常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

わた雲

2013年08月27日 | 雲の名


もの干し場で洗濯物を干していると窓の外から風の音が聞えてきた。午後1時ころだ。ふと外を見ると大粒の雨が風に吹かれて室内に入っている。大粒の雨で、ちょっと雹に間違えるほど雨粒が白く見えた。空を見ると、南の空に雨雲があり、北の空は青空だ。南西にかけて雨が降っている。あわてて窓を閉める。雨が風を伴っているのがわかる。

30分ほどで雨は止み、夕方にかけて青空にわた雲が浮かんだ。南の空に積雲がやや発達して積乱雲になりかかっている。

万葉集にはたくさん雲の名がでてくるが、豊旗雲というのがある。万葉人がどんな雲を豊旗雲と詠んだのかはっきりしない。瑞雲、海にたなびくようにかかる雲と思われる。

海神の豊旗雲に入り日さし 今宵の月夜 さやけくありこそ 中大兄

この瑞雲は夕日に赤く染められて、海の上の空を彩ったのであろう。「わた雲は晴の兆し」という俚諺がある。ここのところの異常気象で、こんな諺もあてにならないが、わた雲が出るのは天気は安定しているときに多いという。
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秋の雲

2012年10月17日 | 雲の名


久しぶりに、秋空のきれいな雲を見た。すじ雲またはきぬ雲と呼ばれる。雲は偏西風に乗って、刻々と姿を変える。小一時間も経たないうちに、北西の空にいわし雲が現われる。午後になって、おぼろ雲が空を覆い、暗くなった。予報では、夜にかけて雨ということだから、雲と天気には密接な繋がりがあることが分かる。

朝、この絹糸のような雲をみると、碧空はどこまでも青く、身体がその中に吸い込まれそうな錯覚におちいる。散歩の足は軽やかで、疲れを覚えることもなく歩きつづけられる。

鰯雲動くよ塔を見てあれば 山口 波津女



先日採ってきた桜シメジと畑シメジに、シイタケと乾燥マイタケを加えて、妻がキノコご飯を作ってくれた。味噌汁には、アミタケが入れてある。どれもが、香り高い秋の味覚である。畑から収穫した枝豆が笊にいっぱい。残暑に苦しめられたぶん、秋の香りが癒してくれる。

もうひとつ、秋を感じさせるものは秋ナスである。秋ナスは嫁に食わすな、という諺もある。これは、ナスが冷えの食物で、女性は子宮を傷める原因になるという理屈だが、実は意地悪な姑が、嫁をいびる口実ではないかと勘ぐりたくなる。それほど、引き締まった秋ナスは、パリッとした歯ごたえでおいしい。

キノコとナスの相性がいいのは、ナスのなかにキノコのおいしさをしっかりと閉じ込めることができるからではないだろうか。

秋茄子をうましと噛みぬ老いたりや 中山 一庭人

この記事を書いているうちに、おぼろ雲で暗くなった空から沛然と雨が落ちてきた。やはり秋の空は変わりやすい。

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羊雲

2012年08月29日 | 雲の名


雨がない日が続く。気温35℃、たまに降るのも極地的な雷を伴う夕立だから、梅雨の時期を含めて少雨の夏ということになる。蔵王ダムや白川ダムなどの水がめの貯水も減少し、満水の20~40%の状態であるという。ニュースで雨乞いをする自治体もでてきたということだ。農園の方では、水かけをしているが、この乾燥には耐えられずは葉ものは断念、種まきもいつできるのか、不安である。

空には羊雲が出た。低気圧が近づいて大気中の水分が多くなると、この雲量が増え雲塊が密着してくる。こうなれば天気の変わる前兆だ。どこかで行った雨乞いが効を奏したのか、天気予報でも明日は日本海北部に雨マークがついた。

