: 室町後期の永正、永禄の頃には、寺院から特別注文で中国風ではない筒形の

     花生が作られています。この形は、中国風の花瓶の写しや模倣から、和様化が行われ、

     桃山時代の先駆けと言える形状の作品です。

   c) 筒形や旅枕形の花生も、次第にデフォルメが加えられ、耳なども付けられ、桃山様式の

     花生が作られる様になります。

    ・ 備前耳付花生 銘 福耳: 高さ 26.0cm、口径 14.2cm、底径 17.0cm

      口縁は、内にすぼめた姥口(うばくち)状で、肩の左右にゆったりとした垂れた耳が

      付けられています。赤く焼き上がった部分と、焦げて灰黒色に窯変した部分の対比が

      鮮やかです。胴の縦や横に箆(へら)目が入っています。

    ・ 備前花生 銘 宮柱: 高さ 25.0cm、口径 143.8cm、底径 13.1cm

    ・ 備前耳付花生 銘 太郎: 高さ 25.6cm、口径 10.6~13.7cm、底径 12.7~13.7cm

    桃山様式とも言える歪(ひずみ)と箆目を駆使し豊かな表情を表しています。

    これらは、いずれも「掛花生」として用いられた物で、小さな穴が開いています。

   d) 江戸時代に入ると、桃山様式の物は無くなり、再び古銅や青磁の中国写しの花生に戻って

    しまいます。

  ) 水指について。

    水指は茶陶器の代表的な焼き物ですので、桃山期を中心に名作の伝来品が多いです。

    最初に水指として作られた時期は、いまいちはっきりしません。鬼水指と呼ばれる水指も

    雑器からの転用と見る人もいます。

   a) 備前一重口水指: 東京博物館蔵 高さ 15.6cm、口径 17.7~22.0cm、底径 18.5cm

     轆轤挽きされた桶形の水指で、塗り土の伊部手と呼ばれる作品です。

     この水指は水指として作られたと思われています。

   b) 矢筈口(やはずくち)形水指: 備前水指を象徴する器形です。

     注: 矢筈とは、矢の末端の弓の弦(つる)を受ける部分の事です。

    ・ 備前矢筈口耳付水指 銘 巌松(がんしょう):元紀州徳川家伝来で、大振りの水指です

      通高 20.0cm、口径 18.5cm、底径 20.3cm

    ・ 備前矢筈口耳付水指 銘 小倉山: 胴裾を高台風に深く切り込んだ、珍しい形です。

      通高 15.5cm、口径 17.9cm、底径 16.1cm

    c) 緋襷(ひだすき)の水指: 数は少なく、作為的な物ではなく、素直な轆轤挽きの

      作品です。

     ・ 重要文化財 備前緋襷水指: 畠山美術館蔵。最も有名な緋襷水指です。

       高 13.0cm、口径 10.0~13.0cm、底径 10.7cm

     ・ 備前緋襷棒先(ぼうのさき)水指: 高 13.8cm、口径 15.2cm、底径 10.0cm

     ・ 備前緋襷耳付水指: 高 16.3cm、口径 15.9cm、底径 9.1cm

    d) その他の水指:桃山~江戸時代に掛けて、変化に富んだ器形の水指が登場します。

      烏帽子箱形、菱形、瓢形、三角、六角、四方釣瓶、逆瓢、輪花、半月、砂金袋などです

以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)57 古備前 4

2014-04-15 16:57:19 | 陶磁器と色彩
4) 備前の土と窯

 ④ 備前大窯に付いて。

  ) 室町時代末期の頃から、個人用の小さな窯から、共同の大窯を用いる様になります。

    備前の窯元達は、組合を組織し従来の鉄砲窯を更に長大化した、大窯を共同使用する様に

    します。共同窯の発生と共に、窯元六姓と呼ばれる人々が窯を管理し、それ以外の者は

    窯元には成れませんでした。大正時代まで続いた制度との事です。

     注: 窯元六姓とは、木村、森、寺見、金重、頓宮(とんぐう)、大饗(おおあい)の

