田嶋陽子さんの1992年作品『愛という名の支配』を読みました。本文の中から、いくつかの文章を転載させていただくと、
・フェミニズムと言うと、「モテない女のヒガミだ」とか「よほど男にいじめられたんだろう」などという反応がかえってきたものだ。
私のフェミニズムの原点は母である。
私の母はきびしい人で、病気でベッドに寝たまま数年間、身動きできないでいたときでも二尺ものさしを使って私をしつけた。「勉強しなさい」と言う一方で、「勉強ができて何になる。女らしくしないとおヨメのもらい手がないからね」と反対のことばで脅した。私は母のことばでがんじがらめにされた子ども時代を送った。
十八歳で東京に出て親元を離れてからも、私は母の見えない糸で支配されつづけていた。女であることが不自由で言いたいことも言えず、自分が自分でなかった。どうして私はこんなに苦しいんだろう、どうしてこんなに生きづらいんだろう、きっと私が人間として未熟だからなんだ、と苦しみつづけた。
苦しみから解放されたくて、自分なりに母との関係、男との関係、社会との関係を考え、分析に分析を重ねた。そして自分が、ひいては女性全員が置かれている差別的状況をフェミニズムの立場できちんと理屈づけられたとき、私は救われた。長い時間がかかった。
私を苦しめていた母も、その母から苦しめられていたことがわかった。母も祖母も、女性ということで、自分の生きたい人生を生きられないでいた。母たちは娘たちを支配することで、そのうっぷんを晴らしていたのだ。私が悪いわけではなかった。母が悪いわけでもなかった。
女性たちを縛りつけている抑圧の輪が見えたとき、私は母を許すことができたし、それまで「どうして女の人はこうなんだろう」といぶかしく思っていたことも理解し、納得することができた。
この本は、私に大きな影響を与えた母との葛藤と、そこから解放されるまでの過程で発見したことを描いている。女性を苦しめているものは何か、それを抜本から解き明かしていくなかで浮かび上がってきたものは、女性全体を一人残らず支配し尽くしている“構造としての女性差別”である。
知ることはつらい。自分が差別されているなんて思いたくはない。だから逃げ出したくなるけれど、自分がどういう状況に置かれているのかわからない五里霧中のほうが、もっとつらい。まず知ること、それこそが、救われるための第一歩だと思う。
・子どもというのは、いちばん“ドレイ根性”を植えつけられやすい状況にいます。でも親の言うことはきかなければいけない。そうでないと、不良だとか、悪い子だとか、かわいくないとか、いろいろ烙印を押されてとてもつらい。(中略)子どもは親から逃げられないしくみになっているんです。ですから、親はそこにつけこもうと思えば、いくらでもつけこめるということです。
・しつけの名において、教育の名において、愛の名において、母親が子どもをいじめるというのは、母親自身の生き方の問題に大きくかかわっているということです。(中略)子どものためにしか生きることを許されていない人は、とても抑圧された人生を生きています。抑圧された人間は、うっかりしているとそれとは知らないで、自分よりもっと弱いものをひどい目にあわせることがあります。
母は、抑圧されっぱなしで出口のない状況のなかにあって、やり場のない怒りと不満で心のなかが煮えたぎっていたんですね。その煮え湯をだれかにぶっかけたかった。だれかがそれで苦しむのを見たかった。それで溜飲が下がるような気になったのではないでしょうか。(後略)
・いじめの構造としてとらえれば、抑圧されている人、いじめられている人が、こんどは自分より弱いものをいじめるというような、学校で起きているのとおなじことが、家庭でも起きているということです。会社でイヤな思いをしてきたお父さんが、家に帰ってきて文句を言う。妻をなぐる、あるいは無視する。家計がどうのこうの、掃除がどうのこうのと文句を言う。すると、夫にいじめられたお母さんはこんどは、「あんた、なにやってんの、勉強したの」などと、子どもを叱りとばす。つぎに、その子は犬を蹴とばす。犬がいなければ、学校に行って抵抗しそうもない子を選んでいじめる。そういう構造になるんですね。
・人は、自分をいじめる人からのがれたいと思うと同時に、自分をいじめる人に対して自分の思いを伝えたい気持ちでいっぱいになるのです。なぜ自分をやさしく愛してくれないのか、なぜ自分の気持ちをわかってくれないのか。なぜ叱るまえに自分の言い分を聞いてくれないのか。(中略)その思いがひとつの愛のかたちにもなりうるんですね。
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)