この雲を見ていると、かって山口百恵が歌っていた「いい日旅たち」を切なく思いだす。

ああ 日本のどこかに
私を待ってる 人がいる
いい日旅立ち ひつじ雲を探しに
父が教えてくれた 歌を道連れに

いまネットを開いて聞いてみても、百恵ののびやかで響きのある歌声は、昔と変わることなく心に届いてくる。それにしても、谷村新司がつくった詞は、なぜこうも切なく訴えかけてくるのか、謎である。あるいは、子供たちが親のもとから旅立っていったことと、心のどこかで結びついているのかも知れない。

考えてみると、この詞で、「日本のどこか」がキーのフレーズになっている。このフレーズはグローバルな時代、「世界のどこか」であってもいいはずだ。だが、この歌がヒットした時代にも、いまも変わることなく、日本には、まだまだ知らないたくさんの場所がある。同じ場所を見てさえ、いままで見えなかった発見がいくらもある。

こんなことを考えながら空を見ていると、羊雲はどんどんと姿を変える。夕焼けが雲の底にうっすらと現われた。

秋雲の厚きところは山に触る 篠原 梵
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すじ雲

2012年08月23日 | 雲の名


きのう36℃、きょうの予報は35℃。連日の猛暑のなかに秋を探している。見上げる空に変化が生まれている。きのうまで、最上川の上に出ていた入道雲が姿を消して、すじ雲が現われた。難しい正式の名は巻雲である。

巻雲は日本付近の高度10000mあたりに吹いている偏西風に乗って西から流れてきて、東へと去っていく。この雲はごく細かな氷の粒から出来ている。刷毛でなぞったような筋を見せているが、雨巻雲と晴れ巻雲の2種類がある。雨巻雲は低気圧や不連続線にともなって生じるもので、網状、縞状、帯状、波状の形を持ち見た目に含水量が多く、湿った感じがする。

晴れ巻雲は低気圧などには関係なく生じ、渦を巻いたり、屈曲したりしていて、乾燥した感じを与える。今出ている雲はどっちかと考えているうちに、すじ雲は東に去り西の空にさば雲が出てきた。



この雲も上空の不連続面のところに生じる。やはり気圧の谷の接近が、雲の様相を変えているようだ。雲の変化で見るかぎり天候は下り坂と考えられる。さば雲は30分もしないうちに東に去り、最上川の上空には入道雲が出始めた。

雲を見ながら、漱石の俳句と遊んで見る。

午砲打つ地城の上や雲の峯 明治29年

明治29年4月、漱石は四国松山から第五高等学校の教授として熊本へ赴任した。6月には妻鏡を娶っている。この夏熊本の猛暑は想像を絶していた。友人に「時下炎暑耐え難く御座候」と書き送っている。午砲はドンと云って昼を知らせる空砲で、皇居内で撃たれていた。半ドンも、この午砲からきている。熊本では熊本城でドンが打たれたのであろう。その城の天守閣の上に入道雲がむくむくと立ち上がっていた。絵柄の大きな句である。

衣更えて京より嫁を貰ひけり 明治29年

漱石の結婚式は6月9日であった。式は熊本の自宅の6畳でささやかに行われた。東京から連れてきた老女中と車夫が台所で働いたり、仲人と客までかねたものだった。ありあわせの盃で三々九度を済ませという略式だ。仕出屋の請求が7円50銭であった。式が済むと、あまりに暑いのでまず岳父が服をぬぎ漱石のかすりのゆかたを借り、やがて裸になった。花婿までフロックコートをゆかたに替えて肩ぬぎという無礼講に近い宴会になった。

北国生まれの私には肩ぬぎの宴会など想像もできないが、一度だけ経験がある。甲子園で夏の高校野球大会見学に招待されたときのことだ。まさに炎天下の野球大会である。氷のカチ割りというものがあんなに美味しいものとはじめて知った。夜は宝塚温泉の旅館で宴会があった。宴たけなわになると中庭が涼しくて気持ちがいいと、そこへ出て飲みなおしになった。みんな肩ぬぎになって、肌にとまる蚊を叩きながら飲んだことを覚えている。


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