      六家で、この地方の名門でもあります。尚、現在でも存在している窯元は、木村、

      金重、森の三軒のみです。

  ) 三大窯址: 桃山時代から江戸時代を通じて、伊部周辺には南大窯、北大窯、西大窯の

    大窯が各一基存在し、多くの備前焼はこの窯群によって焼成されたと言われています。

    但し、何度も作り変えてた為、窯跡は各々数箇所存在します。

   a) 伊部南大窯跡: 1959(昭和34)年、国の史跡に指定されています。

     伊部駅の南約200mの榧原山(かやはらやま)北麓にありまります。

     昭和26年以降、数度の発掘調査を経て窯の全容が明らかになります。

     ・ 室町末期~桃山時代の窯(中央窯): 長さ 31.6m、幅 2.3m

     ・ 江戸初期~中期の窯(西窯): 長さ 49.1m、 幅 2.8m

     ・ 江戸中期~末期の窯(東窯): 長さ 54.5m、 幅 5.1m

   b) 伊部西大窯跡: 2009(平成21)年 伊部北大窯跡と共に、備前市の史跡指定より、

     国の指定に追加指定され、備前陶器窯跡と名称が変更に成りました。

     伊部駅の北西約600メートルの医王山東麓にあります。

     三基の窯跡が確認され、最大の窯は 全長 約40m、幅 約4mです。

   c) 伊部北大窯跡: 伊部駅の北約300mの不老山南麓、忌部神社の周囲に位置します。

     現在、四基の窯跡が確認されています。内1基は桃山時代に築かれたと思われ、

     長さ 約45m、幅 4.7m程の窯です。

     他の三基は忌部神社の北西斜面に平行して築かれています。

     最も北西の窯は 長さ 約47m、幅 5.4mと確認されています。

  ) 大窯での焼成。

   a) 作品: これらの大窯では、主に、壷や甕、徳利、擂鉢などの日用雑貨類が焼かれ、

    その他に大甕や茶道具などが焼かれています。

   b) 焼く量: 窯が大きい為、一度の焼成で、数千個~数万個が焼成されていました。

     その為、窯を焚く回数は、年に一度程度ではないかと言われています。

   c) 焼成日数: 40~50日かけてゆっくり焼いた物と考えられています。

     尚、窯出しまでには、同じ程度の日数を掛けて、窯を冷却する必要があります。

  ) 大窯の終焉。

   江戸後期の天保年間(1830年~1843年)に天保窯と呼ばれる小型で効率の良い融通窯が

   出来ると、大窯は衰退し幕末に終焉を迎える事に成ります。

    注: 天保窯とは伊部の登り窯の事で、5~7の焼成室を持ち、十日程度で焼成可能な

     窯です。

   a) 江戸中期以降になると、各地方の窯場で陶器が焼かれる様になり、備前焼の販売は次第に

    減少します。大窯は経費が掛かる上、藩の保護も減少した為、効率が良く小回りの利く

    小型の窯が求められます。藩に小型窯の築窯を数度要請し、天保年間(1830年~1843年)に

    小型で効率の良い融通窯が、不老山の山麓の北大窯跡の下方の三ヵ所に築かれます。

    この窯は数度の修理を施しながら、1940(昭和15)年まで使われていました。

   b) 京都の登り窯を模した窯です。

    京都では江戸初期に粟田で最初の登窯が築かれ、焼成される様になります。

    登り窯の特徴は、熱効率が良い事です。窯は緩やかな階段状に作られ、下から順番に焼成

    していきます。各小室(房)で使われた廃熱は次の小室の余熱として利用できます。

    それ故、経済的で短期間の焼成が可能になります。更に、各小室は独立しており、各々の

    小室で酸化又は還元焼成が可能になります。

 5) 備前焼の作品

 以下次回に続きます。 
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焼き物の着物(色彩)56 古備前 3

