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深作欣二監督「仁義の墓場」

2008-05-01 17:16:28 | ノンジャンル
 WOWOWで深作欣二監督の'75年作品「仁義の墓場」を見ました。
 字幕で主人公・石川力夫が1924年6月6日、茨城県に生まれたことが示され、関係者へのインタビューで幼少の頃の様子が語られます。ナレーションで、「昭和16年、やくざ志望の少年として家出し上京。新宿の河田組に入り、2年後親分の悪口を言いふらした奴に暴行を加え、1年半の有期刑で函館の刑務所に送られる」と語られます。上へ上へ上がることしか頭にない奴だったと語られて、タイトル。
 昭和21年、新宿の闇市。河田組の縄張りを守ろうと石川力夫(渡哲也)は、他の組みのヤクザを銃を撃って追い払い、志賀組とケンカするはめになったらどうする、と河田に怒られます。石川は売春婦たちがあたっているたき火に小便をかけるなど、やりたい放題。今井(梅宮辰夫)に声を掛けられ、一緒にでかい顔で駅前で三国人(中国、韓国、朝鮮)がやってる中華料理店を襲うことにします。売春婦を使って米兵から銃を手に入れ、襲撃し、2階で博打をしていた奴らから金を奪い逃げますが、追いかけて来た三国人たちと大げんかになります。石川は売春宿に逃げ込み、智恵子(多岐川裕美)と出会います。彼は金を預けると言って彼女を犯し、金を借りると言って結局やり逃げします。米兵が騒ぎの鎮圧に入り、石川や今井たち、それに三国人たちも警察に捕まりますが、警察は三国人には手を焼いていたので、密かに石川たちを釈放します。
 石川は新宿の店で豪勢に飲んでいた池袋の組の者を「縄張りを荒らすな」と刺し、河田の子分が池袋の組の会長(成田三樹夫)に現金を持って詫びに行きますが、拒否され、出入りとなります。双方睨み合いが続くところへ河田の知り合いの組長の代議士・野津が米兵を使えば後腐れがなくなりいい、と提案し、米兵のおかげで、今回の件は収まります。石川は先輩から出過ぎたマネをするなと叱られますが、おかげで池袋の組を追っ払えたじゃないか、と言い捨てて出て行きます。石川は賭博場を荒し回り、野津に叱られます。石川はその直後野津の車を爆破し、河田に折檻されますが、石川は河田を最後まで睨み付けます。石川は今井のところで手当てをしてもらい、泥酔状態で河田組に乗り込み、河田を刺します。石川は智恵子を訪れ、助けてくれ、と哀願し体を彼女の体で暖めさせます。石川は1年6ヶ月の実刑を受けますが、親分を刺したという任侠道では許されない罪を犯したことで、やくざ世界全体の標的となり、石川は死の恐怖から刑務所内で凶暴に振舞います。やくざ社会で石川は10年東京から追放されることになり、出所の迎えに来た今井から「しばらく辛抱しろ」と言われ、智恵子を抱いてから大阪に行き、覚醒剤を覚えます。
 覚醒剤中毒の小崎(田中邦衛)と知り合い、二人で東京に戻りますが、1年半で戻って来た石川にもう少し辛抱してくれと言う今井を石川は刺し殺します。翌日、隠れ家を発見され50人の警官に包囲される中、銃を撃ちまくり、弾が切れると銃を振り回しながら警官たちに襲い掛かり、逮捕され、懲役10年の判決を受けます。苦労して金を工面して石川を保釈させた智恵子のところに石川はやっかいになり、二人は結婚届けを出しますが、数日後智恵子は手首を切って自殺します。石川は智恵子の遺骨をもって生き延びていた河田のところへ行き、智恵子の骨がガリガリ食べながら、覚醒剤中毒と分かる隈のできた顔で、河田に自分の組を作りたいので、空いてる土地をくれ、と言い、河田が承知すると、事務所を建てる金もくれ、というので河田は怒って部屋を出て行きます。石川は河田の金を強奪し、智恵子の墓前で覚醒剤を打っているところを河田組の連中に襲撃され、刀でめった切りにされます。それでも生き延びた石川は刑務所に収監されますが、屋上から飛び降り自殺をして死にます。

 救いようのない話です。主人公の石川が情けも何もない欲望の固まりの男で、その凶暴さには精神病の気があるんじゃないか、と思わせるほどです。智恵子も無惨な死を遂げ、彼に関わり合いになった人々は皆彼の欲望の餌食になって殺されていきます。暴力シーンの迫力はすごく、カメラがぐわんぐわん動き回ります。しかし後味の悪い映画でした。暴力の好きな方、人が死ぬのを見るのが好きな方にはオススメかも?