常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

2016年02月26日 | 漢詩


最近、年のせいか涙もろくなったような気がする。テレビでドラマの感動シーンで急に涙が込み上げてきたり、スポーツ番組でも応援している選手が活躍したときもそうである。若いころはそんなことはなかったように思うが、感動には差がないのに何故か涙が出てくる。

コボで小説を読むようになって、不思議に涙が出る機会が多くなった。朝井かまて『恋歌』、小川糸『食堂かたつむり』、『つるかめ助産院』、葉室麟『蜩ノ記』、三浦しおん『木暮荘物語』など、コボの液晶画面を見入って涙ぐむと、きまって妻にからかわれる。そんな感動シーンのあまりない『ビブリア古書堂の事件手帳』を読んでいても、涙が出てくるのは我ながら恥ずかしいような気がする。

唐の詩人陳子昂に「幽州の台に登る歌」がある。詩人は彼の地の高台に独り登り、愴然と涙を流している自分を詩に詠んでいる。

前に古人を見ず

後に来者を見ず

天地の悠々たるを念ひ

独り愴然として涕下る

悠久の大地で、独りいる自分を思い、どっと涙があふれる。愴という字には悲しいと意味を含んでいるが、悲しくて涙が流れたのではあるまい。悠久な地に対して、あまりにも小さな存在に過ぎない自分。それはかけがえのない自分でもある。そんな自分の存在に気付いたとき、詩人の目にはわけもなく涙が下ったのである。ドラマや小説を読んで流す涙とは、あまりにも質の違う涙である。
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月を見る

2016年02月19日 | 漢詩


岑参という人は、玄宗皇帝の天宝8年(749)と同13年、安西(現新疆ウィグル)の都護府へ赴任している。それから、1200年も経ってこの地区の人々は、いまなおまつろわぬ民で、独立を主張している。この地区にはゴビ砂漠があり、人を寄せつけようしない辺境であった。

 磧中の作  岑参

馬を走らせて西来天に到らんと欲す

家を辞してより月の両回円なるを見る

今夜知らず何れの処にか宿せん

平沙万里人煙絶ゆ

磧というのは、小石の混ざった砂、沙漠のことである。馬を西へ走らせ、余りの遠さに天に行くようだ、という表現は漢詩でなかればなかなか味わうことのできない見事な表現だ。家を出てから、満月になるのを2回見る、つまり30日が過ぎたことになる。沙漠のなかで、変化を遂げているのは月の満ち欠けのみである。平沙万里人煙絶ゆ、とはなんと西安は荒涼とした、人間を拒絶してやまない辺境なのだろう。この詩を、詩吟の教室で教わってから20年が経った。
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寒梅

2016年01月30日 | 漢詩


今年は暖冬のため、ブログも梅の開花の記事で賑わっている。今朝はうす曇りで少し日がさしているが、小雪がちらついている。ベランダの梅の鉢にも雪が降りかかるが、つぼみは日に日にふくらんでいく。その生命力の神秘に目を奪われる。王維の詩に、寒梅を詠んだものがある。

君自故郷来 君は故郷よりき来たる

應知故郷事 まさに故郷の事を知るべし

来日綺牕前 来日 綺窓の前

寒梅着花未 寒梅 花を着けし未だしや

綺窓というのは、美しい飾りのある窓のことで、妻の部屋の窓を意味している。旅先の夫が故郷にいる妻を思いやっているのである。王維は与謝蕪村も愛した唐の詩人であるが、簡易な言葉づかいのなかに深い心遣いを詠嘆する。杜甫や李白の難解な詩は読むのに疲れるが、王維の詩はまっすぐに心に響いてくる。実に愛すべき詩人である。
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四時の歌

2016年01月08日 | 漢詩


陶淵明の詩に「四時の歌」というのがある。この詩は、淵明以後の中国や日本の季節感に大きな影響を与えた詩だ。

 四時歌 四時の歌 陶淵明

春水満四沢 春水 四沢に満ち

夏雲多奇峰 夏雲 奇峰多し

秋月楊明輝 秋月 明輝きを揚げ

冬嶺秀孤松 冬嶺 孤松秀ず

通釈すれば、春は水が四方の沢に満ち、夏の入道雲が峰の奇観のようだ。秋の月は明るく輝いて空にかかり、冬枯れの嶺には松の緑がひときわ目立つ。と、いうことになる。春夏秋冬を、その季節を代表する風物で象徴した詩である。

春と水。一般的には春は花で代表することが多いが、古くは氷が融けて、水が溢れ生命を育むものが置かれる。古今集に「谷風にとくる氷のひまごとにうち出る波や春の初花」というのもあり、春は先ず氷がとけて水が温み、その後に花が咲くということになる。

夏は雲。これは入道雲である。芭蕉が「雲の峰いくつ崩れて月の山」と詠んだように、夏の象徴として広く受け入れられている。さらに秋と月も、漢詩は和歌に詠まれることは多い。

冬に松を持ってきているのは、古くは『論語』に見られる。「歳寒くして松柏の凋むに後るるを知る」この松の冬にも緑を残すことへの畏敬は、やはり中国や日本の古くからある自然観の原型であるのではないか。この詩は、ことしの、日本詩吟学院の独吟コンクールの課題吟になっている。

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一陽来復

2015年12月30日 | 漢詩


青空の歳末となった。冬至を過ぎて心なし、陽ざしが強くなったような気がする。雪が多かった昨年に比べると、朝屋根にうっすらと雪を見るぐらいの冬景色だ。滝山の雪が、やっと青空とのコントラストをなしている。一陽来復とは、易で陰暦10月に陰気が最大になり、冬至に至って陽気が生じ始めること言う、と漢和辞典が説明している。今年は、ことの他の暖冬で、この言葉がぴったりの季節の巡りである。

中国には古い言い伝えがある。水の神に不才の子があった。この子が冬至の日に死んで疫病神になったが、なぜか赤い豆を恐れたという。そこで、人々は小豆の入った粥を炊いてお祓いをするようになった。こんな言い伝えが、日本にも入って来て、冬至には小豆カボチャを炊く風習が生まれたのかも知れない。だが、小寒から大寒を過ぎ、立春に至るのはまだまだ先である。

 内に示す  沈受宏

歎ずる莫れ貧家歳を卒うるの難きを

北風曾て過ぐ幾番の寒

明年桃柳堂前の樹

汝に還さん春光満眼の看

清の詩人沈が、歳末に旅先で妻に送った詩である。貧しい家で、歳末に夫の帰りを待つ妻に、詩のなかで、春光のなかに咲く、桃や柳の花の景色をプレゼントした。「北風 幾番の寒」と「春風 満目の看」との対比、明暗を強く打ち出したところがこの詩の眼目である。 
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