2014-04-14 17:36:44 | 陶磁器と色彩
4) 備前の土と窯

 ① 備前の土: 山土(やまつち)と田土(たつち)

   備前焼の命は、土の良さにあります。備前焼中興の祖と言われる、人間国宝の金重陶陽が

   「米より土が大事」と土を噛んで吟味したのは、有名なエピソードです。

  ) 山土は室町後期に窯が、熊山、釜屋敷などの高地より、山麓に降りて来る以前に使われ

    ていた土です。伊部周辺の熊山山系から採掘した、火山岩の流紋岩(石英粗面岩)が風化、

    崩壊した土で、耐火度が高く、粒子が田土より粗い一次粘土で、焼損も少ない土です。

    初期の備前では、須恵器で使われた山土と同程度の精製度で、単味で使用したと見なされて

    います。土の伸びが悪い為、轆轤成形が難しく、紐造りによる轆轤成形になります。

    古備前の魅力は、この山土を使い窖窯(あながま)で焼成する事こそ出来ると言う人も

    多いです。

  ) 田土(ヒヨセとも言います): 伊部の田圃の下3~5mの場所にあり、冬場などの

     農閑期に掘り出した土です。

    上記一次粘土が、数万年の歳月を掛けて、風化、崩壊して雨水に洗われて川に流出し、

    低地に溜まった黒色の二次粘土(堆積粘土)です。粘土以外の有機物や、鉄分、砂も一緒に

    含んでいるのが特徴です。これを水簸(すいひ)して使います。

   a) 当然採取した場所によって、粘土の品質に差がありますが、一般に肌理が細かく粘りが

     あり、轆轤成形がし易い土で、山土の様に紐造りでは無く、一本挽きと言う技法で轆轤

     水挽きで作陶する様になります。

   b)  現代の茶褐色の備前焼も田土を基本にし、数種の鉄分を含む土(山土、黒土)を混ぜて

     使っているとの事です。 最高の田土は「観音(かんのん)土」と呼ばれた土でしたが、

     掘り尽くされ新たには入手困難との事です。「観音土」は緋襷(ひだすき)の発色の

     良い土です。田土のみで焼成すると、温か味のある白い地肌に成ります。

   c) 山陽新幹線の工事現場より、大量の田土が掘り出せれ、そのストックしたもので制作

     している作家も居るとの事です。(粘土は寝かせれば寝かす程良いとされています。

     金重陶陽は10年寝かせた土を使っていたとされています)。

 ② 古備前の窯。熊山の稜線部に築かれた頃から、桃山時代までの間にそれぞれの窯と、焼成

   技術があったとされています。研究者によれば、次のⅤ期に分類されるそうです。

  Ⅰ期: 平安末期~鎌倉初頭。

   須恵器と同様に還元焼成による、燻焼(くすべやき)で、山麓に窯を築いています。

  Ⅱ期: 鎌倉中期。

   中性焔による焼成で、山腹又は山麓に分布していました。

  Ⅲ期: 鎌倉後期。

   中性焔又は酸化焔で焼成。山の中腹から高地まで分布しています。 壷、擂鉢(すりばち)、

   甕の生産が確立します。この時期まで山土が使われていたと思われます。

   以後田土が使われる様になります。

  Ⅳ期: 南北朝~室町時代。

   大窯胎動の時期です。四耳壷(しじこ)、片口鉢が出現します。

  Ⅴ期: 室町末期~江戸初期。

   大窯での生産の開始。茶陶の生産が始まる。その他の器の種類も増えます。