・フェミニズムと言うと、「モテない女のヒガミだ」とか「よほど男にいじめられたんだろう」などという反応がかえってきたものだ。
私のフェミニズムの原点は母である。
私の母はきびしい人で、病気でベッドに寝たまま数年間、身動きできないでいたときでも二尺ものさしを使って私をしつけた。「勉強しなさい」と言う一方で、「勉強ができて何になる。女らしくしないとおヨメのもらい手がないからね」と反対のことばで脅した。私は母のことばでがんじがらめにされた子ども時代を送った。
十八歳で東京に出て親元を離れてからも、私は母の見えない糸で支配されつづけていた。女であることが不自由で言いたいことも言えず、自分が自分でなかった。どうして私はこんなに苦しいんだろう、どうしてこんなに生きづらいんだろう、きっと私が人間として未熟だからなんだ、と苦しみつづけた。
苦しみから解放されたくて、自分なりに母との関係、男との関係、社会との関係を考え、分析に分析を重ねた。そして自分が、ひいては女性全員が置かれている差別的状況をフェミニズムの立場できちんと理屈づけられたとき、私は救われた。長い時間がかかった。
私を苦しめていた母も、その母から苦しめられていたことがわかった。母も祖母も、女性ということで、自分の生きたい人生を生きられないでいた。母たちは娘たちを支配することで、そのうっぷんを晴らしていたのだ。私が悪いわけではなかった。母が悪いわけでもなかった。
女性たちを縛りつけている抑圧の輪が見えたとき、私は母を許すことができたし、それまで「どうして女の人はこうなんだろう」といぶかしく思っていたことも理解し、納得することができた。
この本は、私に大きな影響を与えた母との葛藤と、そこから解放されるまでの過程で発見したことを描いている。女性を苦しめているものは何か、それを抜本から解き明かしていくなかで浮かび上がってきたものは、女性全体を一人残らず支配し尽くしている“構造としての女性差別”である。
知ることはつらい。自分が差別されているなんて思いたくはない。だから逃げ出したくなるけれど、自分がどういう状況に置かれているのかわからない五里霧中のほうが、もっとつらい。まず知ること、それこそが、救われるための第一歩だと思う。
・子どもというのは、いちばん“ドレイ根性”を植えつけられやすい状況にいます。でも親の言うことはきかなければいけない。そうでないと、不良だとか、悪い子だとか、かわいくないとか、いろいろ烙印を押されてとてもつらい。(中略)子どもは親から逃げられないしくみになっているんです。ですから、親はそこにつけこもうと思えば、いくらでもつけこめるということです。
・しつけの名において、教育の名において、愛の名において、母親が子どもをいじめるというのは、母親自身の生き方の問題に大きくかかわっているということです。(中略)子どものためにしか生きることを許されていない人は、とても抑圧された人生を生きています。抑圧された人間は、うっかりしているとそれとは知らないで、自分よりもっと弱いものをひどい目にあわせることがあります。
母は、抑圧されっぱなしで出口のない状況のなかにあって、やり場のない怒りと不満で心のなかが煮えたぎっていたんですね。その煮え湯をだれかにぶっかけたかった。だれかがそれで苦しむのを見たかった。それで溜飲が下がるような気になったのではないでしょうか。(後略)
・いじめの構造としてとらえれば、抑圧されている人、いじめられている人が、こんどは自分より弱いものをいじめるというような、学校で起きているのとおなじことが、家庭でも起きているということです。会社でイヤな思いをしてきたお父さんが、家に帰ってきて文句を言う。妻をなぐる、あるいは無視する。家計がどうのこうの、掃除がどうのこうのと文句を言う。すると、夫にいじめられたお母さんはこんどは、「あんた、なにやってんの、勉強したの」などと、子どもを叱りとばす。つぎに、その子は犬を蹴とばす。犬がいなければ、学校に行って抵抗しそうもない子を選んでいじめる。そういう構造になるんですね。
・人は、自分をいじめる人からのがれたいと思うと同時に、自分をいじめる人に対して自分の思いを伝えたい気持ちでいっぱいになるのです。なぜ自分をやさしく愛してくれないのか、なぜ自分の気持ちをわかってくれないのか。なぜ叱るまえに自分の言い分を聞いてくれないのか。(中略)その思いがひとつの愛のかたちにもなりうるんですね。
(明日へ続きます……)
→サイト「Nature Life」(http://www.ceres.dti.ne.jp/~m-goto)