常住坐臥

ブログを始めて10年。
老いと向き合って、皆さまと楽しむ記事を
書き続けます。タイトルも晴耕雨読改め常住坐臥。

不忘山

2016年07月16日 | 登山


蔵王連峰の南端にある不忘山に登った。この山には御前岳という別の名がある。なぜこの山が不忘山と呼ばれるようになったのか。それには歴史上の事件が由来している。1945年3月9日、この日太平洋」戦争は大きなクライマックスを迎えていた。米軍の戦闘機B29号が、東京へ大空襲を行い、東京が焼け野ヶ原に化すという惨劇が起こった。まさにその日、その米軍のB29号が3機、この不忘山の山中に墜落、死者30数名を出すという事件が起きた。なぜ東北のこの山中にB29号が飛来したのか、いまだに謎である。

B29といえば、当時の米軍の主力戦闘機で、この飛行機が雲の中から、日本の上空に姿を現しただけで、地上の日本人を恐怖の底に落とした。不坊山に落ちた機体や死体は、地元の人々の手で片づけられた。憎い敵機と兵士の遺体ではあったが、粗末に扱われることはなかった。墜落現場に不忘の碑が建てられたのは、この事件の16年後1951年のことである。敗戦後の混乱で、食糧さへままならぬ時代が続いたが、アメリカからの支援物資は、この山深い蔵王町にも届いた。碑は支援物資への感謝の念も込められていた。碑のあるところまで登る慰霊登山も行われた。いつしか御前岳は不坊山と呼ばれるようになった。



白石スキー場からのコースは、1000mの標高から1700mの頂上まで、標高差700m、歩行距離4・5キロの道程である。樹林地帯の登山道は、木々に覆われて展望が得られず、雪解け水や雨水にえぐられてなお水の残る粘土質の悪路で、しばしば足をとられて難渋した。救われるのは、そこここの茂みにひっそりと咲く高山の花々である。まづ線香花火のような花びらが可憐なキンコウカ。大群落というわけにはいかないが、水がたまる登山道の草むらに咲く姿に、疲れを癒される。疲れを忘れて思わずカメラを向ける。



尾根道のガレ葉に来ると、岩の間に小さな高山植物の花が急に増える。なかでもクルマユリの赤い花は、岩をバックにひときわ映える。あるガイドブックには、高山植物の代表と位置付けていた。不坊山の登山道には、たくさんの群落は見られず、それだけに見つけたときの喜びは大きい。



岩場にきて比較的多く咲いていたのがミネウスユキソウである。以前早池峰山に登ったとき、ハヤチネウスユキソウとヒメウスユキソウとの違いを教わったが、もはや忘却のかなたである。ミネウスユキソウには萼に繊毛が見られない。ただ葉が丸い形とあるので、この花はヒメウスユキソウかも知れない。



もうひとつ忘れてならないのはハクサンフウロである。写真は少し白っぽく映っているが、肉眼にはさらに濃い赤紫だ。尾根の向こうに北東方角に、南屏風岳、北の水引入道の間に後烏帽子岳の雄姿が広がる。梅雨の雨に祟られっぱなしの山行であったが、今日は頂上で太陽が出た。本日の参加者7名。内女性4名。登山開始7時30分。頂上着11時。昼食1時間。登山口3時。帰路上山温泉で入浴。



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