 ③ 窯の構造と古備前の焼肌。

  ) 古備前の焼成は、基本的には窖窯(あながま)で、時代と共に次第に大型化してゆきます

   大窯でも、分焔柱を付けた物に過ぎません。

  ) 古備前が年代によって焼肌が変化するは、原材料の粘土の変化や、窯の焚き方、窯詰

    方法の変化に起因する事が多いです。

  ) 鎌倉時代の途中より、それまで須恵器の還元焼成による灰色の焼肌が、中性、酸化焔に

    よる焼成で、備前独特の赤褐色の焼肌に変化して行きます。

 ④ 大窯に付いて。

以下次回に続きます。

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焼き物の着物(色彩)55 古備前 2

2014-04-13 21:42:34 | 陶磁器と色彩
2) 備前焼と茶陶の関係。

 室町中期の茶人村田珠光(じゅこう。1423~1502年))により提唱された「焼締陶を茶陶として

 用いる事」は、当時の書院風茶より、草庵茶に変化を与える切っ掛けになります。

 その考えは、やがて武野紹鷗(じょうおう。1502~1555年)や千利休、小堀遠州に引き継がれる

 事になります。

 ① 当時、中国の宋や元などから渡来した、青磁や天目などの施釉陶が使われていた、書院風の

  「茶の湯」の世界で、焼締陶の持つ質感は「冷え枯れ」と評され、茶の世界に持ち込みます。

  但し、焼締陶は備前以外に信楽焼や伊賀焼にもあり、茶道具として用いられています。

 ② 村田珠光の時代には、水指、建水、花生などが使用され、焼締の茶碗が使われる様になるのは

   武野紹鷗以降になります。珠光達が取り上げたのは、必ずしも茶道具として作られた物では

   なく、種壷、小甕、徳利の類です。

   紹鷗愛用と伝えられている備前水指 銘青海(室町時代、大窯以前、徳川美術館蔵)は、明ら

   かに水指として作られた物です。備前焼が茶会に使われた事を記載したのは、「天王寺屋

   会記」(1549年)に「水こぼし ヒセン物」とあります。「ヒセン物」が備前焼を指して

   います。 備前水指 青海:高さ 18.2cm、口径 18.2cm、底径 14.0cm  

 ③ やがて茶器用に作られた、多くの種類の備前焼の器が使われる様になります。

   当時の茶会記録によると、茶入、茶碗、香合、蓋置、徳利なども使われています。

   茶陶として最初に焼かれたのは、1557年銘のある備前焼筒花生のころと思われています。

 ④ 豊臣秀吉は備前好みで有名です。京都北野の大茶会(1594年)では、天下の名器と共に

   備前焼の花生や面桶(めんつう)が飾られた事が記録に残っています。

    注: 面桶とは紹鴎、利休の好みで作られた曲物形をした建水の事です。

   当時の備前焼の茶陶の価値は、現在の我々の想像出来ない程の高価な物でした。

3) 桃山様式による備前焼。

  桃山時代は古備前の黄金期とも言われています。当時の優れた茶人の影響を受け、茶の湯に

  欠かせない焼き物になります。

  ① 熱心な京都の茶人さえ、伊部を訪れ茶陶の指導を行ったり、型紙を送り自分好みの茶陶を

    注文する人も現れます。この中から名物として世に出た物もあります。

    利休の弟子の山上宋二は「茶器名物集」に天下の名物を記録しています。

  ② 伊部手の登場。桃山時代に初期伊部手の備前焼が登場してきます。

   ) 伊部手とは、作品の表面に肌理の細かい土を塗り、肌に光沢を与えて桃山好みの備前焼

     に仕上げる方法です。作品は肉薄の物が多い様です。

   ) 室町末期より、器の内側に塗り、水漏れ防止を目的に使われていました。

     土を塗ることで、黒っぽい光沢のある肌になります。特に後に細工物(さいくもの)と

     呼ばれる、手作りの獅子、布袋(ほてい)などの置物や香炉等に塗り、匣鉢(さや)に

     納めて焼くと、銅製品の様になりますので、盛んに行われています。

     但し、茶陶に使用すると、時代を反映した綺麗な作品に成りますが、備前らしさが無く

     雅味が無くなると言う人もいます。   

   ) この土は、伊部の近くの長船(おさふね)、畠花(はたけだ)で取れる鉄分の多い

     目の細かい土で、更に水簸(すいひ)し水に解いて塗り、乾燥焼成すると鉄分と長石が

     熱反応し釉化が起こり、光沢が出ると言われています。

     尚、この土は、備前長船の刀鍛冶が刀に「におい」を付ける為に使用するものです。

以下次回に続きます。  
          
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焼き物の着物(色彩)54 古備前 1

2014-04-12 20:48:05 | 陶磁器と色彩
備前焼は現在でも大変人気があり、全国に知られた焼き物です。

伊部(いんべ)焼とも呼ばれ、岡山県備前市伊部が故郷(ふるさと)で一千年の歴史を有する窯業の

中心地として栄えます。伊部は旧山陽道沿(現、国道二号線)の小さな町ですが、交通の便が良く

焼き物は陸路、海路、河川を通じて全国に運ばれていました。

1) 備前焼の特徴

 ① 須恵器(すえき)の系統を引く無釉の焼締陶器です。

  a) 3世紀の頃、朝鮮より須恵器の技法が伝わります。それ以前の土師器(朱色の素焼の軟陶)

   と異なり、硬く焼き締まり水を通さない丈夫ば焼き物です。須恵器はたちまち全国の窯場に

   伝わり各地で作られる様になります。備前の須恵器は他の窯場と異なり、色彩が明るく白に

   近い灰色が特徴です。最盛期は6世紀前半との事です。

  b) これらの焼き物は奈良~平安時代に掛け、主に朝廷用に作られ貢物や貴族、神社仏閣、

   荘園などへ販売されていました。

   平安末期になると、武士階級の台頭と伴に、朝廷の権力が弱くなり、又、荘園貴族の収入が

   減り需要が減退します。又、朝廷への貢物も無くなり、付近の民衆の生活用品を多く

   焼く様になります。

  c) 工人達の移動。朝廷への貢物を焼く工人達の特権も失われていきます。

   (一定の焼き物を朝廷に納めると、80日間の労働が免除されたそうです。)

   同時期、国府が岡山から邑久(おく)郡福岡に移り、国道も伊部を通る様になります。

   須恵器作りの工人は、伊部の西北の熊山方面に移動し、窯を築きます。

   ここには、焼き物に適した土や、燃料になる赤松が豊富に存在していました。

   作品は、発掘調査でも、大瓶(おおがめ)、壷、擂鉢(すりばち)の三点のみが確認できます

   ・ 備前の大瓶は水瓶、酒瓶、藍瓶(染色用)として使用されていました。二石(こく)

