合歓の花が東の丘に今年も咲いた。山野に自生する花で、すでに万葉集にも登場する日本古来の植物である。葉は羽状の複葉で、昼の間は開いているが、夜には閉じる。この習性から、万葉人は男女の共寝のシンボルと考えられていた。万葉では、合歓をねぶと読んでいた。大伴家持と紀郎女の贈答歌に、合歓の花を介した戯れの歌がある。
昼は咲き 夜は恋ひ寝る 合歓木の花 君のみ見めや 戯奴(わけ)さへに見よ 紀郎女
紀郎女は合歓の花の枝を歌にそえて送った。家持と紀郎女は親しい間がらではあったが、歌では紀郎女が主人で自らを君と呼び、家持は下僕で戯奴(わけ)と呼ぶ、遊びの歌になっている。独り寝の主人から、暗に共寝の誘いとも見られないことはない。
我妹子が 形見の合歓木は 花のみに 咲きてけだしく 実にならじか 大伴家持
あなたがくださった形見のねむは、花だけ咲いてたぶん実を結ばないのではないでしょうか、と家持は見事にやりかえす返歌になっている。ざっくばらんに言えば、あなたの口先だけのきれいごとでは、共寝などとても無理。ぐらいの意味である。名に郎女とつく女性は高貴な身分だが、宴席などで、このように戯れあって歌を送りあって楽しんでいた。そんなやり取りのなかで、恋が実現することがあったかも知れない。万葉学者のなかには、この歌を贈った紀郎女は、もう女性の盛りを過ぎて、若い家持をからかったとする人もいる。