常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

明日歌

2016年09月11日 | 漢詩


シュウメイギクが咲く季節になった。近所の玄関先で、去年まで見事な花を咲かせていたが、よく見ると、4枚あるはずの花びらがあちこちで欠けている。それでも、その薄桃色の花は、実に美しい。花の木にも老いがあるいうことなのだろうか。

唐の時代にもてはやされた「明日歌」という古詩がある。

明日また明日と、明日の何ぞ多きことか。
わが人生は万事明日を待って、万事蹉跎を感ず。
春去り、秋来って、老いまさに至らんとす。
朝に水の東に流るるをみて、
暮には日の西に墜つるをみるのみ。
百年の明日よくいくばくぞや。
請う、君よ、わが明日の歌を聞け。

花にも老いがあるとすれば、まして人間の生は限られている。私自身、男性の平均寿命まで数年を残すのみである。唐という異国の昔の詩に、こうして老いを迎えた人もいたことに、今さらのように心を打たれる。



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蝸牛

2016年07月06日 | 漢詩


断続的に降る雨に、緑がさらに深くなる。葉の上をよくみると、蝸牛が角を出して静かに葉を食べている。カタツムリを蝸牛と書くのは、この角があるせいだ。この小さな蝸牛の角に人生を擬した漢詩がある。日本人に人気のある白居易の「酒に対す其二」だ。

対酒   白居易

蝸牛角上争何事 蝸牛角上何事をか争う
石火光中寄此身 石火光中此の身を寄す
随富随貧且歓楽 富に随い貧に随い旦く歓楽せん
不開口笑是癡人 口を開いて笑わざるは是れ痴人

蝸牛角上の争いというのは、荘子の寓話。カタツムリの左右の角に国があり、覇を競って激しく争った。国の争いをカタツムリの角のような小さなものに例え、無意味なことのいいにした。世間に生きる人であっても同じことである。石火光中とは、火打石が光るきわめて短い瞬間。人生をほんの短いものに例えた。そんなはかなくそして短い時間の生だからこそ、酒を飲んで楽しもう。愉快になって笑わない奴は、愚か者なのだ。白居易の明るい人柄が偲ばれる詩である。

やさしさは殻透くばかり蝸牛 山口 誓子
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静夜思

2016年06月28日 | 漢詩


ある雑誌が「漢詩国民投票」というものを実施した。その結果、好きな漢詩では李白の「静夜思」が5位に入った。因みに第1位は杜甫の「春望」で、2位に杜牧の「江南の春」、3位王維の「元二の安西に使いをするを送る」、そして4位孟浩然の「春暁」となっている。好きな詩人を見ると1位杜甫、2位李白、3位白居易、以下杜牧、王維、陶淵明と続く。日本の詩人では7位に頼山陽が入っている。この投票は、2002年に漢詩の専門雑誌が行ったもので、投票数も363名に過ぎないので、実態を示しているとは言えないが、その傾向は得心がいく。

今週の実施される山形岳風会山形地区本部の吟詠大会で、わが教場の合吟がこの「静夜思」を吟じることになり、教場で出吟する人たちで練習をしている。

 静夜思 李白

牀前 月光を見る

疑うらくは是れ地上の霜かと

頭を挙げて山月を望み

頭を垂れて故郷を思う

詩の意味は、ここで書くまでもなく明瞭だが、月光を地上の霜と詠んでいることに注目したい。実際に中秋の名月に北京の行った人の話では、日本の光景とは違い庭の土が霜の真っ白に見えるということである。乾いた黄土に月光があたれば、白く見えることに注意を置く。また、頭を垂れるのは、望郷の念に駆られた人の姿勢である。井伏鱒二にこの詩の名訳がある。

ネマノウチカラフト気ガツケバ

霜カトオモフイイ月アカリ

ノキバノ月ヲミルニツケ

ザイショノコトガ気ニカカル (井伏鱒二 訳詩)
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一片の月

2016年06月20日 | 漢詩


『石川忠久・中西進の漢詩歓談』が抜群に面白い。漢詩の権威、石川忠久と古代日本文学の泰斗中西進が、漢詩の面白さを縦横に語っている。漢詩が日本の万葉集や古今集の紀貫之などの季節感に与える影響など、漢詩の見かたに新しい視点を提起している。李白の子夜呉歌四首其の三は

 長安 一片の月
 万戸 衣を擣つの声
 秋風 吹いて尽きず
 総べて是れ 玉関の情
 何れの日にか 胡虜を平らげて
 良人 遠征を罷めん

中西進はこの詩の面白さを語っている。「前半の景の部分ですが、まず月というのはみんなが見ている。秋も、良人もその季節の中にいる。ところが砧というのは、現在の女性の方にしか聞こえていない。そういうものが「総べて是れ」と一つになっているのが、非常に面白かったんです。この詩の獲得する空間がものすごく大きくなってくるでしょう。」

石川忠久は一片の月にふれて語っている。「まんべんなくそそぐ雨のことを「一片の雨」と歌った例があります。ですから「一片の月」というと、光がまんべんなく降りそそぐというようなイメージがあります。」

また中西は、「衣を擣つ」で万葉集では、「旅先の夫の着物をすごく問題にします。着物というものを媒体として夫婦がつながるというモチーフが、かなり普遍的にあります。」と語り、妻の情が戦場にある夫を思いやる象徴して、衣があるのではないかと推測する。二人の学者の想像力が、漢詩や和歌の世界を大きく広げる刺激的な一冊である。大修館書店刊、1400円+税。
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豆を植う 陶淵明

2016年05月17日 | 漢詩


陶淵明が「帰去来の辞」を書いて、廬山の麓の園田に帰るは、406年42歳のときである。詩に若いころから、人と調子を合わせて交際することができず、鳥が旧林を求め、魚が故淵を求めるように自分も園田の居に帰ってきたと吐露している。

荒を南野の際に開かんとし、
拙を守って園田に帰る

漱石もこの詩に共感を覚え、「木瓜咲くや漱石拙を守るべく」の句を詠んだ。淵明はこの園田の地の穢れて雑草が生い茂るなかを、甥や姪を連れて、足を踏み入れてみた。墓地のなかに、旧跡の家があり、竹や桑のも株となって残っていた。その荒野を拓いて、淵明が豆を植えた様子を詩に書いている。

其の三

豆を植う南山の下、
草盛んにして豆苗稀なり。
晨に興きて荒穢を理め、
月を帯び鍬を荷って帰る。
道狭くして草木長び、
夕露我が衣を沾らす。
衣の沾るるは惜しむに足らず、
但だ願いをして違うこと無からしめよ。

雑草を取るために、朝の星のあるうちに家を出、仕事を終えて家路につく頃には月が出ている。そんな苦労にも、願いはひとつ植えた豆が無事に成長することだけだ。猫の額のような畑を耕している身にも、陶淵明の心が痛いほど分かる。きのう撒いた種に、夕べから恵みの雨が降り注いでいる。きのう確認したが、一番はやく撒いたズッキーニが芽を出した。家で芽だししたものをその列に定植した。無事に成長してくれることを願うばかりだ。
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