     入り、三石入りの物が多く、容積が表示されるのは室町時代以降になります。

   ・ 壷の肩には耳は無く、直線文の櫛目文様があります。

  d) 土は粘着力の少ない山土を使い、制作方法は、胴を2~3段に継ぎ合わせていますので、

    紐作りによる轆轤挽きと思われています。口は太い玉縁で、肩一面に暗緑色の胡麻が掛

    かった物や、玉だれの様に筋となって流れ落ちている物が多いです。

  e) 還元焼成から酸化焼成へ。

   鎌倉時代になると、須恵器は原則還元焼成で行いますが、次第に明るい赤褐色の肌が好まれる

   様にまります。その為にも窯を急勾配にし燃焼力を強くして、酸化炎を作り出す必要があり

   ました。備前焼では早くから半地上式の鉄砲窯が使われています。

   注: 鉄砲窯とは、山の傾斜地に長い溝を掘り、左右両側から土を盛り上げ、天井を作り、

    内部に支柱を設けた半地上式の窯で、側面に差木孔(薪を投入する穴)が並んでいます。

    この窯は窖窯(あながま)より湿度が少なく、燃料の節約にも成りました。

    尚、山頂に築かれた窯の方が、山腹の窯より時代が古いと言われています。

 ② 室町時代の備前焼。

  ) 室町初期~中期(南北朝)の時代。

   熊山の頂や山腹に窯を築いた工人達は、生活の便利差を求め、次第に山里に下りてきます。

   最初に発見された窯址が、備前市浦伊部の釜屋敷です。ここは伊部の片上湾の近辺です。

   又、伊部の南方の西大平山や、東大平山の谷合の下山山麓に散在しています。これを山麓窯と

   いいます。

  ) 戦国時代。戦乱が相次ぎ生活も不安定になるに従い、全体に粗雑な作品が多くなりますが

    らっきょ徳利や油壷など新しい形の製品も登場します。

    注目すべき事は、足利八代将軍義正(銀閣寺を建立)の頃、奈良称名寺の村田珠光が当時

    流行していた、書院茶に対し「侘び、寂び」を尊ぶ草庵茶を提唱し、共鳴者が増加して行き

    ます。
 
以下次回に続きます。
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焼き物の着物(色彩)53 中世の美濃窯 7(織部2)

2014-04-11 22:02:32 | 陶磁器と色彩
4) 織部焼の作品。

 ① 大量生産による制作。

  ) 織部焼の代表的な窯である元屋敷窯には、九州唐津より技術移入された連房式登窯が築か

   れます。一度に沢山の作品を焼く量産に適する窯であり、発掘調査で14房の焼成室が確認

   されています。ここでは、都市生活者の要求に応じた作品が次々に焼かれています。

   注: 連房式登窯とは、山腹の傾斜に沿って地上にアーチ状の燃焼室が連なる構造の窯です。

  ) 轆轤成形と型物成形。

   従来の様に、作品一個一個を手轆轤で作る方法も取られていますが、向付や鉢には、型作りの

   伝世品が多く存在しています。布目跡から型作りである事が判明します。

   a) 型作りによる生産。

    板状に伸ばした土(タタラ)を土型に押し込み、同じ形の作品を多数作る方法です。

    型離れを良くする為に、蚊帳などの布を型に嵌め、その上に軟らかい粘土を押し込み型通り

    の形に作ります。

   b) 一つの型から五客一組、又は二組程度の量(5~10個)を生産する方法で、現在我々の

    感じる量産とはかなり違いがあります。これは、需要者の注文数に応じて、臨機応変に

    型を作ったと考えられています。それ故、型物とは言え、異なる多数の形が存在する事に

    成ります。

  ) 専業陶工集団による近世的な生産システムに発展します。

    一つ又は複数個の窯を指導する指揮者が、生産を管理していたと思われています。

    即ち、注文を受けてから納品までの最終段階までの工程を監督指揮する立場の人(窯大将)

