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チャールズ・チャップリン『チャップリン自伝 若き日々』その1

2019-06-03 07:53:00 | ノンジャンル
 昨日、「福島原発かながわ訴訟判決を受けて」というイベントに昼の12時から午後の4時まで参加してきました。第一部は映画「恐怖のカウントダウン━東海第二原発を止めたい━」の上映、第二部はシンポジウムで、弁護団の黒澤知弘さんのパワーポイントを使った報告、原告団の村田弘さんと唯野久子さんによる原発被害者の置かれている状況の説明、芸人でありながら原発被害の現場を訪れ情報発信を続けている「おしどりマコ」さんによる、パワーポイントを使っての原発被害者の置かれている状況の説明、そして最後参加者の方からの質疑応答がありました。私は「おしどりマコ」さんからの報告が一番印象的でした。

 さて、2017年に新潮文庫で刊行された、中里京子さん訳のチャールズ・チャップリン『チャップリン自伝 若き日々』を読みました。
 「訳者あとがき」から一部引用させていただくと、

 チャーリー・チャップリン━━不世出のコメディアン、映画俳優、映画監督、脚本家、映画プロデューサー、作曲家。それだけの役をすべてひとりで、しかもそれぞれ完璧にこなした天才。その名を抜きにして映画史を語ることはできない。それに、なんといっても、彼の映画は文句なしに面白い。
 ところが今、チャップリンという名前はなんとなく知っていても、どんな人かよく知らないし、映画も見たことがない、とうい若い人たちが多いらしい。考えてみれば、チャップリンが生まれたのは1889年。日本は明治22年、大日本帝国憲法が公布され、東海道が全線開通し、当時外務大臣だった大隈重信が襲撃されて右足を失った年である。初期の名作『キッド』は1921年(大正10年)、『黄金狂時代』は1925年(大正14年)、『サーカス』は1928年(昭和3年)の作品だ。こうしてみると、100年近くも前の遠い昔の作品だと敬遠されても無理ないのかもしれない。
 わたしは、名画座の特集やテレビのゴールデンタイムの洋画劇場などでチャップリンの作品に接してきた。そのときですら、リアルタイムの映画ではなく、それこそ誰にとっても“大昔の”映画だったわけだが、ちっとも古臭い感じはしなかった。(中略)じつは、今年(2017年)はチャップリンの没後40周年にあたる。この機会に、チャップリンの作品の楽しさ、すばらしさ、奥深さに触れてみたらいかがだろうか。そして、そうした作品を生み出したチャップリンの人となりを、本人自ら綴った本書で垣間見ていただけたら幸いだ。
 そんなわけで、往年のコアなファンの方には恐縮だが、原著ペンギン版の著者紹介を下敷きにして、チャップリンの略歴をかいつまんで紹介させていただきたい。
 チャーリーことチャールズ・スペンサー・チャップリンは、1889年4月16日、英国ロンドン、ウォルワースに生まれた。同じくロンドンのランベス地区に移ったあと、ふたたび引っ越し、ビッグベンからあるいて2~30分のところにあるケニントンで幼少期を過ごす。両親はふたりともミュージックホールの寄席芸人だったが、チャップリンが三歳になる前に別居。そののち父親はチャップリンが12歳になったときにアルコール依存症で早世。母親はその前から救貧院や精神病院に収容されていたため、チャップリンは父親違いの四歳離れた兄シドニーとともに、六歳で孤児・貧困児施設に送られた。その後、子どもの木靴ダンス一座の団員として10歳でプロの芸人となり、『シャーロック・ホームズ』の巡業で役者として舞台に立ったあと、フレッド・カーノー一座の人気喜劇俳優になる。
 19歳のとき、チャップリンはヘティ・ケリーという美しいダンサーと恋に落ちた。(中略)
 さて、カーノー一座の劇団員としてアメリカを巡業していた1913年、チャップリンはロサンゼルス郊外にスタジオがあったキーストン映画社にリクルートされる。そこで出演した一巻物の喜劇から生まれたのが、ご存知「小柄な浮浪者(リトル・トランプ)」のキャラクターだ(「放浪紳士(ジェントルマン・トランプ)」という名でも知られている。)
 その後は、作品の監督と主演も兼ねるようになり、より多くの自由裁量権と給料を求めて、エッサネイ社会、ミューチュアル社、ファーストナショナル社へと、次々に移籍した。この時期の特筆すべき作品には、『チャップリンの勇敢』、『チャップリンの移民』、『犬の生活』、『担(にな)え銃』、『キッド』などがある。1919年にはダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、D・W・グリフィスとともにユナイテッド・アーティスツ社を設立し、『巴里(パリ)の女性』、『黄金狂時代』、『サーカス』、『街の灯』、『モダン・タイムス』、『独裁者』、『殺人狂時代』、『ライムライト』といった数々の名作を世に送り出した。その後、さらに日本の長編映画『ニューヨークの王様』と『伯爵夫人』を制作し、本自伝を完成させている。

(明日へ続きます……)