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吉田喜重監督『さらば夏の光』

2013-09-10 05:50:00 | ノンジャンル
 吉田喜重監督・共同脚本の'68年作品『さらば夏の光』をDVDで見ました。
 ケースに書かれていたあらすじから引用させていただくと、「秋からパリで研究生活に入る川村(横内正)は、その前の6週間の休暇を利用して、幻のカテドラルを探す旅に出た。学生の頃、長崎の博物館で見た古びた写生図に描かれたカテドラルに、川村は激しく心を動かされていた。400年前に建てられ、今は跡形もないそのカテドラルの原型が、ヨーロッパのどこかにあると信じて、始めにリスボンを訪ねた川村は、そこで1人の女、鳥羽直子(岡田茉莉子)と出会う。家具や工芸品の買い付けを仕事とする彼女は、日本を忘れ去るために、こうして異郷を旅しているという‥‥。ポルトガル、スペイン、フランス、スウェーデン、デンマーク、オランダ、そしてイタリア。2人の主演俳優と6人のスタッフと共に、ヨーロッパ7ヵ国を旅しながら撮影されたロードムービー。美しい音楽と風景に彩られながら、出会いと別れを繰り返す男と女が交わす心のモノローグ。やがて時間を喪失した不可能な愛が語られる時、女は忘れ去ったはずの都市の名、『長崎』を男に告げる。」といったものです。
 実際一柳慧さんによる叙情的な音楽は『秋津温泉』を彷佛とさせましたが、主人公2人の間で交わされるモノローグやダイアローグは実際に見事で、例えば、冒頭の部分で晴れた日に1人教会を訪れる背広姿の男の姿に「お前はとうとう来たのか、10年この方探してもとめていたあれを見つけに」の後、リスボンの街路の風景に「ポルトガル、リスボン、旅の始まりの土地。お前にとってあれを探すことが本当に必要なことだったのか、考えたことがあるいのか。東京の日常に倦み疲れていただけでは。私にとってあのカテドラルは何なのだろう。心のそこでくすぶり続けている衝動、私を駆り立てたもの、あれは実在するのか、このヨーロッパのどこかに」、そしてリスボンの街路を彷徨する男の姿に「でも私はとうとうここまで来た。あれを探しに」(女性の声で)「あなたは何を探してらっしゃるの?」「私はその時、あなたに会った」「それはふと聞いた音楽の一小節なのかもしれなくてよ」「前にどっかで会った気がする。しかしそんなはずはない」「それはきらめく海の上でとびはねている光のようなものかもしれない」「あなたは誰です? あたなは誰です?」の後、床の世界地図をヨーロッパから日本まで男が歩くと、カメラが上昇し、左から緑色のスーツを着た直子が現れ、サスペンスあふれる音楽が流れます。目を伏せて前へ歩く女性を斜めの移動撮影で「いずこの地が異郷にありて我ら思う。真の友よ、いずこ」という男が直子に合流し、直子は「私はあなたと初めてお会いしました」と言い、離れて向かい合い立つ男の方へ歩きながら直子は「その時、私、理由のなき気恥ずかしさにとらわれていました。それはいつも外国で日本の方と出会った時に感じる感情なんです。日本人であって日本人でない私」。再び向こうへ歩く男とこっちへ進む直子がすれ違い、「あたなは快活にしゃべった。日本語の会話を心から楽しんでいるように」と言って女性の背後に回り込むと、直子は「いいえ、私は自分のそうしたおもはゆさから逃げようとして、とりとめもなくおしゃべりしましたの。あなたと話すことでとまどいから抜けられる。そう思って」といった感じです。
 シーンごとに岡田さんは違った色の服を着て出ていて、ラストでは川村に直子は「あなたの探しているカゲドラルはイタリアのアドリア海に面した町にあったことを知っていたの。夕暮れのそのカテドラルに私は長崎を見た! 母と弟と全ての記憶を失った長崎を!」と言い、「僕のカテドラルは既に破壊された。それはあなただったからだ」と言って直子の許を去る川村を、「愛には時間がない、私には時間がない」と言って、直子がローマの町の中で追い掛けるというものでした。これほど登場人物が歩く映画というのも珍しく、あらすじに捕われることなく、画面構成の面白さと優れたモノローグとダイアローグを聞いて楽しむ映画なのだとも思いました。(予告編で同時上映が『小さな兵隊』となっていたのには時代を感じました。)

 →Nature Life(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto