シュウメイギクが咲く季節になった。近所の玄関先で、去年まで見事な花を咲かせていたが、よく見ると、4枚あるはずの花びらがあちこちで欠けている。それでも、その薄桃色の花は、実に美しい。花の木にも老いがあるいうことなのだろうか。
唐の時代にもてはやされた「明日歌」という古詩がある。
明日また明日と、明日の何ぞ多きことか。
わが人生は万事明日を待って、万事蹉跎を感ず。
春去り、秋来って、老いまさに至らんとす。
朝に水の東に流るるをみて、
暮には日の西に墜つるをみるのみ。
百年の明日よくいくばくぞや。
請う、君よ、わが明日の歌を聞け。
花にも老いがあるとすれば、まして人間の生は限られている。私自身、男性の平均寿命まで数年を残すのみである。唐という異国の昔の詩に、こうして老いを迎えた人もいたことに、今さらのように心を打たれる。