    で、生産技術や意匠(デザイン)、販路の開拓、運搬手段までも管理したと思われています

 ② 織部の種類

  ) 青織部: 素地の一部に鉄絵が施され、要所要所に銅の緑釉が掛けられた焼き物です。

     全体に銅釉が掛かった物を「総織部」と呼びます。多くの場合、釉の下に印花、櫛目、

     線刻文、貼付などの彫刻的な装飾が施されています。     

  ) 赤織部: 素地に赤土を選び、一部に白化粧土を施し更に鉄絵を付け物で、向付、皿、

     鉢、抹茶茶碗などが多いです。

  ) 鳴海(なるみ)織部: 白土と赤土を適宜継ぎ合わせた陶板を作り、型に嵌め込み作品に

     成形します。白土部分には青釉を、赤土部分には白化粧土で模様を描き、更に鉄絵を

     施します。把手の付いた手鉢や、四方平鉢、扇面形蓋物、扇面形向付などがあります。

  ) 織部黒、黒織部: 文様の無い黒一色の物を織部黒と呼びます。

     白い素地に黒釉を一部掛け残し、そこに鉄絵で文様を描いたり黒釉の一部を掻き落し

     文様を描いた物を黒織部と呼びます。

  ) 織部唐津(美濃唐津): 織部を焼いた元屋敷窯や、高根窯で焼かれた絵唐津風の物で、

     少量であるが、向付、茶碗、四方鉢などがあります。

  ) 志野織部: 志野と織部の中間的なもので、鉄絵を施し、長石単味の志野釉に更に灰を

     加え施釉したもので、登窯で焼いた為、緋(火)色が無く、志野と区別できない物も

     有ります。皿、鉢などの食器類が多いです。

 ③ 著名な作品。

  ) 織部松皮菱(まつかわびし)手鉢: 鳴海織部の傑作。 桃山~江戸初期。型抜き成形。

     高さ 17.7cm、口径 24.1 X 26.8 cm。 四脚。

     王朝時代の文様(片輪車)を復活させた物で、太い把手(とって)が豪快に付いています

  ) 織部葦鷺文切落(あしさぎもんきりおとし)手鉢: 型作りの布目跡と重ね焼の目跡あり

     高さ 18.4cm、口径 19.1 X 21.6cm。 四脚    

     箱書に「織部焼」と「貞享5年(1688年)」の文字があり、織部焼の名称が始めて登場

     した物です。

  ) 重要文化財 織部四方(よほう)平鉢 : 著名な作品で、かって芥川龍之介が所蔵

     していた物です。 高さ 6.3cm、口径 20.6 X 21.3cm。 四脚 

     上下方向が問題になる事もあります。一般に織部の緑釉側を下にした写真が多いですが、

     上下が逆の場合もあります。 縁の中央に把手の取れた跡があります。

     鼠色の地に5個の二重の四角が鬼板で描かれ、二重線による棒状の物が織部側に伸び

     ています。

   ) 黒織部菊文茶碗: 平瀬家から藤田家に伝来の筒茶碗です。

     高さ 9.1cm、口径 10.7cm、 高台径 5.1cm。 

     胴に三角の黒釉の掛け残しを設け、そこに鉄絵で菊の折枝文が描かれています。

   ) 織部片輪車文沓形(かたわぐるまもんくつがた)茶碗 : 銘 山路

     高さ 6.0 ~ 6.7cm、口径 9.5 ~ 13.5cm 、 高台径 5.8cm。

     四方に広がる口縁部に緑釉が掛かり、素地の赤味と緑釉の調和が見事な沓茶碗です。

     片輪車とは平安貴族の牛車の車輪の片側の事です。

   ) 織部四方蓋物: 織部には蓋物の作品も多いです。

     高さ 11.3cm、口径 17.0~18.6cm、 二脚

     緑釉が対角線に斜めに掛けられ、その中央に大小二隻の帆掛舟が描かれています。

     内部に12個の目跡があり、重ね焼きした跡です。

   ) その他: 

    a) 向付には筒状の物と、皿状(鉢状)の物があります。

     形は多種多様で、扇面形、千鳥形、船形などが代表的なもので、いずれも土型を利用して

     います。

    b) 水注(すいちゅう): 轆轤挽きの作品で、真上に把手がある水注ぎで、大小様々

     です。鬼板で亀甲文や、橋文んどの絵付けされています。

    c) 徳利類:轆轤挽きによる作品で、当時流行の秋草文や水草文等の植物文が描かれて

     います。高さが24.6cm、胴径が18cm以上の大徳利もあります。

    d)その他、香炉、香合、燭台、水指、茶入、花生、振出(小さい菓子を入れる菓子器)

     などがあります。

以下次回に続きます。
      
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焼き物の着物(色彩)52 中世の美濃窯 6(織部1)

2014-04-10 21:24:27 | 陶磁器と色彩
「織部」とはご存知の様に、茶人でも有り、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康に仕えた武将でもある

