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西加奈子『サラバ!』その16

2017-07-12 05:47:00 | ノンジャンル
 また昨日の続きです。
 東京に着いて、僕はすぐに須玖と鴻上に会いに行った。「私たち、お付き合いすることになったんです!」鴻上は言った。笑え。でも僕の表情筋は、意に反して、まったく動かなかった。「いやぁ、本当に今橋さんのおかげですよ!」「ほんまやなぁ。」ふたりは、今や完璧にふたりの世界にいた。「だから、早く今橋に報告したかってん。」僕は言った。「鴻上が大学のとき、すごいビッチやったことは、須玖は知っとかなあかんやんな?」おぞましいことに、僕はそのときになって、初めて笑った。「はは、知ってたよ。」でも須玖は、笑った。鴻上は須玖を見つけた。僕は最愛の友人たちの幸せを、心から喜ぶことが出来なかった。
「第六章 『あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ。』」
 僕の毛は、抜け続けた。須玖と鴻上からは、連絡が来続けていた。どれも誘いのメールだったが、僕は忙しいふりをした。だが、それでも僕は、スマートフォンを解約することまではしなかった。僕はまだ何かにすがっていた。僕は父、そして矢田のおばちゃんがくれた金で生活していた。時間は有り余るほどあった。僕は本を読んだ。そして図書館に出かけ、ほぼ一日そこで過ごすようになった。僕はおそらく、よほど感じやすくなっていた。ちょっとした言葉に驚くほど胸を打たれ、滂沱の涙を流すことがよくあった。図書館から家までの間で、浮かれたカップルや若い男女を見ると、僕は無意識に彼らを憎んでいた。須玖と鴻上は、クリスマスも年末年始も、会おうと誘ってくれていた。少し前に届いた母からのメールには、『年末年始には、なっちゃんと一緒に貴子の家に行きます。』そう書かれてあった。こんなに簡単に姉を許す母が情けなかったし、こんなに簡単に許された姉を、僕は絶対に許したくなかった。
 ある日、姉からの手紙が来た。『元気ですか? この前は少し言いすぎました。本当にごめんなさい。私はずっと両親に、特にお母さんに腹を立てていたように思う。でも、お父さんに話を聞いてから、私はすべてを了解しました。彼らは彼らの人生を生きたのよ。私とお母さんはたくさん話をしました。お母さんがうんと若かった頃のことも。私がもらった矢田おばちゃんの「すくいぬし」、あの紙は、今はお母さんのものなの。夏枝おばさんも喜んでくれたし、私もそうよ。歩、歩きなさい。』その言葉は、僕を恐ろしいほどにかき乱した。
 僕は父に会いに行った。僕は予め父に手紙を書いていた。父は数年前と、何も変わっていなかった。つまり父は、僕なんかより、うんと若々しかった。父は本当に僧侶になったのだ。「なんで、出家しようと思ったん?」「せやなぁ。理由はいろいろあるなぁ。」「お父さん、なんでお母さんと別れたん?」「お父さんとお母さんが出会ったのは、カメラの会社やって言うたよな。お母さんはKさんと親しかった。そのKさんとお父さんは、当時恋人同士やった。いつからなんやろう。お父さんは、段々お母さんに惹かれていくようになった。お父さんはKさんと結婚する。だから絶対にお母さんを見てはあかんかった。でもお父さんとお母さんは、若かった。Kさんと秘密で会うようになった。お母さんはKさんに言った。『大好きなあなたに、こんなひどいことをしたから、その代わり、私は絶対に幸せになる。』きっとそれが、お母さんがKさんに言える中で、いちばん誠意ある言葉やったんやと思う。お父さんとお母さんは会社をやめた。お父さんは結婚しても苦しかった。毎日Kさんの夢を見た。逃げたかった。貴子もそうやけど、歩という名前は、お母さんがつけた。前に進みたかったんやと思う。過去のことを忘れて、家族4人、前に進もうと思えた。」
 「歩は、覚えてないかもしれへんけど、Kさんから手紙が来た。教えたのは、うちの母やった。Kさんは末期のガンやった。最後に会いたい、と書いてた。お父さんはそのとき、正直、お母さんとだめになるかもしれへんと思ってた。でも、お父さんはKさんに、会いに行ったんや。Kさんは、ひとりやった。ずっとひとりやった。Kさんは、最後に会えて良かった、と言うた。お父さんはただただ、泣いた。お父さんがカイロに戻ってから、それでもKさんは1年ほど生きた。そこからは、歩も覚えていると思う。お母さんがどうなったか、お父さんがどうなったか。今は毎日読経してる。Kさんのためだけやない。Kさんのためでもあるし、結局は自分のためや。」だがそれが母のためだったとしても、母は父といたかったのだ。母は父と幸せになりたかったのだ。こんなに悲しいすれ違いはなかった。母にとっての「すくいぬし」は父だけであることを、姉はきっと母に認めさせたのだ。(また明日へ続きます……)

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