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篠崎誠『映画とは何か、これでもまだ映画か、という問いかけ』

2019-02-11 05:08:00 | ノンジャンル
 2016年に映画アーカイブが行った「生誕100年 映画監督 加藤泰」に寄せて、篠崎誠さんが書いた「映画とは何か、これでもまだ映画か、という問いかけ」という文章の一部を転載させていただきます。

・一つ目は出演者全員がノーメイクであるということ。

・もう一点。ノーメイク以上に重要と思えるのが、完全なる全篇同時録音(オール・シンクロ)だ。

・そこまでしてシンクロ(同時録音)にこだわった理由は何なのか。加藤泰は「嘘をつきたくないからだ」と言う。「嘘をつかない」とはどういうことか。その台詞が俳優の口から発せられた時の、二度と再現できぬ演技の一回性に賭けること、と同時に空間の残響もまるごと録るということだ。映像に置き換えれば、わかりやすい。

・おそらく『風と女と旅鴉』の時点では、「嘘のない音」という表現の仕方で加藤泰が当初目指したのは、リアリズムに依拠した同時録音だったのではないかと思う。しかし、それがある時から変わってくる。

・この二つのうち特に加藤を惹きつけてやまなかったのは、後者の、映像と音の非同時性であったことは、加藤泰の映画を見てみれば明らかである。

・画面に映し出されたものの音をリアルに再現することに留まらず、フレームの外を音によって想像させるというだけでもなく、そこで本来聞こえないはずの、ある音を響かせることで、映画にもう一つ別の位相を呼び込むような音作り(たとえば『江戸川乱歩の陰獣』(1977年)で大友柳太郎と田口久美が碁を打つ音がいつしか鞭の唸りに変わる瞬間!)。当然音作りが変われば、映像そのものも変容せざるを得ないのは言うまでもない。

・ずばり、そんな音と映像の真剣勝負によって、加藤の映画がさらに大きく飛躍し、それに呼応して画面の調子も尋常ならざるものに変貌していくのは、『日本侠花伝』(1973年)以降である。

・加藤泰が松竹に招かれて撮った『男の顔は履歴書』(1966年)と、東映に戻って撮った『緋牡丹博徒 お命戴きます』(1971年)である(60年代の充実した作品群の中で、なぜこの2本なのかは後述する)。

・どちらの映画も、ジャンルや物語性の違いをこえて、通常のリアリズムを超えたような夢幻的な時間が突出した形で現れる。

・人間には誰もが、幸せに生きる権利がある。それにも関わらず、それを阻む何か、差別意識、権力の支配、そういったものが許せない。それに抗おうとする人々の魂の叫び。

・伊藤がそれを描いたこと、言い換えれば、映画が思想を語ることが出来ること、そして何よりも人間をまるごと描くことができると教えてくれたのが他ならぬ伊藤大輔であり、それこそが伊藤の映画から自分が学びとったものだった、と。

・加藤は、人間を不条理な存在に押しやる制度、差別、権力構造を心の底から憎んだ。そのことが最も激烈に、かつリアリズムを超えた音と映像の表現として描かれたのが、当時「三国人」とも呼ばれた人々を真正面から描いた『男の顔は履歴書』であり、一見すると会社からのお仕着せ企画に見えかねない『緋牡丹博徒 お命戴きます』なのではなかと思う。

・前者では無意味な差別、後者では公害問題。いわば、娯楽映画の中に、アクチュアルな社会問題をとりこみ、単にうまく映画的に処理してみせたのではなく、むしろそのことで映画が歪みを生じようとも、映画の表現に結びつけ、格闘した。この2本においては、前述した音と映像との非同時性が、商業映画としての出来の良し悪しを超えた何かとして間違いなく宿っていると思えてならない。

 一流の加藤泰論でした。

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