古田織部の名前に由来しています。

  注:古田織部(1544~1615年 )は、千利休(1522~1591年)亡き後、茶道界の指導者と

   なった人物です。

 「織部焼」と言う場合、「古田織部が指導し、作らせた美濃の焼き物」の意味と、「織部好みの

 焼き物」と言う考え方があります。実際に古田織部が指導したとする明確な資料は無い様です。

1) 「織部焼き」の初見。

  「宗湛(そうたん)日記」 1599年(慶長4年)に

  「ウス茶ノトキハ セト茶碗 ヒツミ候也 ヘウケモノ也」の記載があります。

   注: 神谷宗湛(1551~1635年)は博多の豪商で茶人でもあり、当時の博多以外の堺(大阪)

      京都などの茶会の様子を書き留めています。

  このセト茶碗とは、「織部沓茶碗」に付いて述べた物と解されています。即ち「ヒツミ候也」は

  「歪(ひずみ)」を意味し、「ヘウケモノ也」は「おどけている様」を表しています。

  その様な茶碗は、当時沓形茶碗のみであった事などから、推察されています。

2) 高麗茶碗より我が国で作られた茶碗が多く使われる様に成ります。

  「草人木(そうじんぼく)」 1626年。「茶器弁玉集」 1672年などの茶会や茶道具の書物には、

  桃山時代以前の古い茶会の主役である高麗茶碗より、「信楽焼」「備前焼」「萩焼」「志野」

  「織部焼」黄瀬戸」「赤楽」「黒楽」などの各地の焼き物の登場回数が、断然多く記されて

  います。

3) 織部焼の特徴

 ① 緑色の呈色剤は酸化銅です。

  ) 古代から中世にかけて緑色の釉が使われていますが、これは鉛を主成分とする釉に銅を

   呈色剤に用いる物でした。即ち、天然の黒鉛を焼いた鉛丹に、珪石を混ぜ更に酸化銅を添加

   して作る酸化鉛で、「鉛緑釉」と呼びます。

  ) 織部釉は土灰釉に酸化銅を入れて作り、鉛は使いません。

    この釉が初めて登場したのは、発掘調査より16世紀初頭と判明しますが、織部の釉として

    使用されるのは、桃山時代以降になります。

 ② 「交趾(こうち)三彩」に付いて。

   注: 本来交趾は現在のベトナムを指しますが、焼き物では中国南部で作られた焼き物の

     総称です。

  ) 16世紀後半に九州や近畿などの各地の豪商が、南蛮貿易に進出し、各種の商品が我が国

    にもたらされます。その中に緑、黄色、白、などの色を持つ多彩な焼き物(交趾三彩)が

    輸入され、新興勢力の商人や町人の間で、茶道具としてもてはやされます。

    注:交趾三彩は、中国明代~清朝時代にかけて三彩を施した軟陶で、型物の香合等が有名

     です。

  ) 交趾三彩とは別に、「呂宋(るそん)茶壷」も茶人の間で大変な人気を博し、貿易商人

    に莫大な富をもたらせます。

 ③ 交趾三彩は我が国に大きな影響を与えます。

   黄色は「黄瀬戸」で白色は「志野」がありましたが、従来に無い華やかな緑色が必要になり

   ます。この様な社会状況の下、「銅緑釉」即ち織部釉が登場し、交趾三彩に負けない色彩が

   完成する事になります。

 ④ 桃山時代は、町衆茶人の人口も増え、茶道具の需要も増えます。美濃以外の窯でも茶道具が

   作られますが、その中でも美濃は茶陶の中心的な産地に成ります。

   織部焼の作品は、都市生活者の高級食器類が多いですが、純然な日常の生活用品ではなく、

   茶会に於ける茶懐石の食器ととして生産され、使われた物です。それ故、装飾性に優れ、

   美的鑑賞に耐える美しさや、機能性など華やかさが求められます。

   尚、当時の日常食器は陶器ではなく、漆器(塗り物)が多かった様です。

4) 織部焼の作品。

以下次回に続きます。
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